暁狐
今日も俺はある神社に訪れていた。
高校生活二度目の夏休みになり、最近はもう日課となっている。何も無いただ古びた神社には、俺以外周辺には誰もいない。
正確には出てこないの方が正しいかもしれんが。
だけど俺は待っていた……その子が現れるのを。
それこそが俺の目的であり、近くの大きな樹の下に靠れて何をするわけでもなく、ただ揺れる木を眺めていた。
「よう」
「………」
数分経ち、樹に靠れて座りながら軽く片手を挙げ、少し笑顔を見せて自分の前に現れた者に挨拶。
現れたのは、小さな少女だった。実際の年齢は男は知らないが、外見的には小学生。
下半身の丈が短い白い着物を身にまとい、セミロングの白髪に真紅の瞳が特徴の、この町では見られない美少女。
名前も知らない、その少女は黙って俺に会釈をし、ゆっくりと隣に座った。
「今日も見てくれるか?」
俺の問いに少女は頷く。
俺は将来小説家になろうと思っている、言うなればアマチュアだ。
無論、今は趣味レベルで、サイト等に投稿でもしない限り読者なんていない。
ただ、今は一人だけ俺の小説を待っている読者が目の前にいる。
今はたった一人の読者に読んでもらうため、毎日毎日この神社に訪れている。
まだ書き上げていない時は、この子と雑談したり風景を眺めながら展開を考えたりしたりもする。
俺にとって、この場所は既に無くてはならない存在となりつつあった。
「……どうッスか?」
「……」
原稿がすべて読み上げられ、俺は緊張しながら感想を待つ。
この時ばかりはどうしても慣れない。でも嫌じゃない。
どんな感想が来るのかという緊張感は何とも言えないものがある。
数十分経った……何も返ってこない。
いつもそうだ、彼女はいつも黙ったまま喋ろうとしない。
最初は喋らないのではなくて喋る事ができないのだと思っていた。
だけど、本人に訊いてみたら頭を横に振ったから、多分無口な女の子なんだろうと言う結論に達した。
だから、俺はこの子の名前もどんな声をしているのかも知らない。
まぁ今は読んでくれるだけで有難いが。
それに、毎回の事なので大体パターンもつかめて来たし。
更に数分経った。耳には風の音と、その風で揺れる木々の音しか聞こえない。
やがて少女は黙ったまま立ち上がり、原稿を持ったまま境内へ戻っていった。
最後に俺に振り向き再び会釈。どうやら中々良かったようだ。
喋らない彼女は行動で俺に伝える。
内容が良かった場合は必ず持ち帰る。まぁ、PCの中に文章は入っているから構わない。
駄目だった時はそのまま俺に返す。無論、感想も指摘も無い。
ここら辺はまぁ、自分で考えろと言いたいのだと思っている、中々手厳しい読者さんだ。
「じゃあな、また明日」
「……」
境内に行こうとする少女を俺は軽く手を振り笑顔で見送った。
この時、俺はふと気になった、少女の表情に。
普段、彼女は表情もあまり表に出さないらしく無表情で何を考えているか時々分からない。
だけど、今俺が笑顔を見せた刹那、彼女は少し悲しそうな表情を浮かべた。
けど、すぐ表情は戻り境内へと駆けていく。
俺は首を傾げつつ、少女の姿が見えなくなると、もう一人、いや一匹を待つことにした。
その間、鞄から原稿以外に持ってきた物を取り出す。
それは近所のスーパーで買ってきた特売品の油揚げ。
一つだけ袋を開けると、狙ったようにそいつは現れた。むしろ狙っているんだろう。
「……」
草を掻き分け、茂みから現れたのは、白い子狐。
ただ、その狐は他の狐とは決定的な違いがある。
俺が知らないだけかもしれないが、尻尾が根元から三本に分かれているのだ。
有名な妖怪で九尾の狐と言うのが存在するあたり、もしかしたらと思ったが、妖怪なんて非現実的なので新種という結論に達している。
狐は俺に近寄りながら、真紅の瞳でジッと開けた油揚げを見ている。
やがて胡坐をかいている俺の上に乗り丸くなると、俺は油揚げを半分ほど千切り狐の口元に持っていく。
狐は躊躇うことなく油揚げを食べ始め、三本の尻尾は嬉しそうに揺れている。
一分も経たないうちに食べ終え、もう半分を与え、その間に二袋目を開ける。
今度は千切らずにそのまま与えると、狐は前足で油揚げを押さえて食べている。
数十分経って、俺が持ってきた油揚げは全て狐の腹の中に行ってしまった。
「さてと……」
気づけば辺りは夕日に染められていた。
少し寝てしまったようで、俺は大きな伸びをしつつ立ち上がろうとした。
これからバイトがあるのだ。
それを分かってか、さっきまで俺の膝の上で丸くなって寝ていた狐も目を覚まし、起き上がると一跳びで俺から離れる。
膝に気綱の体温と気持ちいい風を感じながら立ち上がると、狐は俺の顔をじっと見て、そして森の中へ消えていった。
いつもの事だ。明日になればまた現れて俺が持ってきた油揚げを食べるだろう。
そんな事を考えながら、俺はバイトに行くために神社を後にする。
だが、この平穏な日課はもう二度とできなくなるなど、この時の俺は微塵も考える事はなかった。
「ん……んぅ~……」
ふと目が覚めた。
今年の夏は夜も暑くて寝苦しい。寝る前にビールの飲み過ぎたかな……
夏は冷えたビールに限るが、こういう時は若干厄介だと俺は思っている。
ついでにまだ未成年だが気にしない。友達も親父も俺の歳くらいに飲んでいたと言っていたし。
俺はそんな事を思いながら眠気眼で立ち上がり、危なっかしい足取りで台所に向かう。
水を一杯飲み、室内の暑さにやはりクーラー直しておくべきだったかと後悔しながら布団に戻った。
だが、再び眠る事は無い。
何故なら、横になった瞬間何かの気配を感じたのだから。
俺はもう一度起き上がろうとした……しかし、冷たい風が吹いたと同時に俺は何かに押し倒された。
まず脳裏によぎったのは泥棒、空き巣、とりあえず良い事は何一つ思い浮かばない。
俺はジタバタと暴れて抵抗した。大声もあげた。
「……静かにして」
「むぐっ!!」
しかし、「助けて」と大声で言う前に俺に乗っている奴に口を押さえられた。
しかも物凄い力だ。痛みさえも感じる。
更に、この時俺はある違和感に似たものを感じた。
誰かは知らないが、俺を押し倒している奴の体、そして片手と口を押さえている手は、力は凄いけど子供のように小さい物だった。
空き巣にしろ何にしろ、普通に大人のおっさんが脳裏に浮かんだ俺は、改めて俺に乗っかっている奴を見上げた。
「……!」
正直驚いた。
目の前で俺の上に乗っている奴は、いつも神社で会う唯一の読者である少女だったのだから。
いや、微妙に違う箇所がある。
それは、彼女の頭に動物のような、明らかに人間ではない耳が生え、更には尻辺りからは尻尾のようなものが見える。
しかも三本……三本の尻尾、最初に浮かんだのは少女と同じ場所で会う子狐。
確かに、少女から生えてると思われる耳と尻尾は、よく見たら狐のようだった。
正直混乱したが、俺の中である説が浮かんだ。
彼女は狐なのだと。
しかし、狐が人間に、もしくは人間が狐の姿になる、そんな非現実的な事があるはずが無い。
そんな中でも、少女はいつもの白い着物を着ていて、無表情。
月明かりのせいか、真紅の瞳が光って見えた。
しかし何で彼女が?
どうしてこんな事を?
彼女は一体何なんだ?
こんな事を思いながら、俺は始めて少女の声を聞いたことにも驚いた。
とても綺麗な声だった。
「喋らないで……すぐに終わる、から……」
静かな声で少女は俺に言う。
何をされるか分からないが、たとえ相手が彼女でも良い事はやっぱり浮かばない。
とにかくこの状況何とかしないとまずいので、俺は再度暴れて抵抗しようとした。
しかしその前に、少女が素早く体を反転し俺に背を向ける。
そして、何を思ったのか俺が穿いていたトランクスを膝まで一気に脱がしてしまった。
俺は困惑し彼女を退けようと手を伸ばすが、その前に彼女の尻尾が俺の体に触れた。
暖かい感触、白い体毛も本物のようで、アクセサリーではありえないだろう動き。
この時、俺はこの尻尾、そしてあの耳は本物だと思うしかなかった。
「これで、動かない……」
「な、に……ッ!」
少女の声が聞こえた直後、体が動かなくなった。
どういう事だ、殆ど動かず腕も力なく床に落ちて、指を僅かに動かす事しかできない。
「術……もう声も出ないはず……」
少女は静かな声で言い続ける。
術と言うのはよく分からないが、確かに彼女の言うとおり体も動かないし声も殆どで無い。
身の危険どころか命の危険まで感じてきたが、震えることすらできない。
少女は再び体を反転して正面を向き、徐に衣服を脱ぎ始めた。
彼女の肌が徐々に露になっていき、最終的には布一枚という状態となる。
命の危険は絶えず感じていた。
だが、それでも月明かりに照らされる少女は美しいとも感じていた。
そんな中、彼女は脱いだ衣服の中から何かを取り出す。
小さくてわからなかったが、何か丸いものが二粒。
そのうち一粒を爪で割り、口の中に入れ飲み込んだ。
「んッ……んぅッ……はぁぁ」
数秒経ち、少女は不意に甘い声を俺に聞かせる。
少女の頬は熱したように赤くなり、呼吸も荒くなっている。
明らかに先ほどまでの静かな雰囲気とは違う彼女に戸惑う中、少女は少女はもう一粒を口にふくみ、俺に顔を近づけてくる。
このままでは唇が重なる……顔が熱くなるのを感じつつそう思っても、俺にはどうすることもできない。
そして唇が重なる。
「……ッ」
「ん……」
重なった直後、俺の口内に狐少女の小さな舌が入ってくるのと、何かを入れられるのを感じた。
すぐに唇は離れ、何かを入れられた俺はそれを思わず飲んでしまった。
数秒経って、俺は俺自身の体の異変を感じた。
体が熱い……そして息苦しい。
呼吸も荒くなって、少女と同じような症状のようだ。
そして、俺のある部分が自分ではどうしようもなく元気になっていくのも感じる。
それは俺のナニだ。既に限界近くまで勃起してしまっているのが見なくても分かった。
「な、にを……」
「発情する薬……早く、済ませたい……」
少女の言う済ませたい事とは、やはりアレの事だろう。
おそらく飲まされたのは媚薬。
そんなもん飲まされたらそう考えるほか無かった。
彼女が何をしているか、殆ど天井しか見れない俺は分からないが、何やら水音のような音が聞こえる。
クチュクチュを卑猥な音。
その音に本能的に反応してしまい、俺の興奮は自然と高まる。
そして、その時は訪れた。
「いく……ちゃんと………ませて……」
「ッ……」
少女の最後の方の言葉が聞き取れなかったと思った瞬間、ナニ全体が温かいものに包まれた。
ナニを容赦なく締め付け、尚且つウネウネと何かの生物のように動いている。
同時に電気のような感覚が体中に流れた。
これは、俺が自慰する時の感覚に似て、それでいて自慰とは比べ物にならない感覚、いや快感。
何度か経験がある俺は確信した、少女と一つになってしまったと。
そう思ったと同時に、少女は両手を俺の体の上に置き、腰を上下に動かし始めた。
体中に快感が流れ続け、結合部と思われる箇所から卑猥な水音が聞こえる。
「んッ……ぁッ……ひぁッ!」
少女も甘い喘ぎ声を俺に聞かせているが、その声はやはり静かである。
俺は何とか彼女を引き離そうとした。
体は僅かにしか動かない上におそらく力は向こうのほうが上。
まだ言葉のほうが自由に出せるものの、あまりの気持ちよさに「やめろ」、「抜け」等の言葉を言おうとしても、自分でも恥ずかしくなる程の情けない声しか出ない。
そんな事を思いながらも、俺の中では確実に射精感がこみ上げていた。
抑えようとしても抑えられない衝動のまま、彼女の中を白い液で汚してしまった。
「ッ……んぅッ……あ、つい……ッ」
俺の射精を感じたのか、少女も動きを止めてそれを感じている。
射精をしても俺の体は動かず、痙攣すらしない。
ただ凄まじい快感が体に流れ続け、まるでただ精液を吐き出すだけの人形のようだと思ってしまった。
だが、ここで俺は自分の体の異変に再び気づいた。
少しだけ体が動かせるようになっており、尚且つ言葉も出るようになっていた。
射精した為か、別の理由でかは知らないが、俺は全力全開で起き上がり少女の体を掴もうとする。
さすがに少し驚いたのか、少女は少し目を見開くものの、すぐに片手で俺の首を掴み、そして再び押し倒した。
やはり力は向こうの方が上だったらしい、俺の行動は無駄に終わった。
この後の俺は抵抗するのを諦め、何とも大人しいものだった。
少女の行為に抵抗することなく、何度も少女の膣内に射精させられる。
たとえ体が完全に動けるようになっても、その時は既にイッた快感により体は動かない。
これで何度出しただろう、そう考えるのも止めようと思った時、不意にさっきまで激しく上下運動していた少女の動きが止まった。
そしてナニに涼しい風が吹き俺は体を震わす。
どうやら、少女の行為は終わったらしい。
「……」
「お、い……お前」
ナニは少女の中から抜けたものの、少女は依然俺の上に乗ったまま。
呼吸を荒くしながらジッと俺を見つめる少女の表情は無表情だ。
「……ごめんなさい」
「え?」
「私……あなたが、好き」
「な、にぃ?」
いきなり告白された。
最初なんで謝ったのかもそうだが、俺の脳内はかなり混乱する。
普通は告白してその後さっきまでの行為に至ると思うのだが。
そう思って彼女に言おうとするが、その前に少女が言った言葉に俺は耳を疑った。
「でも、私達は、結ばれない……私の一族は、人間と、恋仲になってはいけないから……」
「……」
「もし、人間に惹かれてしまったら、その人間を自ら殺すのが、一族の掟……あなたを忘れる為に……」
「ッ!」
少女は俺の体に置いている片腕に力を入れ、もう片腕を大きく振り上げた。
丁度月明かりに照らされ、彼女の刃物のような鋭い爪が俺に向けられる。
少女が言っている事は冗談ではないことは明白。
やばい……俺はこれまで以上に命の危険を感じ、少女から逃げようと暴れるが、少女は俺の上から離れる事はない。
「でも、最後に……あなたを感じたかった。でも、もう……それも終わり」
「や、やめ、ろ……」
「さよう、なら……勝手ばかりで、ごめんなさい」
俺は意味の無い命乞いをするが、少女はそれを無視するかのように再び謝った。
よく見れば彼女は狐耳を寝かせ、その瞳からは涙が流れ、俺の体の上に落ちている。
そして、少女の涙を見た直後、振り上げられた腕は勢い良く振り下がった。
「小説……あの場所でまた………読ませ……」
最後に少女が何か言ったような気がした。
だがその言葉は、俺に彼女の爪が突き刺さった音と、痛みで意識が薄れていくから聞き取る事ができなかった。
そして、夕方見せた悲しそうな表情をしている少女を見ながら、俺の目の前は真っ暗になった……
あれから何年か経った。
高校を卒業し、大学に入ったのはいいが中退。
小説もまだ一冊も出来ておらず依然アマチュア状態で、今はただのフリーターとなっている。
そして今日はバイトは休みなので、俺は高校の時からずっと通っている場所にいた。
心地よく感じる風で揺れる桜の木の下で、俺は何をするわけでもなくボーっと空を見ている。
ここに居るといろんなことを思い出す。
将来小説家になると夢見ていた頃の自分と、そして彼女の事を。
その度にあの日、彼女に与えられた”左肩”の傷が疼くような感覚が流れ右手で軽く擦る。
あの時、唯一の読者だった彼女は俺を愛していると言い、そして愛しているが故に殺すと言った。
だけど、俺は生きている。偶然なのか彼女に生かされたのかは分からないが。
それでも肩を貫かれて死にかけたけど。気がつけば病院のベッドの上で寝ていたっけ。
「……まっ、来るわけないか」
普通の人間なら、自分を殺そうとした奴と居た場所、もしかしたらまた現れるんじゃないかと思う場所には二度と行こうとは思わないだろう。
だけど俺はあの日以降もこの場所に通っている。
彼女は俺が死んだと思っているかもしれないし、万が一この場所に現れたら、今度こそ俺は彼女に殺されるかもしれない。
でも、それでも俺は彼女に会いたいと思い続けて、いつもの木の下で靠れて座っていた。
それに、まだあの時彼女に見てもらっていた小説の続き見てもらってないし。
俺は読んでいた小説のページにしおりを挿み、立ち上がろうとした。
だけどその前に強風が吹き俺は目を瞑る。
片手で軽く目を擦りつつ、俺は立ち上がると、その存在に気づいた。
先ほどまで誰も居なかったこの場所に忽然と現れた気配は、何だか懐かしいものを感じる。
手の動きを止め、俺は気配のする方向に顔を向ける。
そして、少し目を見開き驚いた。
俺の視線の先、丁度木の影により少し暗くなっている場所に、一人の女が立っていたから。
その女、俺には見覚えがある……と言うよりもこの数年の間忘れたくても忘れられない女だった。
帯も何もかも白い着物を身にまとい背は伸びているが童顔で、ポニーテールのように結ばれている長い白髪が風に靡かれている。
相変わらず何を考えているか分からない表情、左目は髪の色とは対照的な黒く丸い眼帯で隠され、真紅色の右目のみでこちらを見つめている。
そして、彼女の頭から生えている狐のような獣耳と、ゆらゆらと揺れている白い体毛の大きな尻尾。
そう、俺の前に現れた女は間違いなく唯一の読者であり、あの時俺を犯して告白して殺そうとした狐だった。
「……」
彼女は無言のまま会釈する。
昔と変わっていない挨拶、まず間違いないだろう。
だけど、そんな事はこの際どうでもいい。
彼女が俺の前に再び現れたということは、俺はまた命の危険があるかもしれないという事だ。
だけど、何故だか俺はあの時のように逃げようとする事も、命乞いする事もしなかった。
ただ沈黙だけがこの場を支配し、時折木が揺れる音や鳥の鳴き声ぐらいしか聞こえない。
まぁ、彼女が昔と変わらないままだったら、彼女から俺に話しかけることは無いか……
「そういえば、名前を訊いていなかったんだけど……」
「……彩と申します」」
「……その眼帯は、どうしたんだ?」
「…………一族を裏切った、代償です……」
「裏切った?」
「はい……」
俺から話しかけて初めて返答が返ってきた。しかも口調も丁寧語に変わっているようだ。
そして名前も今初めて知った。
しかし、裏切ったとはどういうことなんだろうか。
彩(さや)は、一族の掟に従って俺を殺そうとしたというのに。
そう考えていた俺に、彼女はゆっくり片手を眼帯に近づけ、そして斜め下に少しだけずらした。
閉じられた彩の左目には小さいが深く痛々しい、まるで数字の1の字みたいな傷があった。
数秒で彩は眼帯を元に戻した。
「人間である貴方を殺さなかった為……そして……」
一瞬、彩は視線を俺から逸らし、何かを言うのを躊躇ったように感じた。
だが、すぐに正面を向いた。
「人間との間に出来た子供を、生んでしまった為……」
「こ、子供……!?」
「……出ていらっしゃい」
「うん……」
なんだか、彼女から気になるフレーズが聞こえた。
その事を俺は問おうとした。
だがその前に、彩が自分の背後に居る存在を静かに呼びかけると、出てきた。
彩の腰辺りから、顔だけを出してこちらを覗き見る小さな少女。
小さな手で彩をしっかり掴んでいる少女は、同じ白髪に真紅の瞳。
やがて彩が静かに横に移動すると、少女の姿全体が目に映る。
少女は昔の彩のように、下半身の丈が短い白い着物を着ているが、俺はそれよりも他の所の目が行った。
一度目を擦ってもう一度見る……気のせいじゃないようだ。
少女の頭には、彩と似た狐のような耳、そしてフサフサした尻尾が二本揺れていた。
尻尾の本数は違うが、顔つきといい獣耳と尻尾といい、何もかもが昔の彩に似ている少女。
きっと、あの少女が彩が行っていた『人間との間に出来た子供』か。
なら父親は人間で、あの少女は人間と狐のハーフと言うことになるのか。
あの子の父親は誰だろう……そんな事を思いながら、少し警戒、怯えを感じる視線で見ている少女を見ていた時、俺はとんでもない事を聞いた。
「ねぇ、あの人間さん?」
「そう……お父さんよ」
「なッ!! お、おと……ッ!!」
「へぇ……あの人が、パパなんだぁ」
「ぱ、パパ!!?」
思わず半歩ほど後ずさった。
やはり目の前の狐は親子だったらしいが、そんな事とは比べ物にならない衝撃が俺を襲う。
確かに予想はしていた、あの時避妊してない、というより出来なかったし。
俺の娘らしい少女の表情は警戒から明らかに違っており、俺が父親だと知った瞬間瞳を輝かせている。
そして少女はゆっくりと歩き俺に近づいていく、思いっきり抱きつくモーションをとって。
「パパぁ♪」
小さな体が俺に抱きついた。
戸惑う俺をよそに、少女は満面の笑みをこちらに見せているが、どうすればいいか分からない。
ここは俺も抱き寄せるのがおそらく正解だろうが、いきなり娘と言われても困ったりする。
俺は困った末、彩を見るもののずっと無表情のままだった。
「えっと………ちょっと離れて、っては、な、れ、な、さ、いっ!」
とりあえず俺にしがみ付く少女は何とか引き離し、俺は改めて最初から思っていたことを彩に訊いた。
「な、なぁ、お前達、何しにきたんだ? 俺をまた殺しにか?」
「……」
彩は黙っている。
この際また俺に抱きついた少女の事は放っておいた。
「……」
「黙っていたら、何も分からないだろ」
黙り続ける彩に若干苛立ち始めた。
口調を少し強めにする俺に対しても彩は黙ったままだったが、やがてゆっくりと口を開いた。
「私達は……貴方と一緒に………」
「ねっ、一緒に暮らそうよパパ!」
彩の言葉は少女の元気な言葉でかき消されて聞こえなかった。
だけど内容は同じだろう……彩と再会してから、俺の前に現れた理由を俺なりにある程度予想していた。
生きていると分かり再び殺しに来たとか、俺と娘を合わせたかったとか。
無論、俺と共にいたいというのも予想していた。
だが、彼女は俺を無理やり犯し、殺そうとした。
それが彩の本意でなくても、その事実だけは揺るがない。
更にその行為で出来た子供なんて、普通の人間なら見たくもない存在だろう。
無論、俺も少女に対して少しだけどまだ抵抗があったりするし。
「……時間をくれ、少し考えたい……」
「分かりました、いきますよ?」
一分ほど考えた後、俺は精一杯の回答を彩に言う。
何もかもが突然の事、今すぐ答えなんて出ないし、暮らそうと言われて簡単に暮らすと返す事もこの時点では考えられない。
まずは頭の中で色んなことを整理しなければならない。
彩もその事を察していたらしくあっさり言葉を返す。
少女は「パパと一緒にいる~!」と駄々をこねて俺に抱きつくが、俺はすぐに少女を引き離し彩に引き渡す。
瞳に涙を浮かべている少女は彩に手を握られ、彩が会釈すると少女も頭を下げる。
俺は何も返さない。こういう場合は手ぐらい振るものだとは思うが。
そして俺も、読み途中の小説を持ちながら、家へと戻った。
二日位経った。
俺なりに考え抜いて、再び高い階段を上り古びた神社に足を運んでいた。
いつもの木の下でいつもどおり小説を読む。
時折心地よい風が吹き、季節も夏から秋になりかけていると思った時だった。
一際強い風が吹き、俺は落ち葉を顔で受けながら目を瞑っていると、彼女達の気配を感じた。
立ち上がり目を開けると、今度は目の前に立っている。
親子で手をつなぎ、二人とも少し不安を感じさせる表情をしている。
きっと俺の答えを待っているんだろう。
「一つだけ聞くぞ。彩は、また俺を殺そうとするのか?」
「………いえ」
「そうか。そういや、その子の名前は?」
「色葉、と申します」
「いろは、か………おいで、色葉」
俺はしゃがんで、俺の娘の色葉に笑って呼びかけると、不安そうな表情だった色葉も満面の笑みを浮かべて俺に抱きつく。
俺も小さな体を抱きしめて、そのまま立ち上がって彩の目の前まで寄って、彼女の頭を軽く撫でる。
サラサラした髪の感触に時々獣耳は温かくて、手が当たる度にぴくんと動いていた。
「俺のアパート、三人はちょっと狭いぞ? それでもいいか?」
「ぇ……あの……私も、よろしいのですか?」
「娘だけ引き渡すつもりだったのか?」
「はい……掟とはいえ、私は貴方を殺そうと……」
彩の言葉が終わる前に、俺は色葉を降ろして彩の唇を奪う。
唇を離すと、彩はキョトンと唖然となっている様子。
こうして見ると、成長している事が分かるけど、背の差と彼女が童顔のせいか、やっぱり何処か子供っぽく思ってしまった。
獣耳を寝かせ、潤んだ瞳で見つめる彩を見つめながら俺は彩の眼帯を軽く指で撫でた。
「もう言うなって……俺生きてるし、もう五年以上前の話だ。それに、もうその一族ってやつとは関係ないんだろ?」
俯いて黙っている彩。
彼女は一族を裏切ったと言った。
だからもう、好きになった種族が人間なら自分で殺すなんて掟を守る必要はない。
俺の質問に彩は僅かに首を縦に振り答え、再び俺を見つめる。
「……私も、そばに居てもよろしいのでしょうか?」
「おう」
恐る恐るといった様子で彩は訊ねて、俺は笑って答えた。
俺の脚にしがみ付いている色葉も、歓喜の声を上げて喜んでいた。
「あの、一つだけ……」
「ん?」
「貴方は、私のこと、愛してくれますか?」
「ああ」
少し不安そうな彩の質問。
俺は迷うことなく彼女を抱き寄せて答えると、耳元で静かな声で「ありがとう」と聞こえた。
色々考えて、俺が今まで彩の事を忘れないでいたのは、やっぱりそういった感情もあったのだと自分の中で結論付けた。
無論、その一族の事とかあの後どうしていたのかという疑問もあったんだけど。
彩を解放すると、彼女は涙を流し、そして微笑んだ。
この時が彼女が始めて笑顔を見せた瞬間だった。
そして俺がいつもの木の下に腰を下ろし、胡坐をかいた膝の上に色葉が乗り、隣に彩が腰を下ろす。
俺は彼女達に読んで見せた。
あの時、彩に見せることが出来なかった物を。
この俺の体験は小説になり、多くの人に読んでもらっている。
俺達親子は狭いアパートから、割りと大きな家に住む事ができるようになった。
娘も成長し、素直で明るい子に育った。まぁ、初めて会った頃からそんな感じだが。
そして現代、俺は娘の色葉と二人で、幸せだと思う生活を送っている。
最終更新:2007年10月27日 23:34