「――あー、そこそこ。いい感じよー。あ、耳にお湯や泡が入らないようにねー」
 湯煙立つ風呂場。
 三人の人影が、一列になって洗い合っていた。
「ん……こうですか?」
「そうそう。んー、シルス君は上手いねぇ」
「悪かったな」
 険悪な声を出したのは三人の内の最後尾。銀髪から覗く二本の角、引き締まった尻の上から生えた、金色の鱗を纏う尻尾。
「ベル様はですね、多分悪意が篭ってるから乱暴になるんですよ」
「そう思うなら少しは我に遠慮しろ」
「ま、まぁまぁ、ベルもポチさんも仲良くしてよ」
「そうですよねー。折角シルス君を通じてベル様と棒姉妹になれたのに」
「その淫猥な呼び方は止めろ!」
 ベルがそう怒鳴ると、三人の中央、血色の髪の少年――シルスは小さく笑った。
「何がおかしい!」
「いや、こうしてるのを見て、何か既視観があるなぁと思ったんだけどさ。さっきのポチさんの言葉で思い出した」
「何をだ?」
「レン先輩。魔術学院の」
「……ああ、奴か」
 ベルは顔を歪め、吐き捨てるように言うと、
「不愉快な話はいい。奴の話など――」
「どんな人なの?勝負の代わりに教えて」
「ああ、ええとですね」
 シルスは怒りを溜めるベルを横目に、すかさず割って入ったポチに説明を始める。
「魔術学院では、上級生の小間使いみたいな形で下級生が割り当てられるんですけど、レン先輩はその時の僕が割り当てられた超術師です。凄い人なんですけど、色々と問題のある人で……」
「問題?」
「え、ええ。その……渾名が『毒精神波発生機』とか『精神の痰壷』とか呼ばれてて……とにかく言動と行動が凄くて」
「なるほど」
 ポチは何かを察したように小さく笑い、シルスがそれに虚ろな笑いを返す。
「今頃何してるのかな?」
「あんな奴に仕事などあるのかどうかすら疑問だが」
「……かもね」
「まぁ、もう二度と顔を合わせる事もあるまい」
「そうだといいけど」
 風呂桶を手に取り、湯を注ぐ。
 満ちた湯にタオルを漬けながら、シルスは苦笑いを浮かべた。
「シルス君は明日にはここを出るの?」
「そうですね。まだまだ見て回りたい所が沢山ありますから」
「楽しそうねぇ」
「はは……そうでもないですよ」
「――なんだその目は」
「怒らない怒らない。ねぇシルス君、記念にもう一回だけシない?」
「済みません…… 流石にもう勃ちませんよ」
「貴様……!」
「怒らない怒らない」
「あはは……」
 こうして夜は更けていく――


「――で、結局」
 彼の陽気な声が室内に響く。
「お客さんは君のご主人様の知り合いだったと」
「そのようだ」
 鋏を片手に、私は彼の確認に答えた。
 金属が擦れ合う音と共に、血の赤に染まった毛が宙に舞う。
「それにしても、少し長く切り過ぎじゃないかい?ボクは長い方が好きなんだけれど」
「済まない」
「謝る必要はない。ちなみに、それも『お願い』の一環なのかい?」
「そうだ」
 手入れを兼ねた散毛を終え、私は手鏡を手に取った。
 前よりも少しだけ獣より人に近付いた私が、硝子の向こうにいる。
「では、行って来る」
「長くなるのかい?」
「かも知れない」
「そうか……君の為だ。仕方ない」
 彼は窓枠に乗り、踵を返してこちらを見た。
 黒真珠のような瞳が、真っ直ぐに私を貫く。
「ボクは祈ろう、君の為に。そして君の幸福を願う――他ならぬボク自身の為に」
「……済まない」
「謝る必要はない」
 彼はそう言って踵を返した。
「待っているよ。再び君の挨拶が聞ける、その日を」
 彼の姿が外へと消える。
 翼が風を切る音が二、三度聞こえ、それきり静かになった。
 私も踵を返し、扉を潜る。
 「願い」を果たす為に。


 ――目の前には巨大な鏡と、幾何学的な魔術陣が敷かれている。
 この魔術陣に対し魔力を注げば、一年近くもの間、顔を見る事さえ無かった先輩と感動の再会、という事になるのだろう。
 シルスはそう思いながら、少し離れた位置に立つベルに視線を送った。
 それに答えるように、神聖竜の少女は嫌そうな顔をして顎で示す。「早くしろ」と。
 覚悟を決めて、シルスは鏡の縁に触れた。
 途端、鏡の表面に波紋が沸き立ち、シルス自身の像が乱れ――不意に、何も映さない黒一色に染まった。
 細い指先がそこに触れ、流暢に文字を描き出す。
「LenNahcowt」
 そう書き切った瞬間、再び波紋が沸き立ち――
「いよーう、元気にしてるかおまいら」
 そんな若い声と共に、一人の女性が鏡に映し出された。
 首回りで短く纏められた、海のような深みを持つ蒼髪に、そこから二つ生えた三角形の猫耳。
 睨まれればそれなりの凄みを持ちそうな鋭い瞳に、その目元に彫り込まれた、猫と思しき絵。
 シルスがベルと共に魔術学院を出た時と寸分たりとも変わらぬ、超術師レンの姿がそこにあった。
「お久し振りです、レン先輩」
「シルスか。相変わらず細せぇなーおまい。ん?ベルディラウス様はどうした?」
「先輩と顔を合わせたくないそうで……」
「そうか。その様子だと、まだおまいは逆レイプばっかされてんだな。まぁ、おまいにはそれが似合ってるが」
「先輩……」
 ひゃはははは、とレンは下品に笑い、
「幾ら何でもそろそろ子供出来るんじゃまいか?人と神聖竜がズッ婚バッ婚とか、ワクテカして待つ以外にないだろ、常識的に考えて……」
「先輩!」
 顔を真っ赤にした後輩の抗議に、スマソスマソ、と馬鹿笑いしながら言う先輩。
 一頻り笑ってから、レンは鏡の向こうで蒼髪を掻き、不意に真剣な表情になって言った。
「キャッキャウフフな旅行中、急に呼び出して正直スマンかった」
「いえ、そんな事は。……流石に、先輩から連絡があると先程聞いた時は驚きましたが」
「そうか、だが猛省はしていない」
「はは……」
 全く変わらない先輩の態度に、シルスは安堵しつつ苦笑いを浮かべる。
「時にシルス。おまい、神聖術師と屍術師の話は聞いてるか?」
「神聖術師と屍術師、ですか……?犬猿の仲、という事しか知りませんが」
 そうか、とレンは面倒臭そうに何処からともなく数枚の書類を手に取り、
「ならいいんだ。変な質問して悪かった」
「はぁ……?」
「気にするな。スルーしろスルー」
 そう言いつつ、彼女はペンを片手に取り、
「おまいら、これからの予定は?」
「ベルと相談して決める予定ですが、取り敢えず北の方に行こうかと」
「そうか。出来ればあと一年ぐらいは中央に戻って来なくていいぞ」
「はぁ……」
 また何かあったんだろうか、とシルスは思いつつ、口を挟む事はない。
 レンはしばし書類にペンを走らせ、次いで口を開く。
「ま、取り敢えずはこんな所だ。引き続き、何事も無かったかのように旅を続けろ」
「はい」
「あと、ヘイルに餞別を送っておいたから受け取れ。多分楽しめるぞ」
 じゃあな、との言葉を最後に、鏡は本来映し出すべき像を取り戻す。
 シルスは大きく息を吐き、今日何度目か分からない苦笑いを浮かべた――


「――どうもありがとうございました」
「いえいえ」
 ――翌日。
 シルスとベルは、ヘイルと猫人二人に見送られ、塔を出る所だった。
「忘れ物はありませんか?」
「大丈夫です、多分」
 自分の背ほどもある荷物を背負い直し、シルスは答える。
 その様子を離れて見ているベルは、少しばかり複雑な表情を浮かべ――不意に自分の背後へと裏拳を放った。
「――わ、っと。よく気付きましたねぇ」
「当たり前だ」
 彼女の背後に音もなく忍び寄っていたポチが、紙一重の差でそれを避けた。
「持たないんですか?荷物。シルス君可哀相」
「あれはシルスの役目だ。我の役目ではない」
「好感度アップかも知れないのに?」
「煩い。貴様が口を挟む事ではない」
「はいはい」
 猫特有の細い笑いに見つめられながら、ベルは空を見上げる。
 突き抜けるような青い空。
 少しだけ日の光が暑く、吹く風が肌に涼しく感じる世界。
 シルスと初めて会った時もこんな気候だったと思いながら、視線を下げる。
「――さて、そろそろ行きます」
「お気を付けて」
「はい、それでは」
 会話が終わったのを見計らって、ベルは大きく息を吸う。
「シルス、早く来ないか!」
「ごめん、待って!」
 シルスが追い付くのを待たずに、彼女は歩みを進める。
 前を行く華奢な背中に微笑を浮かべ、彼は踵を返して見送りの三人に手を振った。
「――シルス!」
「――ごめん!」
 召喚術師の少年は駆け、竜の少女の背後に並ぶ。


 南部大陸、赤土の赤銅色と、森の緑色がまだら状に彩る大地の上。
 一組の少年と少女の影が、そこにあった。