※以下の文章には殺傷表現が含まれます。





――私の言う事を聞いていれば、いつか人間にしてあげよう。

それが、私がこの世に生を受けてから、最初に貰った言葉だった。


「……」
窓から見渡す限り、荒れた山野と森しか見えない、そんな僻地に立つ塔。
それが、私と、我が主の住まう家だ。
「……」
私は何をするでもなく、闇色のボロ布――私がこの身体以外に主から頂いた唯一の品――を纏い、ただ窓の外を眺めている。
なんという事はない、いつもの……三十年もの間続いた昼の日課だ。
「……」
私が微動だにせぬまま、この世界を照らす恒星が五度ほど傾いた頃、私の耳に聞き慣れた音が響きだした。
風を切って羽ばたく、大翼の音。
それが一際大きくなると同時に、窓から差し込む光に巨大な影が差した。
「やあ。今日も話をしに来たよ」
決して耳障りではない、陽気な声。
どうやったらそんな声がその黒い嘴から出るのか疑問ではあるが、聞いた事はない。
――そう。
「彼」は、全長二メートルはあろうかという巨大な鴉だ。


私が閉口していると、彼は小さく首を傾げ、
「あれ? 元気ないね。ボク、君の挨拶が聞きたいなぁ」
――そう決まって彼は言い、私を喋らせようとする。
私は苦笑しながら、
「――おはよう」
と、返すと彼は即座に、
「おはよう! 今日もいい天気だねぇ。と言っても、ボクはここが晴れていない時を見た事がないんだけどさ! 君は見た事あるかい?」
そう機関銃のように喋るのである。

私と彼の付き合いは、もう二十年近くになる。
始めて出会ったのは、私が我が主の「願い」を聞いていた時だった。
そう、あれは――
「おーい!」
私はその声に、我に返った。
見れば、彼はいつの間にか石造りの窓枠から降りて、私の眼前でその黒真珠のような瞳を真っ直ぐに私へと向けていた。
「君はよく人の、じゃなかった。鴉の話を聞かない事があるね。まぁだからこそボクも話しがいがあるんだけどさ。ちょっと疲れたから失礼するよ」
そう言うと、彼は私のボロ布に飛び込んできた。そのまま実に器用に中へと入り込んでくる。
私の腹部に心地良い羽毛の感覚が広がり、次いで胸元から彼の頭が飛び出した。


「君の毛は柔らかくて暖かいね。それに長い。ボクのとは大違いだ」
「貴方のも、暖かいと思うが」
「そうかい? 自分では分からないな。なんにせよ――お褒め頂き有難う。一応、自慢の羽なんだ」
決して変わる事のない彼の調子に微笑を浮かべて、私は彼の頭を撫でた。
「それと――」
「なんだ?」
「済まない。君はその身体を嫌っていたっけな」
私はその言葉に小さく顔を歪め、しかしすぐに微笑へと戻した。
「そんな事はない。これでも少しは気に入っている。だから……素直に嬉しいよ」
「……そうかい?」
「ああ…… そうだとも」
ややあって、彼が再び嘴を開いた。
「今日の夜も彼の『お願い』かい?」
「ああ、そうだ」
「ボクが言うのもなんだけれど、嫌なら嫌と言った方がいいんじゃないかな」
「……それは出来ない」
「例の約束? 人間になりたいから?」
「ああ」
即答すると、彼は心なしか悲しそうな目をした。
「……そうかい。君がそう言うならボクの出る幕はないかな」
「ああ…… 悪いな」
「気にする事はない。ただの鴉の戯言だ」
彼はそう言って眼を閉じた。
眠ったのだろう。
いつもの事からそう考え、私も目を閉じた。



次に目覚めた時、彼は既に消えていた。


――そして、夜がやって来る。
我が主の「願い」を聞き、私は塔を出た。
この身に布一つだけを纏い、夜風を切って野山を駆ける。
この世界の衛星が10度ほど傾く頃には、私は山二つ離れた所にある小さな王国の首都に到着した。
街は祭りの真っ最中だった。
警備を掻い潜り、雑踏から雑踏へと移ろい続ける。
耳に響くのは、人々の歓声。鼻に残るのは、豪勢な馳走の匂い。
どれもが、今の自分には縁遠いモノだ。
それがあまりにも羨ましく――狂おしいほどに憎い。
私がそんな想いを抱いて祭りを眺めていると、ふと祭りの賑わいが増した。
――時間だ。
私はゆっくりと、その賑わいの増した一画へと歩みを進めた。
豪華な衣装に身を包み、周囲の雑踏へ向けて微笑と手を振るう、成熟した男女と少年少女の一家。
周囲には多数の近衛兵が警備に当たり、油断なくその視線を張り巡らせている。
この国の、王族。
それを確認して、私はボロ布を身体から払い取った。
途端、私の周囲から響く悲鳴。それに反応して一斉にこちらを警戒する近衛兵。


私はその一切に構わず、周囲の人間を跳ね飛ばしながら地を蹴った。
「近衛隊! 王を――」
――もう、遅い。



――彼女の鋭利な爪が、確かに王の首を刎ね飛ばしたのをボクは見た。
次いで横薙ぎに振るわれた爪と、丸太のような腕が、王妃の胸部を中の心臓ごと三枚に下ろした。
花が咲いたように散る鮮血。
巻き起こる怒号と悲鳴。
近衛兵が次々と槍を繰り出し、彼女の爪の一閃を受けて残骸へと化す。
「Raaaaaaaa!」
彼女が雄叫びを上げる。
その声に竦んだ兵が、次の瞬間には肉片となって散る。
刹那――
「――死ねッ!」
そんな声と共に、彼女の背後からその心臓に向かって槍が突き立てられた。
多量の鮮血が散り、彼女と、彼女に槍を突き立てた近衛隊長に降り掛かる。
「どうだッ! 化け物がッ!」
彼女は一度だけ痙攣し、そのまま――
背後の近衛隊長の足を後ろ足で蹴り砕き、自分の心臓から突き出した槍を引き抜いて、近衛隊長へ叩き付けた。
「が――」
一瞬だけ、近衛隊長の肺が潰れる音が聞こえ――胴と腰が別れる砕音に取って変わった。
……それからはもう、一方的な虐殺と蹂躙が続いた。




怨みを叩き付けるように。
妬みを打ち付けるように。
まるで、人という種を終わらせるまでは飽き足らぬと言うように。

衛星が更に十度ほど傾いた頃に、ようやく虐殺は止まった。
半死人の呻き声が鳴り止まぬ祭りの、その明かりの奥。 通りの裏路地に彼女はいた。
「ひっ、あっ、ぐう、ああぁ!」
獣の唸りと共に聞こえるのは、男の情けない嬌声。
彼女は歳若い青年を押し倒し、その首元に爪を当てながら、青年の上で腰を振っていた。
銀の体毛は汗とそれ以外の体液で濡れていて、この行為が既にある程度続いている事を示していた。
「Graaaa!」
「ひぃっ、ぐ、ああああっ!」
彼女が吠えながら小さく震え、青年が叫び声を上げる。
主よ――!

そんな声が聞こえた気がした。
彼女と青年の接合部から白濁色の液体が一筋流れ、一拍おいて彼女がまた動き出す。
「ぐ、ああぁ! た、助けてくれ……」
彼女は答えない。
血のように赤いルビーの瞳を、青年に向けただけ。
重い水音が響く中、ややあって再び彼女が小さく震えた。
それに合わせて青年が悲鳴を上げ、白濁液を彼女の胎に流し込まされる。
そして彼女はまた動き出す。



「Gruaaaa!」

――私は、貴方が……!

彼女が青年の首を掴んだ。
凄まじい度合で加えられる力に、青年の顔色が変わる。
「あ……! が……!」
青年の手が腕に絡み付くが、彼女は躊躇せずに締め上げた。
――そして、限界が来る。
「Gaaaaaaaa!」

――貴方が…… 憎い!

彼女が震え、青年が精を吐き出した。
気怠げで緩慢な動きで、彼女は青年の肉棒を胎から引き抜く。
彼女は既に事切れた青年を何の感慨も無さそうな目で一瞥し、黒いボロ布を身に纏う。
そして、搾り取った精が胎から零れるのも構わずに、彼女は闇夜へと消えた。

――ボクは翼を拡げ、風に乗った。
眼下を勢い良く野山が流れ、遥か向こう、蜃気楼のように薄らと見える塔がゆっくりと近付いて来る。
目指すのは、塔の中程にある窓枠。
塔の壁面を眼前に捉えて、上手く窓枠に着地。塔の一室に顔を突っ込んでから、今日もボクは言い放った。
「――やあ。今日も話をしに来たよ」
明かりといえばボクが今立ち塞がっている窓からの光しかない暗い部屋で、今日も彼女は部屋の隅に蹲っていた。

「あれ? 元気ないね。ボク、君の挨拶が聞きたいなぁ」
そう呼び掛けると、彼女はこちらを見て、何事かを呟いた。
よく聞こえなかったが、それはいつもの挨拶ではなかった。
「何だって?」
ボクは窓枠から降りて、彼女の眼前へ歩み寄った。
彼女は呟くように言った。
「……最近、よく夢を見る」
「どんな夢?」
「私が…… 貴方を殺して、食べてしまう夢だ」
彼女の瞳がボクを捉える。
その色は、いつもとは違う、濁った血のような色をしていた。
「……昨日から、身体がおかしい。思考もだ」
「おかしい?」
「ああ……」
彼女は虚ろな息を吐いて、
「貴方は、私が人になれると思うか?」
そうボクに問うた。
「……なれるんじゃないかな。いつかは」
「そう、か」
彼女は大きく息を吐き、苦笑を浮かべて言った。
「――おはよう」
「ああ、おはよう――」