「ちょっと、何これ? 私、ダイエットDr.ペッパーって言ったはずだけど?」
「あっ、す、すみません!」
間違えてチェリーコークを買ってきてしまった。
プールサイドに寝転んでいる獅子尾(ししお)先輩が、じろりと僕を睨んだ。
あ、これはヤバい。
僕の所属する<水辺でお昼寝倶楽部>の部員で、
二年生の獅子尾先輩は、ライオンの獣人。
非の打ち所のない金髪と美貌が、同じ女生徒からも人気の高い「お姉さま」だけど、
群れを作る動物の獣人らしく上下関係にうるさくて、肉食動物だからかものすごく怒りっぽいんだ。
「あー、これはわざと変なのを買って来たんじゃないでゲスかねー?
この子、獅子尾サマがダイエット中と言うことを知ってたはずでゲスよー」
妙な口調で言ったあと「にしし」と笑ったのは、獅子尾先輩の取り巻きで、
品性下劣を自認している新聞部との掛け持ちの一年生、灰斑恵那(はいぶち・えな)。
僕の同級生のハイエナ娘が余計な事を言わなければ、さらっとすんだ所だったのに、
獅子尾先輩は、恵那のことばを聞いて柳眉を逆立てた。
「何……、わざとなの?」
「そ、そ、そんなことありません」
慌ててもう一回頭を下げたけど、先輩は怒り出すと止まらない。
特に、自分への侮辱に対しての怒りはものすごい。
<学園>内での注意事項その16、にも
<ライオン獣人のプライドを傷つけることは避けましょう>とあるくらいだ。
普段は面倒見のいい先輩が瞳に殺気を宿らせて詰め寄ってくるのを、
ただの純血種人間でしかない僕は、金縛りにあったように見ているしかなかった。
獅子尾先輩が真っ赤な口を開け、白くて大きな牙をむき出しにして怒るのを目の前にして、
足がすくまない人間はいない、と思う。
空気さえびりびりと張り詰めた中で、
恵那がニヤニヤと笑いながらこっちを見ているのがちらっと見えた。

(あー)
人間、命の危機が迫ると、むしろ客観的になるらしい。
走馬灯を見ること0,1秒。
短かったけど、楽しかったな。お父さん、お母さん、先立つ不幸をお許しください、
とか思い始めたとき、
「なーに、ガチャガチャやってるんだい!?」
横合いから女の人の大きな声が割って入ってきた。
「……!」
獅子尾先輩がざっと跳び下がった。ネコ足立ちで身構える。
「バカ沢……あ、いえ、河馬沢(かばさわ)……」
恵那がつぶやきかけ、あわてて言い直した。
「「先輩」をつけな、このデコ介。
自慢じゃないが、あたしゃ、たしかにテストは毎回赤点補習のお馬鹿だから、「バカ沢」でもいいけど、
最上級生で、あんたらの先輩であることはちがいないんだから」
三年生で、クラブの役員でもある女生徒は、腕組をして二人を睨みつけた。
カバの獣人だけあって、体が大きい。
太目……いえいえ、恰幅がよい分、その仁王立ち姿はものすごい迫力だ。
ついでに腕組で盛り上がったおっぱいの迫力も、ものすごい。絶対150センチ超えてる。
──サバンナの<水辺のヒエラルキー>で最強といわれるのは、
実はライオンなどの肉食動物ではない。
体の大きなゾウやカバなのだ。
特にカバはユーモラスなイメージとは裏腹に、攻撃的でしかも執拗だと言う。
文科系(?)のぬるいクラブで下級生から慕われる、気風の良いこの女先輩が、
獣人の不良どもが最敬礼で挨拶する元ヤンだということと同じくらいに意外な話だけども。
その元ヤンの先輩に、獅子尾先輩は──ぎん、と目を怒らせて一歩前に出た。
「ひっこんでいていただけませんか、河馬沢先輩。
これは、一年生のしつけの問題で、貴女とは無関係です」
「ほお……。上等な口を叩くじゃないかい」
純粋種人間や、小型生物の獣人だったら、それだけで気絶しそうな視線を受けて、
河馬沢先輩が獰猛に笑った。

「あわわ」
僕は青くなった。
見れば、恵那も同じ表情になっている。
百獣の王と、水辺の覇者。
<学園>広しといえど、こんな<大物>同士がぶつかることなんか滅多にない。
それは、一介の純血種人間やハイエナ娘に止められるものではなかった。
獅子尾先輩が、耳をつんざく声で大きく吼(ほ)え、
河馬沢先輩が、どん、と地面を足で踏みしめる。
縦横五百メートルを誇る学園のシンボル、<大プール>。
プールというよりはすでに池や湖の範疇に入るその岸辺で突如始まってしまった果し合いは、
──ざぱあっ、という水音と
「……理由なく下級生を使い走りさせてはならない。
<水辺でお昼寝倶楽部>部員心得、第二十三条……」
その静かな声で唐突に終わりを告げた。
「……わにぶっちゃん……」
「鰐淵…先輩……」
自ら上がってきたのは、激しない声と物腰、
そしてスクール水着のお尻の部分からのぞく長くて太い鱗の尻尾が、
彼女が爬虫類の獣人だということを万人に認めさせる美女――鰐淵(わにぶち)先輩だった。
「パシリ、よくない」
水中メガネを外しながら鰐淵先輩はぼそり、とつぶやいた。
シンプルな正論に、獅子尾先輩がぐっとことばに詰まる。
「……」
「……」
爬虫類系獣人特有の、どこに焦点があっているのかわからない視線を受けて、
獅子尾先輩はとまどっているようだった。
そこに、唐突に、
「……おしおき」
鰐淵先輩は、獅子尾先輩の手首を掴んだ──どぼん。
ライオン獣人を道連れにプールに再び飛び込んだ。

「ぶるおっ! ごばっ! どぼっ!」
引き込まれた金髪の美貌が、これ以上ないという驚いた表情と盛大な泡を浮かべて、水中に消えていく。
「あちゃー。勝負あったね。ワニは不意打ち得意だからねえ。
じっと動かない、と思った瞬間にはもうガブリ、さ……」
河馬沢先輩が、腰に両手を当てて、愉快そうにわはは、と笑う。
150センチオーバーの爆乳がぶるんぶるん揺れるけど、僕はそれどころではなかった。
「ちょっ……浮かんできませんよ!」
「あー。<大プール>は最深部が20メートルあるからねえ。
ま、わにぶっちゃんも、そこまで深いところは苦手だから、
3メートルかそこらで獅子尾を押さえ込んでるだけだろうけど」
「さ、3メートルでも、息できませんよ!」
「そりゃそうさな。そうやって獲物を仕留めるんだもん」
河馬沢先輩は、もう一度、わはは、と笑った。
「そ、そんな、獅子尾先輩、死んじゃいますよ!?」
「うーん。ま、そろそろやね。ほら」
涼しい顔の元ヤン先輩が指で指した先に、鰐淵先輩が浮かび上がってきた。
肩に、獅子尾先輩を担いでいる。
「まー、ライオンだろうがトラだろうが、水辺でわにぶっちゃんに勝てる
獣人なんてそうはいないさね。おー、見事な土座衛門。……どれ」
河馬沢先輩は、プールサイドに横たえられた獅子尾先輩のおなかの上に手を当てて、
ちょっと体重を掛けた。うわ、重そ……い、いや、人命救助、人命救助。
「……けはっ、ごばっ!!」
激しい咳き込みと同時に、ライオンの獣人娘は口からぴゅーっと水を噴出した。
「そこのハイエナ女、後でこの子を保健室に連れてってやりな」
河馬沢先輩は恵那にそう命じた。
その横を鰐淵先輩はすっと通り過ぎた。
たった今、猛獣の獣人と生死をかけた(一方的だったけど)
戦いをしてきたとは思えないくらいに表情に乏しい。
だけど、そのぼうっとしているようにも見える顔は、びっくりするくらいに美しかった。

「……」
僕は、ありがとう、と言うのも忘れて、
呆けたように鰐獣人の女先輩が歩いて行くのを見送った。
鰐淵先輩はプールサイドにいくつも並んだパラソルの一つに向かって歩いて行き、
その下でごそごそやっていたが、やがて、黒縁の眼鏡をかけなおして戻ってきた。
「わあ……」
眼鏡をかけると、その静かでクールな美貌はいっそう際立つように思える。
「……獅子尾、か」
ぐったりした獅子娘を恵那が苦労しながら運んで行くのを見た鰐淵先輩は
ちょっと首をかしげてそうつぶやいた。
も、もしかして、相手を認識してなかったの?
「わにぶっちゃんは目が悪いからねー。鰐にはメガネが必須なのさ」
河馬沢先輩がわはは、と笑った。
今度は、150センチオーバーのおっぱいが揺れるさまが目に入った。
ちょっと嬉しい。
「……帰る」
水着の上からバスタオルを羽織った鰐淵先輩がぼそりと言った。
「お。じゃ、あたしも帰るかな」
河馬沢先輩がうーん、と伸びをしながら答える。
「あ、あのっ!……ありがとうございました!」
慌てて二人にお礼を言う。
「わはは、いいってこと。可愛い後輩のピンチくらい、いくらでも駆けつけたやるさね。
……まあ、獅子尾も可愛い後輩ちゃあ、可愛い後輩なんだけどね。
ま、明日、ちっとお灸据えて、その後はチョコパフェでも奢ってやって終わりにするさ」
河馬沢先輩は豪快に笑った。そして、鰐淵先輩は──。
「一緒に、帰る?」
……と僕の顔を覗き込みながら聞いた。
「あ、はい!」
反射的に返事をする。
それから、すごく近くに鰐淵先輩の顔があったことに気が付いて、僕はどぎまぎとした。


僕らの住む街は、獣人特区。
僕の通う学校──獣人と人間の若者が<共学>する市立学園を中心にして、
人と獣人が共生するモデルタウンとして作られた。
獣人を嫌う人間も多いけど、宇宙に飛び出して「進化の壁」にぶち当たった人間にとっては、
はるか昔に捨て去ったはずの「獣の因子」を持つ自分たちの亜種は、大きな可能性を持つ存在だと思う。
宇宙開発が頓挫した世界政府は、世界中に隠れていた獣人を保護し、集結させ、
次世代の<超人類>が外宇宙への壁を打ち破ることを目指している。
<特区>と<学園>は、そのための大切なゆりかごだ。


制服に着替えて(<水辺でお昼寝倶楽部>はプールサイドで活動するから、水着のことが多い)外に出る。
鰐淵先輩と河馬沢先輩は部室棟の前で待っていてくれた。
カバ獣人の女(ひと)はクラブ役員だから、何度か話したことはあるけど、
鰐獣人の女(ひと)と話すのはほとんど初めてだ。
「あの、今日は、本当にありがとうございました」
改めて二人にお礼を言う。
「いいってことさ。純血種はあたしらより腕力とか、弱いからね。
でも、それをいいことに、パシリだなんだって使うのはまちがってる」
……獅子尾先輩は、「力の弱い相手に」ではなくて「部活の後輩」にパシリをさせたつもりだと思う。
機嫌のいい時の獅子尾先輩は面倒見がよくて、僕も色々お世話になってたから、
まあちょっと嫌だなー、とか思いながらも1キロ離れた購買にジュースを買いに行ったんだ。
河馬沢先輩に言わせると、そういうのもよくないこと、らしいけど。

「……頭、なでて」
僕がそんなことを考えながら複雑な思いになった瞬間、ぼそっとした声が、
予想もしないことばを運んできた。
「え?」
僕は思わず左手のほうを見上げた。
鰐淵先輩は、僕より背が高い。
身体の大きな獣の獣人は、女の子でも身体が大きい。
僕のクラスメイトには身長196センチの象娘や225センチのキリン娘だっている。
今僕の右隣を歩いている河馬沢さんは、多分体重150キロ越え……いや、なんでもありません。
とにかく人間の男としてはちょっと小さい僕より、鰐淵先輩は10センチくらい背が高かった。
その先輩から、「頭をなでて」とは……、聞き間違いだっただろうか?
「……お礼なら、頭、なでてくれるのがいい」
今度は、はっきり聞こえた。
「わはは、こりゃ驚いた。あんた、わにぶっちゃんに気に入られたね」
河馬沢先輩は豪快に笑った。
「頭、なでるって……」
「……そこ、私の家。寄って」
裏門を出てちょっと歩くバス停の前で、鰐淵先輩は言い、僕は目を白黒させた。

バス停からすぐの路地にあるアパートの角部屋が鰐淵先輩の下宿だった。
「ここは、爬虫類系の獣人専用のアパートでね。全室東向きなんだ」
河馬沢先輩が説明してくれた通り、東側に大きな窓が付いている。
爬虫類系の獣人はこういうところに住まないととても寝起きが悪いらしい。
うっかり北部屋のアパートに入居してしまった蛙娘が、三週間連続遅刻の偉業を達成してから、
<学園>の学生課は、下宿先を細かくチェックしている。
「……なでて」
部屋に入るやいなや鰐淵先輩はそう言った。
床の上にぺったりと座った頭をこっちに突き出す。
並んで歩いていたときは、長身の相手に対してやりずらかったけど、これなら背が届く。
「で、でも、なんで……頭をなでるんですか……?」
「わにぶっちゃんは、頭、弱いから」
「え?」
横合いからかえってきた返事に、僕はびっくりして振り返った。
河馬沢先輩は、床の上で胡坐をかいて(先輩いわく、普通の椅子だと壊れるそうだ)、
ニヤニヤしながらこっちを眺めている。
「頭弱いって……」
どちらかというと、それは河馬沢先輩のほうだ。
なにしろ、カバ獣人のこの先輩は、テストの後一週間はクラブに出てこない。というか出てこられない。
全教科赤点補習。本名の「河馬沢」よりも、「バカ沢」のほうが通りがいいくらいだ。
それに比べて、鰐淵先輩はすごく頭がよくって、トップテンの常連のはずだった。
クラブの女の子たちがテスト前に色々教わってるのを見てるから間違いない。
「いま、何考えた?」
「いいえ、な、何も!」
バカ沢先輩、い、いや、違った、河馬沢先輩がじろりと睨み、僕はびくっと飛び上がった。
でも河馬沢先輩はくすっと笑って追求をやめて
(この辺が「同じ面倒見のいい先輩」でも、獅子尾先輩とちがうところだ)説明をしてくれた。
「まー、あたしゃバカという意味で頭弱いけどね。その娘は別の意味で頭弱いのさ」

「別の意味?」
「んー。ま、それはいいから、頭なでてやりな」
「あ、は、はい!」
河馬沢先輩との会話中も、鰐淵先輩はずっと頭をつき出したままだった。
無言でじっと固まっている姿を見て、慌てて僕はそっちに向き直る。
恐る恐る手を伸ばして、鰐淵先輩の頭に触れた。
長い黒髪は、ものすごくさらさらしていて、しかも艶がある。
爬虫類系の獣人は肌とか髪とかが綺麗だ、といわれるけどその通りだった。
「……これ、いい」
なではじめると、鰐淵先輩は、こくん、とうなずいて、また無言、無動作に戻った。
かわりに河馬沢先輩が話を続ける。
この恰幅のいい先輩がいないと、鰐淵先輩の行動を僕はまったく理解できない。
「鰐はさー、上あごを下げる力はめちゃくちゃ強いけど、上げる力は弱いんだって。
人間が頭抑えるだけで口を開けられなくなるくらいに」
「え?」
「だからかどうか知らないけど、鰐獣人って、頭が弱点というかなんつーか、
……性的に弱いんだな。いわゆる一つの、性感帯?」
「ええ!?」
頭をなでる手に、微妙な振動が伝わってくる。
鰐淵先輩が、身体を震わせているのだ。
これは、その……興奮している……の?
「もちろん、誰にだってそういうことさせるわけじゃない。
性的だろうがなんだろうが、肉体的弱点には変わらないからね。
わにぶっちゃんが、そんなこと言い出した相手ははじめて見るよ」
「そ、それってどういう意味……」
「だから、あんた、この娘に気に入られたんだよ。性的なパートナーとして」
あっさりと言い切った河馬沢先輩に、僕は自分の顎がかくん、と落ちるのを感じた。

「ちょ、ちょっと性的なパートナーって! 何それ!?」
「いやー、わにぶっちゃんは鰐獣人の娘の中でもとびきり<因子>の力が強いからね。
全く関心のないような感じで油断させておいて、決める時は電光石火。鰐の狩りそのものだわ」
うんうんとうなずく河馬沢先輩。
「な、なんなんですか、それえ!?」
「ワニと言うのは、クールに見えてなかなか一直線で、気に入ったら一気に勝負。
それも押して行くんじゃなくて、自分のホームグラウンドに引っ張りこむんだな。
獲物を水中に引きずり込んで仕留めるように、
男の子を速攻で自分の下宿に引きずり込んじゃうなんて、こりゃ乙女チックだねえ」
河馬沢先輩のうなずきは深くなった。。
「ちょ、何ですか、それって……」
無言、無動作のままなでられ続ける鰐淵先輩から視線を引き剥がそうとして、……僕はそれが出来なかった。
つややかな黒髪の手触りは気持ちよかったし、
うつむいた表情は見えないけれど、鰐淵先輩は、ものすごい美人だ。
触れていたい、さわっていたいという気持ちはたしかにある。
だけど、それ以上に、ライオン娘を一方的にのしてしまった猛獣の獣人、
という事実が、手を止めることの恐怖をかき立てる。
(この女(ひと)の意にそぐわないことをしてしまったら……)
「あ、あの……」
「何だい?」
「鰐淵先輩って、メガネカイマンとかそういうのの獣人の方ですか?」
体長2メートル、ペットとしても飼えるというメガネワニの名前を出して聞く。
先輩はメガネが似合う美人だ。
ひょっとして、そういう大人しい種類のワニの獣人かもしれない。
「うんにゃ、わにぶっちゃんは、母方の苗字が「入江」さんだよ」
「……それって……」
「おとなしいカイマンでも、普通のアリゲーターでもなくって、一番獰猛なクロコダイル。
その中でも<最大最強のワニ>イリエワニが、わにぶっちゃんの<獣因子>さね」
……ころころと笑う河馬沢先輩に、僕は体中の血がどこかに下がって行くのを感じた。
「んじゃ、邪魔者はそろそろお暇するわ。後は若いモノ同士でごゆっくり……」
河馬沢先輩は「にまっ」と笑うと、よっこらせと掛け声を上げて立ち上がった。
「ちょっ! 河馬沢先輩、鰐淵先輩と同い年! 僕とも二歳しか違わない!
とかそういう話じゃなくてっ!! ああっ! 待ってぇ!!」
僕の悲痛な叫び声を、閉じられた扉が跳ね返す。
僕は、頭をなでてあげている女の人がゆっくり身体を起こして行くのを感じ取った。
「……つがおう」
獅子尾先輩と遣り合っているときさえ焦点が合わなかった瞳は、いまや見開かれて爛々と光っている。
イリエワニ。
最大最強の爬虫類の獣人娘は、無力な人間の上にのしかかった。

「ちょ、ちょっと先輩……!!」
ゆっくりとのしかかってくる鰐淵先輩に、僕はパニック寸前だった。
怒られるとか、そういうのなら、まだ理解ができるけど、
女の子に言い寄られるのは初めての経験だ。
ましてや、それが──。
「セックス、しよう」
……そういうこととなれば、なおさらだ。
「お、落ち着きましょう、先輩。ぼ、僕ら、まだ学生ですよ?」
「私は、もう卵を産める」
鰐淵先輩の、眼鏡越しに見える瞳は真剣そのものだ。
先輩は、それから小首を傾げて、僕を見つめた。
「……まだ、精子、出ない?」
ストレートな物言いに、僕は仰け反ろうとして、
床に押し倒されていたので後頭部をフローリングにしたたかにぶつけた。
「で、出ますよ!」
言ってから、しまったと思った。
まだだ、と言えば、あるいは見逃してもらえたかもしれないのに。
だけど、なんとなくそれは男として情けない、という気持ちが働いたのだろうか、
僕は、反射的にそう答えてしまった。
「そう。嬉しい」
鰐淵先輩は、頷いて、僕に馬乗りにのしかかったまま、自分の制服に手をかけた。
「あわわ……」
体育の時に着替えるように、先輩の動きには躊躇がない。
夏服のセーラー服をするり、と脱いだところで、僕は思わず、
「だ、だめだよ、先輩っ!!」
と叫んでしまった。

「……なぜ、だめ……?」
脱いだばかりの上を手に持ったまま、先輩は僕を見つめた。
感情をあまり表に出さない瞳に、心底意外そうな色が浮かんでいる。
「だって、そういうのは、大人になってから好きな人とするもので……」
しどろもどろになりながら僕は答えた。
「君も私も、もう子作りができる大人。それと私は――君が好き」
「……え?」
我ながら、間抜けな声を上げたことだと思う。
僕は、たっぷり一分は鰐淵先輩を見つめていたと思う。
「君が好き。一目見たときから、君との卵を産みたいと思った」
淡々と、求愛のことばを言い放った鰐の女獣人に、
僕はただ目を白黒とさせるのが精一杯だった。
「そ、そんな、だって今日はじめて話したばかりなのに……。
それに……僕は、獣人といっても女の子に脅されちゃう、情けない子なのに……」
鰐淵先輩は、そんな僕をもう一度見つめる。
「……腕力、筋力、戦闘力は、私の中では意味がない」
種としては最強生物のひとつである猛獣の<因子>を色濃く持ち、
十分すぎるほど強い女(ひと)には、確かにそれは決定的なものではないのかもしれない。
「その意味では、君は弱い。けれど、私は君を好きになった。
きっと、君も知らない、君の中の「何か」が私を誘(いざな)う。――君の卵を産めと」
先ほどまでとは別人と思うくらいに、鰐淵先輩は饒舌になった。
その熱っぽく潤んだ声と瞳に、僕は、いつか学校の授業で習ったことを思い出した。

遺伝子の螺旋は、強いもの同士が引き合うとは限らない。
一見、弱いと思えるものを内包することで、
<因子>はあらゆる可能性に対応できる多様性を保つ。

ほんの少し昔のこと、純血種の人間は、自分たちの中に
地球上で最高の効率を持つ遺伝子を完成させていた。
だけど、それは、外宇宙への挑戦において逆に足かせになった。
虚空のかなたへ飛び出そうとした純血種は、みな病気になったり、発狂したりした。
遠い昔に捨て去ってしまった<効率が悪い遺伝子>こそ、
実は外宇宙での生活を支えるための強力なファクターだったのだ。
なんでもない、平凡で、単純な、<因子>。
それを再び呼び戻すために、人は、
獣人という、自分たちの、より原初的な亜種との交配を始めた。

──純血種の人間が薄れさせ、忘れてしまった幾つかの本能。
そのうちの一つは、生殖行為に直結した猛烈で、まっすぐな、この求愛行動。
<季節なくして恋をする>のは、人間の特徴だけど、
季節=繁殖期、つまり生殖活動から切り離された恋愛はただの娯楽へと堕ち、
ゲームのように駆け引きを楽しむその行為は、純血種の生殖欲と進化から活力を奪った。
でも、獣人種は、よりストレートでより熱い原初の感情を持ち続けていて、
それは、つがう相手を見つけた瞬間に爆発する。
今の鰐淵先輩のように。
いつもは焦点が合わないガラスのような瞳が、今は僕だけを見つめている。
僕は、ごくりと、唾を飲み込んだ。
頭の中は、色んなことが渦巻いて──すぐに真っ白に消えていった。
「……」
このまま見つめ合えば、何か言わなくちゃならない。
そして、何か言ったことばが決定的なものになってしまう、という確信に、
僕は美しい鰐獣人から必死で目をそらそうとした。
自分でも驚くほどの抗いの末、鰐淵先輩の視線を外す。
──それが間違いだった。

鰐淵先輩の目から無理やり引き剥がした僕の視線は、自然と下のほうに落ちた。
スポーツブラ一つをつけただけの、先輩の半裸の上半身に。
学生らしい薄い水色のブラは、中側に詰め込まれた肉丘で大きく盛り上がっていた。
先輩はスレンダーだけどかなりな巨乳なことは、水着姿の時に見ているから知っている。
だけど、下着姿を見ると、改めて迫力だ。
そして、その下の白くて滑らかで、引き締まったお腹を見たとき、僕は……。
「……勃起した」
鰐淵先輩が、淡々と、だがどこか嬉しげにつぶやいた。
僕は、自分の意思に反してむくむくと大きくなってしまった「それ」を情けない思いで見つめた。
ズボン越しにもはっきりわかる自己主張の塊を、
僕の太ももの上に跨っている鰐淵先輩は、白い手で、そっとなで上げた。
「ひゃいっ!」
僕はびくん、と跳ねたけど、太ももを先輩にしっかりと押さえつけられている状態では、
上半身が反応しただけだった。
「君は……強い女が好みだ」
きっぱりと、鰐淵先輩は言い切った。
「あ、あう……」
僕は反論も出来ず口ごもった。
たしかに昔から僕が「いいなあ」とか思った女性は、
女子プロレスラーだったり女子アスリートだったりする。
いじめられたり、ののしられたりするのが好き、というほどマゾではないけど、
単純にそういう「強い」女の子と仲良くなりたいなあ、という気持ちはあった。
考えてみれば、獅子尾先輩とかのまわりにいたのも、そんな延長線上にあったのかもしれない。
パシリにされたり、強い口調で責め立てられたりすると悲しくなるけど、
気力と体力に満ち溢れた、颯爽とした獅子尾先輩を、間近で見ているのは好きだった。
そして、それは──。
「動物としての本能」
ライオンの獣人より、もっと強い女(ひと)はそう言い切って僕を見つめた。
「だから、私は、君のパートナーになれる」
僕の太ももの上の鰐淵先輩は、じりじりと身体を寄せてきた。
「ちょ、ちょ、ちょ、待って、ダメだって……」
口から漏れることばは、我ながら説得力がなかった。
僕の目は、鰐淵先輩のお腹に釘付けだった。
<水辺でお昼寝倶楽部>と水泳部とを掛け持ちする先輩は、
すらっとしているけど、胸とかお尻とか、出るべきどころは大胆に出っ張った体型をしていて、
……そして腹筋はスイマーらしく引き締まっていた。
ボディビルダーのような不自然な大きさではない、アスリートの、自然でしなやかな筋肉。
その美しさは、僕を魅了した。
「君は、こういう身体が好き」
鰐淵先輩は、またごくりと唾を飲みこんだ僕を見つめながら言った。
「胸。尻。太もも、腕。それに腹筋。自然に鍛えた身体の女が好き」
「……」
「そんな女と交わりたい。――君はそう思っていた」
「……」
淡々とした声は、僕の心の奥底の、一晩原始的な本能を見透かしていた。
だから、僕は、鰐淵先輩が僕を見据えたまま、脱衣を再開しても、
抗議の声をあげることも、拒否の意思表示をすることもできなかった。
ブラジャーとショーツさえ脱ぎ捨て、全てを僕に晒した先輩が、
躊躇することなく、僕のズボンを脱がし始めても。
僕を裸に脱がし終え、鰐淵先輩は小さく笑った。
「さっきより、大きい」
むき出しにされた僕のおち×ちんは、
自分でも信じられないくらいにいきり立っている。
「私で大きくなった、ご褒美」
僕の上にゆっくりとその長身を重ねてきた先輩は、
その大きな胸乳を僕の顔に押しつけた。
むぎゅう。
滑らかな肌の下に張りのある肉の塊をぴちぴちに詰め込んだ双丘の谷間に、
僕の顔が埋めこまれる。
「!!!」
ひいやりとした、どこまでもなめらかな肌と、男の体には絶対に備わらない
その弾力感を頬に受けて、僕の背中に電撃が走りぬける。
「えんひゃいっ!」
叫び声を上げて反射的に起き上がろうとした僕は、
余計に鰐淵先輩の胸の間に飛び込む形になった。
「……」
真っ白な肌にうずもれて何も見えなくなったけど、
鰐淵先輩が微笑む気配が伝わってきた。
鰐獣人の女(ひと)は、そのままゆっくりと裸の体をずらしていく。
まるで白いおなかをぺったりと地に付けながら砂浜を這っていくように。
形のいいおっぱいが僕の頭の上に移動していき、
かわりに、引き締まった腹筋が僕の顔をやさしくこする。
きれいに割れた、でも男のそれのようにごつごつはしていない、
不思議で複雑な曲線が、僕のほっぺたや鼻をなぶる。
それは、下腹のあたりで、もっとなめらかな阜(おか)にかわって、
「!!!」
その終着点は、刃でなぞったような綺麗な肉の谷間になっていた。
「これが、私の性器」
鰐淵先輩が、僕の頭の上でつぶやいた。
はじめてみる、女の人のそれは、飾り毛がなかった。
爬虫類系の獣人は、髪の毛や眉毛以外の毛がない人が多い。
鰐淵先輩のそこも、毛が生えていなかった。
おかげで、僕には、先輩のあそこが丸見えで……。
「純血種のメスと同じ……?」
答えは、盛大に吹き上げた鼻血だった。
僕は、女の子のあそこなんて生で見たことないけど、
目の前10センチにある、先輩の女性器は、DVDとかエロ画像とかで見る、
人間の女の人のそれとまったく変わらず、――ずっとずっと綺麗だった。

「せ、せ、せせせ先輩っ!」
気がつけば、僕は、鰐淵先輩のあそこにむしゃぶりついていた。
唇と舌とがはじめて触れる異性の性器は、
かすかなプールの塩素の匂いと、若い牝の香りがした。
さえぎるものもない、白い肉の阜の中心に、
薄桃色をした複雑な峡谷が息づいている。
僕は、それを必死で舐めたて、ついばみ、にじみ出る蜜をすすりこんだ。
「……だめ、それ以上されたら、イってしまう」
鰐淵先輩が、僕の頭を抑えた。
片手と両膝で支えているからだが、小刻みに震えている。
「せ、先輩……?」
「私がイくより、君をイかせたい」
返事をする暇もなく、鰐淵先輩は体を下へとずらしはじめた。
僕の唾液と、にじみ出た愛液で濡れそぼったあそこが遠ざかり、
白いおなかと大きなおっぱいが通り過ぎ、
ぞくっとするような鰐淵先輩の美貌が、僕の目の前にきた。
「あ……」
鰐淵先輩が、自分の唇を、僕のそれに重ねる。
キス……されちゃった。
心臓が、破裂しそうな勢いで脈打つ。
「血……」
先輩は、舌を伸ばして、僕の唇とその上をなぞった。
「だめ、汚い……」
血を舐め取ろうとする先輩に、僕は抵抗しようとしたけど、無駄だった。
「君は、丸ごと、私のもの。この血も……」
ささやく声は小さかったけど、それは魔力を持つもののように、僕の動きを止めた。
「この、おち×ちんも……」
爆発寸前のままでビクンビクンしているそこを、「きゅっ」と掴まれて、
僕は甘い悲鳴を上げた──だけど、それさえも、もう鰐淵先輩のもので、
その悲鳴は、キスでふさがれて、鰐淵先輩の唇の中に吸い込まれた。
「この、精子も、全部、私のものにする」
唾液の糸を引きながら唇を離した先輩は、
熱く張った陰嚢を優しく揉みしだきながら、宣言した。
淡々として、でも熱っぽい口調で発せられたことばは、
こちらの意思を確かめることすらしない傲慢さと、優しさに満ちていた。
この女(ひと)のものになる。
頭の先から、つま先まで、僕が全部。
この強くて美しい先輩のものに。
そう考えた瞬間、僕の股間から背骨を通って脳天まで白い稲妻が奔った。
「あっ、あっ、だめえっ!!」
射精を堪えられたのは、奇跡だ。
体中をがくがくと震わせて、びくびくと痙攣する性器の律動を堪える。
「あ……あっ……」
射精の誘惑を堪えるのは、気が狂いそうなほどの甘い拷問だった。
でも、僕は、刹那の中、それを本能的に堪えていた。
なぜなら、僕はもう、丸ごと鰐淵先輩のもので──。
「いい子。君が射精するのは、ここ」
一本の飾り毛もないなめらかな恥丘の中心、その真ん中の谷間を自分の指で割りながら、
僕の先端をそこにあてがい、鰐淵先輩が微笑む。
自分のものとなった男が、自分の身体の中以外での射精に懸命に耐えたことに。
じゅぷ、ずぷ、じゅぷ。
たっぷりと潤みきった膣でその男性器を包み込んだのは、そのご褒美だった。
「~~~!!」

僕は、フローリングの上で、自分でもわけがわからないくらいに身体を跳ねさせた。
あちこちを床にぶつけるけど、痛いとか、そういう感覚はなかった。
と言うよりも、鰐淵先輩の中に入っている僕のおち×ちん、
そこから伝わる快楽以外、僕の感覚はすべて失われていた。
「あああああっ!!」
僕は、白痴のように口から泡を吹きながら、僕の上にのしかかる美しい猛獣を見つめた。
僕を犯す、強くて強い獣人は、そんな僕を見て微笑を浮かべた。
「出して、いいよ」
「うあ……っ!」
「このお腹の中に、君の精子。全部」
僕を魅了したなめらかな腹筋を自分の手で撫でながら、鰐淵先輩はささやいた。
「うわあっ!!」
僕は、真っ白になってはじけた。
沸騰した血液が、全部精液に変わって流れ込んで行く──鰐淵先輩の中に。
どくんどくんと、いう音だけが、視界を白く奪われた僕の五感を刺激する。
「……!!」
「――!!」
僕よりずっと強くて健康な牝の中に、精子を、僕の遺伝子を送りこむ行為は、
僕の牡としての快楽と存在意義のすべてだった。
その狂おしい快感と充足感との中で、僕は、意識を失った。
その上に跨りながら、鰐獣人は激しく腰を振り続けた。
まだ射精を続けている僕の性器を、身体全部を、そして心と魂を貪るように。

──鰐は、獲物を丸ごと全部飲み込む生き物だ。
そして、僕は、強さも、弱さも、僕の何もかも含んだ遺伝子の全てを先輩に飲み込まれた。

「――いやあ、まさか朝帰りとは思わなかったね、さすがに!
腹筋自慢の娘(こ)と、腹筋フェチの子だから、うまく行くとは思ったけど、
話をした初日に、とは恐れ入ったあ!!」
翌朝、鰐淵先輩を迎えにきた河馬沢先輩は、かんらからからと豪傑笑いした。
……なんで僕が腹筋フェチだと知っているんだろう。
昨日まで自分自身でさえよく知らなかった性癖だったのに……。
「……」
鰐淵先輩のアパートから出てきた僕は真っ赤になってうつむいた。
気がつけば、朝になっていて、僕の上には裸の鰐淵先輩が眠っていた。
不思議と重い、とは思わなかったけど、
床に転がっている携帯に留守電が何十件も入っていたのには焦った。
<学園>に通うために僕は独り暮らしをしているので、なんとかごまかしきったけど、
電話を一晩中放置していたので、あやうく両親が警察に捜査依頼をするところだった。
「しかし、わにぶっちゃんも、君もやるもんだねえ。
おばさんは、そこまでいっちゃうとは思わなかっただよ」
「……」
「――」
僕は、鰐淵先輩をちらりと盗み見た。
でも、先輩は、まっすぐ僕を見つめて、こくりと頷いた。
千や万のことばよりも饒舌な視線に、僕もこくりと頷き返した。
「なあに目と目で通じ合ってんだい、この新婚さんは?
……あたしゃ、おばさん、というところに突っ込んで欲しかったんだけど……」
河馬沢先輩は、そう言って睨んでから、自分でププッと噴き出した。
「ま、いいさ。帰りに、チョコパ、奢ってやるよ。
わにぶっちゃんはともかく、君は今晩にそなえてカロリーを補充しとかなきゃダメだろうしね。
あ、たんぱく質もか、うしし」
意味ありげに笑った河馬沢先輩は、ばあんと僕の背中を叩き、
僕はアスファルトの上をつんのめった。
「……そしたら、その後で、頭、なでて」
鰐淵先輩がぼそりとつぶやく。
そのことばの意味を理解して僕は、真っ赤になった。
──太陽が黄色い。
たぶん、明日もあさっても。これからずっと僕の見る朝日はこんな色だろう。
でも、それは、僕にとってぞくぞくするほど嬉しいことだった。

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最終更新:2007年06月09日 17:36