「ゆかり~っ!!」


昼を告げるチャイムが反響してる頭に五月蝿く響く声。
机に肩と顎を付けた体勢で突っ伏したまま、声の主を目で探す。

「よぉ、紫。お疲れさん」

声は背後から聞こえた。
姿は見えないが声の主は十年来の友人だろう。
両肩に手を乗せ、そのまま圧迫してくる70kg。苦しいけども嫌ではない。ただ、暑苦しい。

「いやぁ~、ようやく終わったぜ。今日どうするよ?」

先ほど鳴ったチャイムは普段なら昼休みを知らせるだけのチャイム。
ただ今日に限っては、中間考査の終わりを告げる天使の鐘の音だった。
五月の下旬という非常に過ごし易い時期にある悪夢のような期間。
それが遂に終わったのだ。
ついでに今日は昼で下校。鬱憤を晴らす者、部活動に励む者、更なる学問の高みを目指す者。
遊ぶ気力もほとんど無く、部は県でも有数の強豪だが半ば娯楽クラブと化している部活も、
ましてや高二で学園生活を堪能したい時期では机に向かうのも嫌気が射す。
今日の午後をどう使おうか考えていて、何もする気が起きないことに気付くと溜め息が出てきた。

つまらない自分に呆れてきた。


「折角テストが終わったっていうのに覇気が無いなぁ」
「一夜漬けだったからな。眠いっていうか……うん、だるい……」
「お前が眠そうなのはいつものことだろ。なぁなぁ――」

友人の弾数無限のマシンガントークを聴き流しながら、ぼんやりと考える。


自分は言うなれば、正に「人生に疲れた人間」というのがぴったりだろう。
生きる気力はほぼ0。三大欲といわれる食欲、性欲、睡眠欲もあまりない方で、一年中、寝ぼけたような面で猫背で、見るからにだるそうに生きている。
いや、実際自分でもだるくて仕方が無い。
絶体絶命の退屈な毎日に追われ、日々着々と時間だけを積み重ねてきた。
そんな自分の楽しみといえば野郎共とのちょっとした馬鹿騒ぎ。
部活も休日も高校の仲間達や散り散りになった中学の連中と騒ぎ、笑いあう。そんなくらいだ。
ただそれだけなのに、それだけが最高の楽しみだった。

それも最近はめっきり少なくなってきた。理由は簡単。所謂年頃、青春真っ只中。
ただし自分を除いて、である。
自分を言えば友達付き合いは男だけに限らずいい方だと思うし、女運は悪い方じゃないんだが自分は苦手だ。
経験は無いのだが、彼女を作って一緒に過ごすより男連中で馬鹿みたいに騒ぐ方が楽しいとしか思えない。
女の人でも輪に混じって楽しむ人もいたが、女だからと気を使ってしまって途中でつまらなくなってしまうことが多かった。


何よりも、女性が苦手となる原因が自分のステータスだった。
同年代の男子の大抵が170cmを越す身長であるのに自分は158cmしかなく、顔も女顔だった。
友人とともに授業をサボったり夜に騒いだりするわりに、個人としてみれば大人しいほうでもあった。
小さい頃はおばあちゃん子だったから年寄りといるのは好きだし、別に意識してるわけではないが交通ルールはよほどのことがなければ破らないし、
何か自分から動くときも自分より他人を優先することの方が多い。
それに、流れに身を任せるという受け身思考ということもあって、自分を女っぽく見せていた。
男連中から見れば笑いのネタとして面白く見てくれる(気持ち悪く見られたり、からかわれたりしないのは悪行のせいだろう)が、女からしてみれば可愛がりたい対象となるのだ。
それが強いコンプレックスだった。

さらにそれに輪をかけて強めているのが名前だった。


「お~い、どうした~?ゆかり~……伊藤紫ちゃ~ん?」


そう、『伊藤 紫』。それが俺の名前だ。
自分がこんな女っぽいのもこの名前のせいなんじゃないかと度々思う。
6つ上に兄がいるのだが、そのために親が女のように育てたのかと考えたがそうでもないらしい。
ちなみに兄の名前は『立樹』、父は『正巳』だ。
それとなく女っぽい気がするのは家系なんだろうか?いや、それでも自分だけあからさまに女っぽいのが気に食わない。


「お~い。お~~~い」
「なんだぁ、五月蝿いな……」

しつこく声をかけてくる友人に適当に返事を返す。
後ろから頭越しに覗き込んでくるから、その分肩に圧力がかかって痛くなる。
下から肩を押し上げるようにしてそのことを伝える。
おぉ、と気付いたようで手を退けて、今度は前に回りこんでくる。

「お前昼飯は?どっか食い行こうぜ」

良く部活帰りとかに食べに行く定食屋があって、大体食べに行くときはそこになるのだが、自分の家と正反対の方向だと思うとそれだけで疲れがドッと来る。
今日何度目か分からない溜め息を吐く。

「俺はいいわ。家帰って寝たい」
「まぁ、なんか本当につらそうだしな……そんなら仕方ないか、それじゃあな!」

そういって自分の席の鞄を取りに行くと手を振りながら教室から出て行った。
このままここで潰れていても仕方が無い。
自分も重い身体に鞭打ち、立ち上がる。
口からこぼれ出た、よっこらせの響きがまた肩に圧し掛かる。
思わぬ立ちくらみに壁にもたれかかりながらもふらついた足で一歩を刻んだ。


気が付いたときにはもう家の前だった。
どうせいつもの如く、駐輪場で屯していた友人達に別れを告げ、通い慣れた道で仕組まれたように赤信号何度も引っかかりながら家に着いたんだろう。
いつもと変わらない日々を退屈し、いつもと変わらない面白みのない平穏に思考を休め、身を委ねた。
我が家の敷地に足を踏み入れると、いつもと変わらない鳴き声がする。


「ゆかりっ、おかえり~!」


我が家の愛犬、ゴールデンレトリーバーのミュウだ。

柵越しに微笑みかけてくるミュウにいつものように作った笑みを返す。


ミュウは俺が中学一年のときにうちにやってきた。
やってきた頃はまだ小さく、妹のように可愛がっていた。
家族の中で一番懐かれていたからミュウの世話は専ら自分だった。
自分の寝床があるのにも関わらず、自分が寝ようとすると部屋にやってきて一緒に寝たのを思い出す。
一人用のベッドに二人で抱き合うように包まって寝ていた。
皮肉なことだが、今思えば一番仲が良かった異性の子はミュウだったかもしれない。

中学を卒業する頃になるとミュウも大きくなり、『戯れる』が『暴れる』ようになると家の中で飼うのが難しくなって、庭に立派過ぎるくらいの小屋を建てたのだ。
それに伴い、元々首輪が嫌いだったミュウを外に出さないよう庭に柵を巡らせた。
最初は窮屈に感じるんじゃないかと思っていたがそうでもないようで、一年以上経った今でも楽しそうに過ごしている。


「ただいま」
「えへへっ、おかえり」
「さっきもおかえりって言っただろ」

楽しそうに笑うミュウを見て、やっぱり変わらないなと思った。
ミュウは大きくなり、今では自分よりも20cmは高い。
発育も非常に良く、直視するのが恥ずかしいくらいいいスタイルをしている。
昔は肩口で揃えていた黄金色に輝く髪も、今は腰辺りまで届くほど長い、ポニーテールに変わっていた。
それでもいつも絶やさない笑顔も明るくて素直な性格も小さいときから変わらない。
自分とは違い、心から楽しそうに笑うミュウを見て、なんだか悔しくなった。

二重の鍵を開けて家に入る。
親は共働きだし、兄も大学に行くために家を出たから家には誰もいない。
だから、ただいまも言わない。
庭に面する居間に入ると窓の向こうからミュウが手を振っていた。また笑顔作って返す。
鞄を適当に置き、ソファーに横になった。忘れていた疲れが押し寄せて、瞼が降りてくる。
止められない。止めたくない。
霞んでいく視界の中でミュウが女神のような暖かい笑顔で見守ってくれているのを最後に、視界を閉じた。