「生きて一緒に故郷に帰ろう。」
それが彼の口癖だった。彼は私を唯一無二のパートナーだとよく誉め、頭を撫でてくれた。
彼が陸軍K9部隊要員として徴兵されたあの日、私も軍用犬としての道を歩むことになる。
彼はその時から口癖を言うようになった。


今…彼は私の目の前で息を引き取ろうとしている。ごぼごぼと血を吐き出し、自らの血液で溺れ…
最後に優しい笑顔を浮かべると、静かに目を閉じた。

嘘。
「ご主人…様?ねぇ…ちゃんとベッドで寝なきゃだめだよ?起きないと顔舐めちゃうよ?」
ぺろぺろと顔を舐める。彼の体が冷たくならないように、彼が起きれるように。
「ふ…うぇ…ひっく、ご主人様ぁ…私を置いていかないで…」



「K9…か」
鐘楼から構えた狙撃銃のスコープの中、十字線に映し出されたのは倒れた敵兵とその顔を舐める一匹の犬だった。単独の偵察だろうか、他に仲間は見当たらない。
「………」
無言のままボルトを引いて次弾を薬室に送り込む。キーンと澄んだ音を立てて薬夾が床に落ち、それと同時に神経を研ぎすましていく。狙うは…頭。
「―――っ!」

犬は…いや彼女はまっすぐに『見て』いた。緋色の瞳、凶々しい目を向けて『見て』いた。


―――くそ、『見られた』

スコープ越しに覗き見る彼女はしなやかな体に美しい黒髪と、獣の証でもあるピンと立った耳と毛が逆立った尻尾を持っていた。
そして彼女は赤い瞳を向けたまま呟いた。


『コロシテヤル』


「ハンス!移動するぞ!」
「しかしレナード軍曹、敵はまだ…」
そう言いかけて16歳の新兵は言葉を飲み込んだ。狙撃陣地にしていた教会の出口、開け放たれた扉に『彼女』はいた。
刹那だった―――ハンスが護身用の拳銃を抜き引き金に指をかけた時、奴は既に胸に爪を押し当てていた。

「ひ…あ…殺さないで…」
涙を流して懇願する新兵に彼女は一言
「…だめ。」
と呟いて爪を押し込んでいく。
「ぐが…あぁ…ぁ……………」
新兵は激しく体を痙攣させ、声を弱めていく…。

「止めろォォォ!」
叫んで拳銃を構えるとその声に反応して奴は爪を素早く引き抜き、こちらへ向けて突進してきた。
ダンダンダン!と三点射で発砲したかと思うと肩に激しい熱を感じ、目をやると俺は仰向けで両肩の付け根に奴の爪が深々と突き刺さっている。
「ぐっ…さっさと殺せ!主の仇討ちにきたんだろうが!」
俯いたままでいた顔を奴が向けたとき、俺が見たのは…涙だった。
「う…ぐすっ…ご主人様ぁ…」

「な…お前泣いて――むぐ…」
「ふ、ぴちゅ…んぅ」
突然に押し付けられる唇、そして血の味が彼女の舌とともに唇を割って入ってきた。


「ん…んむ…ぴちゅ…」
ひとしきり口内をかき回した後、彼女はゆっくりと顔を離した。唇からは血の混じった唾液が垂れ、彼女の胸を濡らしていく。
ふいに肩を貫いていた爪を抜いて長さを戻すと、馬乗りになって後ろ手に俺のズボンのベルトを外そうとしていた。

「な…お前、なにしてる!?」
俺の問いには答えず無言でズボンのベルトを外すと、器用に片手だけでパンツごと脱がされる。
「おい、聞いてるのか!っ…!」
両肩を思い切り握られ痛みで言葉が途切れる…そんな俺の表情を彼女は涙を流しながら見ていた。

「ご主人様…ご主人様…」
うわごとのように呟きながら肩を握って腰を浮かす彼女。信じられないことに無毛の股間からは幾筋もの淫靡な体液が出ていた。
だが―――ああ、ちくしょう!それを見て俺のもきっちり反応してやがる。
彼女はそれを見ると手を添え、ゆっくりと感触を楽しむように腰を落としていく。


「はあっ、はあっ、は…ああっ!」
「ぐっ…!」
びゅるっ…どくっ、どくっ…!
―――何度目の絶頂だろうか。すでに愛液と精液にまみれた割れ目からは受け止めきれなかった精子が流れ出ている。


「ご主人様ぁ、もっと、もっとぉ!」
しなやかな肉体と軍用犬として訓練された体は容赦なく締め上げてくる。
俺のモノはたちまち硬さを取り戻し、欲望を吐き出す。何度も、何度も…
彼女は発情していた。憎悪や絶望が頂点に達した時、肉体もまた反応したのだろうか。
終始主人の名を呼んで俺を犯す様はまるでそこに亡き主人の姿を見ているようだった。

何度目か分からない絶頂を迎えると、ふいに彼女は腰を上げて爪を伸ばした。
白濁した精液がごぽごぽと滴り落ちていく。
そして、伸ばした爪をそっと俺の喉笛に押し当てる。いよいよ俺も迎えが来たか…目を閉じて貫かれるのを待つ。


ダン!
ふいに聞こえる銃声。目を開けると、そこには床に伏した彼女と拳銃を構えるハンスの姿。
「はあ…はあ…軍曹…無事ですか?」
「ああ。だがハンス、お前は…」
ハンスは倒れている彼女を見ると、
「急所を外れたんですよ。いや、『外された』の間違いですね…」
―――ちくしょうめ。

倒れている彼女の銃創を診るが…とても助かりそうになかった。
「そう…ですか」と、自らの運命を悟った彼女は俺を見上げて弱々しく言った。
「最後に…お願い…聞いてくれますか?」
「―――ああ」


「ほら、着いたぞ」
「っ…ありがとうございます」
おぶっていた彼女を下ろして、主の元に寝かせてやる。

「ご主人様…」
そっと主人の頬を撫でる彼女。慈愛に満ちた表情を浮かべて主人の髪を、頬を、唇を撫でている。
「ご主人様…私、誰も手にかけませんでした…ご主人様と同じように誰も殺めなかったんですよ…?」
今はもう動かない主人に優しく語りかける。

いつの間にか青空が広がり、陽光が世界を包んでいた。
「ご主人様…カナも、もうすぐそちらに…逝きますから…寂しくなんてないですよ…」
ハンスも俺も黙ってみていた。それが生きた者の定めだから。

「カナは…カナは…ご主人様と添い遂げられてうれしいです…。これからは…ご主人様…いえ、『あなた』とあの子を見守って…いきたい…」
最後にもうほとんど光が届かないであろう目を閉じると、『夫』に口づけをして、優しく語りかけた。
「あなた…ずっと、ずっと…愛してます…」


この日、戦争は終わった。


―――10年後 終戦記念日

「あっちーな…毎年ながら…」
額の汗を拭いながら丘を歩いて行く。
「ええ、全くですね。中年には酷な暑さだと思いますよ?」
「うるせえよ、『新兵殿』」
悪態をつきながら足を進める…と、ふっと汐の匂いと波の音が聞こえてきた。
もうそろそろだな…。

丘の上に辿り着き、視界が開けると眼下には穏やかな海とのどかな町並みが広がる。
「お父さーん!遅いよー!」
着くなり怒られた。だから中年には酷な暑さなんだよ!
怒れる我が娘は、ハンスを見るなり「わんっ♪」と駆け出して白いワンピースから飛び出した『尻尾』を振り振り、ハンスに抱きついて頬にキスをする。
当のハンスはまっすぐな愛情表現に照れながらも母親譲りのピンと立った耳ごと頭を撫でている。

そんな二人を後に、俺は一組の夫婦が眠る墓を前にして語りかける。
「今年も暑いな…二人とも見ているか?あれから10年経った。長いような短いような、あっという間だったな」
あの時と同じ青空を仰いで言葉を続ける。

「聞いて驚くなよ、なんとあのお転婆娘とハンスが結婚するんだ。式は俺のレストランで挙げるんだとよ。新兵殿、そりゃないぜ!」


「あんた達の娘は立派に育ってるぜ。ここだけの話、孫の顔も早く見れそうだ。うれしいだろ?」
答える代わりに一陣の風が吹く。優しい風が。

「おーい、おやじとお袋に挨拶しろー!」
イチャつく二人に声をかけると「はーい♪」と声がして腕を組んで歩いてくる。やれやれだぜ…。
墓にきびすを返して歩き、タバコに火を付ける。墓のあたりから娘とその新郎の声が聞こえる。
「お母さん!私ね、今度この人と―――」
「義父さま、義母さま、不束者ではありますが―――」


ふーっと空に向かって紫煙を吐く。
見上げた夏の空は青く、変わらぬ陽光が世界を包み込んでいた。





――完――

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2007年05月20日 22:13