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狼娘2」(2006/12/03 (日) 18:03:46) の最新版変更点

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 リャンが薬草を煎じていると、扉が勢いよく開かれた。飛び込んできたのは、鹿の足を一本背負った少女だった。 「センセ!鹿獲ったよ!コレ、センセの分!」  少女は満面の笑みを浮かべながら、自慢げに鹿の足を突き出す。  彼女の尻から伸びる尻尾――狼のような尻尾が、ぶんぶんと千切れんばかりに振るわれている。  その光景をリャンは微笑ましく思う。だが言うべきことは言わねばならんと、緩みかける顔を引き締めた。 「ウル。ありがとう。けれど静かにしてください。煎じているお薬にほこりが入ってしまいます」 「あ、ゴ、ごめんなさい」  叱られた少女――ウルは青菜に塩を振ったようにしょげ返る。  勢い良く振り回されていた尻尾は丸められ、頭の上の耳――やはり狼のような獣の耳もペタリと寝る。  その全身で落ち込む様子がかわいらしく、リャンの表情は自身の努力を無視して緩んでしまう。 「いえ、解っていただければいいんです。  あ、鹿を獲ったのでしたら胆嚢と角を取って置くように言っておいてください。お薬の材料にしますので」 「あ、ウン!解った!行って来る!」  ウルは汚名返上とばかりに、鹿の肉を奥のテーブルに置いて再び駆け出す。 「だからうるさくしてはいけないと…」  リャンはため息が半分の苦笑を浮かべて、走っていく後姿を眺めた。 「変な耳。尻尾もないし。怪しい奴」  褐色の肌に、金色の瞳。そして頭の上の獣の耳。  目を覚ましたリャンが最初に目にしたのは、自分の顔を覗き込んでくる、上下逆さの少女の顔だった。  リャンにとって、流れ着いたのがその島だったのは幸運だった。  リャンは医者だ。医者の家系に生まれ若くして家業を継いだ。生来の真面目で温和な性分で、若いものの患者達の覚えも良かった。だが、それがいけなかった。  彼の故郷は身分制度が厳しかった。職業はもちろん、住む地区も服装も、道さえも身分によって分けられていた。そして当然、かかる医者も身分ごとだった。  下級の身分を診る医者が学ぶ機会は十分ではなく、それどころか使っていい処方や薬すらも制限されていた。その決まりを、リャンは破ってしまった。  リャンは医者としては最上級の身分にあったにも関わらず、人として認められてもいないような最下層の人々の居住区まで行き治療を施し、そこの医者達に技術を教えていた。  それがいけなかった。  リャンは王の崩御に伴う政権のいざこざを機に、身分を剥奪され、監獄島の鉱山に送られることになった。  両親はそのいざこざで殺され、元から兄弟はいないし妻子もいない。親が決めていた許婚はいたが、噂によると新しい婚約が決まったらしい。そのことには少し傷ついたが、たいした問題でもない。  ただ、残していく患者だけを気にかけながら、リャンは船に乗せられた。  だが、リャンがその鉱山に着く事はなかった。その船が嵐にあったのだ。  人手が足りないと乗せられていた囚人達も、縄を解かれて甲板に上げられた。その中に、リャンも含まれていた。  真っ黒な海は巨人のように立ち上がり、その巨体を船に叩きつける。水夫達ですらろくに作業も出来ず、まして体力がないリャンはただロープにしがみ付くことしか出来ない。やがては、そのしがみ付くという行為にすら限界が来た。  いつ自分がロープから手を離したのか解らなかった。気付いたら波の中にいて船の姿は見えず、そのまま意識を失った。  そして目を覚ました時に見たのが、獣を――狼を彷彿とさせるような耳をつけた少女―――ウルだった。 「――でね!鹿の腹にアタシの槍がズバッ!て刺さったの!  けど鹿はそれでも逃げた。傷から内臓はみ出させながら走って…」 「ウル。お願いですから食事中にそういう話は勘弁してください」  リャンは内臓をはみ出させながら逃げた鹿の成れの果てを飲み込んでから、武勇伝を熱く語るウルに言った。職業柄、そういう内容には強いつもりだが、わざわざ食事の話題にしたいとも思えない。 「むう。残念」  テーブルを挟んでいたウルは、しかめっ面をしつつもリャンの意思を尊重した。  フォローを入れるつもりで、リャンは話題を変える。 「けれど、いつもありがとうございます。僕は狩りに参加していないのに」 「いいよ。センセ、下手だからいても意味ないし」 「…すみません」 「あ、落ち込まないで。センセはウル達に出来ないこと沢山出来るから。  センセがいなかったら、母さん死んでたし」 「いいえ。あれはお母さんが頑張ったお陰ですよ」  リャンはこの島に来て最初の治療を思い出す。  砂浜で出会ったウルはリャンを村に案内した。  ウル達の村は、人狼の村だった。人狼とは狼の耳と尻尾を持った種族で、強靭な肉体と広い知覚をもつ。リャンの国では最下層身分で、一部は奴隷戦士として闘技場で見世物の決闘をさせられていた。  リャンは最初は歓迎されなかった。なぜなら村は、迫害された人狼達の子孫の村だったからだ。  奴隷船で運ばれる途中、リャンと同じように船が嵐にあい、流れ着いたのがこの島だったのだ。流れ着いてから百年ほど経っていたが、それで先人から伝え聞いたことの恐怖は強かったのだ。リャンは後日に処刑されることになった。  状況が変わったのはウルの母の病気だった。  酷い発熱と腹痛。それは村人達が恐れていた病気だった。かかった者は助からない。感染力が強く、以前村が全滅しかけたこともある。 「助けて!誰でもいい!母さんを助けて!」  意識のない母親に縋り付いて泣き叫ぶウルに、周囲に何とかできる者は誰もいない。人狼は絆が強く、ウルの母を追い出そうとまではしないが、それでも近づいて看病することもできない。  父親がウルを母親から引き剥がそうとした時、人垣根の外から声が上がった。 「僕が何とかします」  言ったのは、息を切らしたリャンだった。  納屋に閉じ込められていたリャンは、村の異変に気付いて見張りに訊いた。  そして事態を訊いて、リャンは言った。 「出してください。僕は医者です。何とかできるかもしれません」  リャンは、その病気を治療したことがあった。確実ではないが治療法もある。  自分なら治せるかもしれない。そう思ってリャンは見張りに頼み込んだ。  初めは取り合わなかった見張りだったが、納屋に放り込まれる時ですら無抵抗だったひ弱な男の、人が変わったかのような剣幕に押されて、ついには首を縦に振ったのだ。  納屋を飛び出し、声がする方に走っていくと。自分を助けてくれた少女の泣き声がした。それを聞き、堪らなくなって、気付いていたらリャンは叫んでいた。 「僕が何とかします。僕は医者です。治せます。治してみせます!」  確信はなかった。治療法があるにしても、発症者の生存率は七割以下。もう手遅れの可能性だってあった。だがそれでも言わずにはいれなかった。  絶対治してみせると。信じてくれと。彼女が死んだら、その場で僕も殺してくれてかまわないと。  必死で頼み込み、リャンは治療を施すことを許された。  リャンはすぐに人手を借りて薬草を集め、煎じ、投与した。  村に漂着したものの中に、医療の道具があったのが幸運だった。  針治療も施し、三日間不眠不休で働きつめた。  そして四日後、ウルの母親の様態は安定した。 「あの時、嬉しかった。  センセ、ふらふらになりながらもう大丈夫って。  他にもセンセは皆を助けた。知らないことも沢山教えてくれた」 「いいえ。ほとんどが、私でなくても出来たことですよ」 「けど、教えてくれたのはセンセだよ」  ウルは微笑みながら湯のみの茶を飲む。このお茶も、リャンが村に広めたものだった。  肉食中心の人狼は、その食文化ゆえに栄養が偏り、そのせいで罹る病気も多い。  その予防のために進めたのが、とある薬草を煎じたお茶だった。 「他にも沢山、いろいろ皆に教えてくれた。  みんな、長老より頼りにしてるんだから」 「そんなことを言うと、また長老に怒られますよ」 「センセが黙っててくれれば大丈夫。  片付けるね」 「あ、結構ですよ。僕が」  空になった湯飲みに、二人は同時に手を伸ばして、そして先に届いたウルの手にリャンの手が重なった。 「あ…」  リャンは手を離そうとして、だが出来なかった。  滑らかな褐色の肌に包まれた柔らかな肉と華奢な骨格。  ウルの手の暖かさを知った時、リャンは自分が誤認していた事実に気がついた。  ウルは既に少女ではなかった。  ウルが着ているのは粗末な麻布の貫頭衣だ。  狩猟採集で鍛えられ引き締まった手足は、しかし筋肉だけではなく、脂肪によって女性らしい丸みがある。  襟首からみえる鎖骨。その下には豊かな膨らみが、内から粗末な布を押し上げている。  目の前にいるのは少女ではなかった。  思春期を終えたばかりの、次の世代を残す準備が整った乙女だった。 「…どうしたの?センセ?」 「えっ、あ、すすみません!」  首をかしげて問い返してくるウルに、リャンは弾かれたように手を避ける。 「?変なの」  リャンの動作がおかしかったのか、笑顔を向けてくるウル。  その無垢な微笑みに、リャンは自分が感じた劣情をより恥じることになった。 「――もう…遅いですよ。帰りなさい、ウル」  ようやくの思いで搾り出したのはその言葉だった。ウルは不満そうな顔をする。 「ええ?けどいつもはまだ…」 「いいから。帰りなさい」 「……はぁい」  ウルは膨れっ面をしながらも首を縦に振った。 「それじゃ、センセ!また明日!」 「ええ。また明日」  リャンは、帰っていくウルにどうにか笑顔で応えることが出来た。  だが扉を閉めた後、リャンは扉を背にもたれかる。 「最低だな」  ウルは、自分を信頼している。それこそ兄か父親のようにだ。  それなのに、自分は何だ。妹や娘のような存在に、こんな感情を抱くなんて。  あの時、声をかけられなければそのまま彼女を押し倒していたかもしれない。  相手が少女とは言え、人狼の膂力に自分は敵わないし、行為に及ぶことは出来ないだろう。だが、するかどうかは問題ではない。彼女の心を傷つけるのが問題だ。 「いい年の癖に」  リャンはもうじき三十に手が届く。それに対してウルは今年ようやく十五だ。年が違いすぎる。  それにウルは村の女の中でも一番の美人と評判だ。現に食事の時の会話の中には、言い寄ってくる男の話もあった。基本的に狩猟採集が基本のこの島では、逞しさが男のステータスだ。自分など箸にも棒にもかからないだろう。 「駄目だな、僕は」  ちょっと優しくされただけで、そんな気持ちになるなんて。  これだから、ろくに会いもしなかった婚約者に捨てられた程度で傷つくのだ。 「けど、その時だってすぐに忘れれたじゃないか」  だから、今度だって大丈夫だろう。 「…貰ったブドウ酒はまだ残ってたかな?」  リャンは酒は弱いし、酔うのも嫌いだった。  だが、そんな彼だって酔いたい時はある。  その日を境に、ウルに対するリャンの態度が変わった。 つづく
 リャンが薬草を煎じていると、扉が勢いよく開かれた。飛び込んできたのは、鹿の足を一本背負った少女だった。 「センセ!鹿獲ったよ!コレ、センセの分!」  少女は満面の笑みを浮かべながら、自慢げに鹿の足を突き出す。  彼女の尻から伸びる尻尾――狼のような尻尾が、ぶんぶんと千切れんばかりに振るわれている。  その光景をリャンは微笑ましく思う。だが言うべきことは言わねばならんと、緩みかける顔を引き締めた。 「ウル。ありがとう。けれど静かにしてください。煎じているお薬にほこりが入ってしまいます」 「あ、ゴ、ごめんなさい」  叱られた少女――ウルは青菜に塩を振ったようにしょげ返る。  勢い良く振り回されていた尻尾は丸められ、頭の上の耳――やはり狼のような獣の耳もペタリと寝る。  その全身で落ち込む様子がかわいらしく、リャンの表情は自身の努力を無視して緩んでしまう。 「いえ、解っていただければいいんです。  あ、鹿を獲ったのでしたら胆嚢と角を取って置くように言っておいてください。お薬の材料にしますので」 「あ、ウン!解った!行って来る!」  ウルは汚名返上とばかりに、鹿の肉を奥のテーブルに置いて再び駆け出す。 「だからうるさくしてはいけないと…」  リャンはため息が半分の苦笑を浮かべて、走っていく後姿を眺めた。 「変な耳。尻尾もないし。怪しい奴」  褐色の肌に、金色の瞳。そして頭の上の獣の耳。  目を覚ましたリャンが最初に目にしたのは、自分の顔を覗き込んでくる、上下逆さの少女の顔だった。  リャンにとって、流れ着いたのがその島だったのは幸運だった。  リャンは医者だ。医者の家系に生まれ若くして家業を継いだ。生来の真面目で温和な性分で、若いものの患者達の覚えも良かった。だが、それがいけなかった。  彼の故郷は身分制度が厳しかった。職業はもちろん、住む地区も服装も、道さえも身分によって分けられていた。そして当然、かかる医者も身分ごとだった。  下級の身分を診る医者が学ぶ機会は十分ではなく、それどころか使っていい処方や薬すらも制限されていた。その決まりを、リャンは破ってしまった。  リャンは医者としては最上級の身分にあったにも関わらず、人として認められてもいないような最下層の人々の居住区まで行き治療を施し、そこの医者達に技術を教えていた。  それがいけなかった。  リャンは王の崩御に伴う政権のいざこざを機に、身分を剥奪され、監獄島の鉱山に送られることになった。  両親はそのいざこざで殺され、元から兄弟はいないし妻子もいない。親が決めていた許婚はいたが、噂によると新しい婚約が決まったらしい。そのことには少し傷ついたが、たいした問題でもない。  ただ、残していく患者だけを気にかけながら、リャンは船に乗せられた。  だが、リャンがその鉱山に着く事はなかった。その船が嵐にあったのだ。  人手が足りないと乗せられていた囚人達も、縄を解かれて甲板に上げられた。その中に、リャンも含まれていた。  真っ黒な海は巨人のように立ち上がり、その巨体を船に叩きつける。水夫達ですらろくに作業も出来ず、まして体力がないリャンはただロープにしがみ付くことしか出来ない。やがては、そのしがみ付くという行為にすら限界が来た。  いつ自分がロープから手を離したのか解らなかった。気付いたら波の中にいて船の姿は見えず、そのまま意識を失った。  そして目を覚ました時に見たのが、獣を――狼を彷彿とさせるような耳をつけた少女―――ウルだった。 「――でね!鹿の腹にアタシの槍がズバッ!て刺さったの!  けど鹿はそれでも逃げた。傷から内臓はみ出させながら走って…」 「ウル。お願いですから食事中にそういう話は勘弁してください」  リャンは内臓をはみ出させながら逃げた鹿の成れの果てを飲み込んでから、武勇伝を熱く語るウルに言った。職業柄、そういう内容には強いつもりだが、わざわざ食事の話題にしたいとも思えない。 「むう。残念」  テーブルを挟んでいたウルは、しかめっ面をしつつもリャンの意思を尊重した。  フォローを入れるつもりで、リャンは話題を変える。 「けれど、いつもありがとうございます。僕は狩りに参加していないのに」 「いいよ。センセ、下手だからいても意味ないし」 「…すみません」 「あ、落ち込まないで。センセはウル達に出来ないこと沢山出来るから。  センセがいなかったら、母さん死んでたし」 「いいえ。あれはお母さんが頑張ったお陰ですよ」  リャンはこの島に来て最初の治療を思い出す。  砂浜で出会ったウルはリャンを村に案内した。  ウル達の村は、人狼の村だった。人狼とは狼の耳と尻尾を持った種族で、強靭な肉体と広い知覚をもつ。リャンの国では最下層身分で、一部は奴隷戦士として闘技場で見世物の決闘をさせられていた。  リャンは最初は歓迎されなかった。なぜなら村は、迫害された人狼達の子孫の村だったからだ。  奴隷船で運ばれる途中、リャンと同じように船が嵐にあい、流れ着いたのがこの島だったのだ。流れ着いてから百年ほど経っていたが、それで先人から伝え聞いたことの恐怖は強かったのだ。リャンは後日に処刑されることになった。  状況が変わったのはウルの母の病気だった。  酷い発熱と腹痛。それは村人達が恐れていた病気だった。かかった者は助からない。感染力が強く、以前村が全滅しかけたこともある。 「助けて!誰でもいい!母さんを助けて!」  意識のない母親に縋り付いて泣き叫ぶウルに、周囲に何とかできる者は誰もいない。人狼は絆が強く、ウルの母を追い出そうとまではしないが、それでも近づいて看病することもできない。  父親がウルを母親から引き剥がそうとした時、人垣根の外から声が上がった。 「僕が何とかします」  言ったのは、息を切らしたリャンだった。  納屋に閉じ込められていたリャンは、村の異変に気付いて見張りに訊いた。  そして事態を訊いて、リャンは言った。 「出してください。僕は医者です。何とかできるかもしれません」  リャンは、その病気を治療したことがあった。確実ではないが治療法もある。  自分なら治せるかもしれない。そう思ってリャンは見張りに頼み込んだ。  初めは取り合わなかった見張りだったが、納屋に放り込まれる時ですら無抵抗だったひ弱な男の、人が変わったかのような剣幕に押されて、ついには首を縦に振ったのだ。  納屋を飛び出し、声がする方に走っていくと。自分を助けてくれた少女の泣き声がした。それを聞き、堪らなくなって、気付いていたらリャンは叫んでいた。 「僕が何とかします。僕は医者です。治せます。治してみせます!」  確信はなかった。治療法があるにしても、発症者の生存率は七割以下。もう手遅れの可能性だってあった。だがそれでも言わずにはいれなかった。  絶対治してみせると。信じてくれと。彼女が死んだら、その場で僕も殺してくれてかまわないと。  必死で頼み込み、リャンは治療を施すことを許された。  リャンはすぐに人手を借りて薬草を集め、煎じ、投与した。  村に漂着したものの中に、医療の道具があったのが幸運だった。  針治療も施し、三日間不眠不休で働きつめた。  そして四日後、ウルの母親の様態は安定した。 「あの時、嬉しかった。  センセ、ふらふらになりながらもう大丈夫って。  他にもセンセは皆を助けた。知らないことも沢山教えてくれた」 「いいえ。ほとんどが、私でなくても出来たことですよ」 「けど、教えてくれたのはセンセだよ」  ウルは微笑みながら湯のみの茶を飲む。このお茶も、リャンが村に広めたものだった。  肉食中心の人狼は、その食文化ゆえに栄養が偏り、そのせいで罹る病気も多い。  その予防のために進めたのが、とある薬草を煎じたお茶だった。 「他にも沢山、いろいろ皆に教えてくれた。  みんな、長老より頼りにしてるんだから」 「そんなことを言うと、また長老に怒られますよ」 「センセが黙っててくれれば大丈夫。  片付けるね」 「あ、結構ですよ。僕が」  空になった湯飲みに、二人は同時に手を伸ばして、そして先に届いたウルの手にリャンの手が重なった。 「あ…」  リャンは手を離そうとして、だが出来なかった。  滑らかな褐色の肌に包まれた柔らかな肉と華奢な骨格。  ウルの手の暖かさを知った時、リャンは自分が誤認していた事実に気がついた。  ウルは既に少女ではなかった。  ウルが着ているのは粗末な麻布の貫頭衣だ。  狩猟採集で鍛えられ引き締まった手足は、しかし筋肉だけではなく、脂肪によって女性らしい丸みがある。  襟首からみえる鎖骨。その下には豊かな膨らみが、内から粗末な布を押し上げている。  目の前にいるのは少女ではなかった。  思春期を終えたばかりの、次の世代を残す準備が整った乙女だった。 「…どうしたの?センセ?」 「えっ、あ、すすみません!」  首をかしげて問い返してくるウルに、リャンは弾かれたように手を避ける。 「?変なの」  リャンの動作がおかしかったのか、笑顔を向けてくるウル。  その無垢な微笑みに、リャンは自分が感じた劣情をより恥じることになった。 「――もう…遅いですよ。帰りなさい、ウル」  ようやくの思いで搾り出したのはその言葉だった。ウルは不満そうな顔をする。 「ええ?けどいつもはまだ…」 「いいから。帰りなさい」 「……はぁい」  ウルは膨れっ面をしながらも首を縦に振った。 「それじゃ、センセ!また明日!」 「ええ。また明日」  リャンは、帰っていくウルにどうにか笑顔で応えることが出来た。  だが扉を閉めた後、リャンは扉を背にもたれかる。 「最低だな」  ウルは、自分を信頼している。それこそ兄か父親のようにだ。  それなのに、自分は何だ。妹や娘のような存在に、こんな感情を抱くなんて。  あの時、声をかけられなければそのまま彼女を押し倒していたかもしれない。  相手が少女とは言え、人狼の膂力に自分は敵わないし、行為に及ぶことは出来ないだろう。だが、するかどうかは問題ではない。彼女の心を傷つけるのが問題だ。 「いい年の癖に」  リャンはもうじき三十に手が届く。それに対してウルは今年ようやく十五だ。年が違いすぎる。  それにウルは村の女の中でも一番の美人と評判だ。現に食事の時の会話の中には、言い寄ってくる男の話もあった。基本的に狩猟採集が基本のこの島では、逞しさが男のステータスだ。自分など箸にも棒にもかからないだろう。 「駄目だな、僕は」  ちょっと優しくされただけで、そんな気持ちになるなんて。  これだから、ろくに会いもしなかった婚約者に捨てられた程度で傷つくのだ。 「けど、その時だってすぐに忘れれたじゃないか」  だから、今度だって大丈夫だろう。 「…貰ったブドウ酒はまだ残ってたかな?」  リャンは酒は弱いし、酔うのも嫌いだった。  だが、そんな彼だって酔いたい時はある。  その日を境に、ウルに対するリャンの態度が変わった。  悲鳴が聞こえる。  目の前で、ウルが悲鳴を上げている。  見知らぬ男が、ウルを押し倒している。 「いやだっ!やめてぇっ!」  ウルはのしかかってくる男の体を押し返すが、男は無言のままウルの服を引きちぎっていく。  やめろ。  リャンは駆け寄って男を止めようとする。だが、できない。声を上げるどころが、目を閉じることすらも出来ない。  立ち尽くしたまま、ウルが奪われていくのをみるだけ。 「いやぁ!嫌なのぉ!助けて!」  泣き叫ぶウルを一糸纏わぬ姿にすると、男はその口をウルの滑らかな肌に這わせる。  豊かに膨らんだ胸に――  細い首筋に――  形の良いヘソに――  肌を這い回るぬれた感触に怯え、ウルは抵抗することすら出来ず身を硬くしていた。  だが、そのこわばった表情に変化が生じ始める。声に、艶が混ざり始めた。 「んっ…あ、ん!いやぁ…ぁぁっ…」  体の動きが、逃げようとする方向性のあるものから、もどかしげな身じろぎに変わる。  引けていた腰が、突き出される。 「はん…あ、へぁん…あっ!ひゃんっ!」  完全に快楽を露にした嬌声。甘い媚と誘いを含んだ痴態。  聞きたくない。  ウルのそんな声を聞きたくない。  見たくない。  ウルのそんな姿は見たくない。  やめろ、やめろ、やめろ、やめろやめろやめろ! 「やめろぉぉぉっ!」  体が、動いた。  大声を上げて、リャンは男に掴みかかる。  殴りつけてやろうと男の顔を見て、目を見開いた。  それは、他の誰でもない…自分自身で… 「…!?」  目を開けて、リャンは自分がいるのは自宅兼診療所のあばら家であることを知り、全てが夢だったと理解した。  服は汗でびっしょりと濡れている。  ため息をついてから、リャンは寝床から這い出した。  目は冴えているが、しかし頭の働きは鈍い。  そんな彼の意識に、窓の外から声が入ってくる。 「センセー!朝!」  ウルの声だ。その声には匂い立つ色香は欠片も感じられない。 「当たり前だ」  あの全ては、自分の卑欲が生んだ妄想に過ぎないのだから。 「起きてますよ」  リャンは小さくため息をついてから、そして自分の心情を悟られないように、普段どおりの声色で応えた。 「最近、センセが冷たい。」  ウルはリャンの態度の変化に戸惑っていた。  リャンが正式に村に迎えられてもう5年近く。医者としての仕事を始めてから、ウルはリャンに付いて回っていた。  最初は、単なる興味だった。  医者という今まで島になかった珍しい仕事は子供の目には興味の的だった。自分の母親を救った仕事であるのも理由だった。  道具と薬が詰まったカバンを重そうに背負うひょろっとした長身と、気が弱そうなあいまいな笑顔。 「情けない奴。母親を助けてくれた時と全然違う」  そんなウルの評価は、だがその仕事を見ているうちに変わっていった。  患者が出れば昼でも夜でも飛んでいき、患者がいなければ寸暇を惜しんで薬草を集める。  病気が流行った時などは不眠不休。吐瀉物や糞便にも嫌な顔一つせず患者に接する。治療の過程で自身も病気に罹ったこともあるが、それでも辛い様子などおくびにも出さず、いつもの穏やかな笑顔のまま治療を続ける。  その姿は、ウルにとって驚きだった。衝撃的、と言ってもいい。  強さというものが、そのまま肉体的な能力――筋力や体力などとイコールだった彼女にとって、リャンの『強さ』は価値観を根底から覆すものだった。  カバンを重そうに背負っているのは、一緒に患者達の命を背負っているから。  いつも微笑んでいるのは気が弱いからじゃなくて、人を安心させたいから。  気がつけば、ウルは仕事を手伝うようになっていた。  一緒に山野に分け入り薬草を集め、薬カバンを代わりに持ってやる。  成長し、狩りに参加できるようになってからはその頻度は減ったが、それでも暇さえあればリャンの後について助手の真似事をしていた。  そんな関係がずっと続くと思っていた。  だけども、最近、その関係が少し変わり始めていた。  ウルがリャンの菜園(薬草と食用の両方を育てている。なお畑の作り方もリャンが持ち込み、島に広がりはじめている)を抜ける途中、背後から焦りを含んだ声がした。 「リャンセンセ!患者だ!」 「ヴェア?」  ウルが振り向いた先にいたのは、自分より四つ年上の男――ヴェアだった。ウルと同じように狼の耳と尻尾が付いている。悪人ではないが、気性の荒い男だった。ウルにそれとなく言い寄ってくる男でもある。  他の女達にも人気はあるが… (なんか今一…)  女友達に言わせれば、その気性の荒さが男らしくて頼りがいがあるらしが、ウルにしてみれば逆に子供っぽくて、かえって頼りなく映っていた。  だが、それはそれだ。今は患者という言葉が気になった。 「どうした?」 「大変なんだよ!」 「大変じゃ解んない。落ち着いて…」 「急いでるんだ!リャンはどこ居るんだ!」  興奮し、ヒステリックに叫ぶヴェア。焦るのはわかるが、その態度にウルは流石にカチンと来る。  だが、彼女が叫ぶより早く、家の中からリャンが現れた。 「――患者は誰ですか?」  先ほど起きたばかりのはずなのに、既に格好を整え、手には古びたカバンが握られている。  その姿を見て、ヴェアはウルを押しのけ、ヴェアに詰め寄る。 「西の集落の大婆ちゃんだ!」 「処方した薬は?」 「それがその薬がもうないんだよ!全部飲んじまったんだ」 「一度にですか?」 「そ、そうだけど…」 「……少々待ってください。すぐに薬を持ってきます」 「ああ…は、早くしてくれよ!」  家の中に取って返したリャンを、ヴェアは頷いて見送る。  リャンの毅然とした態度のためか、ヴェアも少し落ち着いたようだった。 (センセは凄い)  自分はヴェアの混乱に当てられて怒鳴り返そうとしたのに、リャンは流されず落ち着いた対応をして、それどころかあっさりとヴェアを宥めてしまった。 「お待たせしました。この薬を持っていってください」  待たせたというにはあまりにも短い時間でリャンは出てきた。 「このビンの中の薬を一錠だけ飲ませてください。  どうしても、それでも苦しそうだったらもう一錠だけ与えてもかまいませんが、出来れば一錠だけで済ませてください」 「わ、解った!飲ませればいいんだな!?」 「一錠だけですよ!先に行ってください。私もすぐに行きます」 「おう!」  ヴェアは言い残すと、再び駆け出し、あっという間に林の影に見えなくなる。 「一つだけですよ!」 「解ってる!一つだけだな!」  ヴェアの応答に、リャンは少し安心したような笑顔を零す。だがそれも束の間。すぐに顔を引き締める。 「では、私も向かいます」 「あ、うん。荷物持つよ」  ウルはリャンの荷物に手を伸ばす。だが、すっと、本当に自然な、しかし明らかに意図的な動きで、その手はかわされた。 「―――いえ。結構です」 「えっ…でも…」  戸惑うウルは顔を上げる。そこにはリャンのいつもと同じ柔和な微笑があった。いつもと同じ―――それはつまり、その本心を読めないということ。  リャンは心を読ませないまま、ウルの頭を撫でる。 「ウルは戸締りをお願いします。その後は家に帰っていていいですよ」 「…う、うん…」  頷くウルだったが、リャンはそれを確認することもなくすでに駆け出していた。  ひょろっとした、どこか頼りない、しかし見ていると安心できる背中。  それが去っていくのを見て、ウルはなぜかこの上ない不安を覚え―― 「あ、あの!センセ!」  気がついたら、叫んでいた。ウルの声にリャンは振り向く。 「どうしました?」  問われて、だけれどもウルは何もいえない。  心の中は想いで溢れているのに、それらの感情は曖昧模糊としたままで、言葉という形になれない。 「……すみません。急いでいますので、また後で」  ウルの沈黙にリャンは痺れを切らし、そういい残して前を向き駆け出した。  リャンを責めることはできない。  患者が待っているこの状況で呼び止めた上、結局何も言わなかった自分が悪いのだ。それは解っている。だけど… 「…センセの…馬鹿」  馬鹿は自分なのに。自分の感情すら把握できていないのに。ウルの口から、自然と言葉が漏れていた。  胸にモヤモヤとしたものが詰まっているのに、まるで穴が開いて隙間風が吹いているような寒さも感じる。  結局、ウルは自分の感情をもてあましたまま、リャンの言いつけにしたがって戸締りをして、家に帰った。  そして帰ったウルは母親から『月夜祭』に出るように言われた。 「――だから、忘れたからって一度に飲むのは止めてください。  まして向こう数日分も一気に飲むなんて」 「一度に飲めばすぐに治ると思って…」 「治りません。薬は本来毒なんですから。  一気に飲んだら体を悪くするのは当然でしょう」 「……すまんねぇ、先生」  寝床で年老いた人狼が、リャンに叱られて耳を伏せていた。  ヴェアに渡した薬は、リャンが既に処方していた薬の効果を中和する物だ。リャンが予想していた通り、この老人の症状は薬を一度に多用したため起こした中毒症状だったのだ。  「とにかく、これからはしっかり朝晩一日食後に一錠ずつ。水と一緒に飲んでください。お茶とではなく、水の方が好ましいです。わかりましたか」 「はい」  小さくなって応える老婆。彼女は村の中でも長寿な者の一人――最初に漂着した者達の子供――だが、リャンの迫力の前ではまるで子供のようだった。 「では、今度から気をつけてください。ヴェア君達も心配してましたよ」 「はい。ヴェアにも後で誤っておかないと…。先生もありがとうね」 「いえいえ」  リャンはお説教を終えて、出されていたお茶を手に取る。  大分冷めたお茶を飲みながら、リャンは老人が何かを探しているのに気付いた。 「どうされました?」 「いえね。ウルちゃんはどうしたの?いつも一緒なのに」  ウル。その名前にリャンは自分の顔が軽く強張ったのを自覚した。 「…彼女は、来ませんよ」 「そうかい?いつも一緒なのに」  残念そうな老人にリャンは微笑みながら否定する。 「そういうわけでもありませんよ。  彼女もそろそろ大人です。自分の仕事もありますし、いつまでも手伝っていただくわけにもいきません」 「そうだろうね…。ウルちゃんも大きくなったもんねぇ」  老人はいいながら頷いて、口付け加えた。 「なんたって、ウルちゃんも『月夜祭』に行く歳になったもんねぇ」 『月夜祭』  その言葉を聞いて、リャンは動揺を露にした。  湯のみの中身が冷めていてたのは幸運だった。  人狼の特徴は、その広大な知覚と筋力、そして耳と尻尾以外に、もう一つある。  それは、半獣化という特殊能力だ。  半獣化することにより、筋力や知覚が格段に上昇し、その反面、理性が薄まり獣性が表面に出る。  成熟した人狼は自由に半獣形態になることが出来るが、実のところ人狼がその姿になることはない。それは体力を激しく消費するからだ。  だが未熟な若い人狼はその限りではない。人狼の力が増大する満月になると、強制的に半獣の形態になってしまうのだ。 「早く…寝なくちゃな…」  その日の夜、リャンは寝床で目を閉じていた。だが目蓋の裏の目はしっかりと冴えたままだった。  うっすらと目を明けると、窓から満月の光が差し込んでくる。 「明日は朝から忙しいから…寝なくちゃ…」  リャンはつぶやく。一日中働き、心身ともに疲れきっているはずなのに、眠気はやってこない。  『月夜祭』とは満月の夜に、壁で囲まれた集会場に獣化を制御できない若者達が集まることだ。  それには二つの意味がある。  一つは暴れて周囲を傷つけないため。  塀の中には同じく半獣となった若者達がいるが、しかし半獣形態同士の上、完全に理性を失っているわけでもないので、致命傷を与え合うことはほとんどない。  まあ、軽い怪我程度ならいくらでも受けるし、『ほとんど』というだけあってごく稀に酷い怪我を受けることもあるので、その翌朝はリャンは大忙しとなるわけだが。  そしてもう一つの意味…むしろこちらの方が本命の意味。  それは『相手探し』。  理性が薄まった時に表面に出るのは、何も凶暴性だけではない。それよりもはるかに強い生命としての欲求――性欲が前面に出る。  封鎖された空間の中で、半獣達は自分の番い(つがい)を見つけるのだ。現に怪我を治療した少女の中には、股間から大量に雄の体液を垂らしたままの者も居る。  ちなみに、女性が望まないのに無理やりに、ということはない。  半獣化による強化の割合は女性の方が高いのだ。男が女の抱くには女より圧倒的に強いか、女が求めるかしかない。そして半獣化状態で女をレイプできるほど屈強な男は、強さが魅力の基準である人狼の社会において拒絶されることはないのだ。  また万が一仮に望まれない場合は、周りの者が止めに入るらしい。 「あのウルが…もうそんな歳か…」  出会った時は性別の判断も難しいような体型だった少女が、女として男を求めるような年齢になった。  昨日の夜に夢に見たように、腰をくねらせ、甘い声を上げ… 「…それで…いいんだ」  苦しげに、リャンはつぶやいて目を瞑る。  脳裏には昨日の夜の続きが見える。だがウルを押し倒しているのはリャンではなくてヴェアだった。  ヴェアは気が短いが、だが真っ直ぐで好ましい青年だ。  彼なら、きっとウルを幸せにしてくれるはずだ。自分なんかより… 「……僕なんか比べようもないさ」  寝てしまおう。明日は忙しくなる。それにもしかすれば、明日はウルに夫が出来ているかもしれない。 (お祝いの言葉も考えた方がいいのかな)  だがそんな思考は、胸の奥に産まれるモヤモヤとした感覚の性で思考がまとまらない。  やりきれない感情を抱えたまま、リャンは眠れない夜を過ごしていった。  いつの間にか寝入っていた。  リャンは気付き、そして目を覚ましてしまったことを後悔する。  外はまだ暗い。雲に月も隠れているのか真っ暗だ。  また嫌な想像をしなくてはならないのかと憂鬱に思いながら、しかし起き上がることにした。自分が目覚めた原因を探るためだ。  ただ自然に目覚めたのなら問題ない。だが急患で誰かが呼んだせいで目が覚めたのなら、すぐに起きなくてはならない。  起き上がろうとして――だが、その肩を強力な力で押さえつけられた。  痛みを感じ、一気に目が覚める。  誰何の声を上げる前に、自分を押さえつけた相手が口を開いた。 「動くな」  リャンにはその声に聞き覚えがあった。  聞き覚え、というレベルではない。それは多分この島にやってきてから、一番多く聞いた、耳になれた声。 「ウル…ですか?」  雲が動いた。  月光が降り注ぎ、窓から差し込む。その光の中にリャンは自分を押し倒す、女の姿を見た。  それは、半獣化したウルだった。その姿にリャンは息を呑んだ。  美しい。  蒼い月明かりに照らされたウルの姿に、リャンは抵抗も忘れて魅入った。  男が半獣化すると、その姿は二本足で歩く狼そのものとなる。だが、女の半獣化はそれとは趣が大きく異なる。  顔はほとんど普通の人間と代わらない。ただ髪の毛が長くなり、頬に刺青のようにライン上の毛が生える。四肢は大腿の下半分と、上腕の半分以下から毛皮に覆われ、指先には爪が伸びている。  惚けていた表情をするリャンの上に跨っていたウルは崩れ落ちるように体を崩す。 「センセェ」  吐息は熱く、そのままゆっくりとリャンの唇を奪った。  ガチリと歯がぶつかった。リャンはそれに軽い痛みを覚えた。しかしそんな痛みも、ウルの唇の柔らかさと、口を割って入ってきた舌の蠢く感触に押し流される。 「んっ…ふむぅ」  ウルの唾液が口の中に流れ込み、喉が反射的にそれを飲み込む。その対価とばかりに、ウルはリャンの唾液を吸い上げ、飲み込んでいく。  リャンの喉の奥に滑り落ちていくウルの体液。ウルの喉の奥を通り抜けていくリャンの体液。 「んはぁっ…」  やがてその体液交換に満足したのか、ウルは顔を上げて息をつく。その頬は月明かりの下でもわかるほど上気していた。 「センセェ…」 「や、止めるんだ、ウル!」  再び情熱的な口付けを降らそうとするウルを、リャンは止めた。  このままではいけないと。  状況が全く解らない。  なぜウルがここにいるか?  なぜウルがこんなことをしているのか?  わからないことだらけだが、しかしこのままでいいはずがない。 「落ち着きなさい!こんなことをして何のつもりですか!?」  リャンの強い拒絶に、ウルの目に複雑な色がよぎった。  それは悲しみと恐怖が入り混じったような揺らめきだった。だが… 「…さい…。うるさぁいっ!」  ウルは吼えると、起き上がろうとしたリャンを寝床に押し付けた。 729 名前:書く人[age] 投稿日:2006/11/26(日) 04:26:18 ID:+TFkB0hs  片手でリャンの肩を掴み、もう片方の手でリャンの寝巻きを引き裂く。  肩を押さえつけた手の爪が、リャンの薄い肉に食い込み激痛を伝え、リャンは喉の奥で小さい悲鳴を上げる。  ウルは僅かに顰められたリャンの顔に、自分の顔を寄せて牙をむき出す。その瞳孔は興奮し大きく開いている。  その様は、まさに理性を失った獣だった。リャンは命の危険すら覚える。 「な、なぜ…」 「うるさいうるさいうるさい!」  ウルは叫ぶと、問いを続けようとするリャンの口をふさぐ。  今度は歯はぶつからなったが、その代わりであるかのように軽いものだった。  二、三度舌で口内を口内を掻き混ぜた後、唇を離す。  その時にリャンの目に映ったのは、先ほどの獰猛さとは打って変わって不安げな光を宿すウルの瞳だった。  涙すら滲む目でリャンを見下ろしながら、ウルは口を開いた。 「センセ、私好き。センセを好き!」 「!?ウ、ウル…」 「他の男なんて、嫌。  センセがいい。センセは私を嫌いかもしれないけど…センセがいい!」 「ウ、ウル…ですが…」  リャンはその続きが言えなかった。  歳が離れすぎている。  自分は狩りが出来ない。  自分より魅力的な異性は沢山いる。  いくつも理由が思い浮かび、それらはなぜか口から出てこようとしない。いや…出したくないのか?  リャンの自問は、しかし時間切れだった。 「駄目と言っても、するから。  弱い男に…女を選ぶ権利はない!」  三度目の口付けは、一度目と同じ深いものだった。  どれだけ時間がたっただろう。  ウルはリャンの体を舐め上げながら、体をこすり付けている。とくに既に濡れそぼった秘所が気持ちいのか、足や胴を挟みこんで擦りつけ、あふれ出る愛液を刷り込んでいく。  リャンの体の殆どは、唾液と愛液でコーティングされていた。  その体液や、ウルの体から立ち上る匂いに、リャンは酩酊する。 (ああ、そういえば、人狼の女性の体臭は機能不全の薬になっていたっけ…)  活動の鈍った意識のままリャンは思い出していた。  それまで、何度となくウルを避けようとしていたが、しかし半獣化したウルの膂力に逆らえるはずもなく、今では成されるがままになっていた。 「センセ…センセェ…」  浅く息をつくウルの目に、もはや理性の色はない。  ただ愛欲のみに突き動かされながら、ウルは愛撫を続ける。  そしてウルは、ついに最後の行為に向かわせた。 「ここ…濃い匂いがする。熱くて、硬い…」 「だ、駄目だ!ウル!」  自分の一物を捕まれ、リャンは再び抵抗を始める。  それだけは、駄目だと。   だが快楽に蕩けたウルはリャンの上に跨り、最初の爪による傷に重なるように、もう肩を掴む。傷を更に深くえぐられ、痛みにリャンは動きを止める。 「センセェ…入れるよ」  両手でリャンの肩を抑えながら、ウルは腰を上げる。  愛液がトロトロと陰部から垂れ、月光を反射して光る。  リャンの視界には、ウルの胸の向こうに、呆れるほどにいきり立った肉柱が見えた。その上に、ウルはゆっくりと腰を下ろしていく。  亀頭がウルの粘膜に触れたのを、リャンは感じた。  このまま、突き入れたい。  リャンの中の雄が本能に従ってそう叫ぶ。だがその叫びよりも、リャンは理性の声を信じて首を横に振る。 「駄目だ…ウル…自分を、大事にするんだ…」 「大事にしてる。だからセンセを、自分の中にお迎えするの」  ウルは言いながら、片手でリャンの肉棒に手を添えて、  ずぬんっ!  一気に、その肉棒を自分の中に飲み込んだ。 「んんんーーーーーっ!!」 「うくぅっ!」  ざらつく感触にリャンはうめき声を上げる。  永きに渡る愛撫の果ての挿入。既に限界に近かったリャンがそれでも絶頂しなかったのは、挿入と同時にウルが肩を思い切り掴んだ痛みゆえだ。その痛みがよすがとなって、絶頂に至るのを防いだのだ。だが、ウルには絶頂を止める痛みがなかった。  人狼に処女膜はなく、ウルは何の抵抗もないままにリャンの肉棒を飲み込んだ。 「はひっ…お、奥ぅ……。コツンって…当たった」  ビクビクと震えながら、ウルは初めての挿入感に酔いしれる。  言葉の通り、リャンの先端は膣底にまで届いていた。自分の雌が愛しい異性の雄で一杯に満たされている。そのことに感動すら覚えながら、ウルは押し寄せてくる絶頂の波に耐える。  だが…同時にウルは本能的に理解していた。  足りないと。これではまだ不足だと。もっと深い絶頂が存在しうるのだと。 「もっと…動くよ…」  恐る恐るという風に、ウルは腰を浮かせた。  ぬるぅ… 「ふぅ…」  引きずり出されるような感覚に耐えられず、ウルの足から力が抜け  ずちゅん  「くはぁっ!」  再び最奥まで犯し抜かれる。ずりゅり、と粘膜が擦り上げられ、とん、と膣底に一撃が届く。  その感覚に、ウルは自分がリャンを受け入れていることを再確認する。  肉体的な刺激による快感と、精神的な充足感による快感。  たとえそれが相手の同意によらないものであっても、ウルは死んでしまいそうなほどの喜びを得る。  そう…相手が、この行為を望まなくても… 「…ぅああああっ!」  思い出しかけた嫌なことを振り払うように、ウルは大きく腰を動き出し始めた。  可能な限り腰を上げ、一気に腰を落とす。  ずにゅるっ!ぐちゅる!ずちゅる!  激しく動き回り粘膜を擦りあげ…  とん…とん…こりゅ!とん…こつん!  内臓まで突き抜けないばかりに奥まで突き入れる。 「はへっ!ふゅ!きょふっ!は、はふん!ああん、やはん…!」  人狼の体力を最大限に使い、ウルは必死に腰を動かす。  これがレイプだということを忘れようと。そして願わくば…一瞬でもいいからリャンにも忘れて自分を抱いて欲しいと。 「さわっ…てぇ…」  ウルは言いながらリャンの腕を取って、その手を自分の胸に押し付ける。 「ウ、ウルゥ…」  せめてウルのなかを汚さぬようにと、必死に射精に耐えるリャン。  彼は押し付けられたそのふくらみを、無意識に握り締める。  その、愛撫とも呼べない反射の動きは―― 「ひゃぁあん!」  しかしウルにとっては至上のものだった。  なぜなら、それは愛しい男が初めてしてくれた愛撫だったのだ。  たとえそれが強引に行なったうえの、偶然の産物だったとしても、自分の胸をリャンが揉んでくれたのだ。  その事実が精神的なトリガーとなり、ウルは二度目の絶頂を迎えた。 「はふぅぅぅぅっ!」  挿入時のそれに続く二度目の絶頂。全身が痙攣し、膣が蠢き締め付ける。  ぎゅんっ  その複雑な動きに、リャンの抵抗が打ち破られた。 「ぁぁっ!」  自分の全てが引きずり出されるような射精感の中で、リャンは猛りを開放した。  びゅっびゅるるるるっ! 「!!??」  自分の中に収まった肉棒の異常な動き。そして続いた暖かい感触。  ウルは悟った。リャンが絶頂を迎えたのだと。 「センセの…赤ちゃんの素がぁ…」  へその下に手を当てながら、ウルは射精される感覚に――異性を完全に受け入れる感覚に酔いしれる。  ビュルビュルと、固体に近いほどの濃い精液が膣に溢れ、そのまま小さく窄まっている子宮にまで流し込まれていく。  その一撃ごとに、ウルは気をやってしまう。 「あ…あ、い…あー…」  精神が許容できるレベルをはるかに超えた快感。ウルは微笑を浮かべたまま、それを成すがままに受け止める。 「センセ…気持ちいいよ…」  それが、唯一ウルが言うことが出来た意味のある言葉だった。  びゅくん、と、最後の一撃がで尽くす。  それにより、ウルの長期に渡る絶頂も終わる。  ウルは力尽きたように、リャンの上に崩れ落ちる。指先一つ動かせない。  それはリャンも同じだった。  二人は折り重なったまま、月の光に照らされたまま、眠りの中に沈んでいった。  差し込んできた朝日に、リャンは目を覚ました。  起きたリャンは、両肩の痛みに顔をしかめる。見れば自分の両肩とその下のシーツは、乾燥した血が赤茶けた跡を残している。  そう、夢じゃなかった。  それは血の跡の他に破けた寝巻きと、立ち込める性臭と、そして自分のすぐ隣にいる褐色の小さな背中が証明している。  自分はウルを抱いた。いや、抱かれたというのが正しいか?  いずれにしてもウルと関係を持ってしまった。  妹のように、娘のように思っていた少女と… (いや、本当にそうなのか?)  本当に、自分は売るを妹か娘のようにしか思っていなかったのか?  今なら解る。答えは否だ。  本当にそう思っているなら、あの時もっと抵抗していたはずだ。  だがしなかった。なぜか? (そう。僕は望んでいたんだ)  ウルとこういう関係になることに。  肌を重ねた今ならはっきりと解る。自分はウルとこうなりたかったのだと。  年齢?吊り合い?それがなんだ?  たとえどんなことを言われても、それは自分の偽らざる気持ちだ。  自分はウルが好きだ。  だが、だからこそ確認しなくてはならないことがある。 「ウル…」  リャンはウルの背中に声をかける。ウルは無言のまま、しかし小さく身じろぎをしたことから、きっと起きているのだろう。だから、リャンは質問を続けた。 「どうして、こんなことを?」  問いかけに、背中は緊張したように強張った。  獣化が終わったウルの背中は、ずいぶんと小さく見える。  リャンはウルが答えてくれるのをじっと待つ。 「ゴメンナサイ…ゴメンナサイ!」  ウルが答えた言葉は、それだった。  それを皮切りに、まるで決壊した堤防から水が溢れるように言葉が触れだす。 「好きだから…私…!センセ、好きだから!他の人じゃ嫌だから!  抜け出して!センセに迫って!  センセが嫌がったのに無理やり…ゴメンナサイ!  謝るから…ゴメンナサイするから!だから…だから!」  ウルは振り向いた。 「だから…嫌いにならないでぇ…」  泣きながら、ウルは言った。  目を真っ赤にして、涙を流し、鼻水まで出している。  酷い顔だ。しかし、リャンはそれを愛おしいと思った。  それと同時に、リャンは思い知った。  自分のくだらない考えや、無用な気遣いが、かえってこの目の前の最愛の症状を傷つけていたのだと。  堪らないほどの愛おしさと後悔に突き動かされ、リャンはウルを抱きしめた。  予想外だったのか、リャンの腕の中でウルは目を白黒させる。 「セ、センセ…?」 「すみません、ウル。僕は…自分勝手な男です。  ウルのために身を引くべきだと勝手に考えて…それなのに、今。こうやってウルを抱きしめています」 「それって…」 「ええ。  ――愛してますよ、ウル。一人の女性として、僕は君を愛してる」 「センセェ…リャン…」  ウルの声に、再び涙が混ざる。  胸元に顔を押し付けるウルの顔はリャンには見えないが、さっきと同じような酷い顔をしているのだろう。  そのことに堪らないほどの愛おしさを感じながら、リャンは更に力強くウルを抱きしめた。  リャンとウルは結婚した。  歳の差を指摘する者や、まだリャンを認めていない村民からの心無い言葉もあったが、多くの者達から祝福を受けた。  結婚してからも、リャンは島の人々のために奔走する日々を続けた。だが、辛くはなかった。元々人が良い上に、今は共にその苦労と幸福を分かち合える存在が、すぐ隣に居るのだから。 「出かけますよ」 「わかった。荷物持つよ」 「お願いします、ウル」 「うん」  終

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