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Кудрявка 完結編」(2007/07/19 (木) 09:51:20) の最新版変更点

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いつか見た青空にそびえ立つ白い巨塔…重力を振り切り、母なる地球を離れる天上の舟。 ロケットの先端に取り付けられた衛星はただ黙って空の先を見据えている。 ライカ教官以下クドリャフカを始めとする訓練生達もソビエト空軍の制服に身を包んで記念式典に参加していた。 俺は軍属とはいえ正規軍ではないから制服は持っていないし、式典などという堅苦しいのも性には合わない… ってなわけでサボりつつ遠くから軍の将官や中央政府、党の高官と共に壇上に立っているダボダボの制服に“着られている”クドを笑いをこらえながら眺めていた。 「あちゃー…ありゃ見てられねーわ。ガッチガチじゃないか。おいおい歩き方が…あっ、ころんだ」 「うぅ…緊張したよぉ…こけちゃったし」 その日の晩、俺の部屋の机につっぷしてふてくされるクドと共に尻尾も耳も力無く倒されている。 壁に掛けた制服の胸には今日の式典で授与されたばかりの“宇宙飛行士”徽章、 肩には真新しい空軍大尉の階級章が輝いている。 「そう落ち込むな。すごいじゃないか、訓練生からいきなり大尉か…私なんて最初は地上軍二等兵からだったぞ? それに宇宙飛行士徽章も授与されたのはお前が最初だ。訓練教官として誇りに思うよ。」 ウォッカを片手に赤い顔をした少佐はご機嫌な様子だ。 「あら、もうお酒だなんて…少佐は相変わらずですわね。 お酒より牛乳を飲まれた方が一部の部位のためにもよろしくてよ?」 ムーシカがいつもと変わらない調子で危なっかしい事を言いながら部屋に入ってきた。 そろそろこの2人が顔を出すだろうと思っていたが… 「クードー♪任官おめでとー!」 ドタドタと騒々しい音を立てながら両手いっぱいに酒を抱えたアルビナが部屋に飛び込んできて、クドに飛びついて頬ずりをしている。 「わふ~、お姉ちゃん恥ずかしいよ~!」 アルビナの胸に顔を埋めたまま苦しそうに笑うクドを見ながら、俺はどこか懐かしい気持ちでいっぱいになった。 「うりうり~♪今日はクドのお祝いパーティーだよー!もうそろそろ来るはずだけど…。」 噂をすればなんとやらで、数十人もの人間がドカドカとなだれ込んでくる。 ―――くおら!ワルガキはここかぁ!? ―――クドリャフカ、お前も立派になったなあ。―――僕、実は君のことが好きでした! ―――クドたんの制服ハァハァ。 ―――きゃー♪クドちゃんかわいい! ―――クドちゃん、明日はがんばってね! ―――イルクーツクの妖精みたい… ―――お持ち帰りしたいな~♪ エンジン技師から通信士、看護婦に果てはパイロットと、散々クドリャフカに煮え湯を飲まされた面々が口々に彼女にお祝いの言葉をかける。 「よひ…パーティーの準備はととのっらようらな?全軍パーティー会場に突撃ぃ~!」 ろれつの回らないまま、片手にウォッカのビンを持った少佐が走っていった。 「やれやれ、いっちょ祝ってやるか!今日はお前が主役だクド!」 皆で歌って、騒いで、笑って…そして簡素ながら俺とクド、二人の式が行われた。 少佐曰くバレバレだったらしい。苦笑いする俺の隣ではクドが真っ赤な顔して腕を振り回して騒いでいた。 1957年11月2日1800時 スプートニク打ち上げ前夜 夢… 私はモスクワの小さな裏通り、背中を丸めて独りぼっちで眠っていた。とても、とても長い間…。 他には誰もいない。両親も知らない。 心にはなにもなくて、私の世界には私以外いなくて、私は自分の心の中に閉じ込められていた。 ある日、一人の男の人が私に手を差し伸べこう言った。 「Как вас зовут?(名前は?)」 名前ってなんだろう?私には分からなかった。 その男の人はしばらく黙り込むと何かをひらめいたように明るい笑顔を向けて 「じゃあ、その巻き毛から名前を取って…Кудрявка(クドリャフカ)でどう?」 クドリャフカ…私はなにか嬉しくなって彼の手を取る。とても温かくて…優しい手だった。 深々と雪の降る夜、私は彼の家族になった。 翌朝、俺はどこからか聞こえる歌で目を覚ました。 「この大空に翼を広げ飛んで行きたいよ 悲しみのない自由な空へ翼はためかせ行きたい…」 それは子守唄のようにも、秘められた思いを綴る詩のようにも聞こえる歌だった。 「クド…それは?」 「博士おはよ…って、今は『あなた』だね。この歌は『翼をください』といって私たち人とは違う種族に古くから伝わる歌なの。 自由を願う歌…どんなに辛くても、どんなに困難でも、自分の持つ翼を信じて歌い続けるの。」 そういってクドは笑った。 有史以来、人の奴隷として扱われ、戦争の道具として戦い、幾度となく虐殺され、それでも種族の誇りを失わない彼らの歌。 嘆きと絶望を捨て、希望を信じるその歌はクドの心の叫びのようにも聞こえた。 「あなた。私、あなたの…そしてみんなの『翼』で空に行く。遥かな空に白い翼をはためかせて…。」 クドは俺にそっと唇を重ねて「愛してます」と言って微笑み、俺も「愛してるよ」と言って抱きしめた。 それが俺に残る最後のクドの温もりと、地球で交わした最後の言葉だった。 白い鳥が飛んでいる…長い尾を曳き、陽光に白い翼を輝かせ、天を目指して昇っていく。 雲ひとつない青空を飛んでいく翼を彼はずっと見送っていた。 スプートニク2号が衛星軌道に達した時、衛星からの通信で自力での大気圏再突入が不可能な事を飛行士から告げられた。 彼女は身動き一つとれない船内から懸命に報告を続け、地球の周回数は60回を超えた。 11月8日、彼女は「ベリヤ博士と二人きりで話をしたい。」と弱々しい声で言った。 管制室の全ての者がベリヤ博士を残して外へ行き、通信記録もオフにされた。 時間にして10分ほどだろうか…その間、彼女と博士が何を話したのかは誰にも分からない。 1957年11月8日金曜日18時37分、彼女は眠るように息を引き取った。 50年前、大気圏再突入が不可能と知った軍はこの計画に関わった者全てに緘口令を敷いた。 西側に与えたスプートニク・ショックは予想外に大きくこのまま事実を公表したのでは後に控えるボストーク計画にも支障をきたすとして、スプートニク2号は「ソビエトに輝く星」として世界に発表された。 そして年月は流れ、ソビエトにペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)の嵐が巻き起こった。 その最中公表された事実は「スプートニク2号はデータの収集には成功したものの、大気圏再突入は失敗した」というものだった。 その後、騒乱の中ソビエト連邦は解体。凍結されていたスプートニク計画が再開されるまでこの後10年余りを経る事になる。 「―――こちらスプートニク6号。obj固定完了、これより作業を開始する。」 衛星内の空気の逆流に気を付けながらスプートニク2号のハッチを開く。驚くことに、スプートニク2号の蓄電池はまだ生きていた。 僕が船内に入ると共に船内燈が淡い光をともした。海のように優しい青の光に包まれて、50年前と変わらない姿で"彼女"はいた。 彼女はぼろぼろの気密服を着て、唯一取り付けられた小さな丸窓を向いて座っていた。 透き通るような肌も、雪のように真っ白な髪、獣人の特徴である耳や尻尾も、全てが今にも動き出しそうなくらいに美しいままだった。 僕は彼女の手を取り、手袋を外して父から頼まれた指輪を彼女の薬指に通した。 父は彼女のことが好きだったのだろうか…昔のことを何も話さなかった父が亡くなった今となっては知る由も無かった。 「…よし。これでいけるはずだ。管制センター、作業完了。これより母船に戻る。」 大気圏再突入は7日後、モスクワの直上で消失する。彼女の長い長い任務もようやく終わるのだ。 そして地上に帰還するなり世界各国の報道機関によるインタビューが僕を待っていた。 スプートニク・ショックの真実は世界中が求める格好のネタなのだろうが適当にあしらっておく。 翌日、僕は大統領閣下から『第一級国家勲章』を授与され、壮大なパーティーに出席して数え切れないぐらいの人と握手をした。 第一級国家勲章はかのガガーリンを始め、"人間の"宇宙飛行士のみに授与されるものだった。 スプートニク2号が再突入する日は朝からモスクワ市内はお祭り騒ぎだったけど、僕は何をするでもなく自分のアパートの窓から透き通った青空を眺めていた。 軋む床、壊れたシャワー、映りの悪いテレビ。これらは僕が父に拾われる前、父が"家族たち"と共に住んでいた時かららしい。 予定では1900時に再突入する。テレビを付けてもラジオを付けてもそのニュースで持ちきりだった。 夕闇の訪れと共に一番星が輝き、街は彼女の帰還を待っているかのように静まり返っていた。アルビナさんやムーシカさん、当時の訓練教官も今日は街に訪れているらしい。皆が彼女の帰りを待っていた。 時計を見ると1830を過ぎたころで、空は満天の星空に包まれていた。 「こち…クド…フカ」 なんだろう?途切れ途切れに声が聞こえる。 「こ…らスプ…トニク2号」 ラジオからも、テレビからも聞こえてくる声は段々と明瞭になってくる…。 「こちら…クドリャフカ…皆さま…聞こえますか?」 「私の…音声が流されているということは…この衛星が再突入軌道に入ったということでしょうか…きっと、そうなんですね」 これは…!? 「この音声は1957年11月8日金曜日に録った私の…最後の言葉です。そして私が愛する人に…送る言葉です。」 「アルビナお姉ちゃん、ムーシカお姉ちゃん。どうか悲しまないでください。私はお姉ちゃんたち…いえ、皆の思いを叶えることができたんだよ! 宇宙から見る星は宝石のようにピカピカと光ってきれいだよ。持って帰りたいぐらいにねっ♪お月様もほんとにきれい。 でもね、一番きれいなのはね…私たちの住む地球なんだよ!青くてまんまるで…お姉ちゃんたちにも見せてあげたいな~…。 私、自分の住む星が一番きれいだなんて感動しちゃった。 私はこんなにきれいな世界を見れたんだもの。ちっとも怖くなんてないから大丈夫!お姉ちゃんたちも元気でねっ」 「ライカ教官、いつも怒らせてばかりでごめんなさい。ライカ教官は怒ると怖いけどいつも優しくて頼りになって…私の憧れの人でした。 お酒ばかり飲まないで少しは牛乳も飲まないとず~っとおっぱい大きくならないよ?あと怒りっぽいと男の子から嫌われるよ~。 私…立派な宇宙飛行士だったかな?私の翼はちゃんと飛べたよね? …きっとライカ教官なら澄ました顔で『まだまだだな』って言うんだろうな~。じゃあ、このメッセージが届くころには少しはおっぱいが大きくなる事を祈ってます。 ライカ教官…訓練、ありがとうございました。」 「ベリヤ博士…いえ、『あなた』。あなたを置いて先に逝く事を許してください。あなたと添い遂げる事は叶いませんが私は幸せでいっぱいです。 あの雪のモスクワで会って、家族というものを知って、私はたくさん愛されてきました。ほんとうに…ほんとうに、あなたの事は大好きです。 私の翼は見えましたか?あなたに見てもらえたならこれ以上うれしいことはありません。 私は白い、白い大きな翼で誰も知らない高みへと辿り着くことができました。 誰よりも遠くに行っても、あなたはその青く美しい星から笑顔を見せてほしい。私はたくさんの思い出と、あなたの笑顔があれば寂しくなんてないから。 だからいつまでも笑顔でいてね!」 「そして…愛する私の子、ストレルカへ。あなたの顔を見る事も、腕に抱くことも、温もりを与えることもできなかったお母さんを許して。 あなたは驚くかもしれませんが…あなたのお父さんと、私の間に子供を成すには時間が足りませんでした。 しかし私の卵子があれば、いつか必ずあなたを誕生させることができると言ってました。 あの人の事ですから…きっとあなたはこの世に生を受けてるのでしょう。男の子か女の子か分からないけど、きっと元気な子なのだと思います。 もしかしたら結婚してるのかもしれないなあ…あなたに会えないのはとても残念です。 私はあなたに愛情を注ぐことはできないけど、あなたのお父さんがきっとたくさん愛してくれると思います。 私から送れるものは少ないけれど…あなたがずっと幸せでいられるように…子守唄を送ります。」 しばらく間を置いて流れてきたのは…子供のころよく父から聞かされた歌だった。 今 私の願いごとが かなうならば 翼が欲しい この背中に 鳥のように 白い翼 付けてください この大空に 翼をひろげ 飛んで行きたいよ 悲しみの無い 自由な空へ 翼はためかせ 行きたい この大空に 翼をひろげ 飛んで行きたいよ 悲しみの無い 自由な空へ 翼はためかせ 行きたい ラジオから、テレビから、開け放った窓から子守唄は聞こえてくる。この星が歌ってるかのように…。 空を見上げると真っ赤な流れ星が一つ、ゆっくりと流れていた。 「ただいま…」 最後に母は安堵したかのように優しい声でそう告げた。 2007年11月10 19時00分 スプートニク2号 大気圏再突入 消滅 その日、僕は夢を見た。僕はモスクワ市内で制服を着て、花束を抱えてどこかを目指し歩いていた。 空はとてもきれいな青で白い大きな鳥が空を飛んでいた。通りを歩く人たちは誰しもが嬉しそうで、みんな幸せな顔をしていた。 僕はふと教会の前で立ち止まる。ああそうか、結婚式を挙げてるんだ。 教会の階段を降りてくる新郎と純白のウエディングドレスを纏った新婦はとても嬉しそうに笑っている。 アルビナさんが、ムーシカさんが、ライカ教官が、ロケットに関わったみんなが二人の門出を笑顔で祝っている。 なんだか僕まで嬉しくなってしまってしまい、二人を祝った。 二人に花束を贈ると新婦は「ありがとー!」と言って受け取り、新郎は恥ずかしそうに笑った。 そうか、これは夢。ふたりの目指した夢…。 突然周りが真っ白な光に包まれて、僕が気づいたときは見渡す限りの草原になっていた。 僕の前には男の人と女の人が立っていて、彼女の腕には小さな赤ん坊が抱かれていた。 二人は僕に気付くと笑顔を向けた。その笑顔は僕もよく知っている顔で、赤ん坊が誰かも分かった。 「あれは…僕…。」 赤ん坊は母の腕の中で幼児ほどの大きさになり、母は草の上に降ろした。 僕の方へ歩を進める幼児は少年へ、少年は青年へと成長し…そして"僕の中"で僕になった。 「お母さん…お母さ~ん!」 僕は母に駆け寄り、抱き締めた。母は何も言わずに僕の頭をそっと撫でてくれた。長い間、僕を撫でてくれた。 「お母さん…お母さん…ひっぐ…お母さん…」 泣きじゃくる僕を撫でる母の手は温かくて、僕は嬉しくて泣いた。 「お母さん、これ…」 僕は胸から外した『第一級国家勲章』を差し出す。本当にこれを授与されるべきの人に渡すべきだと思ったからだ。 母は黙って首を振り、代わりに僕の差し出した手の上に手を重ねる。その薬指には父と同じ結婚指輪が輝いていた。 その手が僕の手を握り締める。 勲章より大切なもの… 最初で最後の母の言葉。母はどこまでも優しくて、どこまでも幸せそうな笑顔で僕に言った。 「生まれてきてくれて、ありがとう」 その後、ストレルカはムーシカと結婚した。 ムーシカが老衰で亡くなる時も一緒に過ごし、彼も後を追うようにこの世を去った。 二人ともとても安らかに眠った。 アルビナ大佐はリャザン空挺学校に並立された宇宙軍宇宙飛行士訓練学校の教官を経た後、軍を除隊。人と人ならざる者の和平を説く。 後に建国される全ての人ならざる者の祖国「空」初代大統領に就任し、『建国の母』と言われる。 「翼をください」は国歌に制定される。 これは、初めて宇宙に飛び立った小さな犬の獣人の話である…。 ロシア連邦宇宙軍総司令官 アレイシア・ライカ大将
いつか見た青空にそびえ立つ白い巨塔…重力を振り切り、母なる地球を離れる天上の舟。 ロケットの先端に取り付けられた衛星はただ黙って空の先を見据えている。 ライカ教官以下クドリャフカを始めとする訓練生達もソビエト空軍の制服に身を包んで記念式典に参加していた。 俺は軍属とはいえ正規軍ではないから制服は持っていないし、式典などという堅苦しいのも性には合わない… ってなわけでサボりつつ遠くから軍の将官や中央政府、党の高官と共に壇上に立っているダボダボの制服に“着られている”クドを笑いをこらえながら眺めていた。 「あちゃー…ありゃ見てられねーわ。ガッチガチじゃないか。おいおい歩き方が…あっ、ころんだ」 「うぅ…緊張したよぉ…こけちゃったし」 その日の晩、俺の部屋の机につっぷしてふてくされるクドと共に尻尾も耳も力無く倒されている。 壁に掛けた制服の胸には今日の式典で授与されたばかりの“宇宙飛行士”徽章、 肩には真新しい空軍大尉の階級章が輝いている。 「そう落ち込むな。すごいじゃないか、訓練生からいきなり大尉か…私なんて最初は地上軍二等兵からだったぞ? それに宇宙飛行士徽章も授与されたのはお前が最初だ。訓練教官として誇りに思うよ。」 ウォッカを片手に赤い顔をした少佐はご機嫌な様子だ。 「あら、もうお酒だなんて…少佐は相変わらずですわね。 お酒より牛乳を飲まれた方が一部の部位のためにもよろしくてよ?」 ムーシカがいつもと変わらない調子で危なっかしい事を言いながら部屋に入ってきた。 そろそろこの2人が顔を出すだろうと思っていたが… 「クードー♪任官おめでとー!」 ドタドタと騒々しい音を立てながら両手いっぱいに酒を抱えたアルビナが部屋に飛び込んできて、クドに飛びついて頬ずりをしている。 「わふ~、お姉ちゃん恥ずかしいよ~!」 アルビナの胸に顔を埋めたまま苦しそうに笑うクドを見ながら、俺はどこか懐かしい気持ちでいっぱいになった。 「うりうり~♪今日はクドのお祝いパーティーだよー!もうそろそろ来るはずだけど…。」 噂をすればなんとやらで、数十人もの人間がドカドカとなだれ込んでくる。 ―――くおら!ワルガキはここかぁ!? ―――クドリャフカ、お前も立派になったなあ。―――僕、実は君のことが好きでした! ―――クドたんの制服ハァハァ。 ―――きゃー♪クドちゃんかわいい! ―――クドちゃん、明日はがんばってね! ―――イルクーツクの妖精みたい… ―――お持ち帰りしたいな~♪ エンジン技師から通信士、看護婦に果てはパイロットと、散々クドリャフカに煮え湯を飲まされた面々が口々に彼女にお祝いの言葉をかける。 「よひ…パーティーの準備はととのっらようらな?全軍パーティー会場に突撃ぃ~!」 ろれつの回らないまま、片手にウォッカのビンを持った少佐が走っていった。 「やれやれ、いっちょ祝ってやるか!今日はお前が主役だクド!」 皆で歌って、騒いで、笑って…そして簡素ながら俺とクド、二人の式が行われた。 少佐曰くバレバレだったらしい。苦笑いする俺の隣ではクドが真っ赤な顔して腕を振り回して騒いでいた。 1957年11月2日1800時 スプートニク打ち上げ前夜 夢… 私はモスクワの小さな裏通り、背中を丸めて独りぼっちで眠っていた。とても、とても長い間…。 他には誰もいない。両親も知らない。 心にはなにもなくて、私の世界には私以外いなくて、私は自分の心の中に閉じ込められていた。 ある日、一人の男の人が私に手を差し伸べこう言った。 「Как вас зовут?(名前は?)」 名前ってなんだろう?私には分からなかった。 その男の人はしばらく黙り込むと何かをひらめいたように明るい笑顔を向けて 「じゃあ、その巻き毛から名前を取って…Кудрявка(クドリャフカ)でどう?」 クドリャフカ…私はなにか嬉しくなって彼の手を取る。とても温かくて…優しい手だった。 深々と雪の降る夜、私は彼の家族になった。 翌朝、俺はどこからか聞こえる歌で目を覚ました。 「この大空に翼を広げ飛んで行きたいよ 悲しみのない自由な空へ翼はためかせ行きたい…」 それは子守唄のようにも、秘められた思いを綴る詩のようにも聞こえる歌だった。 「クド…それは?」 「博士おはよ…って、今は『あなた』だね。この歌は『翼をください』といって私たち人とは違う種族に古くから伝わる歌なの。 自由を願う歌…どんなに辛くても、どんなに困難でも、自分の持つ翼を信じて歌い続けるの。」 そういってクドは笑った。 有史以来、人の奴隷として扱われ、戦争の道具として戦い、幾度となく虐殺され、それでも種族の誇りを失わない彼らの歌。 嘆きと絶望を捨て、希望を信じるその歌はクドの心の叫びのようにも聞こえた。 「あなた。私、あなたの…そしてみんなの『翼』で空に行く。遥かな空に白い翼をはためかせて…。」 クドは俺にそっと唇を重ねて「愛してます」と言って微笑み、俺も「愛してるよ」と言って抱きしめた。 それが俺に残る最後のクドの温もりと、地球で交わした最後の言葉だった。 白い鳥が飛んでいる…長い尾を曳き、陽光に白い翼を輝かせ、天を目指して昇っていく。 雲ひとつない青空を飛んでいく翼を彼はずっと見送っていた。 スプートニク2号が衛星軌道に達した時、衛星からの通信で自力での大気圏再突入が不可能な事を飛行士から告げられた。 彼女は身動き一つとれない船内から懸命に報告を続け、地球の周回数は60回を超えた。 11月8日、彼女は「ベリヤ博士と二人きりで話をしたい。」と弱々しい声で言った。 管制室の全ての者がベリヤ博士を残して外へ行き、通信記録もオフにされた。 時間にして10分ほどだろうか…その間、彼女と博士が何を話したのかは誰にも分からない。 1957年11月8日金曜日18時37分、彼女は眠るように息を引き取った。 50年前、大気圏再突入が不可能と知った軍はこの計画に関わった者全てに緘口令を敷いた。 西側に与えたスプートニク・ショックは予想外に大きくこのまま事実を公表したのでは後に控えるボストーク計画にも支障をきたすとして、スプートニク2号は「ソビエトに輝く星」として世界に発表された。 そして年月は流れ、ソビエトにペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)の嵐が巻き起こった。 その最中公表された事実は「スプートニク2号はデータの収集には成功したものの、大気圏再突入は失敗した」というものだった。 その後、騒乱の中ソビエト連邦は解体。凍結されていたスプートニク計画が再開されるまでこの後10年余りを経る事になる。 「―――こちらスプートニク6号。obj固定完了、これより作業を開始する。」 衛星内の空気の逆流に気を付けながらスプートニク2号のハッチを開く。驚くことに、スプートニク2号の蓄電池はまだ生きていた。 僕が船内に入ると共に船内燈が淡い光をともした。海のように優しい青の光に包まれて、50年前と変わらない姿で"彼女"はいた。 彼女はぼろぼろの気密服を着て、唯一取り付けられた小さな丸窓を向いて座っていた。 透き通るような肌も、雪のように真っ白な髪、獣人の特徴である耳や尻尾も、全てが今にも動き出しそうなくらいに美しいままだった。 僕は彼女の手を取り、手袋を外して父から頼まれた指輪を彼女の薬指に通した。 父は彼女のことが好きだったのだろうか…昔のことを何も話さなかった父が亡くなった今となっては知る由も無かった。 「…よし。これでいけるはずだ。管制センター、作業完了。これより母船に戻る。」 大気圏再突入は7日後、モスクワの直上で消失する。彼女の長い長い任務もようやく終わるのだ。 そして地上に帰還するなり世界各国の報道機関によるインタビューが僕を待っていた。 スプートニク・ショックの真実は世界中が求める格好のネタなのだろうが適当にあしらっておく。 翌日、僕は大統領閣下から『第一級国家勲章』を授与され、壮大なパーティーに出席して数え切れないぐらいの人と握手をした。 第一級国家勲章はかのガガーリンを始め、"人間の"宇宙飛行士のみに授与されるものだった。 スプートニク2号が再突入する日は朝からモスクワ市内はお祭り騒ぎだったけど、僕は何をするでもなく自分のアパートの窓から透き通った青空を眺めていた。 軋む床、壊れたシャワー、映りの悪いテレビ。これらは僕が父に拾われる前、父が"家族たち"と共に住んでいた時かららしい。 予定では1900時に再突入する。テレビを付けてもラジオを付けてもそのニュースで持ちきりだった。 夕闇の訪れと共に一番星が輝き、街は彼女の帰還を待っているかのように静まり返っていた。アルビナさんやムーシカさん、当時の訓練教官も今日は街に訪れているらしい。皆が彼女の帰りを待っていた。 時計を見ると1830を過ぎたころで、空は満天の星空に包まれていた。 「こち…クド…フカ」 なんだろう?途切れ途切れに声が聞こえる。 「こ…らスプ…トニク2号」 ラジオからも、テレビからも聞こえてくる声は段々と明瞭になってくる…。 「こちら…クドリャフカ…皆さま…聞こえますか?」 「私の…音声が流されているということは…この衛星が再突入軌道に入ったということでしょうか…きっと、そうなんですね」 これは…!? 「この音声は1957年11月8日金曜日に録った私の…最後の言葉です。そして私が愛する人に…送る言葉です。」 「アルビナお姉ちゃん、ムーシカお姉ちゃん。どうか悲しまないでください。私はお姉ちゃんたち…いえ、皆の思いを叶えることができたんだよ! 宇宙から見る星は宝石のようにピカピカと光ってきれいだよ。持って帰りたいぐらいにねっ♪お月様もほんとにきれい。 でもね、一番きれいなのはね…私たちの住む地球なんだよ!青くてまんまるで…お姉ちゃんたちにも見せてあげたいな~…。 私、自分の住む星が一番きれいだなんて感動しちゃった。 私はこんなにきれいな世界を見れたんだもの。ちっとも怖くなんてないから大丈夫!お姉ちゃんたちも元気でねっ」 「ライカ教官、いつも怒らせてばかりでごめんなさい。ライカ教官は怒ると怖いけどいつも優しくて頼りになって…私の憧れの人でした。 お酒ばかり飲まないで少しは牛乳も飲まないとず~っとおっぱい大きくならないよ?あと怒りっぽいと男の子から嫌われるよ~。 私…立派な宇宙飛行士だったかな?私の翼はちゃんと飛べたよね? …きっとライカ教官なら澄ました顔で『まだまだだな』って言うんだろうな~。じゃあ、このメッセージが届くころには少しはおっぱいが大きくなる事を祈ってます。 ライカ教官…訓練、ありがとうございました。」 「ベリヤ博士…いえ、『あなた』。あなたを置いて先に逝く事を許してください。あなたと添い遂げる事は叶いませんが私は幸せでいっぱいです。 あの雪のモスクワで会って、家族というものを知って、私はたくさん愛されてきました。ほんとうに…ほんとうに、あなたの事は大好きです。 私の翼は見えましたか?あなたに見てもらえたならこれ以上うれしいことはありません。 私は白い、白い大きな翼で誰も知らない高みへと辿り着くことができました。 誰よりも遠くに行っても、あなたはその青く美しい星から笑顔を見せてほしい。私はたくさんの思い出と、あなたの笑顔があれば寂しくなんてないから。 だからいつまでも笑顔でいてね!」 「そして…愛する私の子、ストレルカへ。あなたの顔を見る事も、腕に抱くことも、温もりを与えることもできなかったお母さんを許して。 あなたは驚くかもしれませんが…あなたのお父さんと、私の間に子供を成すには時間が足りませんでした。 しかし私の卵子があれば、いつか必ずあなたを誕生させることができると言ってました。 あの人の事ですから…きっとあなたはこの世に生を受けてるのでしょう。男の子か女の子か分からないけど、きっと元気な子なのだと思います。 もしかしたら結婚してるのかもしれないなあ…あなたに会えないのはとても残念です。 私はあなたに愛情を注ぐことはできないけど、あなたのお父さんがきっとたくさん愛してくれると思います。 私から送れるものは少ないけれど…あなたがずっと幸せでいられるように…子守唄を送ります。」 しばらく間を置いて流れてきたのは…子供のころよく父から聞かされた歌だった。 今 私の願いごとが かなうならば 翼が欲しい この背中に 鳥のように 白い翼 付けてください この大空に 翼をひろげ 飛んで行きたいよ 悲しみの無い 自由な空へ 翼はためかせ 行きたい この大空に 翼をひろげ 飛んで行きたいよ 悲しみの無い 自由な空へ 翼はためかせ 行きたい ラジオから、テレビから、開け放った窓から子守唄は聞こえてくる。この星が歌ってるかのように…。 空を見上げると真っ赤な流れ星が一つ、ゆっくりと流れていた。 「ただいま…」 最後に母は安堵したかのように優しい声でそう告げた。 2007年11月10 19時00分 スプートニク2号 大気圏再突入 消滅 その日、僕は夢を見た。僕はモスクワ市内で制服を着て、花束を抱えてどこかを目指し歩いていた。 空はとてもきれいな青で白い大きな鳥が空を飛んでいた。通りを歩く人たちは誰しもが嬉しそうで、みんな幸せな顔をしていた。 僕はふと教会の前で立ち止まる。ああそうか、結婚式を挙げてるんだ。 教会の階段を降りてくる新郎と純白のウエディングドレスを纏った新婦はとても嬉しそうに笑っている。 アルビナさんが、ムーシカさんが、ライカ教官が、ロケットに関わったみんなが二人の門出を笑顔で祝っている。 なんだか僕まで嬉しくなってしまってしまい、二人を祝った。 二人に花束を贈ると新婦は「ありがとー!」と言って受け取り、新郎は恥ずかしそうに笑った。 そうか、これは夢。ふたりの目指した夢…。 突然周りが真っ白な光に包まれて、僕が気づいたときは見渡す限りの草原になっていた。 僕の前には男の人と女の人が立っていて、彼女の腕には小さな赤ん坊が抱かれていた。 二人は僕に気付くと笑顔を向けた。その笑顔は僕もよく知っている顔で、赤ん坊が誰かも分かった。 「あれは…僕…。」 赤ん坊は母の腕の中で幼児ほどの大きさになり、母は草の上に降ろした。 僕の方へ歩を進める幼児は少年へ、少年は青年へと成長し…そして"僕の中"で僕になった。 「お母さん…お母さ~ん!」 僕は母に駆け寄り、抱き締めた。母は何も言わずに僕の頭をそっと撫でてくれた。長い間、僕を撫でてくれた。 「お母さん…お母さん…ひっぐ…お母さん…」 泣きじゃくる僕を撫でる母の手は温かくて、僕は嬉しくて泣いた。 「お母さん、これ…」 僕は胸から外した『第一級国家勲章』を差し出す。本当にこれを授与されるべきの人に渡すべきだと思ったからだ。 母は黙って首を振り、代わりに僕の差し出した手の上に手を重ねる。その薬指には父と同じ結婚指輪が輝いていた。 その手が僕の手を握り締める。 勲章より大切なもの… 最初で最後の母の言葉。母はどこまでも優しくて…どこまでも幸せそうな笑顔で僕に言った。 「生まれてきてくれて、ありがとう」 その後、ストレルカはムーシカと結婚した。 ムーシカが老衰で亡くなる時も一緒に過ごし、彼も後を追うようにこの世を去った。 アルビナ大佐はリャザン空挺学校に並設された宇宙軍宇宙飛行士訓練学校の教官を経た後、軍を除隊。人と人ならざる者の和平を説く。 後に建国される全ての人ならざる者の祖国「空」初代大統領に就任し、『建国の母』と言われる。 「翼をください」は国歌に制定される。 これは、初めて宇宙に飛び立った小さな犬の獣人の話である…。 ロシア連邦宇宙軍総司令官 アレイシア・ライカ大将

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