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「ご馳走様でした」 「はいはい、お粗末さまです」 ちゃぶ台の上には、綺麗さっぱり食べつくされて空っぽになった食器類。 倫太郎はそれらをまとめて流しへ持っていき、洗い物を片付け始めた。 「倫、茶を貰っていくぞ」 「どうぞー」 倫太郎の足元を、ちゃかちゃかと月子が爪を鳴らしながらすり抜けていく。 倫太郎の下宿は貧乏学生にしてはそこそこ広く、トイレ風呂も別、台所もしっかりした造りだ。 その理由は、大学から少々距離があるため、何より地下鉄の駅が遠いためだ。 脇にある冷蔵庫を開けて顔を突っ込む月子。ペットボトルに入った作り置きの麦茶をくわえて部屋に戻っていく。が―― 「まてい」 ふみっ 「きゃんっ! ふ、踏んだなっ、我の尻尾を踏んだな!!」 突然の暴挙に月子が非難の声を上げる。 しかし倫太郎はどこ吹く風、半眼で床に転がっている物体を指差す。 そこにはお茶のペットと――ハーゲンダッヅ。 「1日1個って決めたよね? てか、『1日1個で良いから食わせろ』って言ったの月子さんだよね? つか、いつの間に出したの」 「う……今日はまだ1個目だ」 「今朝ゴミ出したばかりだから、ゴミ箱調べればすぐわかるよ?」 倫太郎は転がったダッヅを拾い、冷凍庫に戻した。 「……まったく、倫は姑か? 細かいことまで気にしおって」 「月子さんがアバウトなんで、それぐらいでちょうど良いんですよ」 「ふん」 悪態をつく月子だが、どう見ても負け犬の遠吠え。結局お茶のペットもそのままに部屋に戻っていった。 やれやれ、とため息をつきながらお茶もしまい、倫太郎は洗い物を再開した。 (月子さん、自分の三大欲求にはものすごく正直だもんなあ。でも、何だかんだで実力行使には出ない……訳でもないか) 人狼族たる月子の身体能力は、倫太郎が逆立ちしてもかなうものではない。 だが、彼女が我を通すために腕力に訴えたことは皆無だ――三大欲求の“性欲”を満たす為を除いて。 (まあ、傷をつけるようなことはしないけどさ。縄のあとは残ったけど) 最後の茶碗をすすぎ、濡れた手をぬぐう。 部屋をのぞくと、月子はまだへそを曲げていた。彼女専用の座布団の上で、あられもない格好で不貞寝をしている。 倫太郎は先ほど冷凍庫に入れたダッヅとスプーンを取り出し、部屋へ戻った。 「――倫太郎、それは何だ?」 倫太郎の手にあるダッヅを目ざとく発見し、うなるように問いかける月子。 「我には禁じておきながら、自分だけダッヅを楽しむ気か!」 「僕は今日まだ1個目ー」 ぺりぺりと封を開ける。 「うぅ、わざわざ我の目の前で食べなくとも……」 「台所で食えとおっしゃいますか。それじゃ、いただきまーす」 世界で愛されている、アイスクリームの最高級ブランド、ハーゲンダッヅ。月子はダッヅが大の好物である。 倫太郎に近づき、懇願のまなざしで倫太郎の口に運ばれ、胃に消えていくダッヅを見つめる。 「……ちょっと月子さん、そんなに見られると食べにくいんですけど」 「な、はんぶんだけ、はんぶんだけ譲ってくれまいか?」 「ダメー」 「頼む、たーのーむー」 「駄々こねないで下さいよ。ちょっ、まとわりつかないで!」 それでも駄目だと悟ると、月子は攻め手を変えた。月子のダッヅに対する執着心は半端ではない。 ふわりと人に姿を変え、小首を傾げ、潤んだ瞳で見つめる。 頭の獣耳をぺたりと寝かせて、普段の意志の強そうなまなざしとは打って変わった、脆く、儚い表情。 そのギャップがなんとも倫太郎の劣情を掻き立ててくる――えっちの時でさえ、こんな艶っぽい表情はしないのに。 うろたえている倫太郎に月子は、とどめとばかりに己の両手を倫太郎のスプーンを持つ手に添え、きゅ、と握り締める。もちろん、視線はしっかりと倫太郎を捉えたまま。 ぐらぐらと煩悩に揺られる倫太郎。その様子を見て取った月子は、 「お願いだ、倫太郎」 少し甘えた感じの、男心をくすぐる駄目押しの一言。 「……半分だけね」 「やたっ」 結局折れたのは倫太郎だった。 月子は半分残されたプリンの容器とスプーンを奪うように受け取り、一欠けらずつ大事に味わっていく。 勿論、先ほどの儚げな様子は影も形もない。 「……はぁ」 嬉々とした表情の月子を眺めながら、色んな感情の混じったため息をつく倫太郎。 尾をぱたぱたと揺らし、一口ずつ大事そうにプリンを食べる月子を眺めながら、改めて彼女の食欲に恐れ入った。 「ご馳走様でした」 至福の表情で手を合わせる月子。そのまま彼女はころん、と横になった。 「ちょいと月子さん、スプーンを流しに持っていくとかぐらいして下さいよ」 いそいそとスプーンと空容器を片付けながら小言をこぼすが、 「……倫、そのせりふはまんま姑だぞ?」 「うぐっ」 上手いこと切り返され、ぐうの音も出ない倫太郎であった。 (月子さんがナマケモノ化してる) 台所から部屋に戻った倫太郎は、人の姿のまま枕を抱え、ベッドの上でのんべんだらりと横になっている月子の姿を見て、彼女の生活態度を真剣に危惧した。 (ぶっちゃけて言ってしまうと……) 「月子さん……」 月子の脇に腰掛け、彼女の腰に手を伸ばす。人とは違い毛皮に覆われてはいるが、毛皮越しにでも彼女の健康的な腰の肉つきが伝わってくる。 「倫から誘ってくるとは、珍しいな。ダッヅのかわりにやらせろ、か? 我は構わないぞ」 眠そうに細められていた月子の瞳に輝きがともる。きらきら、ではなく、ぎらぎら、だが。 倫太郎は無言のまま、今度は月子の頬に手を伸ばした。 なだらかな曲線を描く顎から頬へのラインをなぞり、人間ならば耳のあるあたりを撫で付ける。 「……ん、どうしたんだ、やたら積極的ではないか」 普段は自らが主導権を握り、主に騎乗位で交わっている月子。真剣な眼差しで覆いかぶさってくる倫太郎に動揺を隠せない。 ぎらぎら、から、うるうる、に変わった月子を尻目に、倫太郎は彼女の腹部にも手を伸ばす。 鳩尾の下あたりから、感触を確かめるように、ゆっくりと下腹部へ。 「ふぁ、や、やめろ、倫。そんな……だめだ」 嫌よ嫌よも――な状態になってしまった月子。熱の篭った吐息をつきながら、“倫太郎にされる”という初めての体験を今か今かと待ちわびている。 が。 「月子さん。……太りましたね」 半眼で告げる倫太郎。 (フトリマシタネ……太った、我が?) 思いもよらない言葉をかけられ、一瞬思考が停止する。 状況を飲み込めず呆けている月子の様子を見て、倫太郎は客観的な証拠を突きつける。 つまり、お腹の贅肉をつまんだのだ。 「毛皮に隠れてわからなかったけど、相当太ったんじゃないですか? そういえばうちに来てから全然運動してないですよね」 「……こ……」 「そりゃあホイホイ食べ物出してた僕も悪かったですけど、月子さんももう少し食生活の見直しを……」 「……この……」 「見直しを……月子さん?」 顔を引きつらせている月子に、流石に冗談が過ぎたかな、と背筋を凍らせる倫太郎。 どうにか上手いこと言いくるめようと、倫太郎が口を開いたその瞬間。 「――こンの木石漢が」 底冷えするような月子の一言とともに、ぐりんっ、と倫太郎の視界がぶれた。 倫太郎には何がどうなったのかさっぱりわからなかったが、月子は腕力に物をいわせ、一瞬で倫太郎を組み伏せたのだ。 しこたま背中を打ち、といってもベッドの上であったからさほどの痛みはなかったが、ちょうど喋ろうと息を出しかけていた為、肺の空気が衝撃で搾り出されてしまった。 必死に空気を取り入れようとするも、容赦なく月子の口付けが襲った。 「ん、んーっ、んんっ」 必死に抵抗するも、頭を押さえつけ鼻をつまみ、いつも以上に深いディープキスに熱中する月子は意に介しない。 いい加減酸欠で意識が遠のいたあたりで、やっと倫太郎を解放する月子。 「思い知ったか、倫。乙女の純情をもてあそびおって」 倫太郎からしたら突っ込みどころが満載の言葉だが、酸素の取り込みで一杯一杯は彼はそれどころではない。 「我が太った、か。確かに、多少、少しくらいは、ちょっとばかし、些細にではあるが、贅肉が増えたと認めないことはない」 「……ぃや、どぅみても、ふとっ」 息も絶え絶えながら反論する倫太郎を腕力で黙らせる。 「都会の劣悪な住宅条件で十分な運動量を確保するのは困難であるからな。ここはやはり室内でも出来る運動を――」 「ぷはっ、運動器具っ! 何か運動器具かってくるからっ」 「――室内でも、安上がりで、手軽に、出来る運動をせねばな。協力しろ、倫」 「僕にしたら手軽でも何でもないからっ!」 渾身の力で自分の口をふさぐ月子の腕をはねのけた倫太郎だが、倫太郎の抗議などどこ吹く風の月子。 「泣いても許してやらないからな。覚悟しろ」 月子は必死に抵抗する倫太郎の手をあっさりと捕まえ、ベッドの脇に詰まれた洗濯物の山から1枚タオルを取り出し、両手首をベッドのフレームに固定する。 「邪魔なものを取り除かなくてはな」 倫太郎の着ている部屋用Tシャツの襟に爪をかけ、一気に裾まで引き裂く。 「いたたっ、ちょっ、皮膚も切れてるって!」 「ああ、これはすまない、倫が大人しくしないせいだな」 「絶対わざとでしょっ! 月子さん口元笑ってますよ!?」 「自分のせいなのに我に押し付けるとは、今日の倫は酷いな。我は酷く傷ついた」 何だか色々喚いている倫はいい加減無視し、彼の中心に引かれた引っかき傷に口を寄せ、じんわり浮いてきた血液を舐め取る。 割と細めの腹部から胸元まで、血を舐め取るというよりむしろ唾液を塗りこむかのように、熱心に舌を這わせる。 「……久し振りの血の味。たまには生肉が喰いたいな」 月子にしたらなんともなしに漏らした言葉だったが、倫太郎は盛大に顔を引きつらせた。 (――そういう反応は、傷つく) 倫を牙にかけるわけないのに。 倫太郎の反応は、深く静かに、月子の心に響いた。 さざ波の立つ感情を振り払い、月子は倫太郎を責めることに専念することにした。 今度は彼の乳首を舌で転がし、もう片方を指でこね、ジャージの上から彼の陰茎に自分の腰を押し付ける。 「ちょ、そんないっぺんに……ひぁっ」 倫太郎お構い無しの、一方的な愛撫。 (――思えば、我は倫と一方的な交わりしかしたことがない) ジャージとトランクスを無理矢理引き摺り下ろし、律儀に硬くなっている倫太郎の陰茎を太ももに挟んで擦り上げる。 「我の運動なんだから、せいぜい長持ちさせよ」 月子の中はまだ十分に濡れていなかったが、月子は何かに憑かれたように倫太郎の剛直を己の中に埋め込んだ。 「うあっ……きつ……」 もともと月子の膣は良く締まる小さめな具合だ。十分な湿度を持たない其処は、入れる側入れられる側の双方に負担を強いた。 「ふ――んっ、これくらいで泣き言か。軟弱者め」 月子自身も相当辛いが、やせ我慢して倫太郎をなじり、強引に上下運動を開始する。 「つきこさっ、むり、むりだってっ」 膣の具合よりも倫太郎の声を聞く方が辛くなった月子は、枕を抜き取り倫太郎の顔に押し付け、黙らせた。 「黙って動かせ。このバカチンが」 2人の接合部はようやく十分な湿り気を帯びてきた。感情的な高まりの為、というより、生理的な反応の為ではあるが。 嫌な感情を振り払うかのように、必死に腰を振る月子。 じゅぷ、じゅぷ、という水音が、部屋に響く。 (こんなの――) 枕の下でくぐもった声を出すのみの倫太郎。 倫太郎の上でただ腰を振るだけの月子。 (こんなの、自慰と変わらないではないか) 2人は機械的な動きを繰り返し、ただ時間のみが過ぎていった。 「ん゛ー……」 月子が朝起きてみると、時計は既に昼過ぎを指していた。 ベッドの上で布団に包まり、枕を抱えたまま。意識が戻ってからかれこれ10分ほど。 結局昨夜は何時に寝たかはわからない。気づいたらもうひるすぎで、そして―― 「――りんがいない」 ベッドは月子1人だった。 時計がもう5分ほど進んだあたりで、のろのろとベッドから這い出る。 「……そうだ、大学か。大学に行ってるんだな」 今日は日曜。勿論月子は知っている。知っているが、呪文のように「りんはだいがく」を繰り返す。 おぼつかない足取りで台所へ出て、流しに頭を突っ込んで蛇口をひねる。 段々クリアになる思考。 「りんがいない……りんがいない、倫がいない!」 濡れた髪もそのままに、台所に座り込む。 (倫に捨てられた) 「何を今更、ここに来る前までだって、1人だったじゃないか」 (倫に愛想をつかされた) 「また1人になるだけ。適当な小動物を狩って、1人で生きていけばいい」 (倫に、倫が、……) 「……倫」 (倫がいない) 「りん……りんたろぉ」 膝を抱え、微かに嗚咽を漏らす。 彼女に言葉を返す者はもちろん誰も居ない。 狭いワンルームの下宿が、今の月子には牢獄のように感じられた。 「ただいまー、月子さん、起きてますかー?」 不意に玄関が開き、懐かしい声がかけられる。 「りん……?」 「もう昼過ぎですし、ご飯何に……って、どうしたんですか!?」 尋常でない様子の月子に気づき、思わず駆け寄る倫太郎。 「あーもーこんな濡れ鼠になって。ほら、これで頭拭いて」 洗濯機の上に積んであるバスタオルを1枚取り、月子の頭にかけてわしわしと拭いてやる。 月子は放心状態で、倫太郎にされるがまま。 「ほら月子さん、立って、部屋に戻りましょう」 「……うん」 しおらしく返事をし、倫太郎に言われるまま部屋に戻る。 「お昼ご飯、何にします? 昨日の残りのご飯もあるし、パスタもありますよ?」 「……倫のごはんなら、何でも」 「……月子さん?」 倫太郎が月子の前でぱたぱたと手を振っても反応がない。 「あー、その、すみませんでした、黙って外出してしまって。月子さん、ゆすっても全然起きなかったんで」 なおも反応なく、ぼんやりと倫太郎を眺める月子。 「あの、ちょっと買い物行ってきました。ほら、これ、見てくださいよ」 あまりにも無反応な月子の反応に、倫太郎は焦りながら言葉をつなげる。 「チョーカーですチョーカー。決して首輪ではないですよ? ほら、ムーンストーンのペンダントですよ。月子さんにムーンストーンって安直かなとも思ったんですけど、とっても綺麗なんですよ」 紙袋から買ったばかりのチョーカーを取り出し、月子に見せる。 茶色の革の組み紐に、乳白色だけど角度によって青白く光る石をあしらったペンダントトップ。 「ほら、後ろ向いてください。つけてあげますよ」 月子が後ろを向くより先にそそくさと後ろに回りこむ倫太郎。 まだ湿り気の残る髪をかきわけ、金具をとめる。 「人の姿は無理がありますけど、狼の姿になれば結構誤魔化せると思いますよ。まあちょっとばかし大柄ですけど、首輪、じゃない、チョーカーつけてれば飼い犬っぽく見えると思いますし」 引き出しから手鏡を取り出し、開いて月子に渡す。 無表情で鏡を受け取り、自分の首に掛かる革紐と石を眺める。 「あの……気に入りませんでした?」 おずおずと聞いてくる倫太郎。 そんな倫太郎の方へ、のろのろと振り向く月子。 「……倫」 「ももちろんアレですよ!? 月子さんに首輪をかけてつなげようとか、そーいう意図じゃなくて、月子さんが自由に出歩けるための本音と建前といいますか……」 「倫っ!」 「うわととっ」 勢い良く倫太郎に飛びつく。不意に抱きつかれた倫太郎は月子を支えきれず、傍目では月子が倫太郎を押し倒したかのように2人で倒れこんだ。 「倫、倫、あなたは、世界で一番良い男だ」 「ど、どうしたんですか急に」 「それなのに、我ときたら……」 「月子さん……泣いてるんですか?」 倫太郎の問いには答えず、月子はつよく彼の胸板に抱きついた。 「倫、すまなかった。昨日みたいなことは、もうしない」 「別に気にしてませんから、大丈夫ですよ。そりゃ、毎日あんなのはしんどいですけど、今までどおりくらいなら大丈夫ですから」 「ん」 「さ、とりあえずシャワー浴びましょう? その間にご飯作りますから。何が良いですか?」 「……何でも。強いて言うなら、米の気分だ」 「じゃあ親子丼にしましょう。卵が余ってましたし」 「うん」 「ささ、シャワー浴びてさっぱりしてきてください。ちゃんとチョーカーははずして浴びて下さいね」 「倫」 「はい、んっ」 月子からのキス。ただ触れ合うだけの、けれど思いのこもった口付け。 「やはり、倫は良い男だ」 「……何度も言わないで下さい、恥ずかしい」
「ご馳走様でした」 「はいはい、お粗末さまです」 ちゃぶ台の上には、綺麗さっぱり食べつくされて空っぽになった食器類。 倫太郎はそれらをまとめて流しへ持っていき、洗い物を片付け始めた。 「倫、茶を貰っていくぞ」 「どうぞー」 倫太郎の足元を、ちゃかちゃかと月子が爪を鳴らしながらすり抜けていく。 倫太郎の下宿は貧乏学生にしてはそこそこ広く、トイレ風呂も別、台所もしっかりした造りだ。 その理由は、大学から少々距離があるため、何より地下鉄の駅が遠いためだ。 脇にある冷蔵庫を開けて顔を突っ込む月子。ペットボトルに入った作り置きの麦茶をくわえて部屋に戻っていく。が―― 「まてい」 ふみっ 「きゃんっ! ふ、踏んだなっ、我の尻尾を踏んだな!!」 突然の暴挙に月子が非難の声を上げる。 しかし倫太郎はどこ吹く風、半眼で床に転がっている物体を指差す。 そこにはお茶のペットと――ハーゲンダッヅ。 「1日1個って決めたよね? てか、『1日1個で良いから食わせろ』って言ったの月子さんだよね? つか、いつの間に出したの」 「う……今日はまだ1個目だ」 「今朝ゴミ出したばかりだから、ゴミ箱調べればすぐわかるよ?」 倫太郎は転がったダッヅを拾い、冷凍庫に戻した。 「……まったく、倫は姑か? 細かいことまで気にしおって」 「月子さんがアバウトなんで、それぐらいでちょうど良いんですよ」 「ふん」 悪態をつく月子だが、どう見ても負け犬の遠吠え。結局お茶のペットもそのままに部屋に戻っていった。 やれやれ、とため息をつきながらお茶もしまい、倫太郎は洗い物を再開した。 (月子さん、自分の三大欲求にはものすごく正直だもんなあ。でも、何だかんだで実力行使には出ない……訳でもないか) 人狼族たる月子の身体能力は、倫太郎が逆立ちしてもかなうものではない。 だが、彼女が我を通すために腕力に訴えたことは皆無だ――三大欲求の“性欲”を満たす為を除いて。 (まあ、傷をつけるようなことはしないけどさ。縄のあとは残ったけど) 最後の茶碗をすすぎ、濡れた手をぬぐう。 部屋をのぞくと、月子はまだへそを曲げていた。彼女専用の座布団の上で、あられもない格好で不貞寝をしている。 倫太郎は先ほど冷凍庫に入れたダッヅとスプーンを取り出し、部屋へ戻った。 「――倫太郎、それは何だ?」 倫太郎の手にあるダッヅを目ざとく発見し、うなるように問いかける月子。 「我には禁じておきながら、自分だけダッヅを楽しむ気か!」 「僕は今日まだ1個目ー」 ぺりぺりと封を開ける。 「うぅ、わざわざ我の目の前で食べなくとも……」 「台所で食えとおっしゃいますか。それじゃ、いただきまーす」 世界で愛されている、アイスクリームの最高級ブランド、ハーゲンダッヅ。月子はダッヅが大の好物である。 倫太郎に近づき、懇願のまなざしで倫太郎の口に運ばれ、胃に消えていくダッヅを見つめる。 「……ちょっと月子さん、そんなに見られると食べにくいんですけど」 「な、はんぶんだけ、はんぶんだけ譲ってくれまいか?」 「ダメー」 「頼む、たーのーむー」 「駄々こねないで下さいよ。ちょっ、まとわりつかないで!」 それでも駄目だと悟ると、月子は攻め手を変えた。月子のダッヅに対する執着心は半端ではない。 ふわりと人に姿を変え、小首を傾げ、潤んだ瞳で見つめる。 頭の獣耳をぺたりと寝かせて、普段の意志の強そうなまなざしとは打って変わった、脆く、儚い表情。 そのギャップがなんとも倫太郎の劣情を掻き立ててくる――えっちの時でさえ、こんな艶っぽい表情はしないのに。 うろたえている倫太郎に月子は、とどめとばかりに己の両手を倫太郎のスプーンを持つ手に添え、きゅ、と握り締める。もちろん、視線はしっかりと倫太郎を捉えたまま。 ぐらぐらと煩悩に揺られる倫太郎。その様子を見て取った月子は、 「お願いだ、倫太郎」 少し甘えた感じの、男心をくすぐる駄目押しの一言。 「……半分だけね」 「やたっ」 結局折れたのは倫太郎だった。 月子は半分残されたダッヅの容器とスプーンを奪うように受け取り、一欠けらずつ大事に味わっていく。 勿論、先ほどの儚げな様子は影も形もない。 「……はぁ」 嬉々とした表情の月子を眺めながら、色んな感情の混じったため息をつく倫太郎。 尾をぱたぱたと揺らし、一口ずつ大事そうにダッヅを食べる月子を眺めながら、改めて彼女の食欲に恐れ入った。 「ご馳走様でした」 至福の表情で手を合わせる月子。そのまま彼女はころん、と横になった。 「ちょいと月子さん、スプーンを流しに持っていくとかぐらいして下さいよ」 いそいそとスプーンと空容器を片付けながら小言をこぼすが、 「……倫、そのせりふはまんま姑だぞ?」 「うぐっ」 上手いこと切り返され、ぐうの音も出ない倫太郎であった。 (月子さんがナマケモノ化してる) 台所から部屋に戻った倫太郎は、人の姿のまま枕を抱え、ベッドの上でのんべんだらりと横になっている月子の姿を見て、彼女の生活態度を真剣に危惧した。 (ぶっちゃけて言ってしまうと……) 「月子さん……」 月子の脇に腰掛け、彼女の腰に手を伸ばす。人とは違い毛皮に覆われてはいるが、毛皮越しにでも彼女の健康的な腰の肉つきが伝わってくる。 「倫から誘ってくるとは、珍しいな。ダッヅのかわりにやらせろ、か? 我は構わないぞ」 眠そうに細められていた月子の瞳に輝きがともる。きらきら、ではなく、ぎらぎら、だが。 倫太郎は無言のまま、今度は月子の頬に手を伸ばした。 なだらかな曲線を描く顎から頬へのラインをなぞり、人間ならば耳のあるあたりを撫で付ける。 「……ん、どうしたんだ、やたら積極的ではないか」 普段は自らが主導権を握り、主に騎乗位で交わっている月子。真剣な眼差しで覆いかぶさってくる倫太郎に動揺を隠せない。 ぎらぎら、から、うるうる、に変わった月子を尻目に、倫太郎は彼女の腹部にも手を伸ばす。 鳩尾の下あたりから、感触を確かめるように、ゆっくりと下腹部へ。 「ふぁ、や、やめろ、倫。そんな……だめだ」 嫌よ嫌よも――な状態になってしまった月子。熱の篭った吐息をつきながら、“倫太郎にされる”という初めての体験を今か今かと待ちわびている。 が。 「月子さん。……太りましたね」 半眼で告げる倫太郎。 (フトリマシタネ……太った、我が?) 思いもよらない言葉をかけられ、一瞬思考が停止する。 状況を飲み込めず呆けている月子の様子を見て、倫太郎は客観的な証拠を突きつける。 つまり、お腹の贅肉をつまんだのだ。 「毛皮に隠れてわからなかったけど、相当太ったんじゃないですか? そういえばうちに来てから全然運動してないですよね」 「……こ……」 「そりゃあホイホイ食べ物出してた僕も悪かったですけど、月子さんももう少し食生活の見直しを……」 「……この……」 「見直しを……月子さん?」 顔を引きつらせている月子に、流石に冗談が過ぎたかな、と背筋を凍らせる倫太郎。 どうにか上手いこと言いくるめようと、倫太郎が口を開いたその瞬間。 「――こンの木石漢が」 底冷えするような月子の一言とともに、ぐりんっ、と倫太郎の視界がぶれた。 倫太郎には何がどうなったのかさっぱりわからなかったが、月子は腕力に物をいわせ、一瞬で倫太郎を組み伏せたのだ。 しこたま背中を打ち、といってもベッドの上であったからさほどの痛みはなかったが、ちょうど喋ろうと息を出しかけていた為、肺の空気が衝撃で搾り出されてしまった。 必死に空気を取り入れようとするも、容赦なく月子の口付けが襲った。 「ん、んーっ、んんっ」 必死に抵抗するも、頭を押さえつけ鼻をつまみ、いつも以上に深いディープキスに熱中する月子は意に介しない。 いい加減酸欠で意識が遠のいたあたりで、やっと倫太郎を解放する月子。 「思い知ったか、倫。乙女の純情をもてあそびおって」 倫太郎からしたら突っ込みどころが満載の言葉だが、酸素の取り込みで一杯一杯は彼はそれどころではない。 「我が太った、か。確かに、多少、少しくらいは、ちょっとばかし、些細にではあるが、贅肉が増えたと認めないことはない」 「……ぃや、どぅみても、ふとっ」 息も絶え絶えながら反論する倫太郎を腕力で黙らせる。 「都会の劣悪な住宅条件で十分な運動量を確保するのは困難であるからな。ここはやはり室内でも出来る運動を――」 「ぷはっ、運動器具っ! 何か運動器具かってくるからっ」 「――室内でも、安上がりで、手軽に、出来る運動をせねばな。協力しろ、倫」 「僕にしたら手軽でも何でもないからっ!」 渾身の力で自分の口をふさぐ月子の腕をはねのけた倫太郎だが、倫太郎の抗議などどこ吹く風の月子。 「泣いても許してやらないからな。覚悟しろ」 月子は必死に抵抗する倫太郎の手をあっさりと捕まえ、ベッドの脇に詰まれた洗濯物の山から1枚タオルを取り出し、両手首をベッドのフレームに固定する。 「邪魔なものを取り除かなくてはな」 倫太郎の着ている部屋用Tシャツの襟に爪をかけ、一気に裾まで引き裂く。 「いたたっ、ちょっ、皮膚も切れてるって!」 「ああ、これはすまない、倫が大人しくしないせいだな」 「絶対わざとでしょっ! 月子さん口元笑ってますよ!?」 「自分のせいなのに我に押し付けるとは、今日の倫は酷いな。我は酷く傷ついた」 何だか色々喚いている倫はいい加減無視し、彼の中心に引かれた引っかき傷に口を寄せ、じんわり浮いてきた血液を舐め取る。 割と細めの腹部から胸元まで、血を舐め取るというよりむしろ唾液を塗りこむかのように、熱心に舌を這わせる。 「……久し振りの血の味。たまには生肉が喰いたいな」 月子にしたらなんともなしに漏らした言葉だったが、倫太郎は盛大に顔を引きつらせた。 (――そういう反応は、傷つく) 倫を牙にかけるわけないのに。 倫太郎の反応は、深く静かに、月子の心に響いた。 さざ波の立つ感情を振り払い、月子は倫太郎を責めることに専念することにした。 今度は彼の乳首を舌で転がし、もう片方を指でこね、ジャージの上から彼の陰茎に自分の腰を押し付ける。 「ちょ、そんないっぺんに……ひぁっ」 倫太郎お構い無しの、一方的な愛撫。 (――思えば、我は倫と一方的な交わりしかしたことがない) ジャージとトランクスを無理矢理引き摺り下ろし、律儀に硬くなっている倫太郎の陰茎を太ももに挟んで擦り上げる。 「我の運動なんだから、せいぜい長持ちさせよ」 月子の中はまだ十分に濡れていなかったが、月子は何かに憑かれたように倫太郎の剛直を己の中に埋め込んだ。 「うあっ……きつ……」 もともと月子の膣は良く締まる小さめな具合だ。十分な湿度を持たない其処は、入れる側入れられる側の双方に負担を強いた。 「ふ――んっ、これくらいで泣き言か。軟弱者め」 月子自身も相当辛いが、やせ我慢して倫太郎をなじり、強引に上下運動を開始する。 「つきこさっ、むり、むりだってっ」 膣の具合よりも倫太郎の声を聞く方が辛くなった月子は、枕を抜き取り倫太郎の顔に押し付け、黙らせた。 「黙って動かせ。このバカチンが」 2人の接合部はようやく十分な湿り気を帯びてきた。感情的な高まりの為、というより、生理的な反応の為ではあるが。 嫌な感情を振り払うかのように、必死に腰を振る月子。 じゅぷ、じゅぷ、という水音が、部屋に響く。 (こんなの――) 枕の下でくぐもった声を出すのみの倫太郎。 倫太郎の上でただ腰を振るだけの月子。 (こんなの、自慰と変わらないではないか) 2人は機械的な動きを繰り返し、ただ時間のみが過ぎていった。 「ん゛ー……」 月子が朝起きてみると、時計は既に昼過ぎを指していた。 ベッドの上で布団に包まり、枕を抱えたまま。意識が戻ってからかれこれ10分ほど。 結局昨夜は何時に寝たかはわからない。気づいたらもうひるすぎで、そして―― 「――りんがいない」 ベッドは月子1人だった。 時計がもう5分ほど進んだあたりで、のろのろとベッドから這い出る。 「……そうだ、大学か。大学に行ってるんだな」 今日は日曜。勿論月子は知っている。知っているが、呪文のように「りんはだいがく」を繰り返す。 おぼつかない足取りで台所へ出て、流しに頭を突っ込んで蛇口をひねる。 段々クリアになる思考。 「りんがいない……りんがいない、倫がいない!」 濡れた髪もそのままに、台所に座り込む。 (倫に捨てられた) 「何を今更、ここに来る前までだって、1人だったじゃないか」 (倫に愛想をつかされた) 「また1人になるだけ。適当な小動物を狩って、1人で生きていけばいい」 (倫に、倫が、……) 「……倫」 (倫がいない) 「りん……りんたろぉ」 膝を抱え、微かに嗚咽を漏らす。 彼女に言葉を返す者はもちろん誰も居ない。 狭いワンルームの下宿が、今の月子には牢獄のように感じられた。 「ただいまー、月子さん、起きてますかー?」 不意に玄関が開き、懐かしい声がかけられる。 「りん……?」 「もう昼過ぎですし、ご飯何に……って、どうしたんですか!?」 尋常でない様子の月子に気づき、思わず駆け寄る倫太郎。 「あーもーこんな濡れ鼠になって。ほら、これで頭拭いて」 洗濯機の上に積んであるバスタオルを1枚取り、月子の頭にかけてわしわしと拭いてやる。 月子は放心状態で、倫太郎にされるがまま。 「ほら月子さん、立って、部屋に戻りましょう」 「……うん」 しおらしく返事をし、倫太郎に言われるまま部屋に戻る。 「お昼ご飯、何にします? 昨日の残りのご飯もあるし、パスタもありますよ?」 「……倫のごはんなら、何でも」 「……月子さん?」 倫太郎が月子の前でぱたぱたと手を振っても反応がない。 「あー、その、すみませんでした、黙って外出してしまって。月子さん、ゆすっても全然起きなかったんで」 なおも反応なく、ぼんやりと倫太郎を眺める月子。 「あの、ちょっと買い物行ってきました。ほら、これ、見てくださいよ」 あまりにも無反応な月子の反応に、倫太郎は焦りながら言葉をつなげる。 「チョーカーですチョーカー。決して首輪ではないですよ? ほら、ムーンストーンのペンダントですよ。月子さんにムーンストーンって安直かなとも思ったんですけど、とっても綺麗なんですよ」 紙袋から買ったばかりのチョーカーを取り出し、月子に見せる。 茶色の革の組み紐に、乳白色だけど角度によって青白く光る石をあしらったペンダントトップ。 「ほら、後ろ向いてください。つけてあげますよ」 月子が後ろを向くより先にそそくさと後ろに回りこむ倫太郎。 まだ湿り気の残る髪をかきわけ、金具をとめる。 「人の姿は無理がありますけど、狼の姿になれば結構誤魔化せると思いますよ。まあちょっとばかし大柄ですけど、首輪、じゃない、チョーカーつけてれば飼い犬っぽく見えると思いますし」 引き出しから手鏡を取り出し、開いて月子に渡す。 無表情で鏡を受け取り、自分の首に掛かる革紐と石を眺める。 「あの……気に入りませんでした?」 おずおずと聞いてくる倫太郎。 そんな倫太郎の方へ、のろのろと振り向く月子。 「……倫」 「ももちろんアレですよ!? 月子さんに首輪をかけてつなげようとか、そーいう意図じゃなくて、月子さんが自由に出歩けるための本音と建前といいますか……」 「倫っ!」 「うわととっ」 勢い良く倫太郎に飛びつく。不意に抱きつかれた倫太郎は月子を支えきれず、傍目では月子が倫太郎を押し倒したかのように2人で倒れこんだ。 「倫、倫、あなたは、世界で一番良い男だ」 「ど、どうしたんですか急に」 「それなのに、我ときたら……」 「月子さん……泣いてるんですか?」 倫太郎の問いには答えず、月子はつよく彼の胸板に抱きついた。 「倫、すまなかった。昨日みたいなことは、もうしない」 「別に気にしてませんから、大丈夫ですよ。そりゃ、毎日あんなのはしんどいですけど、今までどおりくらいなら大丈夫ですから」 「ん」 「さ、とりあえずシャワー浴びましょう? その間にご飯作りますから。何が良いですか?」 「……何でも。強いて言うなら、米の気分だ」 「じゃあ親子丼にしましょう。卵が余ってましたし」 「うん」 「ささ、シャワー浴びてさっぱりしてきてください。ちゃんとチョーカーははずして浴びて下さいね」 「倫」 「はい、んっ」 月子からのキス。ただ触れ合うだけの、けれど思いのこもった口付け。 「やはり、倫は良い男だ」 「……何度も言わないで下さい、恥ずかしい」

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