ボルペディア -ボルゾイ企画Wiki-

略歴

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・起源

2008年11月末“ふひきー”がニコニコ動画に動画(【単発】試みにドラえもんのび太と妖精の国を実況してみた)を投稿したことからボルゾイ企画の原型が始まる。
しかし、この時点ではボルゾイ企画という名前も、四人でメンバーを固定するという構想もなかった。


・四人体制の確立

2009年1月『ダービースタリオン』シリーズで初めて“ふひきー”“ぞの”“がみ”“くわさん”という現在の形での実況が行われた。
だが、この時点でも「ボルゾイ企画=四人」という構図がしっかりと確定したわけではなかった。(事実、『ゆめにっき』シリーズの中でふひきーが「がみ以外の不特定の友人(ぞの、くわさん以外)にプレイさせるつもりだった」と語っている)
四人体制での活動が明言されたのは『ゆめにっき』後のくだまきでのことである。


・人気の上昇

2008年末の『ゆめにっき』によって徐々に視聴者数が増加していき、びびりのがみ、ドSのふひきーというキャラクターもこのころ確立される。
その後の『のび太のBIOHAZARD』によってさらに動画再生数は(のびて)いく。
その影響は徐々に広がり、他の投稿動画も引っ張られるように再生数が増えていくようになる。
くだまき『頽廃無法会談』においてメンバーの戸惑いを窺い知ることができる。
それでも実況界での知名度はそこまで高くなかった。


・人気の確立と苦悩

そんなボルゾイ企画を一躍有名にするのが『【青鬼】絶叫に定評のある友人に無理やり実況させた【実況】』である。
このシリーズのpart1は、再生数はミリオンを越え、2009年度実況プレイpart1リンクでは堂々の1位を獲得した。
それまでの伸びとは明らかに逸した爆伸びは視聴者の増加とともに所謂「荒らし」の増加という副産物をも生み出してしまった。
他の実況者の動画まで荒らされるという「最悪の事態」(『ふひらじ第6回』でのふひきーの発言)に陥ってしまう。
この出来事からふひきーはさらに動画作成に注意を払うようになる。むしろ、払わざるを得ない、ある意味で「首が回らない」状況に陥る。

それでもなお、ボルゾイは活発な活動を続ける。
約一年間で1000動画(1000動画目は2009年11月07日投稿の【K-1REVENGE】第一回ボルゾイトーナメント【実況】)という驚異的な更新スピードがそれを証明している。


・生配信への発展と活動内容の多様化

ニコニコへの動画投稿以外にもブログ『クツノソコ森林公園』(現在はぞの、がみのみが投稿)を運営していたボルゾイ企画だが、
その後もjustinやustreamでの生配信、twitter、そしてwikiなど意欲的に新しい分野に挑戦している。
特に生配信はニコニコと対をなす存在になりつつある。
初期はぞののPCのみで配信可能であったが、後にがみ、ふひきーのPCからも可能になり配信頻度は高まりつつある。
また、四人での生配信を編集した動画をニコニコに投稿するなど生配信からニコニコへのフィードバックも行われている。
同時に最初からニコニコへの投稿を前提とした生配信も今後は展開される予定である。(ふひきーの生配信での発言。『信長の野望』『三国志』などの「歴史シミュレーション系」をプレイ予定とのこと)

ちなみに少数だがニコニコ動画にもゲーム実況以外の動画を投稿している(『無法会談シリーズ』『絵心対決』等)

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