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M1バズーカ・パンツァーシュレック


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びぃえふに登場する数々の兵器が、現実ではとんなものだったのかなぁという疑問を掘っていくコーナー。
だいぶご無沙汰な今回は、対戦車戦闘の頼れる相棒にしてユルでも人気のお祭用具、バズーカとパンツァーシュレックを取り上げることにしたい。
この二つをまとめたのは元々が同じものという理由であり、そのために少々長文となってしまったことをご了承いただきたい。


第一次世界大戦において戦車という最強の陸戦兵器が誕生してからは、歩兵は戦車の前にはただ蹂躙されるばかりの存在に成り下がってしまった。対抗するには対戦車砲のような大掛かりな装備をもってする他なく、事前に陣地構築などの準備を必要としていた。
そんな中、成型炸薬(HEAT)の登場が事態を一変させる。HEATとは単純に説明すればドリル状の爆風を発生する装甲貫徹用炸薬である。これによって歩兵が運用できるサイズの砲弾で戦車に対抗しうる手立てが得られるようになった。
その結実として、1942年に北アフリカ戦線において米軍が投入した兵器がM1A1対戦車榴弾射出器、通称「バズーカ」である。現在においては肩担ぎ式の携行兵器の代名詞となっている名称だが、正確にはこのM1とその派生型(M9・M18・M20)のみの呼称である。「バズーカ」は当時アメリカで人気を博していた音楽コメディアン、ボブ・バーンズが舞台で使用していた自作のラッパ「バズーカ」に形状が似ていたためで、兵士たちの間で通例的に呼ばれるようになり、後に正式名称とされている。
バズーカ自体の構造は簡素極まるもので、鉄パイプに電気着火用のバッテリー、或いはコイルと磁石(トリガーに連動してコイルに突っ込まれる)だけのものに過ぎない(薬室を持たないために厳密には「砲」には分類されないので「バズーカ砲」という呼称は誤りである)。あくまで推進機能付きの対戦車弾を射出するだけの装置である。運用に際しては一基につき二名の兵士が付き、一人が射手、もう一人が装填手となる。弾は後方から込めた後に電極を接続し、射手のヘルメットを叩いて発射の合図をする。この際のみならず、バズーカ系列の兵器に共通する注意点として、バックブラストという後方への発射噴煙が挙げられる。弾頭推進剤の燃焼ガスは言うまでもなく非常に高温、なおかつ高圧で噴出されるために、後方に立っていると大きな火傷、場合によっては焼死の危険を伴う。そのため発射時にはその角度(後方60度)から避退しなければならない。伏せ撃ちを行う場合、射手は体を折って足を範囲外に置くよう注意する必要がある。なお、噴煙は後方のみならず発射後に射手にも及ぶので、射手はガスマスクなどの防護措置を必要とした。これは後の改良型、M9でディフレクターというラッパ状のカバーを取り付けることによって、射手が防護装備をせずとも済むようにされている。
また、背後に障害物があるような狭い空間(室内など)では射手に被害が及ぶために使用できない。更に発射時の音や噴煙が大きく、射手の位置が敵に特定されてしまう。HEATは運動エネルギーによる影響が無いため、推進力を失っても命中すれば等しく威力を発揮できるが、弾頭の重さや弾道安定のためのライフル回転が掛けられない特性(あまり高い回転を掛けると炸薬の機能が損なわれてしまう。戦後に改善されるが当時は不可能)のために命中率に欠け、どうしてもある程度接近しなくてはならない(ただし安全装置のため、あまり近すぎると起爆しない)というジレンマを抱えていた。よって狙う際は複数のバズーカを用い、随伴歩兵のいない戦車を速やかに撃破する、というようにある程度の制限を与えられることになる。
とはいえ、歩兵が携行できて130㎜もの厚さを貫徹できる火器というアドバンテージはそれらのデメリットを差し引いても有り余るもので、投入されて以来ドイツ側は大きく戦車有用戦術を見直すことを求められた。
M9の折りたたみ式にして携行性を高めたM9A1や材質をアルミにして軽量化したM18などの発展型を合わせれば48万器、弾頭自体はなんと1500万発を越える数が大戦中に生産されたという。また、後の朝鮮戦争においてはソ連のT-34に対抗するために口径を30mm拡大したM20「スーパーパズーカ」が生産されている。


さて、バズーカの登場によって北アフリカ戦線にて予想外の被害を被ったドイツもまた、鹵獲したバズーカをベースに同系の対戦車兵器を開発した。その名もパンツァーシュレック(Panzerschreck)、ズバリ「戦車の脅威」である。バズーカを元に設計されてはいるものの、使用弾頭は独自の8.8cmロケット弾で、命中角90度での直撃なら230mm、60度でも160mmの装甲を貫徹出来、当時のほとんどの戦車を正面装甲から撃破できるだけの威力があったことを考えれば、あながちその名前も伊達ではない。
既にドイツには、かの有名なパンツァーファウストと呼ばれる対戦車ロケットランチャー(Raketenpanzerbüchse:ラケーテンパンツァーピュクセ)が存在したが、パンツァーシュレックはロケット弾を装填しなおせば複数回使用できる利点があった(パンツァーファウストは実質使い捨て)。但し扱いには相応の知識と熟練が求められるという一長一短な面があったため、どちらも戦時中を通して生産され続けた。
M1A1はM18に至るまでアルミを使用しなかったが、パンツァーシュレックは初期型(RPzB 43)からアルミを使用して軽量化を図っていた。が、元になったのは初期型のM1A1バズーカであるため、前述した通り射手は防護装備を用いる必要があった。その解決策として透明な雲母製の覗き窓と照準器を持つ防護盾が取り付けられた(RPzB 54)が、この盾は鉄製だった(防弾性は考慮されていない)。というのも当時のドイツ軍にとってアルミ合金は決して潤沢なものではなく、予定外の装備となる防護盾にまで回せなかったためである。結果として重量が2kg近くも増加してしまったために、一部の兵士は盾を取り外してガスマスクを使用し続けたという。この問題は1943年に砲身を短くし、増加分を取り戻す軽量化(RPzB 54/1)によって解決された(代償として弾道の不安定化を招いてしまったが)。また、ロケット弾の推進剤は外気温によって燃焼効率に影響を受けるため、夏用と冬用のロケット弾と照準器が用意されていた(この妙な几帳面さがドイツらしい)。ロケット弾の速度は毎秒105m、有効射程は150~180mに達した。パンツァーシュレック本体は32万器、ロケット弾は230万発近くも生産された。
歩兵の携行火器としてのみならず、キューベルワーゲン(ドイツ版ジープ)や兵員輸送車、大戦末期には弾薬輸送車にまで装備されていた。


現在ではその発射機構自体が旧式化・陳腐化したことによって、バズーカ系統の対戦車火器は絶えてしまっている(現在使用されている無反動砲などは機構的に別物である)。
とはいうものの、歩兵に対戦車戦闘能力を与え、成型炸薬運用において多大な進歩を与えたという兵器史における意義は非常に大きい。
そして今日もまた、多くのびぃえふ兵士が戦車や敵兵のKETSUを掘るべく、緑のぶっといコイツを構えているのだ。