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MP40


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びぃえふに登場する数々の兵器が、現実ではとんなものだったのかなぁという疑問にグダグダと答えていくコーナー。
ちょっと久し振りな今回は枢軸メディコとジェットパッカーのお供、MP40にスポットを当てていこう。
サブマシンガンの生まれた国ドイツの主要火器の一つであり、ヨーロッパ戦線を描いた映画では必ずと言っていいほど登場するこの銃の生い立ちを見ていこう。

サブマシンガンが開発された背景には、第一次大戦において塹壕のような閉鎖空間で効果を発揮する武器の要求が高まったことにある。尺の長いライフルでは狭い空間での扱いに難があり、連射性も低いために接近戦では使い物にはならなかった。かといって拳銃やナイフ、刃の付いたスコップというのは、虹裏兵士ならともかく実際の戦場では心許ない。そこで長さが1mにも満たない銃身から反動の少ない拳銃用の弾を連射可能な武器、サブマシンガンが開発されたのである。
世界初のサブマシンガンであり、無印で枢軸側のメディコが携行しているMP18は1918年に制式化され、既に連合軍に押し返されつつあったドイツが行った反攻作戦に投入された。接近戦での火力は連合側の装備とは比べ物にはならず、一時は大きく前線を押し戻したものの、最終的には作戦は失敗に終わってしまう。この原因は後続の部隊の機動力不足が原因だったのだが、軍は失敗の原因をサブマシンガンに求め、運用を停止してしまう。一次大戦後、その威力に目を付けた連合側によって国内のMP18はことごとく持ち出され、ベルサイユ条約(第一次大戦の講和条約。ドイツに莫大な賠償金と軍備の禁止などを盛り込んだ苛烈さで知られる。今後もこのコーナーで何度か出てくるのでご留意いただきたい)で生産と装備を禁止されてしまう。

1933年、ドイツの政権を獲得したヒトラーが再軍備を宣言する。条約の穴を突いて着々と準備を進めていたドイツは、驚異的な勢いでその軍備を形成していく。この過程で父ルイスの後を継いだヒューゴ・シュマイザーが、父のMP18を改良してMP28を開発した。この銃はMG34と並んでスペイン内戦への介入に使用され、高い評価を得ることになった。
こうしてサブマシンガンの悪いイメージは払拭され、さらなる改良型としてMP38が開発される。このMP38の生産性・動作性を高めたモデルがMP40となる。当時としては革新的な金属製のフォールディング(折り畳み式)ストックが採用され、ストックを折りたたむと全長はわずか630ミリとなり、4.3キロという(当時としては)軽量さも相まって高い携行性を持っていた。信頼性の高いセイフティーも追加され、暴発の危険を押さえつつ確実な作動を見せた。MP38がアルミを多用しているのに対し、MP40はプレス鋼鈑製部品を中心に作られているために大量生産が可能だった。。また、MP40はボルトをサスペンションのような機構を組み込んだテレスコピック式にしたことで、毎分500発という高い連射速度を持ちながらも反動は小さく抑えられ、当時のサブマシンガンとしては高い命中精度を誇った。

この銃は「シュマイザー」という愛称で知られているが、実際にはシュマイザーは一切開発に関わっていない。連合側が作成したドイツの装備一覧において「ドイツのサブマシンガンといえばシュマイザー」という先入観から「シュマイザー」という呼称が割り振られていたために、MP40の呼称として定着してしまったのであろう。
ちなみに、正式な名称は「エルマ・ベルケMP40短機関銃」である。

世界のどの国よりも早くサブマシンガンの有用性に目を着けたドイツも二度目の敗戦を喫し、サブマシンガンも世界の軍隊では安価な使い捨て兵器と見なされた。
しかしそれから20年を経て、ドイツは今や世界の特殊部隊や警察部隊の代表的装備であるMP5サブマシンガンを開発している。
ドイツとサブマシンガンは、運命的な絆で結ばれているのかもしれない。