ルリが買い物を終えて自宅の戸を開くと、何とも食欲をそそる良い香りが部屋に漂っていた。
レイ姉達、ごはんの用意をしてくれたのかな?珍しいこともあるものね……何作ったんだろ?
そんなことを思いつつ、仄かな期待を胸に抱き姉達の元へ向かうルリ。
だがルリはやがて目前に現れた物体に口をあんぐりと開け、言葉を失う。

部屋の中に屋根の付いた木箱のようなものが鎮座している。
元々広くはない部屋である、その物体はみっしりと空間を占領しルリの前に立ち塞がっていた。

「……いらっしゃい」

その木箱の向こう側から、すててこに腹巻き、頭にはねじり鉢巻の長女が声を掛けてきた。
レイの姿と言葉からルリにもようやくこの物体が屋台のそれであることを理解する。
ルリにとって見慣れたものである分、それが予想外の場所にあることが逆に認識をさせにくくしていたのだ。

「あ……え~と」
戸惑うルリに構うことなく、店主と化したレイは
「お客さん…何にしましょう」
堂に入った様子で注文を聞く。

レイのペースには呑まれまいとルリは有希の姿を探す。
そう、レイ姉がこんな悪ふざけをする時はいっつも有希姉が…。
はたして有希は探すまでもなく屋台の横にぽつんと立っていた、割ぽう着姿で。
しかも何故かその背中には赤ん坊の人形を背負っている。
ルリは次女の様子に問いただす気力が半減したが、しかし聞かずにはいられなかった。

「何してるんですか、二人とも……」

「何してるって、おでん屋さんよ……」
見れば、確かに屋台の中に様々なおでんのネタが黄金色のダシの中で煮込まれている。
「それは見れば分かります、何でレイ姉達がおでん屋さんをやってるんですか。それも室内で」
すると、まるで授業中であるかのように有希がスッと右手を挙げる。
「はい、有希姉」
「……姉さんとルリは以前学校の帰り道でテンカワ・アキトの屋台に偶然出くわし、立ち寄ったことがあった筈」
「確かに、そんなことがありましたねぇ」
口元に人差し指を置いて思い出すように中空を見るルリ。
ルリの記憶だと、それはつい最近の出来事だった。
「その時姉さんは屋台のラーメンにいたく感動したらしく、
 その後何か自分でもできないだろうかと考えていた模様」
ルリはアキトの料理が褒められているので当然悪い気はしない。
「そして、出た結論がこれ」

ルリは有希の指し示すおでんをもう一度見る。
同じラーメンでは流石にレイ姉も芸が無いと思ったのだろうかなどと考えた。
「でも、その屋台が何で室内にあるんですか?」
その疑問にはレイが答える。
「それは最初のお客さんはルリになってもらおうと思ったからよ…」
「え……」
「だから、座って」
仕方なくレイの言うままにルリは屋台の前に置かれている背もたれの無い粗末な椅子に腰掛ける。
座ると足の長さが合っていないのかグラグラと安定しない。


「……それじゃあレイ姉、まずは大根を下さい」
大根を選んだのは『おでん屋の良し悪しは大根で分かる』とどこかで聞いた記憶があったからだった。
しかし何故かレイは首を横に振っている。
「駄目よルリ、そこは『親父、大根を頼む…それとお冷やもな』って言わないと」
ルリはあからさまに顔を顰めたが、もはや細かい事に拘る気分でもなくレイの言うとおりに注文し直す。
「へい……お待ち」
長女が置いた底の深めの皿を前にルリは僅かに躊躇する。
何しろ普段滅多に包丁を持たないレイのこと、警戒するのも当然といえば当然だった。
それでも恐る恐る皿を持ちダシを啜る。

「…!……お、おいしい」
予想外の味の出来に驚いて見上げるとレイが微笑していた。
「本当に美味しいですよこれ、市販のダシじゃないですよね?」
「実は今まで秘密にしてたけど、ずっと味の研究をしてたの。有希ちゃんに手伝ってもらって」
有希を見るとその言葉に一つ頷いた。「ある知り合いから調理のポイントを教えてもらった」
「それでついに今日それが終わったの、だから早くルリに食べて貰いたくって……」
それが部屋の中に屋台という珍妙なことになった理由のようだった。

「大根も食べて…」
レイに言われるまでも無くルリもそうするつもりだった。
大きめに箸で割り口の中に放り込む。
「ぁ、あつッ!ハッハフッ!」
大根の欠片が口の中を焼く、だが不快感は無くむしろ至福とさえ言えた。
嚥下し終わると、口内を冷やすために傍らに置かれたグラスに手を伸ばしグイとそれをあおる。

「……?!Яж☆㊥ё!!!……ゲホッ!ゴホッゴホッ!!」
ルリは一瞬何が起きたのか理解できず、軽いパニックに陥った。
グラスの中の液体は冷たい筈なのに何故かルリの喉から胃にかけて熱を帯びさせ、そして強く刺激する。
経験したことの無い感覚にむせ返りながらレイにグラスを突き出すルリ。
「ちょっとこれ!何なんですかレイ姉!?」
「だから、『お冷や』よ…」
「お冷やって……はッ!まさか」
そんなルリにレイは一升瓶を掲げて見せる。ラベルには大吟醸の文字。
「まだまだあるわ…遠慮しないで」


ルリは怒る気も失せ、がっくりとうなだれる。
怒る気が失せたのはルリがお人好しだからではなく、見るからに姉が大真面目だったから。
「はぁ……遠慮しておきます。それよりもお水をください」
レイは少し不満気だったが注文通り新しいグラスにミネラルウォーターを注ぎ、ルリに差し出す。
そして少し身を乗り出し、ルリに訊ねる。
「ねえ、どうだった?」
ルリはさっき飲んだ液体の濃度をできるだけ薄くしておこうと、水を一気飲みする。
一息ついてからレイに答えた。
「はい…確かに美味しかったです。これならお客さんに出しても大丈夫ですね…(酷い目に遭いましたが)」
「そう、良かった」
レイはほっとした様に微笑んだ。

「それで、あの……」
少し言い淀むルリ。彼女には少し引っ掛かることがあった。
「あの晩、アキトさんの屋台に寄った晩のことです…、
 あの時のレイ姉はそんなに心動かされていた様には見えませんでしたが……」
思い切って聞いてしまったが、
ひょっとしたら自分はとんでもなく酷いことを姉に言ってるのではないかとルリは不安になる。
だがルリがそう感じていたのも事実だった、いつもと変わらず無表情で麺を啜るレイが容易に思い出せてしまう。
しかしレイは少し驚いた様に目を見開いた後、またルリに微笑を向けただけだった。

「ええ、確かにそうね」
「では、何でここまでして…」
有希の手助けがあったとしてもこれだけの味に仕上げるのは楽なことではない筈だった。
現にこれだけの準備期間を要したのだ、
そのモチベーションを維持する為にはレイにとって『ただの興味から』では
動機としてあまりにも弱すぎるようにルリには思えた。


「そうね……あの時確かにあのラーメンを食べて美味しいと思ったわ。
 でもそんなことより、ルリが彼のラーメンに心から温められていくのを私は感じたの」
レイは遠い目をする、ルリはじっと聞き入っていた。
「料理一つで誰かの心を動かす、それは素晴らしいことよ。
 私も彼のことを素直に尊敬したわ……。でも、それと同時に、悔しかった…」
「えっ…」
思いがけない言葉にルリは面食らう。レイ姉はそんなことを考えていたのか――


「だから、この屋台はルリが最初のお客さんで、最後のお客さんなの……」


ルリは自分でも戸惑うくらいに目の前にいる姉が愛しく感じられた。
それに先程のアルコールが影響しているのか、
椅子から立ち上がった彼女の口からは思いのまま言葉がほとばしる。
「そんな、最後だなんて勿体無いです、こんなに美味しいのに。
 贔屓目じゃなく本当にお客さんに出せるレベルですよ。
 それに……それにあの人、シンジさんにも食べさせてあげましょうよ。きっと喜びますよ?」
勢い込む妹を落ち着かせるように優しく頭を撫でてやるレイ。
慈愛に満ちたその手つきは見ている者さえも穏やかな気持ちにさせる力があった。
おかげで冷静さを取り戻したのか、席につくと赤面して俯くルリ。
「そう、思います…」
ぼそぼそと何とかそれだけ付け加えた。



「そうだ……ルリの言葉で思い出したわ。碇君の為に特別メニューを考えていたの」
「へえ、何ですか?」
「碇ング(イカリング)」
「…………」

                             終わり





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