秋山晶
日本を代表するコピーライター
◆実績
「野菜をもっと食べましょう」
「都市とマヨネーズ」(1984年)~「愛は食卓にある」(2008年)
「男は黙ってサッポロビール」(1970年)
「120マイルを過ぎると、エンジンの音だけでは寂しすぎる」
「その先の日本へ」
「甘さを少なくするだけなら、誰にでも出来る。」
「時は流れない。それは積み重なる。」
「名前以外は、すべて新しい。」
他多数
◆略歴(ウィキペディア引用)
東京都世田谷区奥沢に生まれる。
幼少期からアメリカン・カルチャーに馴染みを持ち、
「ニューヨーカー」や「エスクァイア」などの雑誌を読み漁る学生生活を送る。
その頃にDDBがフォルクスワーゲン・ビートルで完成させた広告制作手法として
知られる、ノン・グラフィックにも一足早く触れており、
その後広告制作の道を志望するようになる。
立教大学経済学部卒業後
1958年に講談社に入社、宣伝部に配属
主に雑誌のキャプションを手掛けた後、
1963年に現在までキユーピーマヨネーズの広告でコンビを組むことになる、
アートディレクターならびにデザイナーの細谷巌と知り合い、
細谷に誘わるカタチでライトパブリシティへ移籍、コピーライターとしての
才能を開花させる。
特に1970年に三船敏郎を起用したことで知られるサッポロビールの
キャンペーン広告「男は黙ってサッポロビール」のコピーは有名である。
1968年から今日まで延べ40年にわたり、毎月女性誌に掲載されている
キユーピーマヨネーズの広告のコピーライティングを手掛けていることでも
知られる一方で、他にも1982年に大塚製薬から発売され、現在では同社の
代表的製品として知られる「カロリーメイト」や「ポカリスエット」などの発売当初
のキャンペーン広告、またキヤノンから発売されたロングセラー一眼レフのAE-1や、
パイオニアのコンポーネントカーステレオ、ロンサムカーボーイの広告キャンペーン
を長年に渡って担当していたことでも、その名を知られており、70歳を過ぎた現在も第一線でコピーを書き続けている。
◆評判(ウィキペディアより引用)
名詞と動詞のみで書かれる文体はコピーライターの神様と称される仲畑貴志をして、
「全てが直截で、不純物を含まない、弾丸のように早くコミュニケート可能な文体」
と評される。
◆モットー
「コピーは小説に勝てるか。写真は映像に勝てるか。どこまでも闘うべきだ。」
◆著書
◆感想
どのコピーを見ても、生まれ出る時代をうまくとらえていることが結果的にわかる。
長期的にお願いしたくなるクライアントの気持ちがよくわかるコピーライターの大家
である。
最終更新:2011年10月30日 22:13