アレシア

正式名称 / 統治体制

アレシア連邦国 / 連邦

エンブレム


三国の位置は、5年ごとに時計回りに入れ替えられたという。

特徴

1263年、ラグライナ帝国のルディにより提唱される。戦乱を終わらせるため、ラグライナ帝国、ガルデス共和国、クレアムーンがそれぞれの自治を維持したまま連邦として統一国を作り出す、という構想であり、ガルデス共和国、クレアムーンもこの意見に賛同。
ただし、ガルデス共和国は、それまでの帝国の侵略に対して潜在的な警戒心もあった為、連邦への参加は見送った。クレアムーンにおいても、反対派は多かったが、それまで傀儡として祭り上げられていた神威巫女真田弥生が、自ら「連邦に参加することこそが神託」と声を上げ、反対派の付け入る隙を与えず、連邦への参加を決定させた。
1265年、提唱者であるルディが病没すると、「平等」のため、特権を剥奪されていた帝国貴族が、連邦反対を唱えて各地で武力蜂起する。ラグライナ帝国軍と、クレアムーン軍がこの鎮圧に奔走するが、抵抗勢力は想像以上に多く、戦局は泥沼と化す。
1268年、レディスは一計を案じ、「ラグライナ帝国に恩を売り、連邦の主導権を握ることができる」と説得し、ガルデス共和国はようやく連邦への参加を決定、援軍を派遣し、三国連合軍により、帝国貴族の蜂起は鎮圧される。その後レディスが代表に就任、アレシア連邦は安定と発展の時代に入る。そして1400年代に入ると、アレシア連邦国という一つの国となり、ラグライナ帝国、ガルデス共和国、クレアムーンは自然消滅していくこととなる。
だが、飢餓による大量の人の移動等、様々な混乱から、連邦がいくつもの派閥に別れて内乱状態となり、1497年、英雄と呼ばれるガルレイアがこの内乱を鎮圧、そのままアレシア連邦をラコルニア帝国に塗り替えてしまう。
ガルレイアは民衆の支持もあり、また本人も何よりもまず民衆のことを考えていた為、彼が皇帝を名乗った時、民衆の反対意見はほとんど見られなかった。
こうして、ラコルニア帝国と名前と体制を変え、アレシア連邦国としての歴史は幕を閉じた。

歴史

  • 1263年 ラグライナ帝国のルディにより提唱される。
  • 1263年 ラグライナ帝国、クレアムーンがそれぞれの連邦に参加、ガルデス共和国は、賛同を表明しつつも、この時点での参加は見送った。
  • 1265年 提唱者であるルディが病没、旧帝国貴族が、連邦反対を唱えて各地で武力蜂起。
  • 1268年 ガルデス共和国、連邦への参加を決定、援軍を派遣し三国連合軍により帝国貴族の蜂起は鎮圧される。
  • 1268年 レディスがアレシア連邦代表に就任。
  • 1400年代 アレシア連邦国という一つの国となり、ラグライナ帝国、ガルデス共和国、クレアムーンは自然消滅していくこととなる。
  • 1450年 旧ガルデス共和国領土にて大規模な病の流行と、そこから発生した飢饉により、ガイ・アヴェリクァル・アヴェリを中心とした都市の放棄が決定され、人々は中央に強制移民させられる。以後この地は無人となり荒廃する。
  • 1470年 アレシア大陸中央に人が集まったことにより、南西地区の開拓がはじまる。その際、カッチェにて鉱山が発見される。
  • 1481年 飢餓から逃れてきた北東地区と、鉱山発見により潤う南西地区に大きな貧富の差が生まれ、両者は激しく対立する。
  • 1485年 東西の対立に、旧クレアムーン領土を加え、最終的に8つの派閥に分裂したアレシア連邦が冷戦状態となる。
  • 1488年 8派閥が本格的に武力衝突、内乱がはじまる。
  • 1497年 ガルレイアがアレシア連邦を再統一。
  • 1498年 ガルレイア、アレシア連邦を乗っ取り、ラコルニア帝国を建国、再統一の英雄であった彼の決断に民衆は酔いしれ、彼の皇帝宣言に喝采を上げた。

最終更新:2011年04月22日 13:23