キリグアイの戦い

概要

キリグアイの戦いとは、ラドリザン1259年、10周期、ラグライナ帝国とガルデス共和国軍が、国境で三度にわたって激突した最後の決戦である。
戦場の地名ではなく、戦いの発端となったキリグアイ事件がつけられた珍しい例である。

戦闘に至るまでの背景

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1259年7周期、ラグライナ帝国は、帝国内乱戦争を終え、ルディの統治のもと、本格的にガルデス共和国、クレアムーンとの恒久和平結成に動き出していた。
だが、それを絶対に認めないセリーナ率いる暁の守人による妨害工作、更に、セルレディカ時代からの将は多くがラグライナ帝国の武力による完全統合を望み、ルディの望みと全く反対の方向を向いていた。
更に、セルレディカ時代の侵攻により、ラグライナ帝国という名前そのものが既に侵略者の代名詞となっていたガルデス共和国、クレアムーンに根付いた疑心と抵抗心は、ルディの想像以上に深いものであった。
それでも、ルディは腹心であるラディスを単身使者として送り込み、レディスとの間で停戦ではなく、完全な和平を結び、両国首都の中心にあるキリグアイにて調停を結ぼうと持ちかけた。
ガルデス共和国は、ラグライナ帝国だけではなく、その後勃発したクレアムーンとの戦いにおいても敗北し、疲弊は限界まできていた。帝国からの申し出は、議会ではすぐさま承諾され、レディスはキリグアイの地へと向かった。
だが、その道中を突如ラグライナ帝国兵士に扮した暗殺団によって襲われる。
護衛として同道していたカオス将軍によってかろうじて撃退できたものの、ガルデス共和国使節団は、ラグライナ帝国が自分達をおびき寄せて暗殺しようとしたと怒り、帰国していく。
使節団帰国と共に、ルディの元にはラディスが殺害されたという悲報ももたらされた。使節団を迎えにいったイリスの報告によると、ガルデス共和国軍は最初から和平につくつもりはなく、この会見でルディを暗殺するつもりだったが、それをラディスに見破られてしまった為殺害、そのまま帰国したとのことであった。
だが、ガルデス共和国側の記録にはその様な記述はなく(事実だとしても残す訳はないが)、逆にルディの裏切りを怒って帰国したとあるのみで、ラディスに関しては何も触れられていない。

  • この暗殺団の正体に関しては、現在においても複数の説が存在する。全ての説に共通していることは、「暗殺の成否」は問題ではなく、共和国を怒らせる事そのものが目的であるということである。
    • 「ラグライナ帝国説」 セルレディカ時代からの将で、完全なる武力による併合を目指す武断派の将軍が、共和国と帝国の和睦を妨害するため、レディス暗殺に踏み切った。
    • 「セリーナ暗躍説」 戦乱の火種を絶やさない為、セリーナが暁の守人を使って行った。
    • 「ルディ黒幕説」 実は誤解ではなく、本当にルディ自身が騙し討ちを画策していた。
    • 「レヴァイア復興説」 現在最も採用されている説、上記の人物たちに警戒の目が完全に偏ったその隙をついて、イリスが暗躍。レヴァイア王国を復興させるには大きな手柄が必要であり、その為の「戦場」を失わせたくなかった為。

ラディスの死を報告したのがイリスであったことから、現在ではレヴァイア復興説が最も信憑性が高いとされている。
また、イリスの私邸から、計画書が発見されているが、これはイリス死後のことであり、あまりにも露骨に残されていたことから、セリーナが撒いた火種のひとつとして考えられている。

戦闘経緯

キリグアイの戦いは、国境で三度激突し、背水の陣となったガルデス共和国が、大軍のラグライナ帝国軍を二度も撃退したが、三度目でついに力尽き壊滅した。という記述はあるが、具体的にどこで戦われたのかの記録が残っていない。
その為、「実際は小競り合い」だったという説も根強い。キリグアイの戦いが、戦場ではなく事件の発端となった「キリグアイ」の名前を冠しているのも、その理由の一つである。
この戦いで手柄を上げ、レヴァイア王国を復興させようとしたイリス将軍だが、最前線で奮戦したが三度目の激突において戦死。これにより王国復興の可能性は完全に途絶えた。

戦いの結末

ラグライナ帝国とガルデス共和国は、再び険悪な関係となるが、ガルデス共和国には実質上これ以上戦う力はのこされていなかった。
対するラグライナ帝国軍は、それでも「完全和平」を目指すルディの命令によって追撃をせず、撤退を決意。
これには多くの将軍が反発したが、ルディはこれを押し通して全軍の撤退を実行させた。その為、一度はまとまりかけた帝国が、再び内部分裂を起こし始めていた。

最終更新:2011年04月22日 15:08