霊虎


基本情報


略歴

ビーストバリア将軍。
ビーストバリア国の主軸となる将軍は、「聖獣」の名を授かる為、「霊虎」とは本名ではない。
ベルーマの全面の信頼を受け、ザールック3325年フォルッカの戦いには総指揮官として参戦、勝利に貢献している。
しかし、ビーストバリア国軍はリゼルバ攻略戦での大敗により、鬼龍軍の攻撃を防げなくなり、ついに3326年10月に首都にまで肉薄され、ディジィの戦いになだれ込む。この戦いでは奇襲も看破され追い詰められるが、霊虎は密かに単独で戦いの前にフレイミスト国に渡り、説得によってフレイミスト国軍を動かすと、手薄となった鬼龍軍の後方から襲い掛かり、かろうじて首都防衛に成功する。
この時、いかなる手を使ってリョウを説得したのかは記録が残っていないが、戦闘後、プライドの高いリョウが、霊虎の実力を名指しで認めていた為、相当な駆け引きを行ったと思われる。

それ以後も、3328年チャリオスの戦い、3330年グスティナの戦いにて活躍、隠していた全ての実力を出し切ってトリスの戦いにてフレイミスト国に勝利する。

3333年2月、マドリアルの戦いに参戦し、そのままビーストバリア国は、六界連合軍結成によりルーイガルド侵攻作戦に参戦、遠征軍としてルーイガルドへと降り立つ。

ルーイガルド17327年カティアの戦い、において大勝、楽勝ムードが高まる中、手柄が分散することを恐れたシュバインは、ビアスコア帝国へ艦隊を先行出陣させる案を出す。この作戦はサルファーエリシアフローラといった主だった軍師が乗り気ではなかったが、手柄を焦る軍勢の意見を説得することはできず、実行され、その結果ストリアールの戦いにおいてダルスバード艦隊を失う。
霊虎はストリアールから脱出し、ラ・ディアス帝国、メッツ帝国の将兵をまとめあげ、時同じくしてハイネスブルの戦いで壊滅的打撃を受け後退した地上部隊とトレスト国にて合流する。
このとき、ジュディスは、「霊虎だけがあの混乱の中平然と帰還してきた」とその手腕を評価した。

軍団再編成により、仕切りなおしとなったカスタリアの戦いにも参戦。連合軍が陸路と海路の二手に別れた時は陸路部隊に編入され、17328年ガルーダ攻略戦に参戦、ガルーダに対する水攻めを決行し、ビアスコア帝国最大の決戦の勝利に貢献する。ただしこの水攻めは、人道に反する作戦であった為、サルファーは反対していた。

陸路、海路部隊が合流し、ビアスコア帝国を降伏させた後、フェルトビーン帝国に進軍。エイクレア攻略戦ゲルトエルトの戦いを経て、17328年8月、両軍最大の決戦となったカルダザルスの戦いに参戦して勝利を収める。

17329年8月、シャクティアナ帝国との決戦となったエリス・ラゴンの戦いに参戦するが、ラスブロスの猛攻により一度は撤退、六界連合軍はその直後にラスブロス強襲作戦を行い、サヌア傭兵団の強襲を成功させる為の陽動部隊として帝都で奮戦、六界戦争を勝利に導く。

その後、ビーストバリアに帰国、ベルーマが国の指導者となると、これを補佐する為彼は軍事から身を引き宰相として仕える事となった。
しかし、彼の力をもってしても、自然の力には勝てず、ビーストバリア国は天災によりしばらくその国力を落とすこととなる。後に、ベルーマと霊虎の指導力が発揮され、国は立て直されるが、その間の天災期間は「獣達の10年冬眠」と呼ばれるこことなる。

人物

  • ベルーマの信頼も高く、どちらかというと蛮族的な扱いを受けた当時のビーストバリア国において、数少ない知友兼備の人、そのことから、他国からは「獣に過ぎたる者」と呼ばれた。

関連項目



最終更新:2011年04月22日 15:57