バスティの虐殺

概要

バスティの虐殺とは、アルファ1739年5月、ラ・ディアス帝国が行った南方侵略の過程で発生した虐殺事件である。

ラ・ディアス帝国の悲願であった南方進軍において、周辺諸国を戦わずして降伏させるため、小国バスティの首都は、焼け野原となるまで燃やし尽くされ、老若男女から家畜に至るまで全てを殺害せよと皇帝ロンディーナが命じた。
遠征総指揮官スレイナは、勅命には逆らえないとこれを実行、バスティは灰燼と化した。

真相

この虐殺事件により、皇帝ロンディーナの評判は地に落ちる。
だが、この命令は彼が発したものではなく、実際はスレイナが捏造した命令であった。
スレイナはこの時点で既に帝位簒奪を目論んでいた為、皇帝の評判を落とす工作を数多く行っていた、この虐殺事件はその総仕上げにも近い大掛かりな策であり、真相を知っていたのはクリスアーノと、彼の野望を知り、密かに接触してきたストライアのみである。

ロンディーナは身に覚えのない命令と当然否定したが、彼がこれまで行ってきたフェローラ国への私怨による遠征、そして南方侵略そのものは、確かに彼が起こした戦いということもあり、民衆はその言葉を信用しなかった。

関連項目


最終更新:2011年04月22日 19:48