スレイマン


基本情報


略歴

モルコア国の将軍、アーズ国によるモルコア解放後、アーズ国と共に各地を転戦していた。

モルコア国の真なる独立を考え、ビーストバリア国軍がセロナバルス国に出兵したとき、モルコア国領土を無条件で通す代わりに、アーズ国へ口添えを頼む一方で、アーズ国の外交官でありながら、行方不明となっていたナスティを探し出し、救出しようと画策する。

しかし、3333年2月、モルコア国王グスタフが、アーズ国のパーティーに出席した際、突如病死する。この頃、アルスレーナは、強大なアーズ国の軍事力を背景に、本格的に周辺諸国の併合を考えていた為、瞬時に謀殺だと悟ったスレイマンは、ナスティに「アルスレーナの暴走を止めて欲しい」と伝令を送る。

その後、神器衆クーデター事件によりアルスレーナは廃嫡されるが、代わりに王となったサウラは、マドリアルの戦いへの援軍を要求、アルスレーナ時代と違い、理由ある出兵であったが、結局モルコア国は、アーズ国の手足として働くことを強制された。
マドリアルの戦い後、真の目的であるアーズ国が提案した六界連合軍のことを聞かされ、これに参戦を決定する。

六界連合軍によるルーイガルド侵攻作戦がはじまると、ルーイガルド17327年カティアの戦い、艦隊を失い、大撤退戦となったハイネスブルの戦い、その後の立て直しとなったカスタリアの戦いに参戦。
連合軍が陸路と海路の二手に別れた時は陸路部隊に編入され、17328年ガルーダ攻略戦に参戦、苦戦しながらもビアスコア帝国最大の決戦の勝利に貢献する。
陸路、海路部隊が合流し、ビアスコア帝国を降伏させた後、フェルトビーン帝国に進軍。エイクレア攻略戦ゲルトエルトの戦いを経て、17328年8月、両軍最大の決戦となったカルダザルスの戦いに参戦し、レンゲと共に四牙将を食い止める活躍を見せる。
さらに、バスティアーナ要塞攻略戦の発案者として、味方の損害を最小限に抑えて難攻不落のバスティアーナ要塞を陥落させるという大戦果を挙げる。

17329年8月、シャクティアナ帝国との決戦となったエリス・ラゴンの戦いに参戦するが、ラスブロスの猛攻により一度は撤退、六界連合軍はその直後にラスブロス強襲作戦を行い、サヌア傭兵団の強襲を成功させる為の陽動部隊として帝都で奮戦、六界戦争を勝利に導く。

モルコア国に帰国後、国を支えると同時に、アーズ国、フレイミスト国、ビーストバリア国との同盟に全力を傾ける。
モルコア国の上層部は、再びアーズ国の手足にされることを危惧して全面反対したこの同盟だが、一切の上下関係のない同格の同盟として、締結にまでもってこさせたのは、彼の器量によるものである。

関連項目


最終更新:2011年04月22日 17:45