概要
内乱勃発までの経緯
ラグライナ帝国は、皇帝
セルレディカの元団結し、圧倒的国力・兵力をもって
ガルデス共和国、
クレアムーンを滅亡寸前まで追い詰めていた。本来ならこのまま「巨大な帝国が周辺諸国を併合」の一言だけで済まされる時代で終わる筈であったが、その最終局面において、突如皇帝セルレディカが崩御する。(病の前兆はあったので、暗殺等ではない)
セルレディカには息子はおらず、
ルディ、
セリーナという二人の娘がいた。
ルディは長女だが、権力の地位につくには穢れを知らない聖女であり、逆にセリーナは次女であったが、父であるセルレディカの覇王としての血を受け継いでいた。
セリーナは、帝位に就くことに躊躇ったルディに失望し、自ら帝位の継承を宣言した。それに対して、秩序を重んじてルディこそ帝位に就くべきだと考える一派が、ルディを誘拐同然で連れ出し、彼女を説得、
神聖帝国を名乗った。
こうしてラグライナ帝国は真っ二つに別れ、内乱状態となる。
その隙に、息を吹き返したガルデス共和国、クレアムーンも加わり、四つの勢力の物語がはじまり、この時代が後世においてもなお「物語」として語り継がれることとなる。
覇王として君臨した
セルレディカは、人生において一つだけ大きなミスを犯した。それは、明確な後継者指名を行わなかったことである。確かに長女である「ルディ」を指名すると公言していたが、これはあくまでも口約束であり、はっきりと書状として残していなかった、このことからセリーナは遺言書を捏造、彼女の暴走を招いた一因を作ってしまった。こればかりは、彼が巨大すぎる自分の存在を過信し、口約束でも十分公文書と同じ束縛力を持っていると思い込んでいたミスである。
彼ほど巨大なカリスマにおいても、一度鬼籍に入ってしまえば、その言葉は捏造され、利用されてしまうという「例」を後世に残す結果となってしまった。
ラグライナ帝国内乱図
内乱の経緯
1257年
- 2周期12日目、セルレディカ崩御、ルディが後を継ぐべく準備、帝位継承の儀式の為、カルカシアの神殿へ向かった。
- 2周期17日目、セリーナがリングオブクラウンを強奪し、帝位継承を宣言。
- 2周期18日目、セリーナがセルレディカの葬儀を行い、自らが帝位を継いだことを国民に発表、このときセルレディカの遺言書を捏造している。
- 2周期19日目、ルディ暗殺の可能性もあり、共にカルカシアへ向かっていたルディ派の将軍は、彼女を連れてヴェルティカへ向かう。
- 3周期2日目、ルディが神聖帝国を宣言、これにより、ラグライナ帝国には二人の皇帝が存在し、各部隊、特にガルデス共和国、クレアムーン方面にいた国境部隊は、どちらにつけばいいのかを考えるため次々と帰国、無統治地帯が生まれる。
- ルディはクレアムーンに対して、旧領の返還を条件に和睦を提案、セリーナもクァル・アヴェリの返還を条件にガルデス共和国と一時休戦。
- 6周期、神聖帝国とラグライナ帝国の間でティルの戦いが勃発する。これが直接戦火を交えた最初の戦いとなる。
- これ以後、小規模な戦いが断続的に続く。
1258年
1259年
どちらが正統派なのか
- 判断材料
- セルレディカによる正統な後継者指名はなされなかった。
- セルレディカは存命中、帝位はルディに、軍の最高司令官はセリーナにと臣下に洩らした。(正式発表はしていない)
- 神聖帝国側の主張
- ルディは長女であり、セルレディカも生前ルディを後継者にすると語った。(ただし、言葉のみで明文化はされていない)
- セリーナが「リングオブクラウン」を持っていたのは、強奪しただけ。
- ましてやセルレディカの遺言書を捏造するなど、子として恥ずべき行動である。
- セリーナはそもそもカルカシアの神殿で身を清めてすらいない。
- ラグライナ帝国側の主張
- ルディは帝位に就くことを拒んだ。
- 帝位を継ぐ「リングオブクラウン」を持っていたのはセリーナ。
- セルレディカの遺言状は、エルが密かに受け取ったものをセリーナに託されたもので、捏造などではない(ただしそれを裏付ける証拠は存在しない)
- カルカシアには行ってないが、セリーナはグラディエストの神殿において身を清めたので問題はない。
関連項目
最終更新:2011年04月22日 17:37