スティニア


基本情報


略歴

帝王ラスブロスの娘だが、数千年に渡ってシャクティアナ帝国に君臨したラスブロスに、何人の子が居たのか、本人すら把握していない。
帝王の子供達は、ある者は将軍として、ある者は政略結婚の道具としてそれぞれの人生を歩んでいたが、スティニアだけは帝王の娘という呼ばれ方に反発し、何の肩書きも持たない裸一貫から始める決意をして、城を出て行った。
しかし、その思い切った行動とは裏腹に、彼女の性格は決して情熱的ではなく、寧ろ物静かで口数の少ない娘だった。この出奔も、決して感情的な発作的行動ではなく、表に出さない沸々とした長年の疑問から実行された計画的行動だった。その大人しい性格と存在感のなさが故に、父であるラスブロスの記憶には残らず、彼女の出奔の報告を聞いた時、ラスブロスは「で、誰の娘が出奔したのだ?」と問い返したという。

その後、放浪の旅をしながら、将軍や帝王という地位からは見えなかった民衆目線での生活を体感し、父親譲りの魔力で山賊や野良魔物から村を守って報酬を貰う生活を送っていた。
彼女は特別法術師としての修行や勉強を勤めたわけではないが、天性の才能で難易度の高い術を使いこなせた。それを褒められる度に、結局その力は父譲りのものであり、自分はラスブロスの娘なのだということを自覚してジレンマに陥っていた。

やがて、民衆の物語を後世に残そうと、旅を続けながら様々な地方伝承や伝説を書き記す。これらの物語は、ときに史書として、ときに小説として高い評価を受けている。
六界連合軍ルーイガルドに到着してからは、父が討たれるまでの詳細な戦記を書き残しているが、スティニアは決して連合軍に同行していたわけではなく、伝え聞いた断片的な情報に自身の憶測や推測を補足して完成させている。
この頃から心情の変化が生まれ、父の背負った重荷の大きさを理解し、ラスブロスが討たれた後、自身の著書にそれまで使っていたペンネームではなく、ラスブロスの娘スティニアと、本名を書き記す様になった。

関連項目


最終更新:2011年04月22日 14:27