キャルス



略歴

イージル国主。
決して名君ではないものの、無難にイージル国を治めていたが、ボルゾックの檄文に応じてバルディゴス討伐連合軍に参加することとなる。
ジース砦の戦い(684)では勇んで先陣に名乗り出るが、猛将ゼノスの前に敗北、続くドルリア砦の戦いでも汚名返上の先陣をとるが再び敗北、アゾル国が援軍にきたためかろうじて全滅を免れ、体勢を整えることができた。これらの失態と部隊としての機能をほぼ失ったことから、ルーズの戦いでは、最後尾に配備され、ほとんど決戦に関わっていない。

これら一連の戦いで決定的に軍事的才能のなさを示してしまい、更に主力部隊も失う。
連合解散後、互いに争う戦乱の蜉蝣時代に突入すると、すぐさまメスローに攻め込まれ、シシリスの戦い(685)で残存していた兵力も四散、メスローに捕らわれ、命乞いするも聞き入れられず妻子ともども処刑された。

バルディゴス討伐連合軍に参加したことが、殆どの国主にとって「乱世への幕開け」であったが、彼だけは「終幕」であったのかもしれない。

人物

  • 乱世でなく平穏な時代なら無難な国主として生涯を全うしたであろうと言われているが、それを裏付ける治世における逸話はなく(否定する逸話もないが)、あくまでも後世の人々が手向けに送った言葉であり、最近では「慰め言葉の代名詞」とすら呼ばれている。

関連項目


最終更新:2013年12月11日 03:39