ゴゥド (国・民族名)

正式名称 / 統治体制

ゴゥド・ハン国 / 君主制

エンブレム


特徴

 ラドリザンの歴史に登場した遊牧国家の1つ。
 ゴゥド族を中核とし、14世紀から17世紀にかけてユーラスティ大陸北部平原地帯の主導権を握り、ロフォーテン朝べステロス王国を滅ぼす等強勢を誇ったが最終的に後継者争いから分裂、1657年アザルの親征軍に敗れて壊滅させられた。

ゴゥド族の登場
 歴史にゴゥドの名前が初めて出現するのは1347年であるが、それ以前よりユーラスティ大陸北部では数々の遊牧民族が部族連合体を形成し、大陸中原に対し影響を及ぼしていたことから、その時代時代の中心部族に従属しつつ遊牧生活をしていたと思われる。
 14世紀後半に入ると急速に勢力を拡大しロフォーテン朝べステロス王国を圧迫し始め、1516年には、ベステロス王国が築いたグレートウォールを突破、同国を滅亡においやり、後継のハランド朝ベステロス王国と激戦を繰り広げる等、中原においても覇を唱えた。

ゴゥド・ハン国の形成
 16世紀中葉になるとキルプゥト・ハンの元、法律を整備し、中原の文化を取り入れる等更に国力を蓄え、1593年にはユーラスティ大陸北部諸部族をほぼ統一、メラニルムに首都を置いた。なお歴史書ではこの年を正式なゴゥド・ハン国の建国年としている。
 1629年には、キルプゥトの孫であるメウチゥト・ハンがアザルと軍事同盟を結び、1632年に長年の宿敵であるハランド朝ベステロス王国を滅ぼす等国家として最盛期を迎えた。
 しかし、1641年メウチゥトが亡くなると彼に子供がいなかったことから後継者問題が発生、またキルプゥトの代から続く中原文化導入に対する反発が表面化し、内乱状態となる。
 その後大陸中部を統一したアザルの介入を受け国家は急速に瓦解、1651年、1657年の2度に渡る親征により壊滅した。

歴史

  • 1347年 ゴゥド族がベステロス王国の北の草原地帯に出現。
  • 1419年 ベステロス王国とゴゥド族を分断する石壁「グレートウォール」が完成する。
  • 1516年 ゴゥド族が「グレートウォール」を突破し、ベステロス王国領への侵入を開始。
  • 1522年 第3周期 ゴゥド族がベステロス王国首都ベステロスを占領。
  • 1530年 10月、ベオウルフ・ハランドがゴゥド族から王都ベステロスを奪回。
  • 1533年 キルプゥト誕生。
  • 1562年 キルプゥト、ハンの地位に就く。
  • 1593年 メラニルムに首都を置く。
  • 1629年 自由国家アザルとゴゥド・ハン国との間で、ベステロス王国を仮想敵国とした軍事同盟を締結。
  • 1630年 アザル=ベステロス戦争開始。
  • 1632年 アザルが王都ベステロスを占領。ベステロス王国滅亡。
  • 1641年 メウチゥト・ハンが亡くなり内乱が勃発
  • 1651年 アザルの第一次親征により首都が陥落する。
  • 1657年 アザルの第二次親征により滅亡。

主な出身者

  • キルプゥト・ハン
  • メウチゥト・ハン


最終更新:2011年04月22日 15:49