基本情報
略歴
祖父の代に帝国から
ガルデス共和国に移住。年齢17で歩兵として入隊し。20歳時に当時の上官に見込まれ士官学校に編入する。
士官学校卒業後は順当に功績を重ねるも、数度出された将軍職の辞令を蹴り、1252年まで歩兵部隊長職にあった。感情を表に出さず、だが、常に前線に向かう勇猛な部隊指揮官と言える。ただ、一部の将兵を除いて人望はあまりない。
1249年3周期の国境戦で生涯のライバルとなる
ラグライナ帝国の
ベルンハルトと出会い、1253年3周期14日目、
ラグライナ帝国と
ガルデス共和国の間で起きた
モンレッドの戦いでも、キロールとベルンハルトの命令無視ではじめた遭遇戦から、この後何年にも渡る2国の長き戦いがはじまることとなる。
1255年、9周期23日目
フェルグリアの戦いにも参戦し、ここでも周囲の戦局をまったく無視した二人だけの戦場を作り出し、敵・味方問わず近づけない空気を出して激突を繰り返した。翌年の
第3次モンレッドの戦いでも、当然の如く
ベルンハルトと戦うが、このときは後続部隊を得たベルンハルトの前に撤退する。
クァル・アヴェリの戦いにおいて、味方を撤退させるため、帝国軍に突撃、そこで
ベルンハルトと最後の一騎打ちに勝利するが、止めは刺さなかった。
その後も味方の撤退の為、帝国軍に突撃して暴れるが、最後は力尽き、名もなき兵士達に捕らわれる。
帝都に移送された後、その武勇を惜しんだセルレディカが恭順を促すが、これを拒否、本人の希望により処刑台へと向かった。
人物
- シャルンホスト家には10人のメイドが仕えていたが、彼女達はそれぞれ異なる武器を使い、武芸の心得もあった。キロールが最前線に赴くときは、身の回りの世話をさせるため、交代で常に一人だけ随伴させていた。
- 第3次モンレッドの戦いで、はじめてベルンハルトを生涯の宿敵と認める言葉を発したという。
関連項目
最終更新:2011年04月22日 15:07