ガイヴェルド


基本情報


略歴

アル国領ベルス城の城下町で生まれ育つ。アル国は、蜉蝣時代到来前からロッド国との戦い、圧制により相次ぐ反乱との戦いにより、多くの戦災孤児を抱えていた。彼もその一人だったが、見所があった為、長老に養われていた。孤児という負い目からか下男のようによく働くが、その生活が彼に本心を表に出さない二面性と、権力、出世に対する執着という後の悲劇につながる火種を植えつけていた。
このベルス城を拠点に、ディアルルーディアベルザフィリス国を建国する。圧制に苦しんでいた長老もこれに喜んで協力したが、その返礼のために長老の元に訪れたディアルルーディアは、若きガイヴェルドに才能を感じ、養子として迎えることとした。

以後はルーディアの直属部隊として動き、戦場では進んで最前線へと駆けて活躍を増やし、やがて結成された五舞将の筆頭となる。
特に、リッドゾーンの戦い(694)における機転の鋭さ、ル・ヴァラヴァ・ザードの戦い(697)での槍働きは、ルーディアまでもが驚愕するが、まだ世間からは、ガイヴェルド個人としてではなく、「ルーディアの養子」としか見られていなかった。
本人もその声を気にしていたのか、その後、自らの要望によってルーディアの元から独立し、東の国境に駐屯、バルド国、ロードレア国、シャリアル国と、次々と強敵を相手にして戦う。
これらの名声と戦歴を積み重ね、彼が「ルーディアの養子」からガイヴェルド個人として独立を果たすには701年まで待たなければならなかった。
ディースの戦い後にルーディアは突如引退を決意、ガイヴェルドに国主の座を譲ることとなる。
しかし、ルーディア以外の主に仕える気はないと、五舞将の同僚であったシレンデイロードが反乱を起こす。彼が国主となって最初の仕事は、同僚を討つという「血の16日間事件であった。この戦いで二人を撃ち破り、苛烈な処断をもって自らの国主継承を内外に示した。
第2次ディースの戦い(702)ではヴェリアの前に敗れるものの、707年にはロッド国を併合。
その後、衰退していくロードレア国を滅ぼし、ロー・レアルス国と天下分け目のヴァイグの戦い(710)、更にルディックの陣(711)で相次いで勝利を収め、ついに天下統一を果たす。

しかし、権力の全てを手に入れた彼は、それを守るためにあらゆるものを信じなくなる。
軍師ディルセアとはヴァイグの戦い頃から折り合いがあわなくなり、身の危険を察したディルセアは隠居を決意、ガイヴェルドの元を離れて旅にでる。
そして折からの悪天候で民が苦しむ中での皇帝就任に、ルーディアが反発したときから全ては狂い始め、数年の確執の末に養母ルーディアを暗殺する。
これに反発したレニィラバイアラスディグドヴィルガスが、ガイヴェルドの追い落としを謀るが、計画を察知すると、彼らを捕らえ、即座に処刑した。(国崩れの乱

彼の治世は長くは続かず、この大陸は天変地異に襲われ、南への大移動が始まる。ガイヴェルド自身もディアルルーディアの出身地であるシーザルス国へ移住(本人は遷都・または聖都帰還と称したが、食客であるのは明白である)したが、ルーディア暗殺の噂は既に広まっており、民衆からは「墜ちた皇帝の歓迎されない晩餐」と噂された。
748年、シーザルス国で崩御(治めるべき国はなかったが、肩書きだけはまだ皇帝だった為)
乱世を治めた男とは思えないほど、質素な葬儀が行われたという。

戦乱の時代を終わらせた英雄ではあるが、ルーディアと違って特筆すべき善政がなかったこと、そして不運にも直後に天変地異が訪れたことから、後世における人気は一段劣り、「彼が権力を握って最初に行った戦いが同僚殺しであり、権力者として最後に行われた仕事が同僚処刑であった」と不名誉な部分が語り継がれることとなる。

関連項目


最終更新:2014年02月01日 21:58