聖都の変

概要

聖都の変とは、ラドリザン1254年に、クレアムーンで発生した政変。
ただし、政変であったことが判明したのは、後になってからなので、発生した時は「聖都の変」とは呼ばれていない。

経緯

クレアムーンは、古くから神託によって国主を決める習わしがある。しかし、実情は、政治、軍事、外交のあらゆる決定権は20名からなる神官が握り、神官達は自分たちの決定した内容を一切拒否しない「傀儡」としての巫女を欲し、そのカリスマだけを利用して「巫女が信託を受けた」として公表させたかったのである。

月風麻耶は、その体制に疑問を持ち、自らの意思で国を導いたため、神官とことごとく対立する。
クレアムーンの領土に侵入してきたラグライナ帝国軍に立ち向かうが、1252年「ウルグレイの戦い」で軍師エルが操る軍勢によって月風麻耶は敗北。
これが月風麻耶と神官の不仲を決定付けることとなる。

迫りくるラグライナ帝国軍を相手に戦う月風麻耶だったが、戦略的後退を、敗走と勘違いした神官たちは、ついに行動にでる。
翌日、「月風麻耶は自らの不徳を理由に突如引退、月風麻耶の神託により、後継は真田弥生が指名された」と国民に発表された。

真田弥生は、巫女としての能力とカリスマは高かったが、自己主張ができない性格であり、神官たちには格好の操り人形になると思われた。真田弥生を使って帝国と和平を結ぼうとしたが、月風麻耶隠居を聞いた主力部隊が本国に無断で帝国軍と一時和睦を結び帰還。真相を突き止め、神官たちを一掃する。

月風麻耶のその後

帰還した主力部隊によって一掃された神官たちだったが、最期まで月風麻耶の処断だけは口を割らなかった。それは、彼らなりの「道ずれ」だったと思われる。
そのため、月風麻耶の末路については諸説乱れ、時代が経ちすぎ、新たな資料が発見されなくなった事もあり、真実は永遠に判明しないと言われている。

  • 月風麻耶の末路について
    • 「暗殺説」 神官たちによって暗殺され、発見されない場所に埋葬された。もっとも説得力がある説。
    • 「処刑説」 第二種処刑を受け、該当する施設へ送られたという説。
    • 「自殺説」 神官に追い詰められ自害、あとは暗殺説と同じ。
    • 「廃人説」 どこかへ監禁され、精神が崩壊したという説。数十年後、自分は月風麻耶だと名乗る老婆が現れたのが根拠だが、明確な目撃情報ではないため信憑性は低い。

関連項目


最終更新:2011年04月22日 17:37