ストライア


基本情報


略歴

ラ・ディアス帝国の智将、自身の智謀に自信を持ち、スレイナの野望にもいち早く気付いた為、早い段階で彼に接触して自分を売り込んだ。
1737年、南方侵略からはじまったノアルスの戦いでは、戦いこそガルゾーマシャラダンの魔王連合に敗れるが、更なる罠を見抜き、本国への撤退を決意している。
1738年にスレイナが総指揮に任命された南方制圧に従軍。ここでおきたバスティの虐殺に関して疑問を持ち、スレイナが皇帝ロンディーナの地位を落とすために画策したと読み、政変の時が近いと自らも準備、1740年に政変が起きると、真っ先にスレイナに協力を申し出た。

六界連合軍によるルーイガルド侵攻作戦がはじまると、ルーイガルド17327年カティアの戦い、艦隊を失い、大撤退戦となったハイネスブルの戦いに参戦。
彼が頭角を現すのはこれ以後で、壊滅的打撃を受けた六界連合軍の再編成において辣腕を振るい、軍師の一人にまで上り詰めると、様々な策略を実行することとなる。
しかし、彼の基本戦略はサルファーエリシアのなるべく多くの国を仲間とする和平路線とは異なり、徹底的に侵略と征服することにこだわった。
再編成後、土台となる土地が必要となった六界連合軍は、クリスアーノの進言により、ローヴァー国、スパルス国に攻め込むこととなった。このときストライアは「何も二国と戦う必要はない。スパルスへは強襲を、ローヴァーへは恫喝を同時に行う。スパルスとの戦いに勝てば、ローヴァーはこの前の大敗の記憶が蘇り、勝手に折れる」と進言した。
こうして、彼の進言によりはじまったカスタリアの戦いでは、予測通り大勝を飾るが、ローヴァー国との交渉は決裂する。すると、ストライアはすぐさま独断で軍勢を派遣し、ローヴァー攻略戦において首都を陥落させた。
彼は、ローヴァー国が持つ港をどうしても支配下に置きたいと考えていた為、命令違反を犯してまでこの戦いを起こしたが、それは連合軍本陣が「やりたいけど大義名分の下できなかたこと」であり、自分がそれを実行しても処罰されずに黙殺されるという自信があっての行動であった。

連合軍が陸路、海路へ別れた後は、海路側の軍師となり、グラドリア上陸作戦においては想像以上の苦戦を強いられながらも、ベレル国上陸に成功する。
しかし、ベレル国進軍の基本方針の意見対立や、ルーティス砦攻略戦における伏兵の見落とし(結果的に撃退したのはストライアだが)と、失策が続く。その一方でエリシアは敵将シグマを反間の計で離脱させることに成功させた為、焦りを感じ始め、敵将コストを懐柔し独断で策を弄した。しかしこれが失敗すると、急ぎベレル国を力で攻め落とし、ベレル国王リルトを処刑、自身の策を闇に葬り去った。
これら一連の行動の結果、エリシアとの信頼関係は完全に失われ、この頃彼女は作戦内容をストライアではなく、ロリスザードマルキィと相談していた。
それでも立場的にはまだ連合軍の軍師の一人であり、ランクヘン国と間で行われた和平会談エマルゲートの会合に出席するという大役を果たした後、陸路部隊と合流するべくフェオル大陸からスパルティア大陸に向かって出発。陸路、海路部隊が合流し、ビアスコア帝国を降伏させた後は、フェルトビーン帝国に進軍。エイクレア攻略戦を経て、17328年8月、両軍最大の決戦となったカルダザルスの戦いに参戦して勝利を収めると、ゴルゴダの内通から、彼を利用する策を実行、フェルトビーン帝国の疲弊を間接的に演出し、負の遺産を全てゴルゴダに背負わせて処刑した。
17329年8月、シャクティアナ帝国との決戦となったエリス・ラゴンの戦いに参戦するが、ラスブロスの猛攻により一度は撤退、六界連合軍はその直後にラスブロス強襲作戦を行い、サヌア傭兵団の強襲を成功させる為の陽動部隊として帝都で奮戦した。

六界戦争終戦後はラ・ディアス帝国に帰国し、ウラヌス制圧にも多大な功績を残し、更なる栄達を果たしたが、彼の欲望に終わりはなく、トルティナロップスを完全併合するべく策を弄する。
だが、帝国内において七騎士反乱が勃発すると、今後の情勢をすばやく読み取り、いち早く反乱側に寝返る。
彼自身は勝利の確信を持っての寝返りだったが、その身替りの早さから使命を受けての潜伏ではないかとの警戒心を呼び、酒宴の最中に刺殺された。

人物

  • 強引さはあったが、民衆の扱い等にも長けていた為、領内に怨嗟の声はなかった。ただし、彼に民衆に対する慈愛はなく、敵も味方も民衆さえも、その全てが自分にとっての「道具」であり、道具をマニュアル通りに最大限に活用していたに過ぎない。
  • 野望は高いが、それは権力欲とは異なり、自分の智謀で戦局を決定付けるという事自体に麻薬的快感を覚え、その機会を増やす為により多くの戦場に立つ為の出世欲であった。

関連項目


最終更新:2011年04月22日 18:01