ベステロス

正式名称 / 統治体制

ベステロス王国 / 君主制

エンブレム


特徴

ユーラスティ帝国の後継国家にして、ラドリザンの歴史に登場した大国の1つ。
その歴史は、初代国王アルヴィスによって建国されてからゴゥド族の侵攻によって王都が陥落するまでの時期(ロフォーテン朝ベステロス王国)と、中興の祖ベオウルフによって王国が再建されてから完全な滅亡を迎えるまで時期(ハランド朝ベステロス王国)に分かれている。

ロフォーテン朝ベステロス王国
1203年、元帝国総督アルヴィス・ベステロスがユーラスティ帝国を滅ぼして建国。
その後、相次ぐ征服戦争によりユーラスティ帝国を上回る版図を獲得し、14世紀初頭にはアレシア連邦と同盟を結ぶなど、ラドリザンにおいて有数の勢力を誇る大国に成長した。

だが、14世紀に入ると、王国北方を中心にゴゥド族と呼ばれる騎馬民族が出現し、安全保障上の重大な脅威となる。
ベステロス王国はグレートウォールと呼ばれる防御壁を構築した上で、グレートウォールの北側でゴゥド族を攻撃することで、領土内の安全を保持することには成功したものの、グレートウォールの維持費と度重なる戦費は同国の経済に重い負担として圧し掛かるようになった。

また、1439年に当時の国王が急病に倒れたことが引き金で、王族と姻戚関係を結んでいたイェーテボリ公爵家とアグデル侯爵家が次期王位を巡り武力衝突を引き起こし、後世「竜の共食い」とも「20年戦争」とも呼ばれる内乱が勃発した。
この内戦は1460年に終結したものの、国力と王家の威信を決定的に損なう結果となった。

1522年、グレートウォールを突破したゴゥド族によって王都ベステロスが占領されたことにより、ベステロス王国は「1回目の」滅亡を迎える。

ハランド朝ベステロス王国
王都占領によって一度は滅んだとされるベステロス王国を再興したのは、王国南部の都市ベルゲンを支配していた王族のベオウルフ・ハランド伯爵である。
彼は1530年にゴゥド族から王都を奪還すると自ら王位に就き、ベステロス王国の復活を宣言する。しかし、ベオウルフが実効支配していた領土は全盛期の半分に過ぎず、北部はゴゥド族、南部はバシュルカ湖賊、ミルドの支配下に置かれていた。ベオウルフはゴゥド族との戦いに対決に専念する為にバシュルカ湖賊と同盟を結び、バシュルカ湖賊とミルドを戦わせる戦略を採ったものの、バシュルカ湖賊が滅亡させられるなど南北双方の戦線で決定的な勝利を得ることはできなかった。

バシュルカ湖賊の滅亡後、ベオウルフはラコルニア帝国と同盟を結び、自由国家アザル(ミルド)を遠巻きに包囲し封じ込める戦略を選択する。この戦略は一定の成果を上げ、ベオウルフが1557年に崩御してから約70年もの間、ベステロスとアザルは比較的安定した時代を送ることができた。しかし、ベオウルフの崩御後、ベステロス王国は短命の王が続くなど政情不安が続き、長期にわたる外交的な小康状態を有効に生かすことができなかった。

1629年、アザルはゴゥド・ハン国(ゴゥド族)と軍事同盟を締結。ベステロス王国が南北から挟撃される状態になったことから、各国の間で政治的緊張が一気に高まる。そして、1630年に発生したベステロス王国とゴゥド・ハン国の国境紛争が引き金となり、アザル・ベステロス・ゴゥドの3ヵ国による全面戦争(アザル=ベステロス戦争)が勃発。開戦当時はベステロス王国側が有利と言われていた戦争であったが、同時期に行われていた別戦役の影響でラコルニア帝国はベステロスに対する援軍を派遣することができず、このことがベステロス王国の命脈を絶つこととなった。

国家としてのベステロス王国は1632年に「2回目の」滅亡を迎えたが、その残党勢力やユーラスティ帝国時代から続く在地勢力による抵抗はその後も続き、自由国家アザルをはじめとするラドリザン諸国の政情・外交関係に複雑な影響を与えていく。

オペラ『The End of ELEGY』では、エピローグ部にルイーザ・ランドルフの敵役としてその名前が僅かに登場するのみである。ただし、アザルとベステロス王国の約80年間にわたる抗争を題材にした戯曲等はその他に複数作成されている。

歴史

ロフォーテン朝
  • 1203年 アルヴィス・ベステロスにより建国される。
  • 1302年 ベステロス王国がアレシア連邦と友好条約を締結。
  • 1347年 ゴゥド族がベステロス王国北の草原地帯に出現。
  • 1419年 ベステロス王国とゴゥド族を分断する石壁「グレートウォール」が完成する。
  • 1439年 第10代国王シグルド・ロフォーテン・ベステロスが病に倒れる。次期国王の座を巡り、王弟夫人の実家・イェーテボリ公爵家と王太子及び国王夫人の実家・アグデル侯爵家が対立。
  • 1439年 第7周期、ベステロス王宮内でイェーテボリ公爵私兵による王太子暗殺未遂事件が発生。この事件を機に、イェーテボリ公爵家とアグデル侯爵家の全面戦争が開始される(竜の共食い)。
  • 1460年 第1周期、睡蓮庭園の和約が成立し、「竜の共食い」が終結する。
  • 1480年 この頃、バシュルカ湖賊が出現。
  • 1516年 ゴゥド族が「グレートウォール」を突破し、ベステロス王国領への侵入を開始。
  • 1522年 第3周期、ゴゥド族がベステロス王国首都ベステロスを占領。

ハランド朝
  • 1530年 10月、ベオウルフ・ハランドがゴゥド族から王都ベステロスを奪回。自らの名前を「ベオウルフ・ハランド・ベステロス」に改め、ベステロス王国の復活を宣言。
  • 1532年 ベステロス王国とバシュルカ湖族の間で秘密軍事同盟が成立。
  • 1547年 ベステロス王国の使節団がラコルニア帝国を訪問。
  • 1551年 ベステロス王国とラコルニア帝国の間で友好条約が締結され、ベオウルフが「ベステロス王国の正統なる継承者」としてラコルニア帝国から承認される。
  • 1557年 ベオウルフ王の崩御。
  • 1629年 自由国家アザルゴゥド・ハン国との間で、ベステロス王国を仮想敵国とした軍事同盟を締結。
  • 1630年 アザル=ベステロス戦争開始。
  • 1632年 アザルが王都ベステロスを占領。ベステロス王国滅亡。

主な出身者

  • アルヴィス・ベステロス
  • ベオウルフ・ハランド
  • リセリア・イェーテボリ・ハランド
  • サマンサ・ベンドリック



最終更新:2011年04月22日 17:43