ゲイル


基本情報


略歴

ガルデス共和国司令官兼参謀官として精鋭部隊を任され各地の戦いで活躍。同時に数多くの優秀な人材を副官につけて幅広い人脈をつくるなど、人事にも貢献した。
1253年3周期14日目、ラグライナ帝国とガルデス共和国の間で起きたモンレッドの戦いに総指揮官として参戦。戦いにこそ敗れるが、損害を出さずに撤退する。
1255年フェルグリアの戦い、翌年の第3次モンレッドの戦いにも参戦、帝国軍本陣まであと一歩にまで迫りながらも撤退する。
その後、クァル・アヴェリの戦いにて防衛の指揮をとるが、帝国軍に押し切られて首都に帰還。
首都を目指す帝国軍に、ノスティーライナの戦いにおいてラヴェリアと共に奇襲を仕掛けるが、僅かに届かず撤退。

だが、帰国した彼を待っていたのは、ラヴェリア事件によって議長ラヴェリアが落命したという知らせであった。
その後、ゴゥドが台頭を始めたことにより、ラヴェリア派閥だったゲイルは完全に中央からはずされ、レッド・ゲアルの戦いにおいては、船を製作するための輸送部隊として第二陣になる。しかし、この戦いで共和国軍は敗北、ゲイルは撤退する味方をよく守り、コーデルスで密かに建築中だった砦を燃やして本国に帰国した。
1258年、ガイ・アヴェリの戦いにも参戦するが、ゴゥドレディスを失脚させた際、ゴゥドからの協力要請を完全に拒否し、直後に行方不明になったレディスを密かに探し出して救出した。
ゴゥドが急死した際は、レディスと共に暗殺主犯として疑われたが、あえて弁明せず、堂々とそれまで通りの仕事を行うことで、徐々に噂は風化していった。

その後も各地で指揮官としても外交官としても活躍し、戦乱の時代を生き残る。
兵権は娘のリナが継ぎ、自らは「統帥治論」を執筆、本の完成の5年後にリナに見取られて静かに息を引き取る。

人物

  • 親バカでも知られており、娘リナへの過保護の様子は共和国内で知らない者はいないほどだった。

関連項目


最終更新:2011年04月22日 15:30