レアルーシ


基本情報


略歴

ラコルニア帝国第4代皇帝、1520年即位。その受け継がれた血筋は「文」より「武」を好むが、ただ、無造作に戦争を行うだけではなく、広大な帝国を治めるだけの器量を持つ。
自身で政治を行うのではなく、自らが選び抜いた内政官に全てを一任しているが、その内政官を選ぶ手腕は歴代皇帝の中でも最高と呼ばれるほどの慧眼である。
1524年、大寒波によって危機に瀕していたラコルニア帝国は、元々寒波に強く、今回の天災においても食料に不足していないクレアクライシスの土地を奪うべく、ティアの反対を振り切ってクレアクライシスへの進軍を決意した。しかし、その初戦となるカッチェの戦いで敗れ、更にカッチェ・ドルムウントの戦いにおいても敗北し、帝都ドルムウントを包囲されるという屈辱を味わう。
その後、テレーゼの仲裁により、ティアと和解、彼女の軍勢を加えて、クレアクライシスとの決戦となるロイカーンの戦いに挑む。
この戦いで勝利を収め、その戦果をもって和平を結ぶ、というのがレアルーシとティアの目論見であった。
1525年、ロイカーンの戦いにかろうじて勝利すると、クレアクライシスとの和睦には、自分よりティアの方が向いていると、帝位の禅譲を示唆した。
結局、ティアの失明によりそれは実現しなかったが、テレーゼミューゼルを表と裏で使いこなし、1527年クレアクライシスとの和睦を実現させた。

その後、養子のリックに帝位を譲って引退するが、皮肉なことに、クレアクライシスからやってきたリックが、かつてのレアルーシの様に外征に燃える皇帝となってしまう。今度はレアルーシがティアの役目を負う番であったが、その本懐を遂げる前に突然謎の死を迎える。その死については「リックによる暗殺」「病死」「事故死」など様々な説が飛び交っているが、真相は闇の中である。

人物

  • レアルーシ個人は、クレアクライシスに一度も勝利していない。にもかかわらず後世において彼女の評価が高いのは、「ここまで追い詰められた状態を押し付けられ、絶望的な状況だったのに、帝国を滅亡させなかった」という逆説的な評価に伴っている。

関連項目


最終更新:2011年12月29日 17:35