クレアムーン

正式名称 / 統治体制

クレアムーン国 / 神託

エンブレム


クレアムーン国の紋章は、この国独特の家紋が用いられている、名前は「みなもかえで」であり、水面にうつった月に楓が重なった風流な姿を描いている。
何よりもまず調和を目指した巫女の国に相応しい紋である。

概要

正式名称はクレアムーン「国」だが、巫女の求心力の下、自主的に集まった集団ということを強調したくて、極力「国」と言う言葉は省略し、クレアムーンと名乗っていた。

もともとは、魔物がすんでいた地域だったが、国家が存在していたわけではない、そこに水鏡莉奈が流民を引きつれて1142年、クレアムーンを建国した。
1200年代に入ると、周辺の未開地も開拓し、集落が作られる。だが、ラグライナ帝国が版図を広げ始めると、いずれ国境を接することを覚悟し、それまで不仲だったガルデス共和国(水鏡莉奈が引き連れた流民の中には、ガルデス共和国からの脱走者も多く含まれていた為)と反帝国の旗を掲げて協調する。
しかし、ラグライナ帝国の力は既に2国連合を大きく上回っていた為、局地戦で苦しめることはあっても、国力・兵力の差で押し切られ、さらに当時の神威巫女であった月風麻耶突然の失踪(聖都の変)により、国内は混乱、1255年、首都であるヒモロギは帝国軍に包囲され、聖都クレアの戦いで滅亡寸前まで追い詰められる。
だが、この戦いは天災によって奇跡的に敗北を免れ、さらにラグライナ帝国において帝国内乱戦争が勃発し、歴史は思わぬ方向へ動き出す。
国境断絶事件により、ガルデス共和国と険悪となるが、バスティアの会談に出席し、ルディの平和を求める誠意に打たれた真田弥生が、それまで傀儡的だった自分の立場の殻を破り、「ラグライナ帝国が提唱するアレシア連邦に参加する、それこそが神託」と声を上げて発表、反対派の動く隙を与えず、和平への大きな一歩を踏み出した。
1400年代、アレシア連邦が安定と発展の時代に入り、やがて一つの国としてまとまりはじめると、クレアムーンという連邦における一国は、その役割を終え、自然消滅した。

統治機構
名目上の国家元首は神威巫女であり、神威巫女から発せられる「神託の決」と呼ばれる布告が、同国において最も強い法的拘束力を有している。
ただし、神威巫女は「神託の決」によって独裁的な力を行使できたわけではない。神威巫女による親政が機能していたのは、建国者・水鏡莉奈の時代と月風麻耶の時代のみである。歴史的に見ると、神威巫女に対する輔弼・助言を主たる任務としていた側近達──神官・巫女武将がより強い政治的発言権を持っていた期間のほうが圧倒的に長い。

側近グループの中で最も強い発言力を有していたのは20名前後の男性神官によって構成される勢力であり、彼らはクレアムーンの実権を掌握し、歴代の神威巫女を傀儡としてコントロールするほどの存在となっていた。強大化した神官勢力に対して危機感を抱いた月風麻耶は、1252年の就任直後に3名の高位神官を追放するなど神官達の影響力を削ぎ、神威巫女による事実上の親政を目指していた。しかし、このことが神官達との深い亀裂を生む原因となり、1254年に月風麻耶は「引退」の名目で失脚させられてしまう(聖都の変)。
神官勢力は月風麻耶の失脚後に勢力を盛り返し、真田弥生以降のクレアムーンで強い政治的影響力を保持した。また、クレアムーンの後継国家であるクレアクライシスでは、神官勢力は宗教保守派・反ラコルニア帝国派の中核メンバーとなり、ラコルニア帝国に対する主戦論を主導する役割を担っている。

「巫女」や「神託」などの単語による清楚で神聖なイメージが想起されることの多いクレアムーンであるが、統治機構・政治体制に限れば、清楚でもなければ神聖でもない暗部を内包している。このことを考慮したのかどうかは不明であるが、『アレシア戦国記』など一部の歴史書では、クレアムーンの統治体制は「宗教的権威を利用した寡頭制国家」と説明されている。

 クレアムーン国の統治体制を理解する為には、その頂点に立つ神威巫女ではなく、彼女を支える祭祀階級の人々に注目する必要がある。一部の例外的な時期を除き、クレアムーンにおける政治史の大半は、彼ら祭祀階級の人々の手によって形作られている。神威巫女の任務は、形式的な国家元首として祭祀階級の人々が提出した政策を追認・公布することと、クレアムーン国の象徴として外交関係の矢面に立つこと、そして同国の宗教的儀式の数々に関わることが中心であった。
 国家元首たる神威巫女がある意味において「真空」の存在であることは、国家元首が政策立案の中核に位置していた両ラグライナ帝国やガルデス共和国と比較して、法体系・統治体制の未熟さを示すものとして批判に晒されることも多い。しかし、神威巫女に政治的実権が無いことは、同国の政治にとってプラスになる面も存在する。神威巫女は同国の最高の宗教指導者として無垢・無謬の存在であることを求められており、世俗の政治的失敗や非道徳的施策によってその宗教的権威が損なわれることは、宗教を中核に据えたクレアムーン国の統治体制を不安定化させることにも繋がるからだ。政治に深く関わらせることによって神威巫女の権威が損なわれるのであれば、最初から政治に深入りさせないほうが良い──神威巫女から政治的実権を奪うことは、クレアムーン国の統治体制を強化する側面も有しているのである。
 ただし、水鏡莉奈の死後に寡頭制に移行した理由は、他にも2つ考えられる。第1に、水鏡莉奈に匹敵するリーダーシップと武官としての能力を持った巫女が存在せず、水鏡莉奈による「征服」事業をそのままの形で進めるには困難が生じたこと。そして第2に、祭祀階級の既得権益を保護する為には神威巫女が傀儡であることが望ましかったことである。
 いずれの理由が正しいにしろ、クレアムーン国の神託による寡頭制は、宗教的理由ではなく世俗的理由に基づいて展開されていたことになる。

── アレシア戦国記、クレアムーン国概要より

身分制度
巫女・神官をはじめとする聖職者階級と、武将位を持つ軍上層部が社会的なエリートとして認知されていた。世襲の職責としての色合が強かった男性神官とは異なり、巫女と武将については個々人の能力を重視した任用が行われることも珍しくは無い。このことから、比較的低い身分の人間に対しても、エリートへの門戸は大きく開かれていたのではないかとする学説も存在する。
奴隷階級の存在は公的には確認されておらず、その有無については歴史学者の間でも意見が分かれている。

風俗
クレアムーンの地は、元々は異形の者が生息するなど過酷な自然環境であったのだが、移民による開墾が進むことによって耕地が広がった。後の時代になると、ヒロモギやラスティに至る平原はユーラスティ大陸でも屈指の穀倉地帯として繁栄することになる。
主として栽培されていたのは米と、越冬して生産が可能な植物類である。越冬して栽培される植物の名前は「ルイカ」「ミズチ」などと伝えられているが、現在ではその正体は定かではない(麦の一種ではないかとも言われている)。
米食文化が発達した影響からか、米を加工した食品(お萩、白酒など)も多数生産されており、アレシア連邦初期の時代に発行された文献にも、クレアムーン産の加工食品として米を使用した菓子類が多数記されている。

歴史

blankimgプラグインエラー:画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。

1246年時の勢力図(クリックで拡大)
blankimgプラグインエラー:画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。

1254年8周期時の勢力図(クリックで拡大)
blankimgプラグインエラー:画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。

1256年1周期時の勢力図(クリックで拡大)
  • 1257年 2周期、ラグライナ帝国において帝国内乱戦争が勃発、クレア方面の各都市にいた帝国軍が一気に南下、ほぼ無統治状態となる。
blankimgプラグインエラー:画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。

1257年2周期時の勢力図(クリックで拡大)

主な出身者


この国を舞台とした物語


最終更新:2011年04月22日 15:18