牙谷の戦い

概要

牙谷の戦いとは、ラドリザン6893年、クルーディア帝国とパレスの間で起きた戦いである。

戦闘に至るまでの背景

パレスは、宗教国家を名乗っているが、その規模は帝国や共和国の一都市と同規模程度である。にも関わらず、三つ巴の戦いにおいて、多大な影響を与えていた。
特にクルーディア帝国にとっては、もっとも動いてほしくないタイミングに必ず動かれ、僅かな兵力で帝国の動きを封じるという、厄介な存在であった。
これらはひとえにホワン個人の智謀・能力によるところが大きく、逆を言えば、ホワン1人を倒せば、パレスは無力化することが可能であった。

ラドリザン6893年、ランドヴァルク作戦におけるサムルトンの裏切りで、大敗北を喫したクルーディア帝国だが、健在振りを内外に示さなければならなかった。
フェリサスを中心として軍勢は再編され、来るべきサムルトンとの戦いに備えていたが、それと同時にグラスシードパレス征伐を命じた。
こうして、グラスシードは、ホワンとの決戦に赴く。
帝国内における1部隊であるグラスシードだけでも、ホワンと兵力的には互角であった。しかし、パレスは自然の要害に守られた土地で、正面から攻め込むには圧倒的に不利であった。
そこで、軍師アレスの提案により、パレスの背後に存在した牙の谷を強襲する案が実行されることとなった。
これに成功すれば、無防備な背後からの攻撃が可能であったが、そもそも「防衛の必要がない」といわれるほど断崖絶壁な牙の谷を、もっとも危険な冬に進軍するという無謀な策に、諸将も最初は不安を口にした。また、谷を越えたとしても、すぐにホワンが討てなければ、退路のない敵の本拠地で孤立するという危険な賭けでもあったが、グラスシードはこの案を採用した。
陽動の部隊を派遣して、パレスの目をそちらに向けさせてから、グラスシード部隊は密かに出陣した。

両軍の戦力

攻撃側 守備側

クルーディア帝国軍
軍勢
パレス
総兵力12000 兵力 総兵力7000
グラスシード 総指揮 ホワン
アレス 軍師
主要参戦者

グラスシード

リディ

シルフィ

アレス

ラグ

ホワン

ティア

ディア

ヴォルガ


ラディナ

クリディス

フォーゼ
攻撃側 守備側
軍勢
共和国サムルトン
総兵力 兵力 総兵力500
総指揮 ガスタル
軍師
主要参戦者

ムゥナ

ガスタル



牙の谷越え

グラスシード隊は牙の谷を強行した。目もくらむ渓谷と谷底からの突風に足を滑らせて落ちる者も少なくはなかったが、道なき道に橋を造り、山を切り崩しながら行われた20日間の行軍によって、グラスシードパレスの横腹をつくことに成功する。

時を同じくして、ムゥナガスタルを護衛に引きつれ、パレスに来訪していた。
クルーディア帝国に大勝利を収めたムゥナであったが、焦りから裏切りのタイミングを早まってしまい、帝国軍を全滅させるには至らず、勝利に酔いしれる間もなく、すぐに次の手を打たねばならなかった。
そのためにはパレスの助力は必須であったが、ホワンはここにきてサムルトンの要請に首を縦に振らなかった為、ムゥナが直談判に来ていた。
なかなか姿を現さないホワンに苛立つムゥナだが、そこに、クルーディア帝国軍が、現れる筈のない背後から突然現れたという急報が届くこととなる。

パレス強襲

グラスシード部隊は、牙の谷を越えると、すぐさま強襲作戦を開始した。
まずは守備部隊に突撃を仕掛けるが、そこにはムゥナの護衛として随伴していたガスタルの姿もあった。
ムゥナは、自分はこの事を本国に伝えると言い、ガスタルを残して撤退。これは、ガスタルを囮にして自分だけ脱出するための命令であり、ガスタルは、自分を討ち取ったグラスシード部隊ではなく、ムゥナへの恨みを叫びながら戦死した。

守備部隊を撃破し、首都にいるホワンを目指して進軍するグラスシード部隊、その前にティアディア、そして傭兵ヴォルガが立ちはだかるが、これも撃破し、ディアを討ち取る。
そのまま首都になだれ込み、降伏勧告を黙殺したホワンを大聖堂にて討ち取ったグラスシード
教祖ホワンを討たれ、半狂乱となったティアグラスシードに襲い掛かるが、シルフィが身を挺して守り、ティアも怒り狂ったグラスシードに八つ裂きにされた。

戦いの結末

シルフィは、重傷をおったものの、命に別状はなかった。
パレスは、宗教国家であり、教祖ホワン個人のカリスマによってまとめられいた。そのホワンの戦死により、悲観して泣き叫ぶ者、右往左往する者、教祖の仇を討ち殉教しようとする者と、大混乱に陥るが、国境で陽動をしていた部隊が、パレスの混乱に乗じて正面から進軍、元々の兵力差もあり、パレスクルーディア帝国に併合され、その姿を消す。
パレス領の南半分はグラスシードに与えられ、彼の帝国での地位は一気に上昇する。
他の都市を占領した場合と違い、パレスの民衆とは信徒である為、捕虜として帝都へ輸送され、帰化する者のみ帝国民となった。公式記録には残されていないが、殉教した者も少なくなかったという。
この後、帝国から移民した人々が住み、完全にクルーディア帝国の一領土となる。

また、時を同じくして、サムルトンファルザは、生還したムゥナと対立、国王ミッツによって左遷を命じられた。
このファルザ失脚の裏には、アレスの謀略が動いていたという説もあるが、状況証拠のみで、明確な資料は残されていない。


最終更新:2013年04月13日 02:29