ガルデス

正式名称 / 統治体制

ガルデス共和国 / 議会制

エンブレム


議会を最も重要なものと位置づけているガルデス共和国は、紋章にも国の全てを決める「中央議会」の正面図を描いている。

統治体制
ガルデス共和国は当時のユーラスティ大陸では珍しい共和制を敷いた国家であり、それ故に当時としては複雑な統治体制を有していた(ただし、当時では……という留保は必要である)。

国の最高機関としては中央議会(一院制)が設置されており、議員の中から選出された議長が共和国の国家元首として内外に認められていた。議席は各地方自治体や職能団体などに対して配分されており、各組織の独自判断で中央議会に送り込む議員を決定することが認められていた。なお、首都ガイ・アヴェリなど国内の主要都市では、議員の決定に際して住民による投票が行われており(当時の記録から大選挙区制であったと考えられている)、後世における普通選挙とほぼ同じ形式で選挙が実施されていたことが判明している。
中央議会の下には17~29個の委員会が設置されており(個数は時期によって異なる)、中央議会の議員はこれら委員会のうち1~5個に所属することが義務付けられていた。各委員会は中央議会に対して提出する法案の事前審議を行うだけでなく、中央議会にて可決・成立した法律の執行を行うよう定められており、執行の任に当たることを目的として委員会の下部組織として委員会事務局が設置されていた。また、各委員会の委員長は議長によって任命され、委員会事務局の指揮・監督を行うだけでなく、議長が主宰する委員長連絡会議(議院内閣制における内閣に相当)にも出席することとなっていた。なお、中央議会の議長も各委員会への参加が義務付けられており、慣例として国防委員長・外務委員長・財務委員長のいずれかを兼任することとなっていた。
司法制度については、ガルデス共和国には裁判所が設置されており、二審制による民事・刑事裁判が実施されていた。しかし、裁判所の人事には中央議会による承認が必要であり、過去には中央議会の要求によってガイ・アヴェリの控訴裁判所長官(最高裁判所長官に相当)が辞任に追いやられることもあった。

このように、ガルデス共和国の統治体制は立法府(中央議会)が行政府・司法府を実質的にコントロールすることが可能な仕組みとなっており、中央議会の掌握が同国の政治的実権を握る為に最も重要なことであった。それ故、中央議会を舞台とした激しい政争は同国の政治風景の一部となっており、時には政争によって戦争遂行に重大な支障が生じることもあった(この点は、ゲイル・アレイアが『統帥治論』の中で、ガルデス共和国の政治文化が持つ欠陥の1つとして指摘している)。

軍事組織
ガルデス共和国の正規軍は国防委員長直属の政府機関として設置されており、法的には中央議会の指揮・監督に服することとなっていた。実際には、軍の指揮権は基本的に中央議会から議長へ委任されていたのだが、議長や国防委員長に対してどの程度の委任が行われていたか(=軍事行動に関する議長・国防委員長の裁量権の及ぶ範囲)については規定に曖昧な部分が存在し、ガルデス共和国が存在していた頃から論議が絶えなかった。そのため、「議会から委任された範囲を超えて軍の指揮権を行使した」という口実によって議長が中央議会で追求されることは決して珍しいことではなく、レディス・フローランスのように不信任決議案を可決され議長から解任される事例も存在した。

また、同国には正規の軍隊とは別に、議員などが擁する私兵集団が存在しており、彼らは一般に「軍閥」と呼ばれていた。軍閥に属する兵士は時代を経るごとに増加しており、13世紀初頭頃からは、兵士の総数では軍閥が正規軍よりも優位に立つようになっていた。共和国の有事に際しては、各軍閥は正規軍に対して兵員・物資・将校を提供することで同国の国防に貢献していた。しかし、軍閥間の小規模な武力衝突や、軍閥間対立に起因する命令拒否など、軍閥は負の側面を抱える存在でもあった。

特徴
1025年、衰退したアウドムラ帝国から独立する形で建国、他の独立国が帝国や王国だったのに対して、元々民衆の総意を尊重していたこの地域は、共和国を名乗った。
北方がほとんど無人地帯だったこともあり、領土は拡大、繁栄を迎えていた。1142年、東から流れ着いた水鏡莉奈が、ガルデス共和国から脱出を願う人々(主に最下層労働者、一部犯罪者も混ざっていた)を引きつれ、西へ向かいクレアムーンを建国。ガルデス共和国は流民の引渡しを要求するが、拒絶された為、クレアムーンを国として認めなかった。
その後、共にアウドムラ帝国から独立しながら、共和国の開拓とは違い、他国制圧で版図の拡大を狙う「兄弟国」ラグライナ帝国の進軍が始まると、同盟か敵対かで国内の混乱が起き、紆余曲折を経てラヴェリアが代表の地位に就く。
それまで国交のなかったクレアムーンと、「反帝国」の旗を掲げて同盟を結び、ラグライナ帝国との戦いに挑むが、既に帝国一強時代だったこともあり、局地戦で苦しめることはできても、圧倒的兵力に押され、1256年第3次モンレッドの戦いの敗戦により、それまでの均衡状態が一気に帝国に傾く。そして、ノスティーライナの戦いにおいて帝国軍に奇襲を仕掛けるが、後一歩及ばず、その直後におきたラヴェリア事件において、共和国の柱である議長ラヴェリアを失う。
その後、国境断絶事件により、クレアムーンと険悪になり、更にラグライナ帝国がルディ統治の元、和睦を模索するが、セルレディカ時代からの侵略による先入観と、セリーナの妨害により、バスティアの会談が実現するまでにかなりの時間を必要とした。
その後、アレシア連邦が提唱されるが、ここにおいてもガルデス共和国は、賛同はしつつも参加は見合わせたが、ルディ病没によるラグライナ帝国内の混乱に乗じ、「帝国に恩を売る」という形で連邦参加と援軍派遣を決定、議長であったレディスが連邦代表に就任したことにより、希望が通った形となる。
1400年代、アレシア連邦が安定と発展の時代に入り、やがて一つの国としてまとまりはじめると、ガルデス共和国という連邦における一国は、その役割を終え、自然消滅した。

歴史

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1246年時の勢力図 (クリックで拡大)
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1256年4周期時の勢力図(クリックで拡大)
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1257年2周期時の勢力図(クリックで拡大)

主な出身者


この国を舞台とした物語


最終更新:2011年04月22日 14:53