ゾイヤ平原の戦い

概要

ゾイヤ平原の戦いとは、ルーイガルド10716年8月にル・マンティスゾイヤ平原で行われた、ル・マンティスクリートの戦いである。

戦闘に至るまでの背景

戦力の回復が遅れていたクリートに対してル・マンティスは奪われていたアイスノー砦の奪還を決定する。クリートは、アイスノー砦はル・マンティスの首都シャロッツ方面からの防御には向かないと判断して、砦の北部のゾイヤ平原に軍を展開した。

両軍の戦力

攻撃側 守備側

ル・マンティス国軍
軍勢
クリート国軍
総兵力不明 兵力 総兵力不明
総指揮
軍師
主要参戦者











戦闘経緯

ル・マンティス軍の強行夜襲という形で始まる。両軍の激突にはあと1日はかかると踏んでいたクリート軍は不意を突かれる形になった。
それでも早々にクリート軍は早々に立ち直り、起伏に富んだ地形を巧みに使いつつ反撃を試みるが、火攻めや乱戦地帯への弓攻撃など、自軍の被害を省みないル・マンティス軍の前に及び腰となり、攻勢に隙ができたのを契機に撤退する。
これは草原からの撤退が、ル・マンティス軍自身が放った火が進軍を妨げていたことと、同軍の戦術によりル・マンティスの前線兵が積極的に打って出ることに躊躇したため、殿に残す部隊が少なくて済むと読んだためでもある。

戦いの結末

ル・マンティスがクリートを破る。クリートは、敗戦した場合の方針に従い、アイスノー砦を放棄して自国領内まで撤退した。撤退の道のりは厳しかったと言われている。


その他

ル・マンティスが自滅的ともいえる手を使ったのは、先の第二次シャロッツ包囲戦での重圧により、なにがなんでも前線拠点となっているアイスノー砦を奪還したかったためである。
この戦いがうまくいってしまったために、これからしばらくの間、ル・マンティスの戦略は、犠牲を省みなくなり、勝利にしろ敗北にしろ多すぎる損害を出すようになる。また、無茶な命令に対する無視や逃亡、虚偽報告が横行し始める。