アイスノー砦攻略戦

概要

アイスノー砦攻略戦とは、ルーイガルド10605年12月に起こったクリートル・マンティスのアイスノー要塞を攻略しようとした戦いである。

戦闘に至るまでの背景

ノーザ平原の戦いで負った被害は両軍とも無視できないものだったが、クリートは自軍の建て直しのほうが早く終わったとして、わずか7年で攻撃に移った。ル・マンティスはクリートの行軍上にあるアイスノー要塞を防衛戦を敷いた。
実は、この時の両軍の軍事力は同程度であり、これまでの大侵攻作戦からすれば明らかに少なかったと言われている。そのため、クリートは要衝にあり守りも堅いハンドレー要塞を通るルートではなく迂回路するルートを選び、アイスノー要塞でル・マンティスとぶつかった。

両軍の戦力

攻撃側 守備側

クリート国軍
軍勢
ル・マンティス国軍
総兵力不明 兵力 総兵力不明
総指揮
軍師
主要参戦者











戦闘経緯

序盤はむしろ、要塞への出退を巧妙に使い分けたル・マンティス軍が有利だった。しかし、この展開はクリートの援軍が来たことで反転する。
攻略戦の後半は、クリートがル・マンティス軍を狩り取るような一方的な展開だった。

戦いの結末

アイスノー要塞を陥落させたクリートは、ル・マンティスの首都シャロッツへのルートを確保した。ただし、これはまさに「ルートを確保した」だけの状態であり、補給線頼みの領土拡張だった。
補給線を繋げていただけのこの状況が維持できたのは、ル・マンティス側の兵力不足によるものが大きい。一方、クリートも、本来は国内の治安維持にも足りないほどの兵員をこのルートの維持に向けたため、治安は大きく悪化した。

その他

戦いの趨勢を決めたクリートの援軍は、犯罪者や傭兵などを免罪や現地での略奪を黙認することでかき集めたものだと言われている。この方針はその後定着し、国内の治安悪化の一因となった。

最終更新:2011年05月28日 03:13