ノーザ平原の戦い

概要

ノーザ平原の戦いとは、ルーイガルド10598年1月に、ノーザ平原で起こったクリートル・マンティスの戦いである。

戦闘に至るまでの背景

クリート、ル・マンティス両軍の総戦力のほとんどが、国境付近のノーザ平原に集結。当初は長きに渡る女神戦争の決着をつける戦いになると思われた。

両軍の戦力

攻撃側 守備側

クリート国軍
軍勢
ル・マンティス国軍
総兵力不明 兵力 総兵力不明
総指揮 アインベフ
軍師
主要参戦者

リサ





レクター





戦闘経緯

初手はル・マンティス軍が取り、左翼からクリート軍を攻め立てる。しかし、あらかじめこれに対応して布陣していたクリート軍は、すぐに戦線を押し戻した。

しかし、これによりクリート軍を自軍左翼に引きつけたル・マンティス軍は、即座に中央寄りに配分をしなおし、切り崩しを狙う。だが、この時、ル・マンティス後方に回り込んだクリート軍の伏兵が攪乱戦術を仕掛けた。
これにより、中央突破を謀ったル・マンティス軍の足並みが乱れるが、このクリート伏兵部隊は戦線から一歩退いていたル・マンティスのレクターによって討ち取られる。

ここでクリード軍が複数の策と攻撃を組み合わせ、ル・マンティス軍を巧みに誘導し、その本陣まで迫る。しかし、これはすんでの所で防がれた。

双方ともに軍を立て直しながらの一進一退の攻防が続く中、突如として天候が悪化。記録的な豪雨に見舞われる。
一寸先どころか自分の手足も見えない大雨に伝令も狼煙も無意味と化し、指揮系統はおろか部隊単位での行動も執れず、敵味方の区別も撤退もできないまま凄惨な「殺し合い」に雪崩れ込んだ。
ここで主戦場から離れていたル・マンティスのレクターがいち早く軍を退く。完全な独断であったが、この撤退は結果的に崩壊した自軍の壊走を助けることになった。
反対に、このタイミングで戦場に到達したクリートのリサ将軍は、本来ならば不利な戦場に投入されるか有利な戦場の補強に使われる予定だったが、この阿鼻叫喚を前にして、撤退の指示を出しながらパニック状態の自軍を治めようとしたが、混乱に飲まれて消息不明になった。
ただし、彼らのように足跡が分かる者はまだ運がいいほうだった。

半刻後には草原の大部分が泥沼化。前も見えず、足も動かず、声も掻き消される状態での戦闘は、もはや戦いの様相を呈していなかった。
さらに遠隔地の河が大氾濫を起こし、支流を巻き込みながら濁流となって平原を押し流した。

かろうじて生き残ったル・マンティスの総指揮官アインベフは、戦線維持が不可能と判断。連絡系統の復活を最優先事項とする旨の指示を出すと、自身は撤退を助けるためにクリート軍に突撃して戦死している。クリート軍も主要な将軍が行方不明になり、士気も完全に崩壊していたため、撤退とは名ばかりの逃散をうるばかりだった。

両軍共に死亡者、行方不明者の数は把握できないほどになった

戦いの結末

伝説級とまで言われる大災害により、軍事行動が執れなくなった両軍は撤退していった。
両軍とも膨大な死傷者とそれをも上回る行方不明者を出した。
また、ル・マンティス南部、クリート北部への大災害もけっして無視できるものではなかった。

逸話

  • この豪雨とその中での戦闘についての様子は色々と伝えられている。曰く、「目を瞑って戦っているようだった」「同じ本陣内でさえお互いの顔が分からなかった」「相手が誰だか分からないまま斬り合いをした」「雨に怯えて暴れ出した馬に踏み殺された」「井戸が噴射した」など。
  • 同士討ちが多発し、負傷者の救助もできない状況だった。
  • 戦後も多数の兵士や将軍が戦いの後遺症で精神を病んだ。逃亡して帰って来なかった者も多い。
  • 災害での死亡者や行方不明者のほうが戦場で死んだり行方不明になった人間よりも多いと言われているが、そもそも誰が戦死し、誰が災害で死亡や行方不明になったのか判然としていない者が多い。
  • 歴史学者の中では、「撤退を補助した部隊が、終盤の行動がわかりやすいので一番戦死認定しやすい」という笑えないジョークがある。


最終更新:2011年05月28日 03:03