アークナイン奪還戦

概要

アークナイン奪還戦とは、ルーイガルド10413年8月から行われた、クリートル・マンティスに占領されていた首都アークナインを奪還しようとした戦いである。

戦闘に至るまでの背景

クリートにとって、首都奪還は悲願であった。そのため、十全な計画と戦力を整えた上で必勝の作戦として開始された。一方、アークナインを占拠していたル・マンティスは、占領政策がうまく行かず、聖地クーティへの遠征どころか、年月を追うごとに駐留軍の疲弊は慢性化していくばかりの状態だった。そのため、クリート軍の奪還作戦を事前に察知した本国からの大増援がなされたが、既存の駐屯軍と戦略面での折り合いがつかず、全軍での意思統一ができなかった。

両軍の戦力

攻撃側 守備側

クリート国軍
軍勢
ル・マンティス国軍
総兵力不明 兵力 総兵力不明
総指揮
アカーシャ 軍師
主要参戦者

リサ





トレイン





戦闘経緯

防衛戦に回ったル・マンティスは、野戦を主張する駐留軍と市街戦を主張する増援部隊との折り合いがつかず、やむ得ず全軍を二つに割り、指揮系統も二つにするという策を採る。結果的にはこれが最悪の選択となった。

クリート軍は主力部隊を野戦に回しながら、一部の精鋭部隊はアークナインを攻め立て、内部に籠もった増援部隊が討って出るのを防いだ。

野外での戦闘は、徐々に数で勝るクリート軍の分断各個撃破の流れになる。ル・マンティス軍はアークナインへの撤退もできず、苦しい戦いを強いられた。この間も街内との連携はまったく取れなかった。
この一連の戦いで、クリートの軍師見習いアカーシャは野外に展開したル・マンティス軍のいくつもの部隊を分断殲滅し、名を上げる。

この状況を見たル・マンティスのトレインが、自身の手勢を率いてさっさと撤退。これに習って他の部隊も逃げだそうとし、ル・マンティス野外軍は総崩れになる。これはむしろアカーシャにとってはカモであり、主戦場が野外戦から攻城戦に移りつつあるなかで、彼女は野外戦の後始末に残り、さらに多くのル・マンティスの兵を屠った。

野外戦を制したクリートは、かつての自国首都への攻城戦を仕掛ける。迎え撃つル・マンティス増援部隊だったが、アークナインの防御は彼らの予想以上に荒廃していた。
クリート軍は、本来ならば防衛の要になるはずの城壁を簡単に攻略すると、内部から門を開けてアークナインを丸裸にする。首都を盾に市街戦を繰り広げようとしたル・マンティス軍の目論見はあっさり崩れた。

ル・マンティス軍は王宮まで撤退し、ここで激戦が繰り広げられるが、数が多く士気も高いクリートの優勢は明らかだった。
この時点で、ル・マンティスはアークナインからの撤退を決意する。残存部隊の反芻を足止めに王宮に残し、残り半分で脱出路を切り開きながらアークナイン放棄に移行する。クリートは、これに対して王宮を奪還を優先させたが、ル・マンティスに恨みを持ち、一人でも多く討ち取ることを臨む将兵も少なくなかったため、彼らの不満を抑え込むために王宮奪還は力押しとなり、凄惨な戦いとなった。脱出部隊が安全圏に到達したと判断した後、ル・マンティス軍足止め部隊は降伏するが、クリートはこれを許さず、全滅させた。

王宮奪還後、追撃をかけたアカーシャが、さらにル・マンティス側の犠牲を増やしている。

戦いの結末

激戦の末にクリートが勝利を収め、首都を奪還する。その後、ル・マンティスの支配地域に組み入れられていた旧領土の回復にも乗り出す。ル・マンティスは国境線を北に押し上げられる形で撤退するが、大規模な戦いだったがために各地に潜伏した者もいる。
彼らの中には野盗化、山賊化する者もいたが、あくまで故国ル・マンティスのためにゲリラ戦を続ける者も多かった。

その他

ル・マンティス軍の意思統一できなかった理由は、今回戦いが終われば帰るだけの派遣軍と、その後もこの地に残らなければいけない駐留軍の間での認識の相異だったといわれている。
結果的に、アークナインに詳しいル・マンティス駐留軍は、詳しいがゆえに野戦を臨み、詳しくない増援軍は、単純に堅実そうな防衛戦を選んだ。さらに駐留軍が増援軍にアークナインの守備能力が著しく低下していることを伝えなかったために、ちぐはぐな戦術となり必要以上の犠牲を出した。
一方、クリート側も、中盤以降、勝ち戦の傲慢から戦略的勝利とは無関係な殲滅戦を執拗に行っており、無用な戦死者を出し続けている。

最終更新:2011年05月26日 00:02