概要
戦闘に至るまでの背景
&r、ef(そのときの勢力地図,left)
レブン砦の戦いを制したル・マンティスにとって、首都攻略戦は既定路線だったが、そのための軍備を整えるのに5年の歳月がかかった。一方、クリートは
レブン砦陥落時から首都機能を
聖地クーティに移すことを考えていたが、これには「構想の一つにすぎなかった」から「すでに首都陥落後の抵抗運動まで画策していた」まで、様々な説がある
両軍の戦力
攻撃側 |
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守備側 |
ル・マンティス国軍 |
軍勢 |
クリート国軍 |
総兵力不明 |
兵力 |
総兵力不明 |
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総指揮 |
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軍師 |
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主要参戦者 |
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戦闘経緯
すでに機能の多くを聖地クーティに移したクリートは、全軍を3つに分け弧状陣形にて首都決戦に臨む。さらに、臨時徴兵した兵士で首都防衛大隊を編成し、これを状況に応じて遊撃部隊、あるいは最終防衛ラインとして投入する予定だった。
一方、ル・マンティスは密集陣形で一点突破、首都陥落を目論む。
序盤は3方向から薄く包囲したクリート軍をル・マンティス軍が突き崩す形で戦闘が推移する。一進一退が続く中、やがてル・マンティス軍は全面に戦力を集中するように陣形を変更し、クリート軍はそれに応じて左右から突き崩そうとする。
左右に展開したクリートの第2軍・第3軍はル・マンティス軍に大打撃を与えるものの、突き崩すまでには至らず、将の戦死や反撃による壊走で再編を余儀なくされる。
自軍の左右に展開していたクリート軍を退けたル・マンティス軍はさらに前面への構成を強めるが、クリートの第1軍が凄まじい粘りを見せ、これを突破するまでには至らなかった。前後して、首都防衛大隊が第1軍に合流し、反撃の攻勢に出る。これによりル・マンティスの総大将及び複数の将官が戦死したが、戦闘指揮の移行がスムーズに行われたため、ル・マンティス側の被害は最小限で済んだ。
なんとか城門を突破したル・マンティス軍だが、戦闘は市街戦に移り、膠着状態の泥沼化を呈していた。さらに、再編を終えたクリート第2軍と第3軍がこれに加わることにより、戦局は混迷を深める。
一時は主力部隊によって王宮と首都教会を掌握したル・マンティスだったが、この戦闘では拠点として機能しておらず、逆に混戦の中で存在感を示してしまったために集中攻撃を喰らって壊滅する。
両軍攻め手を欠き小康状態となったところで、一部のクリート軍の将軍が独自に交渉に臨み、追撃を行わない、街に残った住民に手出しをしないなどの確約を得ることで街外への脱出を始める。ル・マンティス側はこの動きを不審に思い、さらにこの状況下にあってクリート側に内部分裂が起きないことを不思議に思いながらも継戦能力が限界に来ていたことから、この提案を受け入れる。結局、徹底抗戦を主張するクリートの一派を除いて、アークナイン外へのクリート脱出は、それまでの激戦とはうって変わって不気味なほど静かに進んだ。
その後、徹底抗戦を主張して残っていたクリート軍を壊滅させた後、ル・マンティスの中でも強固な主戦派は、約束を違えて追撃を試みたが、郊外にて再編を終えて待ちかまえていたクリート軍に返り討ちに遭うこととなる。
戦いの結末
激戦の末にアークナインは陥落。ル・マンティスの支配するところになる。一方、クリートは首都機能を即座に
聖地クーティに移行。徹底抗戦を続ける。
また、アークナインでは、その後、ル・マンティスに対する激しい抵抗運動が続けられる。
最終更新:2011年05月25日 23:11