レブン砦の戦い

概要

レブン砦の戦いとは、ルーイガルド10318年、9月にル・マンティスクリートの要衝であるレブン砦を攻略しようとした戦いである。

戦闘に至るまでの背景

リジ山経由で戦略通路を確保し、周辺地域を支配下に治めることでかつてのクリート領内に勢力圏を広げたル・マンティスだったが、それ以上の侵攻はレブン砦によって阻まれていた。打倒クリートを目指すル・マンティスは兵力の拡充・増強に成功したあと、重要拠点であるレブン砦を攻略することを決定した。
ル・マンティスの進軍に合わせてクリートもレブン砦に戦力を集め、両者は激突する。

両軍の戦力

攻撃側 守備側

ル・マンティス国軍
軍勢
クリート国軍
総兵力不明 兵力 総兵力不明
総指揮
軍師
主要参戦者











戦闘経緯

何重もの強固な防御機構と充分な兵、物資が運び込まれたレブン砦は、まさに難攻不落だった。ル・マンティス側が防御機構を一層破るごとに英雄が一人戦死したと言われるほどだった。
一方、クリートは元々の砦の防御機構を生かし、一層破られるごとに次の層に移り攻撃を仕掛ける、という波状戦術を展開。これは、レブン砦の層構造が、外からの攻撃は防ぎやすく、内部の次の層からの攻撃は防ぎにくいというふうになっていたためである。

消耗戦になりながらも、一層一層落としていき前進していくル・マンティス軍。甚大な被害を与えながらも放棄を重ねていくクリート軍という展開がしばらく続くことになった。

終盤には、押され続けるクリート軍の士気の低下が顕著になり始めるが、最後まで士気崩壊という事態には成らず、ル・マンティス軍に痛手を与え続けた。

戦いの結末

勝利したル・マンティスは、クリート首都アークナインへの足がかりとしてレブン砦を大幅に増強した。

その他

終盤にはクリート軍の士気の低下が顕著になってきたが、むしろ戦闘の経緯を考えればそこまで維持できていたことのほうが異例であると唱える学者は多い。これが後のアークナイン放棄まですでにクリートの計画に入っていたのではないかという言説に繋がっていく。
最終更新:2011年05月25日 02:23