女神戦争

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&bold(){概要} ---- 女神戦争とは、[[ルーイガルド]]10220年から10752年の間[[クリート]]、[[ル・マンティス]]両国の間でおきた宗教戦争である。 決着がつかないまま、両国共に[[シャクティアナ]]帝国の侵攻によって属国となった為、10752年をもって戦いは「中断」されたが、あくまでも「休戦」状態であり、現在においても、なお明確な「終戦」を迎えたわけではない。 &bold(){女神戦争勃発までの経緯} ---- [[女神ルカ]]光臨の地について、[[クリート]]側は自国内の[[聖地クーティ]]を、[[ル・マンティス]]側は自国首都[[シャロッツ]]を主張しており、これが両国の対立の象徴となった。他にも両国による解釈の違いは多数存在していたが、それらも集約されていって、この光臨の地の問題が最大の問題として、両国は対立を深めていった。 10220年、7月 両国間の国境の中立都市[[ティリ]]で宗教対立が激化。暴動に対して両国軍が武力介入を行ったために衝突。戦争に突入する。   &bold(){女神戦争の主な戦い} ---- ここであげるのは、あくまでも女神戦争という大きな括りで見た場合、転機となった主な戦いであり、これら以外にも大小様々な戦闘が継続的に行われていた。なお、領土表記は女神戦争以前のものを基本とする。 -10220年、7月 [[ティリ事件]]。中立都市[[ティリ]]の宗教会議で光臨地問題が激化。両国が暴動鎮圧の名目で軍を介入させたために衝突。後に相次いで宣戦布告がなされ、戦争に突入する。 -10228年、8月 [[ヤディシリの戦い]]。[[クリート]]が、[[ル・マンティス]]の小都市[[ヤディシリ]]を制圧。制圧された後は奪還作戦に転じた[[ル・マンティス]]と激しい戦いを継続。結果的に[[ヤディシリ]]は廃墟と化す。 -10285年、5月 [[リジ山の戦い]]。[[ル・マンティス]]が[[クリート]]をリジ山で破り、進軍。国境を南下させる。 -10318年、9月 [[レブン砦の戦い]]。[[ル・マンティス]]が[[クリート]]の[[レブン砦]]を攻略。 -10323年、2月 [[アークナイン攻防戦]]。[[ル・マンティス]]が[[クリート]]の首都[[アークナイン]]を征服。[[クリート]]は即座に首都を[[聖地クーティ]]に移して徹底抗戦。 -[[アークナイン]]で[[ル・マンティス]]に対する激しい抵抗運動が続発。[[ル・マンティス]]の軍力が著しく低下。 -10413年、8月 [[アークナイン奪還戦]]。[[クリート]]が[[アークナイン]]を奪還。 -撤退に失敗した[[ル・マンティス]]軍が各地に潜伏。治安が著しく悪化する。 -10417年、6月 [[第一次レブン要塞奪還戦]]。要塞化された旧領土の[[レブン砦]]を[[クリート]]が奪還しようとするも失敗。 -10510年、12月 [[第二次レブン要塞奪還戦]]。[[クリート]]がレブン要塞([[レブン砦]])を攻略。 -10524年、11月 [[ハンドレー要塞の戦い]]。[[クリート]]が[[ル・マンティス]]の[[ハンドレー要塞]]を攻略。[[ル・マンティス]]は早々に要塞の放棄を決定して、比較的少ない犠牲で撤退。 -10556年、3月 [[第一次シャロッツ包囲戦]]。[[クリート]]が[[ル・マンティス]]の首都[[シャロッツ]]を陥落させるも、制圧しきる余力は無く、撤退。一連の戦いで[[クリート]]側も大被害を負い、女神戦争以前の国境線まで支配域を戻す。 -10598年、1月 [[ノーザ平原の戦い]]。国境付近の[[ノーザ平原]]で[[クリート]]と[[ル・マンティス]]の大部隊が激突。一進一退の攻防が進むが、終盤、異常な豪雨により戦場が大混乱。死傷者、行方不明者多数を出しつつ両軍引き分けに終わる。 -10605年、12月 [[アイスノー砦攻略戦]]。[[クリート]]が[[ル・マンティス]]の[[アイスノー砦]]を攻略。国境線を北上させる。 -少ない兵力を[[ル・マンティス]]攻略ルートの確保・維持に向けたため[[クリート]]の治安が悪化。 -10634年、9月 [[第二次シャロッツ包囲戦]]。睨み合いと散発的な戦闘が半年間続いただけで、大きな戦いにはならず。[[クリート]]は首都の補給路の封鎖さえ満足にできなかった。 -10716年、8月 [[ゾイヤ平原の戦い]]。[[ル・マンティス]]が[[クリート]]を[[ゾイヤ平原]]で撃破。戦力の損失が大きかった[[クリート]]は[[アイスノー砦]]から撤退。 -10721年、2月 [[ビドサラズの戦い]]。[[ル・マンティス]]が[[クリート]]の都市[[ビドサラズ]]を攻略。僅かだか国境線を南下させる。 -10729年、3月 [[コダン神殿の悲劇]]。[[ル・マンティス]]が[[クリート]]の[[コダン神殿]]を徹底的に破壊。戦略的な意味に疑問符がつくこの行為は、周辺国の非難を浴び、後に[[シャクティアナ]]の侵略の口実になる。 -戦争が広域化し、各地で激しい小競り合いが頻発。無法地帯化する地域も。 -10752年、6月 [[シャクティアナ]]が[[ル・マンティス]]の首都[[シャロッツ]]を制圧。[[ル・マンティス]]属国化。 -[[クリート]]国内で[[シャクティアナ]]及び属国化した[[ル・マンティス]]への対応を巡り、意見が対立。一部紛争化も。 -10838年、12月 [[シャクティアナ]]が[[クリート]]の首都[[アークナイン]]を制圧。[[クリート]]属国化。 -10839年 [[ビドサラズ]]が[[シャクティアナ]]に[[クリート]]への帰属を嘆願、了承される。以後、[[シャクティアナ]]が[[ル・マンティス]]と[[クリート]]の領土整理問題に着手。 &bold(){関連項目} ---- -[[ル・マンティス]]国 -[[クリート]]国 &ref(http://izayoi-moon.sakura.ne.jp/zairyou/50.GIF,left)
&bold(){概要} ---- 女神戦争とは、[[ルーイガルド]]10220年から10752年の間[[クリート]]、[[ル・マンティス]]両国の間でおきた宗教戦争である。 決着がつかないまま、両国共に[[シャクティアナ]]帝国の侵攻によって属国となった為、10752年をもって戦いは「中断」されたが、あくまでも「休戦」状態であり、現在においても、なお明確な「終戦」を迎えたわけではない。 &bold(){女神戦争勃発までの経緯} ---- [[女神ルカ]]光臨の地について、[[クリート]]側は自国内の[[聖地クーティ]]を、[[ル・マンティス]]側は自国首都[[シャロッツ]]を主張しており、これが両国の対立の象徴となった。他にも両国による解釈の違いは多数存在していたが、それらも集約されていって、この光臨の地の問題が最大の問題として、両国は対立を深めていった。 10220年、7月 両国間の国境の中立都市[[ティリ]]で宗教対立が激化。暴動に対して両国軍が武力介入を行ったために衝突。戦争に突入する。   &bold(){女神戦争の主な戦い} ---- ここであげるのは、あくまでも女神戦争という大きな括りで見た場合、転機となった主な戦いであり、これら以外にも大小様々な戦闘が継続的に行われていた。なお、領土表記は女神戦争以前のものを基本とする。 -10220年、7月 [[ティリ事件]]。中立都市[[ティリ]]の宗教会議で光臨地問題が激化。両国が暴動鎮圧の名目で軍を介入させたために衝突。後に相次いで宣戦布告がなされ、戦争に突入する。 -10228年、8月 [[ヤディシリの戦い]]。[[クリート]]が、[[ル・マンティス]]の小都市[[ヤディシリ]]を制圧。制圧された後は奪還作戦に転じた[[ル・マンティス]]と激しい戦いを継続。結果的に[[ヤディシリ]]は廃墟と化す。 -10285年、5月 [[リジ山の戦い]]。[[ル・マンティス]]が[[クリート]]をリジ山で破り、進軍。国境を南下させる。 -10318年、9月 [[レブン砦の戦い]]。[[ル・マンティス]]が[[クリート]]の[[レブン砦]]を攻略。 -10323年、2月 [[アークナイン攻防戦]]。[[ル・マンティス]]が[[クリート]]の首都[[アークナイン]]を征服。[[クリート]]は即座に首都を[[聖地クーティ]]に移して徹底抗戦。 -[[アークナイン]]で[[ル・マンティス]]に対する激しい抵抗運動が続発。[[ル・マンティス]]の軍力が著しく低下。 -10413年、8月 [[アークナイン奪還戦]]。[[クリート]]が[[アークナイン]]を奪還。 -撤退に失敗した[[ル・マンティス]]軍が各地に潜伏。治安が著しく悪化する。 -10417年、6月 [[第一次レブン要塞奪還戦]]。要塞化された旧領土の[[レブン砦]]を[[クリート]]が奪還しようとするも失敗。 -10510年、12月 [[第二次レブン要塞奪還戦]]。[[クリート]]がレブン要塞([[レブン砦]])を攻略。 -10524年、11月 [[ハンドレー要塞の戦い]]。[[クリート]]が[[ル・マンティス]]の[[ハンドレー要塞]]を攻略。[[ル・マンティス]]は早々に要塞の放棄を決定して、比較的少ない犠牲で撤退。 -10556年、3月 [[第一次シャロッツ包囲戦]]。[[クリート]]が[[ル・マンティス]]の首都[[シャロッツ]]を陥落させるも、制圧しきる余力は無く、撤退。一連の戦いで[[クリート]]側も大被害を負い、女神戦争以前の国境線まで支配域を戻す。 -10598年、1月 [[ノーザ平原の戦い]]。国境付近の[[ノーザ平原]]で[[クリート]]と[[ル・マンティス]]の大部隊が激突。一進一退の攻防が進むが、終盤、異常な豪雨により戦場が大混乱。死傷者、行方不明者多数を出しつつ両軍引き分けに終わる。 -10605年、12月 [[アイスノー砦攻略戦]]。[[クリート]]が[[ル・マンティス]]の[[アイスノー砦]]を攻略。国境線を北上させる。 -少ない兵力を[[ル・マンティス]]攻略ルートの確保・維持に向けたため[[クリート]]の治安が悪化。 -10634年、9月 [[第二次シャロッツ包囲戦]]。睨み合いと散発的な戦闘が半年間続いただけで、大きな戦いにはならず。[[クリート]]は首都の補給路の封鎖さえ満足にできなかった。 -10716年、8月 [[ゾイヤ平原の戦い]]。[[ル・マンティス]]が[[クリート]]を[[ゾイヤ平原]]で撃破。戦力の損失が大きかった[[クリート]]は[[アイスノー砦]]から撤退。 -10721年、2月 [[ビドサラズの戦い]]。[[ル・マンティス]]が[[クリート]]の都市[[ビドサラズ]]を攻略。僅かだか国境線を南下させる。 -10729年、3月 [[コダン神殿の悲劇]]。[[ル・マンティス]]が[[クリート]]の[[コダン神殿]]を徹底的に破壊。戦略的な意味に疑問符がつくこの行為は、周辺国の非難を浴び、後に[[シャクティアナ]]の侵略の口実になる。 -両国とも明確な戦略目的を見いだせないまま戦争が広域化し、各地で激しい小競り合いが頻発。無法地帯化する地域も。 -10752年、6月 [[シャクティアナ]]が[[ル・マンティス]]の首都[[シャロッツ]]を制圧。[[ル・マンティス]]属国化。 -[[クリート]]国内で[[シャクティアナ]]及び属国化した[[ル・マンティス]]への対応を巡り、意見が対立。一部紛争化も。最大のものは10773年、10月の[[アーハート城炎上]] -10838年、12月 [[シャクティアナ]]が[[クリート]]の首都[[アークナイン]]を制圧。[[クリート]]属国化。 -10839年 [[ビドサラズ]]が[[シャクティアナ]]に[[クリート]]への帰属を嘆願、了承される。以後、[[シャクティアナ]]が[[ル・マンティス]]と[[クリート]]の領土整理問題に着手。 &bold(){関連項目} ---- -[[ル・マンティス]]国 -[[クリート]]国 &ref(http://izayoi-moon.sakura.ne.jp/zairyou/50.GIF,left)

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