映画 > 【Matrix】 管理社会・見えざる支配

↓まずは、パロディ版をどうぞ。

マトリックスで知る、反日マスゴミの真実



映画「Matrix」+α

知は力なり

 映画で、「マトリックス」内の風景がコードとして見えるようになった時、
ネオは、敵であるエージェント・スミスを倒せるようになった。
これは、 世界の仕組みを知ることにより、その仕組みじたいを
対象として認識し、立ち向かうことができるようになる ということだ。
マトリックス内の風景がコードとして見えなければ、石は石、
エージェント・スミスはエージェント・スミスとしてしか見えない。

 我々は、「勝者」であること、テレビ等のマスコミが我々に
期待してる生き方などを鵜呑みにしない。ましてや借金をしてまでパチンコをすることもない。
反日タレントの外見やステータスに憧れることもなければ、
いっときのお笑いに日々埋没して、嘘や策略を忘れて騙され続けてしまうこともない。

 我々はもはや、「狡猾な在日組織」や、
「選民意識のあるマスコミや電通の策略」にだまされることはできない。
また、「中韓に媚を売る国家の子供だましのような言葉やコントロール」に乗ることもできない。

 なぜなら、我々にはもう、 そういった策略を構成するコード が見えてしまうのだから。

 マスコミの世界は、「あなたはこう感じなさい。あなたはこう考えなさい」だ。

 しかしネットの世界は違う。
 「私はこんな違う風に感じる。私は、もっと別の今までにはなかった考え方がある。
 ところであなたは、どう感じ、どう考えますか?」

 マスコミという古い時代の王者は、かつて王者であった鈍さのせいで、
インターネットの時代が理解できない。

 マスコミ(関係者)は、インターネットが人間に及ぼす影響について、よく考え方が良い。
 インターネットは、単なる身体の延長ではない。
 それは、新しい身体の一部である。そして身体の変化は、別の身体の部位をさらに進化させたり、退化させる。人間がインターネットを媒介にして世界に関わるうえでの最適化である。

 人間が服を着るようになって、体毛が退化した。
 体毛が不要になったからである。

 インターネットを手にした人類にとって、テレビはほぼ不要となるだろう。
 特にマスコミが、「あなたはこう感じなさい。あなたはこう考えなさい」式のものであり続けるのであれば。
 マスコミはタブーを恐れてはいけない。マスコミは、2ちゃんねるとネットに学ばなければいけない。
 ネットに追いつかなければならない。

 テレビは、ブスでわがままだけど、顔が広いだけの人間である。
 ネットは、顔も良くて性格も良い人間である。そして独自のネットワークを持っている。

 そして人類は、ネットを選ぶようになった。

 多少化粧をして、ウブな情報弱者をだましても、
 ブスでわがままであり続けたまま、顔の広さだけではやっていけない。

 マスコミも、相手に合わせる性格の良さを身につけ、情報弱者を操作しようとする不遜な態度を改めるべきだ。

曲「Wake Up」 (草莽崛起 = 一般市民よ、立ち上がれ!)

http://www.youtube.com/watch?v=--Wpz4NAHtY

ウォシャウスキー兄弟は、本作の脚本を書く時には『Wake Up』(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)を聴いていた。

主人公が、日常という夢から目覚め、本当に自分が存在してる世界を知った

http://www.youtube.com/watch?v=Q5aK7WTKuoE

ネオは、「現実世界と思っていた日常という夢」から目覚め、
自分が巨大なシステムの中の電池であることを知る。
システムは、目覚めてしまったネオを廃棄する。レジスタンスは、廃棄された彼を救い出す。

映画紹介

映画『マトリックス』が本当に伝えたいこと ~君は心の囚人

本作の『Matrix』とは、人間に代わって地上を支配した機械が、永続的なエネルギーを得る為に、人間を「電池」として管理する為のシステムである。
全ての人間は、人工子宮の中で生産され、赤ん坊になると、生体維持装置のチューブや電気プラグに繋がれて、一体ずつカプセルに閉じこめられる。
そして、コンピューターは、彼らの脳の刺激に応じて「現実世界を彼らの脳の中に作り出し(仮想現実)」、人間は一生それに支配されて生涯を終えるのである。

Wikipedia「マトリックス (映画)」

 ウォシャウスキー兄弟曰く、脚本の大部分はレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの『Wake Up』を聴きながら書き上げたとのこと。
 映画でもエンディング・テーマに起用されており、そのバンド名やその活動自体が正にマトリックスの世界そのものとされている。
 (省略)
 作品はウィリアム・ギブスンから日本のアニメまで様々なものに影響を受けた上で、特にジャン・ボードリヤールの哲学を基調としたとウォシャウスキー兄弟は語っている。
 実際、後述する「MATRIX」という単語自体が、ボードリヤールの著書『シミュラークルとシミュレーション』の中に掲げられており、これが出所となったという見方もある。
 作中では、ハードカバーのボードリヤールの本が映るシーンも見られる。2作目からボードリヤール本人をアドバイザーに迎える計画があったが、断られたという。
(省略)
映画では仮想現実を生み出す背景となる、コンピュータの作り出した仮想現実空間を
「Matrix」と呼んでいるが、同時に人間の養殖機のことをも示していると思われる。

ジャン・ボードリヤール

大量消費時代を迎え、商品が使用価値としてだけでなく、記号として立ち現れることを説いた。
(省略)
ボードリヤールの哲学は映画マトリックスのもととなった。
取り分けウォシャウスキー監督は非常にボードリヤールを意識しており、主演のキアヌ・リーヴスなどキャスト、クルーのほとんどは『シミュラークルとシミュレーション』を読まされ、台本にもボードリヤールの名前が頻繁に出ている。
映画の中でもハードカバーで『シミュラークルとシミュレーション』が映るシーンがある。

消費社会の神話と構造

消費社会論における代表的な著書であり、ボードリヤールの代表的な著作である。
(省略)
本書では大量消費時代における「モノの価値」は、そのものの使用価値、あるいは労働集約としての価値ではなく、記号としての価値であるとされている。例えばブランド品が高価であるのは、その商品を生産するのにコストがかかっているからではなく、あるいは他の商品に比べ特別な機能が有るからでもなく、その商品そのものが特別なコードをもっており、そのコードの他の商品のコードとの差異が、商品のそのものの価値であるとされる。

消費社会における消費とは、そういった商品のもつコードの構造的な差異の消費をさす。ここで注意しなければいけないのは、ヴェブレンの「顕示的消費」と違い、単なるブランドの見せびらかしではないと言うことである。例えば高級車には高級車の、コンパクトカーにはコンパクトカーのもつ記号がそれぞれ有り、それらを自ら個性として消費するのである。

こうした「記号」という商品の価値が、本来の使用価値や生産価値以上に効力を持つ時代を「消費社会」と本書ではよんでいる。この思想の背景にはマルクスの価値形態論とソシュールの記号論が控えており、こうした分析を、生産物に限らずあらゆる社会事象や文化に援用したのが本書の特徴である。