未分類 > 091210 > 三島由紀夫 「反革命宣言」一般大衆は、革命政権の樹立が、自分たちの現在守つてゐる生活に、

一般大衆は、革命政権の樹立が、
自分たちの現在守つてゐる生活に、将来どのような時間をかけて
どのように波及してくるかについてほとんど知るところがない。

彼らは、現在の目前の問題としては、
いつもイデオロギーよりも秩序を維持することを欲し、
ことに経済的繁栄の結果として得られた現状維持の思想は、

一人一人の心の中に浸み込んで、自分の家族、自分の家を守るためならば、
どのようなイデオロギーも当面は容認する、といふ方向に向つてゐる。

そして、秩序自体の変質がどういふ変化を自分たちにおよぼすか、
といふ未来図を彼らの心から要求することは、ほとんど不可能である。
人々はつねられなければ痛さを感じないものである。

もし革命勢力、ないし容共政権が成立した場合、
たとへたつた一人の容共的な閣僚が入つても、もしこれが警察権力に手をおよぼすことができれば、
たちまち警察署長以下の中堅下級幹部の首のすげかへを徐々に始め、
あるひは若い警官の中に細胞をひそませ、警察を内部から崩壊させるであらう。

政府にすら期待してはならない。政府は、最後の場合には民衆に阿諛することしか考へないであらう。
世論はいつも民主社会における神だからである。
われわれは民主社会における神である世論を否定し、最終的には
大衆社会の持つてゐるその非人間性を否定しようとするのである。

では、その少数者意識の行動の根拠は何であるか。それこそは、天皇である。
われわれは天皇といふことをいふときには、むしろ国民が天皇を根拠にすることが反時代的であるといふやうな
時代思潮を知りつつ、まさにその時代思潮の故に天皇を支持するのである。
なぜなら、われわれの考へる天皇とは、いかなる政治権力の象徴でもなく、
それは一つの鏡のやうに、日本の文化の全体性と、連続性を映し出すものであり、
このやうな全体性と連続性を映し出す天皇制を、終局的には破壊するやうな勢力に対しては、
われわれの日本の文化伝統を賭けて闘はなければならないと信じてゐるからである。 ●三島由紀夫「反革命宣言」より