大廣翔治
- 1982年7月29日生まれ 群馬県高崎市出身 右投右打
- 現役時代の背番号は「35」
- 創設メンバーの一人で、2004年の大社ドラフトで6巡目指名を受け入団。
- 一場とは高校時代のチームメートだった。
- 鷲関連スレにおける春の季語。野手におけるロマン枠の筆頭。
- その強打と強肩は誰もが認め、将来の中軸候補として首脳陣からの評価も高いという。
- 特にスイングスピードは猫の主砲おかわりをも上回る150キロを計測したこともある。
- 代打として打席に立ち、フルスイングしたらバットがすっぽ抜けてベンチの屋根まで飛んでいったことがあるほど。
ちなみに結果は三振。
- 小学生の頃、校庭の端から放った打球で校舎のガラスを割るなど、高い打撃センスは天性のもの。
- だが一軍実績は皆無に等しい。
- メインポジションが激戦区であるサードであることと、自身の度重なる怪我がその原因である。
- 2007年には守備経験のない右翼手で先発出場したこともあったが、3三振3失策をやらかしている。
外野手の3失策は張本らと並ぶ、歴代最多記録である。
- その後出場機会を得るために、外野の守備練習を始めた。
- 2010年秋に、新任の田淵幸一ヘッドコーチに「濱中2世」のお言葉をもらう。
首脳陣が変わってもやっぱり期待はされているらしい。個人応援歌ももらったことだし。
- 2011年キャンプ初日に行われたシャトルランで見事優勝した。ちなみに2位は聖澤。
- が、紅白戦では菊池に2塁で牽制アウトにされるなどいいとこなし。
さらには3試合で2スナイポとこちらの方は大当たりである。
- そして交流戦に入った5月21日(対燕)、見せ場はやってきた。
- 8回表2死一・二塁の場面で、一二塁間を破ろうかという宮本の打球に飛びつき追加点を防ぐファインプレー!
- 同点で迎えた9回裏1死一塁、大廣の打球はレフト線を破ってサヨナラタイムリーツーベースとなった。
安打は2007年以来4年ぶり、またタイムリーはプロ入り初である。もちろん、初のヒロインも受ける。
- しかし6月、練習中に悪送球が当たってしまい右ほほを骨折。
それから一軍に昇格することなく、11月18日に現役引退を表明した。視力低下が原因の模様。
- なお、この大廣の引退で、楽天初年度のドラフト入団選手は全員が退団となった。
- 現在は楽天のジュニアコーチである。
252 :どうですか解説の名無しさん:2011/11/18(金) 12:35:51.88 ID:DvGPio3M
春は、おおひろ。やうやう薄くなりゆく永井は 少し明りて紫だちたる毛の細くたなびきたる。
夏は、松井。8月の頃はさらなり。豆もなほ。NPの多く飛び違ひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうちそんじて行くもをかし。雨など降るもをかし。
秋は、牧田。デーブのさして、おかわり(は)いと近うというに、ガルの寝どころへ行くとて、かたやま、うまなど、飛び急ぐさへあはれなり。まいて内村などの連ねたるがいと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、まつざき、いしみねなど、はたいふべきにあらず。
冬は、せんいち。ダメジャーの岩村はいふべきにもあらず。シッモの戦力外も、またFAでも、いと寒きに、火など急ぎ熾して、ワシ育渡るも、いとはずれし。春になりて、シーズンはじまていけば、闘将の火も、白き灰がちになりて、わろし。
最終更新:2013年07月06日 03:00