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第6号文書 z9

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第6号文書 z9


第6号文書(Z 9)
南京国際区安全委員会
寧海路5号 1937年12月17日
南京日本帝国大使館 御中
日本大使館二等書記官福井淳氏の配慮を乞う

拝 啓

 昨日午後、尾崎勝男総領事が行った、国際委員会はなんら法的地位をもたないとの言明につき、我々の立場を若干ご説明することは理にかなったことであります。日本 当局諸賢にたいして我々は何ら政治的地位を要求しておりません。しかし、12月1日、 南京市長馬氏は、緊急交代に際して、ほとんど一切の市政府の職権、すなわち警察・ 主要施設の監督・消防・住宅・食料の供給・衛生などの職権を当委員会に委託したのであります。それによって、12月13日月曜日の正午、貴下の軍隊が勝利を得て当市に到着した際に、当員会は市内で存在していた唯一の行政権力でした。もちろん、その権力は安全地区外に及ぶものではないし、地区内においても何ら主権に対する権利を含んでおりません。

 当委員会は唯一の行政当局であり、また、もし安全地区に兵士を駐留させず、軍事施設を設けないならば、貴軍隊は故意に地区を攻撃しないと、上海の日本当局より保証をえていたので、当方は直ちに貴下の先遣隊と接触しようとしました。12月13日午後、日本兵が隊長とともに漢中路で休息中であるのを見ました。我々は隊長に地区所在地を説明し 、彼の地図に記入させました。我々は三つの赤十字病院にかんして隊長の注意を丁寧に喚起し武装解除された兵士のことを話しました。彼のほうでも繰り返し保障するので、貴軍においてはいっさいが了解ずみと当方は考えました。当日夜半から翌朝の未明にかけて我々は12月14日付けの手紙を認め、それを日本語に翻訳させました。それで、日本大使館の館員福田氏から貴下に伝えることと思いますが、ラーべ氏・スミス氏・フォスター師が 日本軍高級将校をさがしだして、その手紙を手渡すことになりました。我々はそれぞれに5人の将校と話し合いましたが、彼らの言うには、翌日最高司令官が到着するまで待つようにとのことでした。

 翌12月15日朝、我々は委員会本部に日本帝国大使館の福田篤秦氏と日本帝国海軍軍艦勢多の艦長と士官数名の名刺を持った関口氏の来訪をうけました。当方は先に述べた12月14日付けの手紙を福田氏に提出し、当方では喜んで送電復旧工事に協力すると、 関口氏に約束しました。正午に、我々は交通銀行で特務機関長(The Head of the T`ehPei Kwan Chang [Special Service])と会見することをえて 、当方の12月14日付けの手紙に対する口頭による公式回答を受けました。 機関長は回答の中で、わけても安全区の入り口に衛兵を置くこと、警棒のみで武装した 民警が同区内を巡回してよいこと、委員会が貯蔵した一万担の米を使用したり旧南京政府 よって指定された米屋に移送してもよいこと、電話、電力、水道をできるだけ早急に修復することが肝要であることなどを言明しました。ところが当方の12月14日付けの手紙の代項にについては、住民が早急に帰宅すること意外には、何らの回答も与えられませんでし た。

 この回答に基づき、当方は警官に進んで職務につくようにすすめ、当方から日本軍将校に事情を説明したから住民はこれでよい待遇を受けることになると彼らに保障し、また米の移送をはじめました。ところが、西洋人が乗車していないトラックが路上に出ると、必ず徴発をうけております。火曜日の朝、紅卍字会(当委員会の指示に従って仕事をしている団体)がトラックを出して遺体を収容しようとすると、トラックが奪われたり奪われる寸前の破目になったりしており、昨日は14人の労務者が連行されました。当方の警官にも干渉され、責任者である日本軍将校の言によれば、司法部に駐在中の50人の警官を「銃殺するために」連行したとの事です。昨日午後には我々の志願警察のうち46人が同様に連行されました。(これらの志願警察官は当委員会によって12月13日に組織されたもので、安全区で行われる仕事は正規の警官---昼夜兼行で部署についていた---よりも大きいように見えました。)これらの「志願警察官」は制服を着用してもおらずいかなる武器も携行してはおりませんでした。 ただ当方の腕章をつけていただけです。彼らは群衆整理の手助けとか、清掃とか、救急処置を施すなどの雑用をする西洋のボーイ・スカウトといったようなものでした。14日に当方の4台の消防自動車が日本兵によって徴発され、輸送用に使われました。

 当委員会より貴大使館と日本軍にわかっていただこうと熱心に努めている点は、我々は、 日本当局が新しい南京市政府あるいは他の組織を設立して市内の諸権限を引継ぐまで、南京の一般市民のために市政府の諸サービスを委託されたということです。ところが、不幸にも貴下の兵士は、安全区内で当方が秩序を維持し、一般市民のための諸サービスを続けること を望みませんでした。その結果として、我々が12月14日の朝まで続けていた秩序維持と必要 なサービス提供の体制は瓦解しました。言いかえれば、13日に貴軍が入城したときに我々は安全区内に一般市民のほとんど全体を集めていましたが、同区内には流れ弾による極めてわずかの破壊しかなく、中国兵が全面的退却を行った際にもなんら略奪は見られませんでした。貴下が当地区を平穏に接収し、かつ市内の他の部分が整備されるまで、そのなかで平常名生活が乱されることなく続けられる準備はすっかり整っていました。それだと、市内で完全に平常な生活を進めることもできたのです。このとき市内に居住していた27名の外国人全員も中国人住民も、14日いらい貴軍の兵士が行っている強盗・強姦・殺人の蔓延にまったく驚いています。

 我々が抗議のなかで要求することは、貴下が貴軍の秩序を回復しできるだけ早急に市の生活を平常にすることだけであります。市の生活の正常化については、当方にていかようにも喜んで協力に応じます。ところが昨夜の8時から9時にかけて我々の職員で委員会のメンバーである5人の西洋人が安全区を回って状況を視察したところ、当方は区内あるいは出入り口を巡回している日本軍衛兵の姿を一人も見ることができませんでした。昨日の脅迫と警官の連行によって当方の警官は全員路上から姿を消してしまいました。我々が見たものは、2,3名の日本兵が連れ立って安全区の路上をうろついている姿ばかりで、現在私がこの手紙を書いている間にも、安全区内の各所から統制も無く侵入する兵隊が引き起こす強盗・強姦事件の報告が刻々と耳に入ってきます。 このことは、昨12月16日付けの当方の手紙の第2項にあった安全区の出入り口に衛兵を立てて兵隊が侵入しないようにするという当方の要請につき何らの措置がとられていない、ということです。

 したがって、貴当局が安全区の秩序の維持を引き継ぐ第一歩として、以上のことを提案するものです。
  1. 昼夜にわたって安全区内を巡回し、略奪・強盗・強姦・婦女誘拐の現行犯を逮捕する権限を持った、正規の憲兵隊を貴軍によって組織すること。
  2. 旧南京市政府から当委員会に委託された450人をこえる中国人警官を日本当局が引き継ぎ、彼らを組織して一般市民の平静と秩序を維持させること。(秩序は安全区内では一度として破壊されたことは無い。)
  3. 昨日から昨夜にかけての市内の火災件数から見て(幸いに安全区内では火事は起こっていない)、当方は、貴当局のもとに消防が再編され、貴下の兵士が例の消防自動車4台返還し消火に当てることを提案する。
  4. さらに当方は、貴下ができるだけ早急に南京市政の専門家を連れてこられ、新政府が設立されるまで一般市民の生活を管理されることを提案するものであります。(当安全区に居住する警官・消防士と3人の事務員を除いては、旧南京市政府の職員は全然残っておりません。その他は全員、市を去りました。貴軍は物理的に南京市を占領し、南京市の住民のうち貧困層が貴下の手中にあるわけですが、訓練を受けた知的で活動的な人士はすべて西の方へ移動してしまったのです。)

 ここで再び貴下に当方より保障申し上げたいことは、当委員会には旧南京市政府から委託されたいかなる半行政的な権限と言えども、それを引き続き行使する意思は無いと いうことです。当方はこれらの職権ができるだけ早急に貴下の手に移されることを切望いたします。そうなれば、当委員会は単なる救済機関になることでしょう。

 もし、ここ3日間の破壊が今後も続くとすれば、救済問題が早急に増加することでありましょう。当方では、安全区内でおのおのの家族ができるだけ住居と食料をそれぞれに調達して、当委員会のような臨時の組織に突然のしかかってきた行政上の重責を減らすようにすることを建前にしています。しかし、現状が続くとすれば、数日中に当方では多数の住民が餓死に直面することになるでしょう。住民の手持ちの食料と燃料の補給は底をつきかけています。金・衣服・見まわり品などの多くは、うろつきまわる日本兵によって奪われてしまいました。正規の商売あるいは活動は、住民が店を開いたり外出することを恐れているために、ほとんど行われておりません。他方、12月14日の朝以来、当委員会の補給用トラックが事実上ストップしています。 貴軍の入城以前には、我々は安全区に重点的に補給物資を運び入れ、後でそれを配給する予定でした。住民は一週間分の手持ちの食料をたずさえてくるように言われていたからです。それでも、数箇所の難民収容所に毎日、食糧配給を欠かさぬようにするためには、当委員会の職員と委員会の西洋人のメンバーは日が暮れてからも私用の車で各収容所に米袋を配達してやらなねばならなかったのです!

 住民に飢餓が迫りつつあるのに、もしこうしたサービスが急速に展開されなければ、人心の動揺がおきることでしょう。中には一夜のうちに5回も家に押し入られ、強盗にあい婦人を強姦された家族もあります。翌朝になるとより安全な場所を探して引っ越す というのもめずらしいことではありません。また昨日午後、貴軍の兵站部の将校3名が 当委員会に電話の復旧で当方の助けを求めましたが、委員会の腕章をつけた小数の電話工夫は、安全区内にある自宅から追い出されて、現在、本区内にばらばらに住んでおり 、所在不明です。もしこの恐怖状態がずっと続くとすれば、労務者たちを主要サービス 機関の復旧の仕事につかせることは不可能に近いというものです。もし市内の日本兵の間でただちに秩序が回復されないならば、20万の中国市民の多数に餓死者が出ることは避けられないでしょう。

 市の一般市民の保護にかんして当委員会はなんなりとも貴下に喜んで協力することを確約します。
                                                    敬具
委員長 ジョン・ラーベ


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