7月20日

「ねぇ、渋谷寄ってかない?」
「いいねー、未来も行こう?」

 一学期終業式の放課後。マユの誘いに、ユカは即答した。実は午後からピアノの
レッスンが入っているのだけれど、明日から夏休みだというのに、普段のように
まっすぐ帰宅してピアノのレッスンではあまりに味気ない。どうせ夏休みといっても
レッスンと夏期講習でみっちりで、マユや未来とはしばらく顔を合わせられなくなる
のだから、今日ぐらいは夏休み前の解放感を満喫したかった。

「あー……あたし、ダメ。今日は親が仕事だから、弟と留守番で……」

 困ったような顔で答える未来。未来って学校では勉強とかやる気なさそうに見えて、
こういうところはしっかりしてるんだよね。あたしとは大違いだなぁ、と感心するユカだった。

「そっか、しょうがないね。じゃあ休み中三人でどっか行こうよ。あたしも絶対
時間作るからさ」
「うん。あたしはたぶんずーっとヒマだから、いつでも連絡ちょうだい」

 自嘲気味に笑って、バスに乗り込む二人を見送る未来。バスが発車する。
窓越しに名残惜しく手を振る三人。

 こうして一学期最後の日、ユカとマユ、未来は別れた。

「未来ってえらいよねー。あたしなんてピアノのレッスンサボっちゃったよ」
「あっはっは、気にしない気にしない。今日ぐらいはパーッと遊ばないと。
未来がマジメ過ぎるんだって。どうせ親に通知表見せたら怒られることには
変わりないんだし」
「あはは、それもそうだね」

 車中は帰宅する生徒たちの賑やかな声で溢れていた。夏休み前ということもあって
テンションがハイになっているのか、ただでさえ騒がしい女子中学生たちが普段より
ずっと騒がしい。皆この後の寄り道や休み中の予定の話題に花を咲かせていた。

「ああでも、未来もマジメってわけじゃないかも。ただ単に弟君の世話焼きたいだけ
なのかも」

 思い出したように補足するマユ。

「ええー、そうなの? 未来ってば、あたし達より弟君を選ぶんだ。ショックー。
ねぇねぇ、未来の弟君てどんな子なの?」

 ショックでもなんでもなさそうに話題を切り替えるユカ。今は未来の弟の話題に
興味津々といった様子だった。未来とは小学校からの幼馴染であるマユが答える。

「あのね、今小三なんだけど、すっごい素直でかわいくて、よく気がついて良い子なの!
ウチにも弟二人いるんだけどさ、もう憎ったらしいのなんのって、未来んとことは大違い!」
「そんなこと言っちゃマユの弟君がかわいそうだよー。はぁー。でもいいなー未来。
そんなに良い弟君なんだー。あたしも一回未来の弟君見てみたいよ」
「じゃあさ、今度一緒に未来んち遊びに行こうよ! 絶対ナデナデしたくなっちゃうから!」
「あ~いいなぁ~、弟君ナデナデしたいぃ~」

 頬を緩めてだらしない笑みを浮かべるユカ。なんだかいけない妄想にふけっている
ようにも見える。

「あ、そうそう、未来の弟君って言えばさ……ぷっ、くっくっく」

 唐突に思い出し笑いを始めるマユ。怪しいことこの上ない。

「えー、なになに? 笑ってないで教えてよー。マユー。マユー。えいえい」
「ちょ、ユカ、やめ、やめ、ぶっ、あっひゃっひゃ」

 完全無防備状態のマユのわき腹に、ユカが容赦なく攻撃を加える。マユの思い出し
笑いは爆笑に変わり、話の続きを促すにはしばらく時間を置かなければならなかった。

「は、腹痛い……もー勘弁してよーユカー。わかった! 話す! 今話すから!」
「えーっと、何の話だっけ」
「未来の弟君の話だっつーの! あんたがボケるタイミングは今じゃないでしょ!」
「えー、あたしまだボケてないよー」

 あまりに突っ込みどころ満載のユカの言動に、途方に暮れるマユ。もうこれ以上
付き合っていられない。焦らしたのはこっちなのに、逆に軌道修正を強いられる
ハメになろうとは……敗北感に打ちのめされつつも、強引に本題に入るマユだった。

「ウチらが小学生の頃の話なんだけどさ……お化け屋敷ってあるじゃない?
夏祭りの出店で。未来達と夏祭りに遊びに行ったときの話なんだけどさ」
「ええー、いいなぁ。あたしも一緒に夏祭り行きたい~」
「はいはい、それはまた今度ね。でさ、そこでやってたお化け屋敷に、未来の弟君が
入りたいって言い出したんだよね」
「へえー、あたしもお化け屋敷大好きだよー」
「あんたのことなんて誰も聞いてないから! でね、実際入ったら未来が怖がりだし
ちゃってさ」
「へえー、未来って怖がり屋さんだったの?」
「最初はいつもの調子で強がってたんだよね、『こんなの子供騙しじゃん』とか言って。
でも実際入ったら弟君にしがみつきっぱなしで、弟君は全然平気そうにしてるのに、
『悠貴!』、あ、弟君の名前悠貴君て言うんだけどさ、『悠貴! ゼッタイ、ゼッタイ、
手を離さないでね!』って。あんたはブラコンかっつーの!」
「み、未来がブラコン……ぷっ、あっはっはっは」

 普段はユカとマユのおバカなやり取りに呆れながら突っ込みを入れているあの未来が、
利発そうな弟に涙目でしがみついている想像は、ユカの笑いのツボを容赦なく刺激した。

「も~、やめてよマユ~、そんなこと言っちゃ未来がかわいそうだよ~、今度未来と
会ったら未来のこと、変な目で見ちゃいそうだよ~」

 本人のいないところで、言いたい放題である。

「はぁー、でもいいねー未来もマユも、兄弟がいてさ。あたし一人っ子だから、
そういう思い出全然ないよ」
「いやー、そんないいことばっかりでもないよ兄弟なんてさ、親にはチビどもの面倒
押しつけられるし。ユカは一人っ子だからすっごい大事にされてるんじゃないの?」
「マユ君。世の中はそう単純ではないのだよ」
「ぷ。何それ」

 本当に、マユの言う通りだったら、どれだけいいだろうね。ユカは思う。

 帰宅したユカを待っていたのは、説教の嵐であった。
 ピアノのレッスンをサボったことを怒られ、帰宅時間が門限を過ぎていたことを怒られ、
夕飯を外で済ませてきたことを怒られ、通知表を見せたらやっぱり怒られ、こんな成績じゃ
夏休みは遊んでる暇なんてありませんからねと怒られた。
 ようやく説教から解放されて重い足取りで階段をのぼり、自分の部屋に戻って時計を見ると、
午後9時を回っていた。

「つかれた……」

 ベッドの上にうつ伏せで倒れ込み、虚ろな眼差しで携帯をチェックする。




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ユカりん

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サイアク…

 未来のブログに返信すると、仰向けになって携帯を投げ出す。ぼんやりと、自分の部屋の
見慣れた天井を眺める。こういうときに考えることは、決まって楽しいことじゃない。
憂鬱な気分が溢れ出してくる。ああだめだめ、少しは楽しいこと考えなきゃ。

 あしたからたのしいなつやすみ。うれしいなぁたのしいなぁ。はあ。ばかじゃないの。
夏休みだからって怠けてたら、他の子に置いていかれるわよ。知らないよそんなこと。
どうして将来のことなんて何も決めてないうちから、そんなに頑張らないといけないんだろう。

 メグはカリブ行くって話してたっけ。リサはカナダだったかな? 海外旅行かぁ。
ウチも海外とまでは言わないから、せめて静岡のお婆ちゃんちぐらい連れてってくれればいいのに。
会いたいなぁ、お婆ちゃん。でも無理だよね。どうせレッスンと夏期講習だけの夏休みでしょ。
あ、それだけじゃないよね。学校の宿題があるか。あはは。全然笑えないよ。
もう何もかもどうでもよくなってきたよ。お風呂どうしようかな。このまま寝ちゃおうかな。

 そんな取り留めもないことを考えていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
ドアの向こうにいるのが誰かは考えなくてもわかっている。母親だ。

 コンコン。

「ユカー。開けなさーい」

 ふん。シカトシカト。どうせ説教の続きでしょ。

 コンコン。コンコン。

「ユカー。ふてくされてないで開けなさい」
「あーもう! わかったよっ!」

 いいよもう、そっちがその気ならこっちだって考えがあるんだから。もうガマンするの
やーめた。反撃してやる。今度こそ本当に、言いたいこと言ってやるんだから!

 頑張れあたし。負けるなあたし。ユカは自分に言い聞かせる。ドアを開けて、精一杯
凄んだ声を出そうとする。さあ、息を吸って、腹に力を入れて。

「なに!?」
「あのね、ユカ。明日から静岡のお婆ちゃんちに行くから、支度しておきなさい」



「…………………へ?」



「わかったわね?」
「あ。うん。はい」

 コクコクとうなずくユカ。母親をそれだけを言うと、階段を降りて行った。
 あとには毒気を抜かれ、呆けた表情をしたユカだけが残された。

 さっき自分は、何をしようとしていたのだろう。懸命に思い出そうとする。
 えーと、えーと。思い出した。そうだ。お風呂、入らなきゃ。



 湯船に浸かりながら、携帯で読んだ未来のブログを思い出す。ユカは思う。
 未来もマユも、親の不満ばかり言ってるようじゃ、まだまだ子供だね。



おわり
最終更新:2010年03月11日 20:07
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