池田名誉会長が語る 青春勝利の指針 御書と青年 001 「師弟誓願の祈り」


池田名誉会長 時代は、大きく動いている。激動の時こそ、青年の出番だ。
 青年には勇気がある。
 青年には活力がある。
 青年にはビジョンがある。
 いよいよ青年が、壮大な「世界広宣流布」の一切を担い立つ時が到来しました。だからこそ、私は御書を根幹に、若き大切な君たちへ、「青春勝利の指針」を語っておきたいのです。
佐藤青年部長 先生! 私たち青年のために、このような機会をもってくださり、本当にありがとうございます。青年部は、先生のご期待にお応えして「行学の二道」に励み、断固と戦い勝ちます。
熊沢女子部長 先生のもと、「世界一の生命哲学」を学び実践できる。これほど充実した青春はありません。
 同世代の多くの友が、確かな人生の目的も指標も見出せずにいます。大仏法を今こそ語っていきます。
名誉会長 そうだ。頑張ってもらいたい。君たちには、最高無上の青春の舞台が広がっている。喜び勇んで躍り出なければ、自分が損をする。
 日蓮大聖人は「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(御書788㌻)と仰せになられました。
 自分が思っている以上に、わが生命は尊い。無量の宝を秘めている。「勇気ある信心」があれば、自らの可能性をもっともっと解き放ち、輝かせていくことができる。
佐藤 ありがとうございます。社会には、青年の夢を奪う暗いニュースがあふれています。その中で私たちは、常に人生の師の励ましをいただき、何があっても希望に燃えて前進することができます。この栄光の道を、一人でも多くの若き友に訴え、仲間を増やします。
名誉会長 「持たるる法だに第一ならば持つ人随って第一なるべし」(同465㌻)と大聖人は断言なされた。
 人間の価値は、何で決まるのか。どういう哲学を持って行動しているかで決まる。
 君たちは若くして「第一の法」を持ち、社会に貢献している。ゆえに人間として「第一に尊貴」なのです。この誇りを忘れてはいけない。

■「生老病死」の根本問題を解決

熊沢 はい。池田先生と対談集を発刊された、女性の未来学者ヘンダーソン博士も、「創価学会は、一人一人がもつ可能性を深く自覚し、その可能性の開発を常に教えてきました。人間の可能性を認識し、開発していく作業は、人間として最も幸福な生き方ではありませんか!」と語っておられました。
 創価の青春は、世界の知性も讃嘆する最先端です。
名誉会長 正しき人間主義の哲学、生命尊厳の法理を人類は渇望しています。私も青年時代、常に御書を携えて奔走した。移動の列車の中でも寸暇を惜しんで御書を繙きました。
佐藤 昭和32年(1957年)の冬、列車で、たまたま先生と向かい合わせに座った母子(ははこ)が、その時の心温まる励ましを胸に入会しました。その方も、先生が「黒革の分厚い本」を真剣に学ばれていたことを、鮮烈に記憶されていました。
熊沢 御書ですね(笑い)。
名誉会長 ともかく、勉強していなかったら、戸田先生の前には行けない。自分の信心も深まらないし、大勢の同志を励ますこともできない。だから真剣でした。
 ある冬の日、戸田先生のもとへ伺うと、大変お疲れのご様子でした。それなのに「何でも聞きなさい」と言われる。
 本当に申し訳なかったが、研鑽中だった「百六箇抄」についてお尋ねすると、笑みを浮かべられて甚深の講義をしてくださった。忘れられません。青年の真摯な求道心には、大情熱で応えてくださる先生でした。
熊沢 今、海外の池田華陽会の友も、直接、受講する思いで、先生の御書講義の研鑽を重ねています。
名誉会長 私たちには、御書がある。これほど強いことはない。「法華経に勝る兵法なし」です。一頁でも一節でもいい。大聖人の御精神を求め抜いていくのです。
 戸田先生はよく、「行き詰まった時こそ、御書を開け」「疲れた時こそ、御文を心肝に染めよ」と語られた。
 御書を開けば、「希望」も「勇気」も「智慧」も、いくらでも湧いてくる。絶対の確信が生まれる。決して尽きない「泉」のようなものです。
熊沢 婦人部の先輩が、女子部の私たちに、「どんな人生の悩みも、御書に解決の道が記されています。『冬は必ず春となる』ですよ」と励ましてくれたことがあります。
名誉会長 本当にその通りだ。いかなる大学者も、大富豪も、「生老病死」という人生の根本問題だけは、いかんとも解決しがたい。
 大聖人は仰せになられた。「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御書758㌻)と。そして、あらゆる苦悩を必ず勝ち越えていける解答を、御書に留めてくださったのです。
 その力を一人一人が現実の生活の中で発揮し、日本中、世界中で「常楽我浄」の人生を歩んできた。そして「立正安国」に尽くしている。これが創価の誇り高き80年です。
佐藤 私たち青年部は、学会精神を受け継ぎ、新たな大勝利の歴史を開きます。
 その意味で、第1回は、戦いの原動力となる「祈り」について、ぜひ、おうかがいしたいと思います。

■唱題は大宇宙と小宇宙の交流

熊沢 今、本部幹部会などで、先生と一緒に唱題させていただく機会に恵まれています。「満々たる生命力と勇気がみなぎります」等と、各地の友から感謝と決意の声が寄せられています。
名誉会長 題目が一切の原動力です。私も、戸田先生とよく一緒に唱題をさせていただいた。学会本部でも、先生の御自宅でも、地方の拠点でも。一回一回が宝でした。
 先生の事業が一番、大変な時も、「生命力が弱っていては戦(いくさ)はできないぞ」と厳しく叱咤されて、弟子のために導師をして、祈ってくださった。
 「御義口伝」には「師子吼」の意義について「師弟共に唱うる所の音声なり」(同748㌻)とあります。先生と唱える題目は、まさに宇宙をも揺さぶるような「師子吼」でした。勝ち戦への轟きです。
 ともあれ、「祈り」は宗教の根源です。祈りは人間にしかできない崇高な行為です。
 何を、どう、祈っているのか。祈りにその人の一念が如実に現れる。私たちの祈りは、いわば、大宇宙と人間生命の小宇宙との深遠(じんのん)なる交流の儀式です。南無妙法蓮華経は、宇宙と生命を貫く根本の大法則だからです。
佐藤 人間とかけ離れた超越的な存在に、何かをしてもらおうという心根とは、まったく違いますね。
名誉会長 そう。ただ拝めば叶うなどという、安直な次元ではない。
 「仏法と申すは道理なり」(同1169㌻)です。スポーツ部の友にも語ったことがあるけれども、真の祈りは、これ以上ないという「努力」と直結しているのです。
 仏法は、人間の生命に限りない尊厳性を認めている。その生命の偉大な力を実際に開いていく仏道修行が、唱題行です。
 南無妙法蓮華経の題目は、人類の潜在力を開く無限大の力を持っているのです。
熊沢 新しく活動を始めた友から、「どのように祈ったらいいのでしょうか?」と質問されることがあります。
名誉会長 そんなに、難しく考えなくていいんだよ(笑い)。自分らしく、ありのままの姿で御本尊の前に端座すればいいのです。そして苦しいことも、つらいことも、そのまま祈っていけばいい。
 「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」 (同1143㌻)と教えてくださっている通りです。
佐藤 よくわかりました。今、各地で新入会の友も信心の体験をつかみ、確信を深めています。
名誉会長 うれしいね。「諸法実相抄」では、「皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(同1360㌻)と言われています。題目を唱えられるということ、それ自体が、いかに深い宿縁であるか。
 大聖人は「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(同㌻)とも仰せです。広宣流布に生き、題目を唱えゆく青年は、皆、最も尊極な地涌の菩薩なのです。
佐藤 学会とともに、広布に進む決意をもって唱える題目が、地涌の菩薩の「誓願の題目」なのですね。
 池田先生は「本当の決意を込めた題目をあげよ! 題目は利剣である。題目は宝刀である。題目で勝つのだ!」との戸田先生のご指導を教えてくださいました。
名誉会長 友の幸福を願い、広宣流布を願って題目をあげていく。学会活動をし、折伏に挑戦していく。それ自体が、立派な「誓願の祈り」であり、「誓願の実践」なのです。
 地涌の菩薩は、法華経の涌出品で大地の底から現れ、末法における広宣流布を誓願した。私たちは、その誓願のままに創価学会員として生まれ、戦っているのです。
 「いえ、そんなことを誓った覚えはありません」と言うかもしれない(笑い)。でも仏法の眼(まなこ)から見れば、また生命の因果から見れば、厳粛なる真実なのです。
佐藤 現代において、この「地涌の誓願」を実践しているのは、いったい誰か。創価の師弟しかありません。
名誉会長 大地震に襲われた中米のハイチと先日、連絡が取れました。本当に甚大な被害でした。被災者の方々に、心からのお見舞いを申し上げたい。一日も早い復興を朝な夕な祈っています。
 大変な状況の中で、ピエール・ニオー支部長が送ってくれた報告には、こう綴られていました。
 「私たちには御本尊があり、師匠がいます。創価学会の気高い同志がいます。すべてを乗り越えて、前進をする勇気が湧いてきます。池田先生! 私たちハイチのSGIメンバーは、何があっても勝ち進んでいきます!」と。
 隣のドミニカ共和国の尊き同志も救援に尽力してくれ、復興を目指して第1回の座談会が力強く行われます。
 私たちは、誓願の祈りで、深く強く結ばれている。
 創価学会は「我、地涌の菩薩なり」との自覚で立ち上がった仏勅の団体です。どれほど尊いか。この「地涌の菩薩」の覚悟がなければ、三類の強敵をはね返して、悪世末法に広宣流布を進めることはできません。
熊沢 この誓願の人生を教えてくださったのが、創価学会の牧口先生、戸田先生、そして池田先生の三代会長です。

■経典は自身の日記

名誉会長 戸田先生は「広宣流布へ戦う私たちは、皆、虚空会の儀式に連なっていたんだよ」と言われました。
 要するに、折伏にせよ、広宣流布にせよ、「人から言われたから」やるのではない。私たちは皆、「自分で誓い願って」、地涌の菩薩として生まれてきた。
 そう決めて拝読すれば、御書の内容も何重にも深く生命に響きます。法華経も同じです。「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」(御書563㌻)とある通りだ。
 御書を一切、自分の生命のことを説き明かした経典と拝しているから、学会は強いのです。負けないのです。
熊沢 地涌の菩薩は、厚い大地を打ち破って、歓喜踊躍して出現しました。
 私たちもまた、現実の悩みに負けずに、朗らかに、自分の使命に生き抜いていかねばならないと決意しています。
名誉会長 地涌の菩薩は、最も大変な時に、最も大変な場所に勇み立って出現する。みんなも、そうなんだよ。
 今、直面している困難は、信心の眼(まなこ)で見れば、自ら願った使命です。そう確信して前進することが、「誓願の祈り」の証しです。
 仕事のこと、経済苦、人間関係の悩み、病気の克服など、目下の課題に打ち勝つために、猛然と祈ることです。
 自分自身が、断固として勝利の実証を示していくことが、同じような苦しみに直面する友を励ます光となる。
 「宿命」を「使命」に変える。これが「願兼於業」の祈りです。勇気を奮い起こして、自他共の幸福を祈ることだ。そこに深い慈悲がある。自分だけでない。人の幸福を祈る中で、自分の悩みを悠々と見下ろせる境涯が開かれていくのです。
 自らの悩みを抱えながら、それに押しつぶされない。「難来るを以て安楽」(同750㌻)と、広宣流布のため真剣に祈り、勇敢に学会活動に打って出る。広布の祈りは、仏・菩薩の祈りです。
 大きな悩みを引き受け、大きく祈った分だけ、大きな境涯を開くことができる。気がついたら、小さな悩みは全部、包まれ、乗り越えられている。
 ここに「煩悩即菩提」の極理があります。

■関西の母の祈り

佐藤 先生は、「一生成仏」という自転と「広宣流布」という公転の絶妙な関係を教えてくださいました。
名誉会長 自分の人生の課題を祈ることと、人々の幸福を願う広宣流布への祈りとは、一体です。共に前進の力です。
 自分の勝利が、広宣流布の実証になる。広宣流布を進める創価学会の大発展を強盛に祈っている人は、どんなことにも負けない自分自身になる。王者のような境涯を必ず開けるのです。
熊沢 この誓願の祈りで、三代の会長と共に、学会を守り抜いてこられたのが、婦人部の先輩方です。
名誉会長 その通りです。私が無実の罪で逮捕された、あの大阪事件の時もそうでした。弁護士さえ「有罪を覚悟」と言う厳しい裁判であった。しかし、関西の母たちは「負けたらあかん」と一心不乱に祈り抜いてくれたのです。
 昭和37年(1962年)の1月25日、裁判は正義の大勝利の判決で終わりました。今、この日は「関西婦人部の日」として光り輝いています。
熊沢 この常勝の母の祈りに、池田華陽会は続きます。
名誉会長 地涌の菩薩は、いかなる時も「其の心に畏るる所無し」である。常に「随喜の心」を発し、舞を舞うが如く戦う。
 師匠のためにと、一念に億劫の辛労を尽くして勇猛精進するのです。
 地涌の使命に目覚めることは、汝自身の生命の本源を知ることだ。
 なぜ生まれてきたのか。なぜ生きゆくのか。その究極の意義を知ることです。自分の永遠の使命に目覚める以上の歓喜はない。これほどの充実はない。これに勝る誇りはありません。
 大聖人は、流罪の佐渡の地で、愛弟子と共に「喜悦はかりなし」(同1360㌻)と宣言されました。
 地涌の生命を現すことは、人間の無窮の内発性を開花させることです。これは人類の意識を根底から変革し、至上の高みへ飛翔させ、結合させゆく平和の大偉業なのです。

■「内発性を開発」

佐藤 米デラウェア大学のノートン博士が、池田先生の薫陶を受けた青年への期待を語っておられました。
 「人間の内発性を開発していくのが宗教と教育の本来の使命です。その証しを私は、喜々として未来への情熱をたぎらせゆく学会の青年部員の瞳の中に見ました」と。
名誉会長 大聖人の仏法の偉大さが、世界中で証明される時代に入っています。
 地涌の菩薩とは、外見は現実のなかで苦闘する菩薩です。しかし、内証は仏と同じ境地に立っている。
 同じように、外見は市井《しせい》の平凡な一青年であっても、偉大な仏の智慧と慈悲と勇気を必ず現すことができる。
 この「地涌の底力」を出し切っていくのが、わが創価の青年です。これ以上の「庶民の英雄」「人間の王者」は他にいません。だから君たちは、絶対に負けてはいけない。

■一遍の題目にも偉大な功徳が

熊沢 はい。昨年の6月に先生と奥様を、創価女子会館にお迎えできました。この折、一緒に唱題してくださり、「師弟不二の祈り」の大切さについて教えていただきました。
名誉会長 大聖人は「願くは我が弟子等・大願ををこせ」(御書1561㌻)と、青年に呼びかけられました。「大願とは法華弘通なり」(同736㌻)とも仰せです。
 広宣流布の誓願とは、そもそもが「師弟の誓願」です。師弟の一念が合致して、祈り切っていくところに、計り知れない力が出る。
 「祈り」は即「行動」だ。ゆえに広布と人生の勝利のため、一つ一つ祈り、真剣勝負で行動していくのです。
佐藤 仕事が忙しくて、思うように題目をあげる時間がとれないといった悩みを抱えるメンバーもいます。
名誉会長 心配いらないよ。窮屈に考える必要は、まったくありません。
 一遍の題目にも、どれほどの力があるか。御書には、「一遍此の首題(題目)を唱へ奉れば一切衆生の仏性が皆よばれて爰(ここ)に集まる」(同498㌻)と説かれる。
 真剣に、心を込めて題目を一遍、唱えるだけでも、大功力がある。それほど、すごい妙法なのです。
 ただ、だからといって、ずる賢くサボろうという一念では、駄目だよ(笑い)。
 「心こそ大切なれ」です。今は歯を食いしばって、人の何倍も苦労しながら、堂々と信心即生活、仏法即社会の実証を示していくのです。
 青年部は声高らかに題目を唱え、思う存分に走り回ることだ。そして、正義を叫んで、断じて勝ちなさい。
 君たち創価の青年の躍進勝利こそが、21世紀の人類の未来を開くからです。

(2010.01.25 聖教新聞)


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最終更新:2010年03月24日 16:19