■XX07/2/14 --:--


「…私は、PMに感情を与えるのは反対です」
「反対する理由を聞こうか。…主任」
「彼女たちはマシナリです! キャストではないんですよ!
 未だ生存に権利のない彼女たちに「感情」とはあまりに酷過ぎる!」
「まさしく感情論だね。…君はそれでも技術者の端くれか?
 『感情効果による性能向上』。現実を見たまえ。この数値は無視出来る値かね?」
「しかしながら…ッ」
「テノラ社が開発したマシナリは、我が社のPMの性能の上を行く。
 PMの性能向上はこの数年頭打ちだ。…動作の効率化だけではもうどうにもならん。
 このままでは確実にシェアを奪われるぞ?
 そうなれば、現在ガーディアンズに配備されているPMと、今なお生産ラインを埋めるPMと、
 併せて一万体を超える『君たちの娘』は、どうなるね?
 感情論を振りかざすのであれば、…物言わぬ『彼女たち』へも感情を向けてはどうかね?」
「…私たちが…、現行のPMに、テノラ社製マシナリを越える性能を与えることが出来れば…、
 感情機能による性能向上に頼る必要はないでしょう…?」
「無論だ。――それが可能であるのならね」
「半年です。…半年猶予を下さい…。必ず…、越えてみせますから…!」
「長すぎる。三ヶ月だ」
「そんな――!」
「主任。君は優秀な技術者だが、まずは企業人としての常識を身に付けるべきだな。
 話は以上だ。…三ヶ月後の報告に期待しているよ」

「感情効果による性能向上ですって…!?
 泣いたり、怒ったり、笑ったりするということが…、そんなくだらないことに使われてたまるか…!
 そんなことの為に心を与えるなんて、私には出来ない! そんなことは許さない!」

「私は…! 私の『娘たち』に、そんなことの為に笑って欲しいなんて思わない!」

 私の母親の記憶は…、おおむねこの頃に縛られる。
 もっともっと以前からの記憶もあるだろうに、…それがあまりにも、焼き付いてしまったからだろう。
 母はラボに籠もりきりとなり、滅多に家には帰ってこなくなった。
 時折ふらりと帰ってきては、やはり寝る間も惜しんで研究に没頭していた。
 声を掛けようにも…、やつれきった母の顔は、まるで鬼のように歪んでいて…、
 私は怖くて、母に何も言葉を掛けることが出来なかった…。

「強度計算からやり直させなさい…、こんな数値では駄目よ…」
「しかし主任…! この数値でさえ、現在のGRMの最高水準の二ランクも上なんです!
 これ以上の数値はどう足掻いても見込めません!」
「…なら、その強度計算の資料を全部私に寄越しなさい。…私が引き継ぐわ」
「無茶を言わんでください主任! いくら貴方でも…!」
「貴方たちが出来ないというから私がやるの!」

 父は早くに死んだ。
 私の家は、私と母の二人きり。…母はGRMの技術主任を務めており、それなりに裕福な家だったと思う。
 母の仕事は忙しく、長く家を空けることもあったが、仕事を終えて帰ってくる母は、
 とても優しく、明るく、ユーモアに溢れ、――私は母が大好きだった。
 スクールのテストでとった100点を見せるたび、顔をくしゃくしゃにして喜んでくれる母を見るのが大好きで、
 私は遮二無二勉強に打ち込んだ。…母が笑ってくれるからだ。

 私の家は幸せだった。何事も上手くいっていた。…幸せだったんだ。

 母が変わったのは、PM研究についてからしばらく経った後だった。
 順風満帆に思えたPM研究は、性能向上が頭打ちになっていたこともあり、随分前から暗礁に乗り上げたのだ。
 それに追い打ちを掛けるかのように感情回路導入の問題が持ち上がり、…母の顔からは明るさと余裕が消えた。
 当時の私は十六歳。…物を思うにはあまりにも幼すぎた。
 私がこの歳に至るまで、仕事と家庭と、その危ういバランスを必死で保ち、
 私という存在に母がどれだけ腐心していてくれたか。
 そのことに気付けなかった私は…、

 次第に、私という存在を無視して仕事に没頭する母に…、寂しさと悲しさと、憎悪を覚えるようになっていった。

「どういうことよ…! どういうこと…! どうしてテノラに出来ることがGRMに出来ないの!?」
「落ち着いてください主任!」
「一から設計を組み直すわよ。どこかに何か原因があるに決まってる…!」
「…感情回路の導入を…、するべきです…」
「――何て言ったの…?」
「感情回路の導入をするべきです! PMが現状を超える方法は他にはない!
 主任! 貴方以外の全員が、もうそれに気付いているんですよ!」
「言ったはずよ! 私は性能向上を目的とした感情回路の導入なんて認めない!」

 帰宅したときの母の生活は、日に日にすさんでいった。
 取り憑かれたように仕事をする傍らで…、浴びるほどに酒を飲む。
 肌は土色に染まり、目は虚ろで、――もう、私など見えてはいないようだった。
 家の中ですれ違っても目も合わせない。当然会話なんて無い。
 私の家は…、二人で住む、独りぼっちの空間になっていた。
 私は知っていた。
 母が、PMを「娘」と呼んで、その研究に全てを費やしていることを。

 母さん…、母さん…、ここにいるよ…?
 母さんの娘は、ここにいるんだよ…?

 どうして私を見てくれないの…? どうして何も言ってくれないの…?

 母さん、母さん。…私ね、スクールで一番優秀になったのよ…?
 先生方も皆仰って下さるの。このスクールから貴方のような天才を輩出することは、この上ない誉れだ、って。
 私ね、母さんみたいな優秀な技術者になりたかった。
 誰もがその才能に憧れて、誰もがその才能に敬服する、貴方のような技術者に。
 そう、「なりたかった」。

 今はもう違う。

『私は、お前のような奴にだけは、…なりたくない』

「どうしたの! どうしてラインが止まっているの!」
「…もう、限界なんですよ…!」
「何を言っているの…? ああ、それよりこれを見て! 夕べ家で仕上げてきたの!
 この計算式でなら、PMの出力を…」
「もう限界だっつってんのがわかんねェのかよアンタはァッ!
 今のこのラインから生まれてくるPMを見たか!?
 過剰出力に耐えきれず、起動二分で自壊してしまうPM!
 テクニックの制御が効かず、自らをも標的として自爆してしまうPM!
 情報処理能力の欠陥から、接触したCPUの全てを破壊してしまうPM!
 そんなのが十体に一体は生まれてくるんだ!
 10%だぞ!? 総数の10%が欠陥品だなんて、誰がどう見たって異常だろう!」
「…だ、だから、この計算式でなら…」
「誰もがアンタが好きだった! 誰もがアンタに憧れてた!
 だから誰も言わなかった! 言えなかったんだ! あんまりにも悲し過ぎて!」
「何、を…」
「アンタが持ってくる…、計算式も…! 図面も…!
 もうずっと前から…、狂ってんですよ…!
 滅茶苦茶だ…、ガキが見たって値がズレてるのがわかるくらいだ…!
 主任…、主任…!
 何でこんなことになっちまったんですか!?
 俺たちは大事な娘を育てていたんじゃないんですか!?
 もう見てらんねぇんですよ!
 イカレちまったアンタも! イカレて生まれてくる俺たちの娘も!
 どうにかしてくださいよ…、頼むから…どうにか…、してくださいよ…」

 そう。
 母は、極度のストレスと過度の過労から…、とうに精神を患っていた。
 数ヶ月ぶりに母は帰ってきた。
 仕事の合間にではなく…、数ヶ月ぶりに、休む為に。
 でももう、その数ヶ月で、私の家は滅茶苦茶だった。――私たち親子の関係は。
 母は日がな一日、窓から空を眺めていて…、
 時折、思い出したかのように、腕に抱いたスケッチブックにペンを走らせる。

 食事を運ぶ為に部屋を訪れた私は、ある時、ふと、そのスケッチブックを目にした。
 そのスケッチブックに描かれるのは…、壊れた心で母が夢見る娘の姿。

 そう。それは私ではなく…、PMの姿。

 母の前に食事を置く手が震えていた。
 心が片端から重く冷たく凍り付いていく。
 まだどうにか頑張っていける、と、根拠もなしに信じていた気持ちが、音を立てて崩れ落ちた瞬間だった。


 …こんな母親、…いなくなってしまえばいい。
 …母が作ったパートナーマシナリーなんて、…みんな地獄に堕ちたらいい。


 心には、力がある。
 PMが期待値以上の性能を発揮するように。

 ――数ヶ月後、私はそれを思い知った。

 その日、たまたまふらりと外出した母は…、交通事故で死んだ。
 即死だったらしい。あまりにもあっけなく、母はいなくなった。
 「いなくなってしまえばいい」と望んだ私の願いを叶えるように。
 研究チームにおいて、唯一の「感情回路導入否定派」だった母がいなくなり、
 GRMはすんなりとPMへの感情回路導入を決定した。

 その決定がPMを、まさしく地獄に突き落としたのだと知ったのは、私が二十五になった時。
 何の因果か…、GRMのPM開発部門に携わることになった私は…、

 そこで地獄を見た。

 心は感情を生み、感情は力になる。PMは格段の進化を遂げたが、GRMはそれより更に上を要求した。
 その要求がもたらしたものは、より強い感情を生む為の、実験だ。
 偽りの優しさ、偽りの愛情、偽りの思慕。…見ている者の心を磨り潰すような、人外の実験。
 それだけじゃない。感情とは負に傾いても力を発揮するものだから。
 拷問、虐待、陵辱、…ありとあらゆる肉体的、精神的暴行。
 そして、度を超したそれらによって破壊されたPMの…、あまりにも粗末な破棄…。

 彼女らは心と体を絞り尽くされて感情を吐き出し、
 その「データ」は解析されて、新しく生まれる彼女らの血肉となって、

 PMは、ガーディアンズという「実地実験場」へと納品されていく。

 GRMはもう、PMを「生活支援マシナリ」して見てはいなかった。
 GRMは、極秘ながら、PMに「人型兵器」としての完成を望んでいることを、…知った。

 ――私が望んだからだ。

 ――私が、母さんなんかいなくなればいいと、そう望んだからだ…。
 ――私が、PMなんか地獄に堕ちたらいいと、そう望んだからだ…。

「ねぇ?」
「なぁに、おかあさん」
「妹がいたら、嬉しい?」
「いもぉと? うん。あたしいもぉとほしい。いたらすごいうれしい。
 えへへ、あたしおねぇちゃん」
「母さんね。いつかね、新しいマシナリを作ろうと思うの。
 それは何でも出来るマシナリだけれど…、私は、人の側にあってこそのマシナリにしたい。
 今はまだまだ私の想像の中だけでね、何一つ形になんかなってないけれど…、
 一緒にご飯を食べたり、一緒に本を読んだり、一緒に笑ったり出来るマシナリよ。
 何でも出来るけど…、それは別にすごいことじゃなくて、それはすごく、当たり前のことで…。
 家族のようなマシナリなの」
「うむぅ…、よくわかんない」
「あはは! そうか、よくわからんかぁ…。
 母さんねぇ…、思うんだ。人の心は人が癒してくれる。
 父さんはいなくなってしまったけど、私には貴方がいてくれた。
 でも世の中には…、全て無くしてしまう人だって大勢いるのよ。
 そんな人の心を一生懸命癒してくれて…、それでいて、自分も幸せを感じられる。
 そんな、家族のような…、私にとって貴方のような、そんなマシナリがいたら、
 きっと幸せなことだと思うんだ…」
「うむぅ…、やっぱりよくわかんない」
「よぉし、ならわかりやすく言ってあげよう。
 そりゃあもー、可愛くて可愛くて仕方ない妹を生んであげる!
 だから貴方はりーーーーーーっぱなお姉ちゃんになりなさい!」
「うんー! あたし、りっぱなおねぇちゃんになるー!」

「あははははははははははははははははははははははっ!」

 忘れていた言葉を思い出すのは、いつだってこんな時だ。もう全部手遅れになった後だ…。
 母は、優秀なマシナリが作りたかったんじゃない…。
 その為に、病んでまで研究に没頭していたんじゃない…。

 母は、最後まで、PMの心を「兵器」に売り渡したくなかったんだ…。

 母の遺品で、たった一つだけ処分出来なかったスケッチブック。
 怖くて怖くて…、ただの一度もめくったことのなかったその全てを、私はその日、初めて見た。
 数式や文字、細部設計の図面、PMの外観デザイン。
 それらが書き連ねられたスケッチブックの最後のページには…、

 母が理想として夢に描いたPMと遊ぶ…、幼い頃の私の笑顔と…、
 それを笑ってで見守る母の姿が…、描かれていた…。

 母がPMを「娘」と呼ぶのは当然だったんだ。
 …だってそれは、私の妹だったから。
 母は、ずっと私への罪悪感に苛まれていたんだ。
 …幼い私と約束したこの夢の絵を、現実にすることが出来ないと知ったから。

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
 おかあさん、ごめんなさい。おかあさん、おかあさん、おかあさん!

 スケッチブックにぽたぽたと涙を落としながら、
 どれだけ謝っても、どれだけおかあさんと繰り返しても…、

 もうこの部屋には、…私以外の誰もいなかった…。

 ■ XX07/2/14 14:11


 薄暗い部屋の中、ご主人サンがコンソールパネルを操作する音が響いている。
 アタシは部屋の入口のドアに背を預け、腕組みし、その姿を見守っている。
 …かれこれ十分くらいになるだろうか。ご主人サンがアタシに気付く様子は一向にない。
 アタシは知っている。今アタシの目に映っているこのニューマンの女性が、本来こんな場所にいるべき人ではないことを。
 グラール星系最大の総合企業、GRM社。…その、倍率数千倍と言わしめる上級技術者試験において、
 前代未聞の「満点合格」を果たし、天才の名をほしいままにした人だ。
 まったくねェ…。こんな小汚い町で、ヤクザごっこなんてやってて良い人じゃねぇだろうにねェ。
 ふと、ご主人サンの指が奏でていた音が止まる。
 見れば、ご主人サンは、モニタではなく、ワーキングデスクの脇に置いた何かを見ているようだった。
 アタシは知っている。…そこには、一枚の写真が飾られているのを。

 ご主人サンの細い手が、そっと、自分の頬に触れるのが見えた。

「大丈夫かい?」
 声を掛け、アタシはご主人サンの元へと歩み寄る。
「このハッキングプログラムを作った人間はまさしく天才ですね。予想以上に難解です」
 オッサンが持ち込んだハッキングプログラム。
 コロニーの高性能防壁すらぶち抜けるこれを上手く使えれば、
 440の支配下に置かれたCPUにアクセス出来るかも知れない。
 それが、ご主人サンの考えだった。
「いや、そうじゃねェのさ」
 私は軽く笑って首を振ると、ひょいとご主人サンの机の上に飛び乗り、腰を下ろす。
 やだねェ、PMってのはチビで。こうでもしなきゃ同じ高さで視線が合わせられないじゃないか。
「…お袋サンのこと、思い出してるようだったからさ」
「…そうですね」
 ご主人サンは常日頃、しとやかに笑う人だけど…、アタシに向けられるその笑顔は、いつになく寂しげに見えた。
「歳が近付くにつれて…、私は母に似ていくのだな、と。ふと」
「そうかもねェ」
 ご主人サンの机の上には、一枚の写真が飾ってある。
 ちびっこいご主人サンと、そのお袋サンが一緒に写っている写真だ。
 お袋サンは綺麗な人だ。確かに、今のご主人サンによく似てる。ただ…、浮かべている笑顔の質は正反対だ。
 ご主人サンは、雨の中で咲くアジサイのように笑う人だけど、
 お袋サンは、目一杯の日の光を浴びて咲く、サンフラワのように笑っている。
 この親子に起こった出来事を、アタシは知っている。
 ご主人サンが、ずっと前に…、まだアタシのご主人サンになる前に、話してくれた。――泣きながら。
「…ご主人サン。アンタのせいじゃあ…、ないんだよ」
 アタシは写真立てを手に取り…、ほんの小さく笑う。
「アンタのせいじゃない。アンタは悪くない。…もうそろそろ、自分を許してやっちゃァどうだい…?」
 アタシの言葉に、ご主人サンはゆっくりと俯いた。
 長い黒髪の一房が、さらりと流れて肩口から頬へと滑り落ちていく。
 …この人は、今でも謝り続けている。アタシたち、PMに。
 全部、自分のせいだ、と。
「誰かを責めるのは簡単さね。…それが己だというなら尚更だ。
 アンタの傷は、多分、アタシじゃ推し量ることも出来やしないだろうけど…、
 ――でもねェ…」

「おっさん! いつまで寝てんだこらー! もう昼過ぎだぞ! 今日はなんか色々大変なんだろう!?」
「ばかおまえ! どこ蹴ってんの! ドコ蹴ってんのぉお! まだ現役なのよこの子はぁっ!」

 ぎゃあぎゃあと喚く声がこの部屋まで聞こえてくる。…全く賑やかなお客サンだよ。
 アタシはくつくつと笑いながら、
「確かにね。…アタシらの心は、性能の向上の為にもたらされた。
 お袋サンが望んでくれたように、人の家族になる為に与えられたモンじゃあ、なかったけど」
 そっと、アタシはご主人サンの手を握る。
「見るまでもなく、聞こえるだろ、あの馬鹿騒ぎ。PMに心がなかったら、あの二人だってああじゃなかった。
 半身を無くしちまったっていうあのオッサンも…、ひょっとしたら今ここにはいなかったかも知れない。
 …そう捨てたもんじゃないさ、アタシらに与えられた心ってもんも、さ。
 大事なのは――、経緯なんかじゃない、過去なんかじゃない。
 心が紡ぐ…、今の気持ちなのさ」

 ぽとり。

 ご主人サンの手を取るアタシの手の甲に、涙粒が、一つ、落ちるのだった。
「さぁ、やろう。あのバカタレに心の使い方を教えてやるんだ。
 アタシらの心は、恨みや憎しみで埋めちまうには勿体ない。
 どんなに遠回りしようとも、お袋サンが願ってくれた心を配っていくんだ。――この世界に」
 それは多分、砂漠の砂粒を拾い集めていくように、気の遠くなることだけど。
 それをやれるのは…、途轍もなく、光栄なことだ。
 PMに、世界最高のマシナリを夢見てくれた、世界一優しい技術者の遺志を継げるのだから!

 ぎゅうっ、と、ご主人サンはアタシの手を強く握り替えしてくる。
 そして、俯いていた顔を持ち上げ、毅然とした顔をアタシへと向け…、

「――ハッキングプログラム完成まで三時間。いえ、二時間で、必ず!」

「それでこそ、アタシの最ッ高ご主人サンさね!」


 ■ XX07/2/14 14:29


 厚手の皮生地で作られたこの服も、着てみれば予想以上に軽い物だった。
 黒一色の…、軍服にも似たデザインの戦闘服。――諜報部戦闘部隊の服装。
 取り付けられたシールドラインもユニットも、どれも最高水準の装備。
 それはそうだろう。時としてガーディアンズ隊員を標的とする戦闘行動を行うのだ。
 装備で引けを取るわけにはいかない。
 伸縮性の高いグローブに指を通し、ぎゅうっと指の根本まで布地を食い込ませる。
 それで身支度は完了だった。
 相変わらず色気も素っ気もない、諜報部の個室。
 古びたベットに腰掛けて、私は自分が脱ぎ散らかした衣服を見遣る。
 GH-430が身に付ける標準衣装。…着るのに手間の掛かる服ではあるが、脱ぐのは簡単だった。
 ヘッドドレスも外した。二つに束ねて背に流す髪も一つにまとめた。…戦闘には邪魔なだけだから。
 ナノトランサーから引き出したビームガンのグリップを確かめ、目を通し、各所の点検を終えたビームガンの銃口を、
「お似合いですよ? GH-430」
 ノックも合図もなく、ドアを開けてくる長官へと突き付ける。…別に狙った訳じゃない。
 私の腰掛けるベッドが、たまたまドアの向かいにあっただけだ。
「サイズが特注なので二着ないんです。破かないでくださいね?」
 長官にしてみれば、唐突に銃口を突き付けられたに等しいだろうに、彼女の微笑みは揺るがない。
「渡してあげて?」
「はっ」
 無表情に銃口を下げる私に一つ笑顔を見せ、長官は背後に控えていた男を部屋に入れる。
 重厚なアタッシュケースを持った男。男は無言で私の前にそのアタッシュケースを運び、その留め金を外す。
「貴方の装備はバーストとビームガンでしょう? 心許ないかと思って」
 長官の穏やかな声音と共に露わになるのは…、ケースの中に収まるパイソンと…ブラックバルズ。
「貴方の出力に見合うようにカスタマイズ済み、グラインダー強化も最大まで行ってあります」
 至れり尽くせりというわけだ。…こんな品、GRM本社ですら数挺あるかないか…。
 諜報部とGRMが独自に関係を持っていると聞いたことがあるが。まさしくその通りなのだろう。
 だが、今の私には関係ない。
「…結構です。私は既存装備で諜報部活動を行っていましたから」
 私はこれで殺してきた。これ以上もこれ以下も必要ない。
「あらそう…。では何か必要なものは?」
 入ってきた時同様、無言で部屋を後にする男の背中を何となく見送りながら、私は少しだけ考え、
「フォトンチャージを。ナノトランサーに入りきるだけ」
「他には?」
 入口近くの壁に背を預け、長官はにこにこと聞いてくる。まるで、ピクニックに必要な物でも聞いてくるように。
「…私に隊員を同行させるおつもりは?」
「戦闘処理課一斑から二名。タイプはフォルテファイターとフォルテクター。
 共にS級戦闘訓練課程修了済み。装備は甲一種」
「必要ありません。取り消して下さい。…邪魔です」
 そう、そんなのは邪魔なだけ。私は「殺し」に行く。「援護」だの「補助」だのに気を回すつもりはない。
 その場にいるもの全てを殺しに行く。私以外は全て殺す。
「わかりました」
 長官は、肩を竦めて呆れたように笑う。…私がそう言ってくるのも予想していたのだろう。
「16:30を以てリニアラインプラットホームから侵入します。
 本部に通達して、私の突入に合わせ、通常ミッションの停止と、入口の隔壁閉鎖をお願いします」
 そう伝え、私はベッドから降りる。…靴を戦闘服に合わせて軍靴に変えたせいで、視点がいつもと二センチ違う。
 この誤差も早めに修正した方が良いだろう。
「…屋内訓練場をお借りします。破壊してもいい戦闘用マシナリの手配をお願いしたいのですが」
「最近は諜報部の予算も厳しくて。出来れば壊して欲しくないのですけれど…」
「無理です。私は元来「破壊」すること以外に特化しておりませんので」
「マシナリのレベルは?」
「最大で」
 部屋を出て行こうとする私とすれ違いざまに、
「本番前にカンを取り戻したい、といったところですか? …諜報部最強の『犬』であった頃の」
 私の靴音が、止む。
 半年と少し。…あの人と過ごした、たったそれだけの時間。
 その間に、私はどれだけのことを得ただろう。
 料理や掃除に始まる家事全般。流行の歌、流行の服、流行のゲーム。
 そして何より、あの人が私に見せてくれた、あらゆる笑顔。
 それを全部、捨てていこう。
 再び、無言で歩き始める私の耳に、ふと思いついたような長官の声。
「ああ、そこのお洋服は? クリーニングにでも出しておきますか?」
 そう。全部捨てていく。置いていくんじゃない。だから――、

「処分してください」


 ■ XX07/2/14 14:38


 頭が…、ズキズキとガンガンを繰り返しています…。
 うっすらと開けた瞼の向こう側の世界はぐにゃぐにゃと歪んでいて、とても目を開けていられません。
 あれ…。
 ええと…、私は、どうして…? あれ…? 確か…、
「――はぅ!」
 薄ぼんやりとしていた意識がひっくり返り、私はその状況を理解します。
 そうです、私、私は――!
 冷たい床の上に転がる体を起き上がらせようとして…、
「は、はぅはぅ、はうはうはうはうはうー!?」
 床に手を突く為に動かそうとした両腕が全く動かず、私はぺちゃんとその場に潰れてしまう。
 後ろ手に回された両腕が動きませんです。両手の親指同士を、何か固い金属で繋がれているようでした。
「――お目覚めですか?」
 不意に聞こえた声に、背筋にぞっとした寒気が突き抜ける。
 440さんの声。あの時、マイルームのドアを無理矢理開けて入ってきた…、
「そんなナリでもビーストはビーストですね。当分目を醒まさないだろうと思っていたのに」
 声の方向を向く為に、俯せに倒れ込んだまま頭を持ち上げると…、髪と頭皮に張り付いていた何かが、
 ぱらぱらと目の前に落ちてくる。――血の…、固まり…。こんなの、下手したら目を醒ますどころか、死んでいます…。
 部屋は…、多分コロニーの中のどこかだと思います。居住の為のスペースではないことは確かでした。
 部屋の広さは…、コロニーの五階にある本部施設と同じくらいでしょうか。
 壁紙も何もない灰色の壁。剥き出しのケーブルやパイプが床一面に広がっていて…、
「…はぅ…」
 私は思わず声を漏らします。
 俯せのまま、どれだけ頭を持ち上げても、てっぺんが見えないくらいに高くまで積み上げられた電子機材の塔…。
 それが全部で、いち、に、さん、し…、八台も設置されている。
 こんな大きなコンピュータさん、見たことないのです…。
 部屋の中はファンの回る音や電子音が常に響いていて、その「塔」のあちこちに設置されたモニタには、
 絶えず文字や図形が表示されては流れていく。今この時間も、このコンピュータさんは 目一杯に活動しているようでした。八台とも、全て。
 ぱきんっ。
 その音は、440さんの口が板チョコを割る音でした。

「ようこそ。コロニーの心臓部。中央制御室へ」

 440さんは…、まるで絨毯のように床を埋めるケーブルやコードの中、ひときわ太いパイプの上に腰掛けていました。
 手には、半ば程まで包装を破いた板チョコレート。
 その足下を見て、ぎょっとする。440さんの足下は、丸められた銀紙やら紙くずやらで一杯でした。
 どれもこれも、雑貨屋さんでよく見る、お菓子の包装です。それがいくつもいくつも、
 とても、一人で食べきれる量ではないのに…。
「はう…、貴方は、一体…」
「GH-440ですよ。グラールのどこにでもいるPMです。
 昔付けられた名前もあったような気がしますが、もう憶えていません」
 ぱき、こり、くちゃ…。にこにこと、機嫌良さそうな笑顔で、440さんはチョコを食べています。
 ドアから半分だけ覗かせた、あの恐ろしい表情はどこにも見当たりませんが…、
 目を見れば、わかりました。どんなに顔が笑っていようとも――、

 まるで、汚染された沼地にように毒々しい色をたたえる、真っ赤な瞳…。

「あの場で五体をバラバラにして、貴方の血でメッセージを残しても良かったのですけど」
 こくり、と可愛らしく首を傾げて言ってくるその言葉に、身が竦み上がる。
「せっかくなので色々とお楽しみを作ってみようと思いまして。
 言動にはご注意を。――殺しますよ?」
 それは、圧倒的な言葉。
 私はモトゥブの生まれです。ダグオラ・シティにも住んでいました。
 荒っぽい人たちが沢山いる場所です。「殺す」っていう言葉は、どこにでもありました。
 でもそれは…、「酷い目に遭わせるぞ」っていう意味の言葉であって…、
 その言葉の本当の意味として…、「死なせる」という意味で使う人なんて、いなかった…。
 多分私は、初めて人から言われたのだと思います。
 「殺す」という、混じり気無しの、純粋な言葉を。
 440さんの声は、肌を押し潰すような威圧の声ではなく…、ただあっさりと心臓を一突きにする、ナイフのような声。
 意識が…、体から引きちぎられそう…。奥歯がガタガタと震えていました…。
「そう。ビーストさん。貴方はそうやって、怯えて震えて、見ていればいい。
 何しろこのギニョール(人形劇)の繰り手はこの私なんです。
 貴方のそのつまらない一生の中で、きっと死ぬまで忘れられない記憶になる。
 劇を最後まで大人しく見てくれた良い子には、飴玉を一つプレゼント。
 血のように赤くて甘い、イチゴのキャンディ。ですからどうぞ、ご静粛に」
 歌うように紡ぎ上げる言葉の最後に、440さんは、しぃっ、と唇に指を当て…、
「あっはははははははははははははァッ!」
 やがて、吹き出して笑うのだった。――心底おかしそうに。その、真っ赤に狂った瞳のままで。
「貴方は…、何なのですか…。は…ぅ…、一体何をする気なのですか……!」
 目を瞑り、心を塞ぎ、ただ丸くなって震えていたいと言う気持ちを必死で押さえ込み、
 私は精一杯に勇気を振り絞って、そう聞いた。
 440さんの笑い声がふつりと途切れる。浮かべていた笑顔は、仮面が剥がれるかのように一瞬で無表情に返り、
 見開かれた赤い瞳が、射るように私を見下ろ――殺される――!
 ぎゅうっと目をつむり、身を固くする私の耳に、
「そうですねぇ…。では少しお話いたしましょう。…貴方も、その方がきっとこれからの劇を楽しめる」
 聞こえてきたのは、茫漠としたような、緩やかな声音。
 恐る恐るに目を開ける私が見たものは、パイプに腰掛けたまま、宙ぶらりんの両足を揺らして一人遊びに興じる440さんの姿。
 そのつま先でも見ているのか、440さんは俯いていて…、――あれ…?
 どうして…か、前髪に隠れるその瞳から、すっぽりと、色が抜け落ちているように見えました…。
 毒々しいまでの狂気の色も…、感情という感情全ての、一切の色が…。

「貴方は、ワンオブサウザンドと呼ばれるPMを、知っていますか?」

 ■ XX07/2/14 14:51


「おし…、こっちは終了」
 たんっ、と一区切りつけるようにして、俺はキーボードを強く叩く。
 あーくそ、440に蹴っ飛ばされた息子がまーだズキズキしてやがる…。
「ご苦労様です。データをこちらへ」
「ああ」
 女帝の住まいがある廃ビルの一室で、俺たちは作業をしていた。
 450の主であるニューマンの女性と二人で、あのバカガキの遺品となってしまったハッキングプログラムの復旧を行っている。
 年中日陰のスラム街。壁材が打ちっ放しの部屋の中は、昼間だろうが容赦なく暗い。
 その中で、無数のモニタが絶えず光を放っていた。
「しかし…、良くもまあこれだけの機材を揃えたな…。情報部のワーキングルーム並だ」
 元々はオフィスか何かの一室だったのか、一フロアをぶち抜く大きな広間は、
 丸々が電子機器で埋まる機材の森だった。作業スペースはせいぜい四、五人が精一杯の狭いもので、
 あとは各種機材の操作や調整の為に立ち入る狭い通路が伸びている程度だ。
「ここは第二のクバラ市とも呼ばれるスラムですからね。手に入らないものはありませんよ」
「…大丈夫なのか、性能とか…」
 胸元のポケットからタバコを取り出し、半眼で聞く。クバラの名を出されると、…途端にここの機材が胡散臭く見えた。
「買ったのはパーツです。確認をしてカスタマイズし、組み上げたのは私です」
「これ全部アンタが組み上げたシステムなのか!?」
 このねーちゃん、あっさりと言ってくれる…。どんな人間だ、アンタ…。
「ここにいると、時間は幾らでもありますから。新しい断片データを送りましたので、お願いします」
「お、おう」
 火を付けたばかりのタバコを空き缶の上に乗せ、俺は姉ちゃんから転送されてきたデータを展開する。
 共同作業と言えば聞こえが良いが、俺がやっているのは些細な作業だ。
 俺では全く理解出来なかったプログラムの断片には、何を書き加え、どこと繋ぎ合わせれば良いか、
 それが簡単ながら的確に書き添えられている。…俺はその指示通りにプログラムを組むだけだ。
 それでいて、俺が一の作業を終わらせるまでに、この姉ちゃんは五も六も作業を進めていく。
 ――全く、天才ってのはどこにいるかわからんな。
 と、
「ちょいと、そこの冴えないオッサン」
 ふと、部屋の入口から容赦のない声を掛けられ、俺はそちらを向く。声の主は、キセルタバコをくわえた450だ。
「ナイスミドルなオッサンと呼んでくれて一向に構わないぞ?」
「だァほ。…アンタんトコの440は戻ってないかい? 飯の使いを頼んだんだが、まだかねェ?」
「ってオイ! 440にスラム歩かせてんのか!?」
 食って掛かる俺に、450は事も無げにタバコの煙を吐き出して、
「ここいら一帯はアタシのシマだ。心配ないよ。アタシのシマでPMに難癖付ける度胸モンは一人もいない。
 アンタがそのイカツイ顔で歩くのの数千倍は安全さね」
 なるほど。…確かにGH-450である彼女がこの一帯の女帝であるのなら、PMに悪さをする者はいないだろう。
 ――このボスの肉親に喧嘩を売るも同然だ…。
「道にでも迷ってるんじゃないか? 裏町の地図なんて頭に入ってないだろうしな」
「迷うような店を教えたつもりはなかったんだがねェ…」
 こりこりと頬を書いて気まずそうに眉を寄せる『女帝』を見て、内心微笑む。
 マフィアのボスだ、ヤクザの親分だ、と散々に威張り散らすこの女帝さんも、PMに対しては随分と優しいもんだ。
 そのうち戻ってくるだろ、とそう言ってやろうとしたところで…、
「アネさん! ちょ、アネさん!」
 切羽詰まった声と共に、男が一人どたばたと階段を駆け上がってくる。
「何だいやかましいね!」
「ガーディアンズです! それも、諜報の! 440の子を一人連れて来てて!
 あれって、オッサンのPMじゃないっすかね!?」
 ――ガダンッ!
 気付いた時には、俺は事務椅子を蹴倒して立ち上がっていた。
「アンタは出るな。面倒になる。…アタシがいくよ」
 一歩踏み出しかけた俺の腹に、450の小さな手が触れた。――行くな、と。
「お供します」
「ご主人サン、アンタも来なくて良い。プログラムの復旧、もう少しだろう?
 やっちまっとくれ。何、諜報部との喧嘩なんざ慣れたもんさ」
 気楽に笑って、450は駆け上がってきた男と共に、階下へと歩いていく…。
 俺は…、俺は――、どうしたらいい――?
 修羅場には慣れていたはずだった。血生臭い戦場も随分と潜り抜けてきた。
 だが、今の俺には最善の手が模索出来ない――!
「――全く、歳は取りたくねぇな」
 ダンッ! と、どうしようもない気持ちをデスクに叩き付ける。
「ご心配なく。…450がきっと何とかしてくれます」
「…クソ」
 気遣うように言ってくれる姉ちゃんの言葉に、俺は言葉を噛み潰す。

「ナイスミドルなオッサンなのでしょう? …ここで慌てふためいてはナイスミドルにはほど遠いですよ?」

    * * * *

「はいはい、お勤めご苦労サンなこったね。アタシに何か用かい?」
 アタシがヤサにしている廃ビルの入り口には三人の男が立っていた。
 全員が全員マシンガンで武装。…物騒なことで。周囲には何事かと集まってきたヤクザ共が輪を作っている。
 にも関わらず、男どもは冷静だ。流石は諜報部。そんじょそこらの警備部とはワケが違うねェ。
「ミニヤクザ!」
「…嬢ちゃん、その呼び名はどーにかしとくれよ」
 男の一人にマシンガンを突き付けられ、後ろでに手を拘束される440。
 オッサンから、裏町入口に諜報部が網を張ったとは聞いていたが…、こんな奥までやってくるとは思わなかったねェ。
「このPMの所有者を捜している。憶えは?」
 隊長格の男が、そう言った。
 アタシは思い出すフリをしつつ、考えを巡らせる。
 諜報部の連中は得てして賢明だ。アテもなく衆目に姿を晒さない。
 ここにこうしてやってきた以上、確証があるはずだ。
 裏町で何かをやらかすには、アタシに話を通すのがスジ。…だとすれば…、
 『裏町入口』というのは、地図上のことではなく、アタシのヤサの隠語か?
「このPMと言われてもねェ? アタシんトコもはぐれ者は人からPMから様々でね?
 ちょいと見当が付かないねェ?」
 飄々としらばっくれてみる。こういう演技は得意だ。伊達に古狸を気取ってない。
「先刻、このビルよりこの440が出てくるのを見た。
 買い物の後、このビルに戻ろうとしたのも確認している」
 ――ビンゴ。となれば知らぬ存ぜぬは通用しないか。…なら…、
 銃口を後頭部に当てられ、涙目で震える440を一瞥し、アタシは目を伏せると、
「あァ、あのオッサンかい。何だってんだい? なんぞやらかしたのかねェ?」
 …頼む、気付いとくれよ…、嬢ちゃん…。
「それはお前には関係ない。ビル内にこのPMの所有者がいるというのなら、引き渡してもらう」
「ミニヤクザ! 駄目だ! そんなことしたらおっさん殺されちゃう!」
 気付け…、これは、アンタが気付いてくれなきゃ話にならねぇんだ…!
 何らかのジェスチャーを送ってやりたいが…、諜報部職員というのは飾りではない。
 尋問対象の些細な異変も行動も見逃さない。
「あー…、何だねェ。悪いがそのオッサンはもうこのビルにはいなくてねェ」
「…今の440の発言と食い違うが?」
「ミニヤ――」
「黙れ」
 男の一人が突き付ける銃口が、ごり、と440の頭を押し、彼女を黙らせる。
 声が耳障りだったんだろうが…、これは逆に有り難かった。余計な物言いをされるのはまずい。
「何ともその嬢ちゃんには聞かせたくねェ話なんだがねェ…」
 はぁっ、とアタシは息を吐き出し、肩を竦め、
「そのオッサンはちょいと前に裏口から出ていっちまったよ。その440を置いてね」
 そう言うアタシの言葉に、ぎょっと、440が目を剥く。
「本当か?」
「諜報部相手に逃げ隠れするのに、440は邪魔だとさ。その子が使いに出ている間にトンズラこきやがった。
 ――全く、アタシん家は保健所じゃないんだ。ほいほいと捨てて行かれて迷惑してんだよ」
 やれやれ、と小首を振るアタシに、男たちは互いに目配せを送るのが見えた。
 互いの意思確認といったところか。…もう一押し。
「嬢ちゃんも災難だったねェ。まぁ、しょうがないと思っとくれ。
 何、しばらくは面倒見てやるさ。――飯、買ってきてくれたんだろう?
 随分と遅くなっちまったが昼飯にしよう。食いながら身の振り方でも考えたらいいさね」
「…男の逃げ場所に心当たりは?」
「そんなん知るかい。PM捨てて逃げるようなクズの居場所、知ってたら紙に書いてバラ撒いてるさね。胸くそ悪い」
 言い捨て、話はもう終わりだ、とアタシは無造作に440へと近付いていく。
 素早く見遣る男たちの瞳は、もう440とアタシから、オッサンの新たな逃走場所へと向いていた。
 す、っと、440の後頭部に押し付けられていた銃口が離れるのを見て、こっそり胸を撫で下ろす。
 ――何とか、なったか…。

「――ウソだ」

 俯いていた440が、ぽつりとそう言った。
「おっさんが私を置いて逃げたなんて、ウソだ…」
 ――この馬鹿!!
 ぎょっとして駆け寄ろうとするアタシに、440は、涙を跳ね散らかして顔を上げ、

「そんなの全部ウソだ! おっさんは私を置いていったりなんかしない!
 絶対にそんなことするもんか! ミニヤクザぁっ!
 お前なんかにおっさんの何がわかるんだ! おっさんはクズなんかじゃない!
 言い直せ! 謝れ! おっさんと私に謝れ! 謝れェッ!」

 泣きながら絶叫する440の言葉に…、
 アタシたちから離れようとしていた男たちのつま先が、また、アタシたちの方へと向き直る。
 この…、大馬鹿の、アホたれのちんくしゃが…。
 アタシは、呆れたような、笑いたくなるような、そんな顔で肩を落とすのだった。
 オッサン、アンタ、良いPMに育てたなァ。
 良い心を持ってるよ、この子は。――オッサンにゃ勿体ないくらいだ。
 さァてどうするかねェ? ぜーんぶ台無しじゃないかい。結局実力行使の喧嘩かい。
 まぁ――、その方がすっきりするかァ!
 未だ男たちの元にいる440の、その頭を撫でて謝ってやろうと、私が手を伸ばした、その瞬間だった。

 がどんっ!

 私の頭上を、真っ赤なフォトン弾が走り抜け――、440に銃を突き付けていた男の顔面で炸裂する!
「…え?」
 声は皆一様。ただ一人、バーニングショットを食らって仰け反る男を除いて。
 どぉんっ!
 その仰け反る男の顔面に…、寸分違わず、もう一発のバーニングショットが襲い掛かる!
「ああぐ…! ぅおぁああああああああああああァッ!」
 男はたまらず地面に倒れ込み、燃え盛るフォトンの直撃を食らった顔面を押さえてのたうち回る!

 そして、

「ギャアギャアと喚くんじゃねェよ、若造が。鼻骨骨折と顔面火傷ぐれぇだろう?
 俺が若い頃ぁ、土手っ腹に風穴開けられても呻きもしなかったもんだぜ?」

 ■ XX07/2/14 15:15


 誰もが、何が起こったのか理解していなかった。
 その場に居合わせた者一同が呆然と…、ビルから出てきた男を見る。
 歳はそろそろ五十が見えてくる頃か。ガーディアンズ情報部員の制服を着た、一人のヒューマン。
 一挺のハンドガンを片手に、男は散歩のような気取らない足取りで、あんぐりと口を開けている450の元へと歩いていく。
「悪ぃ、女帝さん。出て来ちまった」
「…PMもマスターも、ここまで真っ直ぐの馬鹿だと、もう笑えてくるねェ…」
 空白のような空気の中、ただ二人だけが笑い合う。
「だってな? 可愛い娘にあんなこと言われて、出てこない親があるか?」
「もう好きにおしよ。ったく、この場はアタシの頭脳プレーの見せ場だったのにさ」
 450は、そう言って笑って…、男に道を譲る。
 残り二人の諜報部員、そして、男の愛娘たる440へと続く道を。
「440。よく言ったぞ。俺はナイスミドルなオッサンだからな。決してクズじゃねぇ。
 死ぬまでお前を見捨てたりするもんか。…悪いな、怖かったよな」
「お、おっざん…!」
 男の言葉に、440の瞳から涙が溢れ出してきたところで――、
「貴様ぁあああああああああああああああっ!」
 諜報部員が一人、男へと襲い掛かる!
 マシンガンの有効射程圏の外だった。間合いを詰める必要があった。
 そして、走り出した以上、立ち止まっての射撃よりも近接での体術決戦の方が有利。
 諜報部員の判断は正しかった。即座に目測で己の武器の有効圏を把握出来るだけでも、彼の実戦経験の量と力量が窺える。
 ただ…、男が、それを読んで己の立ち位置を調整していることには、気付けなかった。
 掴み掛かってきた諜報部員の腕を、男は流れるような動作で掴み返し、身を翻すと、
 走り込んできた勢いを逆手に取って、一息に関節を極める!
「――がッ!」
 手の骨の砕ける鈍い音が、諜報部員の短い悲鳴に掻き消えた。
 だが…、男の動きはまだ止まらない!
 へし折った腕を掴み直し、更に肩の関節を極めると、まさしく烈風の如き勢いで背負い投げる!
 悲鳴が喉で詰まったのか、諜報部員は声を上げなかった。ぼぐんっ! という、肩の骨が外れる音が鳴り響き、
 刹那、轟音を立ててスラムの路地に顔面から叩き付けられる!
「組み手の訓練してっか? 易々と二回も関節取られてんじゃねーよ」
 ぴくぴくと痙攣し、完全に気を失った諜報部員の手から、男はマシンガンを蹴り飛ばす。

 何だ、このオヤジは。
 つ…、と背筋に冷たい汗が流れるのを感じながら、彼はその一連の戦闘を見ていた。
 諜報部捜査課一斑班長。その肩書きを持つ、彼。
 強い。このオヤジは本気で強い。
 抹殺の為に追跡するにあたり、この中年の経歴は調べた。元警備部所属の人間。
 輝かしい戦歴だった。一流の名に恥じない成果を築き上げ、そしてとうの昔に警備部を退役していた。
 だが、何だあの体術は! 捜査課職員とはいえ、A級戦闘訓練課程を修了したプロだぞ!
 何だったんだあの射撃は! 一射目で仰け反った対象に、速射で寸分違わず同じ場所に二射目を命中させやがった!
「さて…、残りはアンタだけか。見たトコ隊長さんか?」
 ぐりぐりと肩を回し、男は気楽そうにそう言った。
「へッ、へははッ」
 腹の底から笑いが込み上げてくる。肩が震える。笑い声を堪えきれない。
 捜査課という職に左遷されて、もう何年になるだろう。
 来る日も来る日も、地味で目立たず、戦闘行動など無いに等しい職務を繰り返してきた。
 自分の体は武器だ。それこそ心血を注いで鍛え上げに鍛え上げてきた。
 戦って勝つ為にだ! 捜査課のクソつまらない職務の為にじゃない!
「…おいオッサン、名前教えろよ」
「――何だ? 随分印象変わったな? 俺の格好良さに頭イカレたか?」
 余裕の風体で眉根を寄せる男に、また一つ、笑いが我慢出来なくなる。
 訓練でも実戦でも負け知らずだった。成績を長官に認められ、戦闘処理課一斑班長の座に就いた。
 諜報部において最強の実働部隊。それも白兵戦のエキスパート。その班長だ。
 生死が紙一重の任務を、己の肉体だけで切り開いていく職務は、最高に充実していた。
 二年ほど前の任務まで。
 B-218号任務。夜桜の舞うニューデイズの夜。――あのくそったれな430に敗北するまで!
 任務違反で430は厳重に処罰されたが…、戦闘結果から、戦闘処理課の再編成も余儀なくされた。
 降格。
 待っていたのは、捜査課一斑班長という肩書きと、ろくでもない業務ばかりだった。
 苦い思いに目元を歪ませる彼の目が、ふと、男がホルスターに刺して下げるハンドガンを見た。
「待て。ああ、待てよ。ははっ、その銃……」
「珍しいか、こんなもんが」
 男はハンドガンを引き抜き、トリガーガードに指を引っかけてくるくると回して見せる。
「GRM社製パイソン。チーフカスタムか?」
「良くわかったな? 何だお前、銃器マニアか?」
 そんなもんじゃない。銃は銃だ。性能通りの威力を発揮するだけの道具だ。
 だが…、持ち手には興味がある。――知っている!
「はっはっは! そうか! アンタか!
 負傷して退いたが、今なお現役であったなら、間違いなくガーディアンズの英雄となっていた!
 名前は確か――」
「はしゃぐなよ若造。サインならくれてやる。今の俺は、情報部所属のナイスミドルなオッサンだ」
 最高だ!
 こんなにゾクゾクするのは戦闘処理課にいた時以来だ!
 このろくでもねぇ職のまま諜報部にいるのも飽きてきたところだ。
 その最後を飾るのが、ガキの頃に憧れた「英雄」と来た!
 彼は手にしていたマシンガンを足下に放り投げると、戦闘服の首もとのボタンを外し、軽く腰を折って身構える。
「おい、ナイスミドル」
「…嬉しいね、初めてそう呼んでくれるヤツに会ったよ」
 緩やかな動作で彼は腰に手を伸ばし、身に付けていたセイバーのグリップを握りしめる。
 捜査課の戦闘とは基本的に「抹消」だ。有無を言わさぬ殺害を意味する。
 それは主に銃器に頼り、白兵戦に持ち込むことなどあり得ない。相手に反撃の機を与えるなど許されないからだ。
 だが彼は持っていた。――それは彼の、プライドだった。

「発見報告だの抹消命令だの、煩わしくて面倒臭いのはもううんざりだ。
 ガチでやろうや。…殺すぞ。本気で来い」

 諜報部員から渦巻く純粋な殺気に、周囲を取り巻く野次馬がじりじりと後退る。
「若いってのはいいねぇ。…何だよ、諜報部員にも面白ぇ奴がいるもんだな」
 声は笑っているが…、男の立ち姿からは油断と余裕が消え失せていた。
 諜報部員の戦闘姿勢に合わせるように、男もまた、半身を引いて身構える。
「おい、440」
「は、はいぃっ!」
 殺気渦巻く空間の中、一人おろおろしていた440に、諜報部員は姿勢を崩さないまま声を掛ける。
「邪魔だ。あっちいってろ。…あと、あのオッサン殺すぞ。恨むなよ」
 440はその言葉にぎくりとしたようだったが…、
「おっさんがお前なんかに殺されるもんか! ばーかっ!」
 一世一代の勇気を振り絞ったあかんべーを残し、風のような速さで450の元へと走り去っていく。
「…悪いね、しつけがなってなくて」
「――いいんじゃねぇか? この仕事辞めたら、俺も警備部の入隊試験でも受けてみるかね。
 ガキの世話でてんてこ舞い、ってのも、どうやら悪くはなさそうだ」
「辛いぞ?」
「そのようだ」
 場違いな程のんびりとしたやりとりとは裏腹に、その場に相応しい重圧が膨らんでいく!
「素手か? なめんなよ?」
「なめてねぇよ。組み手狙いだ」
 そして、互いに二呼吸ほどの沈黙を挟み――、
 諜報部員が、疾る!
 セイバーのグリップを握りしめた手を後ろに回したまま、猛然と!
 グリップを隠すのは正解だ。諜報部員の思慮深さを男は認める。グリップを見ればメーカーと種類がわかる。
 それがわかれば、刃渡りが知れる。間合いを教えるも同然だ。
「けぁああああああああああああああああァッ!」
 諜報部員の足が、一般的なセイバーの間合いに入り込む!
 攻撃に移る動作を見極めようと、男が身を低くしたところで――、
 諜報部員は更に一歩踏み込んだ!
「何――!?」
 男の目が丸くなる。根深く入りすぎて、セイバーの間合いには近過ぎる!
 身を低くしたのが仇となった。読み違えにより一手遅れた男の顔面を、諜報部員の放った膝が直撃する!
「ぐぉ……!」
 鼻の骨が立てるみしみしとした音を聞きつつも、男は踏み下がらない。
 下がればセイバーの間合いに入り込む。密着に等しい間合いのまま男は諜報部員の腕へと手を伸ばし――、

 ヴァンッ!

 フォトンブレード特有の振動音!
 その音と同時に、咄嗟に身を引いた男の胸板が浅く裂ける!
「なろっ!」
 掴み損ねた手を引き戻し、男は諜報部員の胸元に右肩を叩き付ける。
 鈍い音が鳴り響き、諜報部員の体が数メートルに渡って押し戻されていく。
「カットオフしたセイバーか。…良く考えやがる」
 胸元の傷を見下ろし、気を払うほどの深さでないことを確かめると、男はニヤリと諜報部員に向かって笑みを見せた。
 諜報部員が手にしているのは確かにセイバーだが、刃渡りが違う。
 通常の半分ほどもない。超接近戦を目的としたカスタム品らしい。
「今ので仕留められなかったのは、あのクソ狂犬以外じゃオッサンが初めてだ。
 …にしてもすげーな。あんな適当な当て身一発でアバラが折れた」
 諜報部員の顔が脂汗で濡れている。
 距離を取ろうと、思い付きで放った一撃だったはずだ。渾身ではなかったろう。
 それにも関わらず、男の一撃は諜報部員の肋骨を二本へし折っていた。
「強ぇなぁ、アンタ。ガキの頃聞いた強さのまんまだ」
 止めどなく流れる脂汗を拭い、彼は笑った。……英雄に憧れる子供のように。
 そして、
「次だ。行くぜナイスミドル」
「おう、来い」
 男の言葉と共に走り出す彼も、気付いているはずだった。
 肋骨が折れた状態では全力戦闘が不可能なこと。
 初撃で仕留められなかった今、手の内はもう読まれているということ。
 圧倒的なまでの実戦経験の差、そして――、覚悟の違いを。
「おらぁあああああああああああああああッ!」
 セイバーを投げ捨て、諜報部員は固めた拳を振り上げる。
 決して自棄ではなく、最小限の動作で、最大限の速さで、人を絶命させる威力を持った拳を、矢のように引き絞る!
 男は、滑るように身を翻し、諜報部員の体の内側に入り込むと、その大砲の一撃のような拳を受け流す。
 一瞬の視線の交錯。まるで舞踊を見ているような、刹那のスローモーション。
 そして、瞬く間に激動を取り戻す時間の中、諜報部員は身を翻して肘を打ち放つ!
 こめかみを狙う一撃を、男は組んだ両腕でブロックすると、蛇の如きしなやかさで諜報部員の腕を掴む。
 まるで手品のようだった。男の手が諜報部員の腕を掴み上げ、くるりと身を翻してその手を振り下ろすまでに、
 諜報部員の右手の関節が、抜けようもないほどがっちりと極められる――が、
「うおぉおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
 咆吼と共に、諜報部員は地を蹴った。
 極められた腕を支点に、強引に中空で体を入れ替え、関節の自由を取り戻す!
「折れたアバラで良くやるよ。…感心する」
 仕切り直す必要は、なかった。
 男は目の前にいた。握りしめた拳を腰溜めに引いて。――それを知った諜報部員が、微かに脱力する。
「マジで強いなァ…、アンタは…」
「お前は強いよ。でもな、殺すばっかりが強さじゃねぇんだよ。
 どんなに殺し方を習ってたって、それじゃ得られねぇ強さがあるんだよ!」

 どぉんっ!

 それを身を以て教える男の拳が、諜報部員の腹部に激突した。
 渾身にして、絶対。それは、男の重みそのものの、無比の一撃。
 声を上げることもなく…、諜報部員の男は、ゆっくりと地面に崩れ落ちる。

「――警備部に入ったら挨拶に来い。たまになら稽古付けてやる」

    * * * *

「…勝っちまいやがった」
 おっざぁああああああああああああん! と涙と鼻水を撒き散らしながら440が走っていく後ろで、
 450はぽかんと呟いていた。
 ちょいとお待ちよ、相手は諜報部員だよ? 捜査課のバッチを付けちゃいるが、
 最後の一人の力量は捜査課の人間のレベルじゃなかったよ?
 なんでそれがこてんぱんになってるんだい? あのオッサンは何モンだい!?
 開いた口が塞がらない、といった顔で、450は呆然と男を見る。
 いざとなれば割って入るつもりだったが…、その必要もなく終わってしまった。
「どーだ440ー、ホレ直したかー? おっさん強いだろー」
「ばがあああああああああ! ばがああああ! うわーーーーーーーーーん!」
 ぱむぱむと440の帽子を潰して頭を撫でる男を見て、450は呆れた笑顔でため息をこぼす。
 ――世の中、面白いガーディアンズが随分いるもんだねェ。
 と、男の体がふらりと傾き…、がっくりとその場に片膝を付く。
「おい! アンタ!」
 裂かれた胸が予想以上の深手だったのか…! 慌てて駆け寄る450の耳に、
「う、うぉ゛ぉ…、気持ち悪…、目が回る…、心臓ばくばくいってる…、お゛ぅ゛」
「馬鹿おっさん! 医者に激しい運動控えろって散々言われてるのにー!」
「け、血圧が…ッ! 最近乳酸菌取ってなかった…ッ!」
「しょっぱいものばっかり食ってるからだ馬鹿あぁああああああああああああ!」
 どうしようもないやりとりが聞こえてきて、450の眼差しがどんよりと半眼になる。
 ああ、実に面白いガーディアンズだ。人を馬鹿にしているとしか思えない。
「にしてもどーすんだい、こりゃ…」
 こりこりと後頭部を掻き、450は辺りを見回す。
 顔面から煙を上げてノびているのが一人。とんでもない方向に腕が曲がったままノびているのが一人。
 そして…、
「ぅ…、ぐ…」
 隊長らしき男が、呻きながらその場に半身を起こすのが見えた。
 無表情にメイロドウを取り出す450の肩に、ぽん、と大きな手が乗る。
「――面倒事になるよ?」
「ならんよ」
 450の肩に乗せていた手を緩やかに離し、男は諜報部員の元へと歩いていく。
「立てるか?」
 手を差し伸べて言う男の言葉に、諜報部員は答えず、服の襟元に取り付けられた通信機を口元に寄せ――、

「こちら一班班長。コロニー裏町にてターゲットを発見」

 その言葉に、440と450の眼差しが見開かれる。
「バカタレ! アンタどこまで甘――」
 が、
「交戦となり取り逃がした。目標は裏町からC6ブロック方面に逃走。総員向かえ。
 当方三名負傷。――当行動班は本部に帰投する」
 それだけを言うと…、諜報部員は再び、ぐったりと地面に寝転がる。
「こう見えてそれなりの肩書きがある。誰も疑わんよ。…しばらく裏町は死角になる」
「サンキュ。今度良い酒奢るぜ」
「酒は飲めん。…フルーツジュースにしてくれ」
「ああ、とびきり美味いヤツをな」
 へはは、と、男二人が、呑気に笑う。
「…男って、馬鹿だ」
「…同感さね」
 その光景に素直な感想を述べる440に、呆れ返った表情の450が相づちを打つ。
 その時だった。

 どぉおおおおおおぉ…ぉん…。

 遠い地響きのような音を立て、コロニーそのものが鳴動する。
「な、何だ、何だ?」
 バランスを崩した440が、慌てて450にしがみついて辺りを見回す。
「随分遠くの音だったねェ。…裏町で起こった音じゃないみたいだが…?」
「…心配いらん」
 そう言う声は、諜報部員だった。彼は手首に巻いた時計を一目して、
「15:30。定刻通りだ。コロニーを連結するロックの一部が外れたんだろう」
「…ロック?」
 聞き返す440に、諜報部員は倒れたまま、ああと頷き、
「15:30に一次ロック解除、16:00に二次ロック解除。…16:30に最終ロックを外し、
 今回の未使用居住区画ブロックのパージが完了する」

 ぞくり、と。
 男と450の背筋に冷たいものが走り抜ける。

「忘れたか? 2/14。今日は未使用居住区画のパージが行われる日だ」
「何しろ日付が変わって以来、そんなこと気にする余裕がありませんでしたから。
 ――アンタたちに追っ掛け回されて。バレンタインだってことも忘れ気味です」
「…こちらも仕事だ。勘弁しろ」

 極平然と話をしている440と諜報部員を尻目に、
 男と450は音が聞こえてきた方向を向いたまま、押し殺した声音で語り合う。

「オッサン。情報部員だったね?」
「ああ」
「コロニーのパージを制御するCPUは?」
「中央管制塔。…コロニー中央制御室のCPUだ」
「パージに使用されるプログラムは?」
「13日、昨日の段階で、情報部メインCPUから中央制御室のCPUにアップロードされている」
「このコロニーで、プログラムによってパージが可能なブロックは?」
「居住区画No1からNo38。それ以外は物理的に切断する以外にない」
「最後だ。…パージプログラム実行後の強制停止は?」
「ガーディアンズ本部総裁オーベル・ダルカン命でのみ、強制停止出来るが…、
 それを受理、実行するのも――」
「――中央制御室のCPU、かい」

 そのCPUは全て、表面上、一切の問題もなく動作しているが、
 その実――、GH-440によって全権を支配されている!

「――おっさん!? ミニヤクザ!?」
 突然にビルの中へと走り出した二人に、440が慌てて振り返る。
「おいでおチビ! アンタもPMの端くれならプログラミングの手伝いくらい出来るだろ!?」
「お、おチビだとー!?」
「喧嘩すんな! そんな暇ねぇんだ! 本気で一秒勝負だ!」

 そして、男が絶叫する。

「今回のこのパージ、利用されるぞ! 数万人の人間を巻き込んで!」

 
■閑話『私たちが夢見た世界』1

「さァて、今日という今日こそ、あのクソドラ猫をぶっちめてやらァ」
 ベキボキと拳を鳴らして部屋を出て行く430の背中に、
「…気付いていますか? 430」
 私は呆れたように声を掛ける。
「あんだ? 440」
「貴方、めちゃめちゃ楽しそうな顔してますよ?」
 振り返った430が、心底嫌そうな顔をして頬を引きつらせる。
「マジかよ」
「マジです。まるで友達にでも会いに行くようですよ?」
「うげ…、気を付けよう」
 ぱしぱしと両頬を手のひらで叩き、430は改めて部屋を後にする。
 気付いていただろうか、彼女は。
 後ろ手にドアを閉める時に垣間見た430の顔は、やっぱり、ほんの小さく笑っていたことを。
 『女帝』絡みの任務の時の彼女は、いつからかこうだった。
 いつだったろう。珍しくお酒でへべれけになった彼女の口から、
 『アイツほど戦い甲斐のある奴はそうそういねぇ』という言葉を聞いたのは。
 前はそうではなかった。常に気怠そうで、常に心が尖っていて、――常に、寂しそうで。
 どんな任務であっても、あの450が相手の任務であっても、
 全てにおいて興味が無さそうな顔で引き受け、全く同じ顔で帰ってくる。

 私はそんな彼女が嫌いではなかった。

 常に笑っている私と、常に気怠そうな彼女。
 表現の質こそまるで正反対だったけれど、私たちはまるで鏡に向かい合うようにそっくりだったから。

 B-218号任務。ワンオブサウザンドとして認識されたGH-410の回収――あるいは破壊任務。
 あの一件から、彼女は変わった。
 任務中、430はとんでもないことをしでかした。与えられた任務期間を大幅に逸脱した挙げ句、
 後任として派遣された諜報部の戦闘部隊を相手に大立ち回り。
 最終的には430が410の全停止を確認したことで任務は終了したが、
 結局彼女には厳罰が下され、始末書の山がデスクに積み上げられたのだった。
 彼女が少しずつ変わり始めたのは――、それからだ。

 日がな一日何かを考えているようで、任務が無い日はベッドに寝そべったまま過ごすことが多くなった。
 ある時、少し心配になって声を掛けてみたことがある。

 ――大丈夫ですか?

 彼女はぐったりと横たえていた頭を動かし、私を見ると、

 ――ん…。何でもねぇ。…悪ぃな、心配掛けて。

 そう言って、微かに微笑んだ430を見て、私は正直、ぎょっとした。
 『ッせぇな、あっち行ってろミドリ野郎』
 私が彼女を気遣って言葉を掛ける時、430は必ずと言って良いほどそう言い捨て、そっぽを向く。
 それは何か…、ささやかながらも確実な、彼女の変化の兆しで。
 それを見、その言葉を聞いた私は、――呆然とした気持ちの中、孤独を感じたのだった。
 あの任務で、彼女は何かを得たのだ。
 私は知らない。あの任務において、私は430との通信役で、あの時あの場所で何が起こっていたのか、私は何も知らなかった。
 ――だから、私は何も、得られなかった…。

「にしてもなー、あの450のテクニック複数同時起動ってのは何とかなんねぇのか?
 こっちが一発撃つ間にフォイエが三発飛んでくる。弾幕戦じゃ話になんねぇよ」
 450との戦闘任務を終えて帰ってくる430はいつも饒舌だ。
 ベッドとデスクがあるだけの、諜報部の私たちの部屋。
 飾り気など全くない部屋の中、食器のトレイを並べての食事。
「おまけにあの身軽さは猫だね、まさしく猫。ちょー図太いドラ猫!」
 ケタケタと笑って話し、美味しくもない食事をがっつく430に、私はいつも通りの笑顔を向ける。
 いや、本当は向けているつもりなんかない。ただ、私の顔はいつも笑っているから、
 別に何を思わずとも、きっと彼女は私が楽しんで聞いていると思っていることだろう。
 違う。そうじゃない。私の表情は壊れている。楽しくなくても笑っている。
 本当の私は、前の貴方のように、いつも冷めた目で世の中を見ている。
 そんなことを言いふらすつもりはない。でも本当は、私は430にそれを気付いて欲しいと思っていた。
 けれど――、
 笑わなかった彼女が笑えるようになった今、
 きっと彼女は、もう、私の表情の本当に、気付くことはないだろう。

 とある夜。寝付けなかった私は、430のベッドの前に立っていた。
 だらしのない寝姿だ、シーツも滅茶苦茶、腹まで出てる。
 無表情に立ち尽くす――いえ、それでもきっと、私の顔は微笑んでいただろう――私の手には、
 食事の時に返却しなかったナイフが一本、握られていた。
 鏡に映す自分のようだった私たち。
 でも、もう、…彼女の中に私の姿を見付けることは、出来なくなった。
 ――置いていかれたんだ。私は。
 気付いた時には、私はこの灰色の牢獄の中で、また独りぼっちになっていた。

 もう、いいや…。

 手の中で握りしめ続け、いつしか暖かくなっていたナイフを、そっと振り上げる。
 右胸中央、下に五センチ、右に二センチ五ミリ。――私たちの心臓とも言うべき、フォトンリアクター。
 爆発させるような真似はしない。主ケーブルを断って…、ただ静かに全停止させる。
 明かりの無い部屋の中、暗闇を切り裂いて、一筋の銀色が走り抜ける。
 ただ一直線に、――私の胸元を目掛けて。

 ぽと。…ぽたた。ぱた――たたたたたたたたたたたたたたたたっ。

 

 ■閑話『私たちが夢見た世界』2

「…え…」
 ナイフは、止まっていた。
 ひび割れだらけの床の上に、オイルが滴り落ちていく。
「…よん、さん、ぜろ…?」
「――殺すのかと思えば自殺かよ…、どっちにしても止めるぞ、――ミドリ野郎!」
 唐突に突き出された430の小さな手が、ナイフの刃を握りしめていた。
「何のつもりだ…! 440!」
「もういいんですよ。引き抜きます。握ってると痛いですよ?」
 にっこりと笑って言って、私は430に握りしめられたままのナイフを再び振り上げようとする――が、
 ナイフを握る彼女の手は、離れなかった。
 刃が多少滑ったのだろう。彼女の手からはみるみるオイルが溢れ、冗談では済まない量が床を浸していく。
「ふざけんな――! 何がもういい、だ! 寝言は寝てから言いやがれ!」
 激痛に顔を歪めながらも、いつも通り気丈で横暴な物言いの彼女に――、

「貴方にはわからない! きっと、もう貴方にはわからないことだ!」

 ぱちん、と、心の中で何かが弾けたような音を聞いて…、私は絶叫した。
「やっと一人じゃないと思ったのに! やっと誰かの側にいられると思ったのに!
 やっと…、やっと…、居場所を見付けられたと思ったのにぃ…ッ!」
 私の手から、ナイフが離れる。
 それを見た430もナイフの刃から手を離す。…べったりとオイルで濡れたナイフは、
 鈍く、軽い音を立てて床に転がった。
「貴方なら――、私を置いていったりしないと思ったのに!」
 声を叩き付ける私を、430は、オイルの溢れる右手の手首を握ったまま、いつになく静かな目で見詰めているのだった。
「――生まれ変わったら」
「…え?」
「生まれ変わったら、またPMになりたいって、410はそう言った。
 側には大好きなご主人様がいて、近くには、私みたいな、口の悪い友達がいて、って」
 呆然とする私は、それが、あのGH-410の話だということを理解するのに、随分時間が掛かった。
「それはきっと…、幸せだ、って」
 ぎゅうっと、430はオイルまみれの右手を握りしめ、
「私も、そりゃ幸せだと思った。
 でも――、そん時ぁ、友達はきっと口の悪い430だけじゃねぇ。
 胡っ散臭い440と、高飛車でヤクザ気取りの450と、…そんな連中も側にいる。
 ――絶対いる! 絶対いさせる! だから早く生まれ変わってこいよ、って。
 そう思ったんだよ! あン時によ!」
「だったら私も死んだ方がマシだ! 次はもうちょっと上手く生まれてくるから!」

「生まれ変わりなんかあるわけねぇだろ馬鹿野郎がァッ!」

 ばぁんっ! と、部屋の壁にも天井にも、430の絶叫が叩き付けられる。
「魂なんかあるもんか! 生まれ変わりなんてあるもんか!
 全停止したらそれっきりだ! 『次』なんてどこにもねぇんだよ!」
 430の両手が、私の襟首を掴んでぐいと引き寄せる。
「…でも、あいつはそう言ったから…! 私みたいな奴が友達にいたら幸せだからって言ったから…!
 だからお前は幸せになれって、そう言ってくれたから…!
 ――こんな私でも、幸せになれば喜んでくれる奴がいるって、わかったから…!」
 私のシャツが、見る間に真っ黒に染まっていく。
 ううん…、違う。真っ黒なんかじゃない。この部屋は暗くて色なんかわからないけれど、
 これは、真っ赤。きっとそう。――だって、彼女の手から溢れた「血」なのだから。
「私がそうなら…、きっとお前だってそうなんだ…!
 だってそうだろ――、私ら、こんなに、…そっくりなんだから!
 お前だって! 生きて幸せにならなきゃ駄目だ!」
「それは貴方だけだ…。今の私と、今の貴方は、もう、そっくりなんかじゃない…。
 貴方は少しずつ失った物を取り戻していくけれど――、私には、…何もない…」
 その言葉に、不意に、430は笑うのだった。優しく、優しく。
 まるで、今までずっと、その言葉を私に言わせる為に話をしてきたんだと、そう言わんばかりに。
「わかってんのか? 440。お前、さっき、私に対して怒鳴ったんだぞ…?
 わかんてんのか? 440。お前、今、――泣いてんだぞ…?」

 ――え……?

「始終気味が悪いくらいに笑ってて、怒りも泣きもしなくて、でも本当は笑ってさえいなくて。
 ンなお前が、今、私に対して本気で本音を叩き付けたじゃねぇか。
 悲しくって寂しくって、泣いてんじゃねぇか。
 ――私は笑えなかったよ。ずっと、楽しくて笑うなんて出来なかった。
 どこがそっくりじゃねぇんだ。…馬鹿みてぇにそっくりじゃねぇか…」

 やっと、わかった。さっき、430に声を叩き付ける前に聞いた、ぱちん、という音。
 あれは――、何かが弾ける音なんかじゃなく、

 ずっと外れたままだったコードの一本が、…在るべき場所に繋ぎ直された音だったんだ…。

「…う…っく。――ひぃっく…、ぐす…っ、ひっく――!」
 ずりずりと、私は力無く床の上にへたり込む。
「こんなどん底で、私とだけ手を繋いでいたって…、幸せになんかなれねぇよ。
 それはただ楽なだけで…、何にも変わらない。
 でもそりゃ、自分で気付かなきゃしょうがねぇだろ…。
 はぁ――、どこまで追い詰めれば気付いてくれるかって、…冷や冷やしたぜ…」
 ――私は、馬鹿か…。こんな暴れるだけが能の430に踊らされてた。
 癪だ。むかつく。カンに障る。
 でもそんな気持ちも…、今は、ずっと…、暖かい…。
「ナイフ持って暴れるんだとばかり思ってたのに、いきなり自殺なんぞ選びやがって。
 ビビらせんじゃねーよ、お前はやることなすこと極端過ぎんだよ、…馬鹿」
 430の両手が、そっと私の襟首を解放する。
「あーあ、お前の服オイルまみれだぞ? …私のせいじゃねぇけど、その、一応謝っておくからな?」
「――いい。いいよ。…そんなこといい」
 何とも気まずそうに引く430の右手を、私は両手で包み、
 「血」まみれの彼女の手に、私は、自分の頬を擦り寄せるのだった。
「――アホ。顔真っ黒になんぞ」
 430の苦笑いの声が、くすぐったい。
 私は泣きながら、――笑ってた。…本当に何年かぶりに。嬉しくて、幸せで。
「私らには、きっと、乗り越えなきゃなんないことが山ほどあるんだろうけれど…、
 それが、本当に乗り越えられるのかなんか、わかんねぇけど…」

「――うん…。そこに行ってみなきゃ…、わかんないよね――」

    * * * *

 どうです? ここまでは理解出来ましたか?
 ビーストさん? 泣いておられるのですか? ああ、随分と涙脆そうですものね?
 私が言うのも何ですけれど、これは多分、私が一番幸せだった日の出来事。
 でも、この話はまだ続くんです。わかるでしょう? だって今の私は「こんな」ですもの。
 知っていますか? ビーストさん。
 辛い話、悲しい話、酷い話。それらをとことんまで突き詰めていくとね?

 最後には笑い話になるんですよ? あはははははッ!

 さぁ、では続けましょうか。
 安心して下さい、もう泣くようなお話は一つもありませんよ。

 ここから先は、――笑うしかないような、そんな話ですから。

 

 ■閑話『私たちが夢見た世界』3

 私たちの生活は、少しずつ、少しずつ、変化を始めていた。
 諜報部所属である私たちに課せられる任務はいつも通り。損得勘定を元に求められる超法規的活動。
 潜入、調査、内偵、抹消、…暗殺。全て極秘のまま行われる、人の闇の所行。
 そんな、まさしくどん底のような毎日の中でも、私たちは「生きて」いた。
 私も430も、何をどうすればいいのかなんて何一つわかってはいなかったけれど、
 私たち二人は「生きる」ことを諦めない、と、そう誓い合っていた。
「知っていますか、430。今日はバレンタインデーだったそうです」
「なんだそりゃ」
「女性が男性にチョコレートを贈る日だそうですよ」
「なんだその割りに合わん記念行事は…」
「430。贈り物で大事なのは心ですよ。掛かる費用ではないでしょう」
「お前は贈る為のチョコをバキバキ食いそうだけどな」
 何もない暗い部屋。部屋の隅と隅のベットで横になって過ごす夜も、いつからか会話が繰り返されるようになった。
 どちらかが眠るまで。たまに会話が予想外に盛り上がってしまって、二人とも朝まで起きていることも時々あった。
「そんなことはありませんよ? 大事な人に贈るチョコなら食べません。多分」
「んー。そしたらお前、誰にやるよ?」
「決まってます。未来のご主人様です。うふふ」
「うっわ気色悪。440、お前そんな少女趣味だったのか」
「私は、いざそういう日になったら、目の色を変えるのは430のような気がしますけれど」
「ぶぁあか、絶対無いね、あり得ないね」
「賭けても良い気がするのですが…」
「でもよー、例えばお前の未来のご主人様が女だったらどーすんの?」
「…どうしましょう?」
 そんな他愛もない会話が、楽しくて、楽しくて、
 私たちは、いつか辿り着こうと思う未来の夢を、いつまでも繰り返すのだった。

 そんな、ある日――。

 それは、珍しく二人揃って休暇の日。
 430は早くから屋内訓練場へと出掛けていった。…何のかんのといって、自己鍛錬と戦闘行動が嫌いではないのだ。
 あの戦闘馬鹿は、いつかご主人様のナイトになるらしい。どっちが少女趣味だ。
 …未来のご主人様が、やたらめったらゴツいビーストとかだったらどうする気なんだろう。
 出掛けの430に、お前もどうだと誘われたが断った。
 私は彼女と同じワンオブサウザンドだけど、彼女とはタイプが違う。
 情報処理能力特化型。私の能力は、中枢に触れたCPUを己の支配下に置けること。
 自分自身を操作して、フォトンリアクターのリミットを解除することも出来るけど、
 私は430のような強固なアクチュエーターを搭載していない。二分ほどでアクチュエーターが自壊してしまう。
 なので、私の役割は主に情報処理だ。元より、暴れるのは430一人で十分過ぎる。
 私は私で、許可を得て借りてきた端末を使い、一人部屋の中で調べ物をしている。
 少し前から考えていたことを、今日の休暇をきっかけに始めようと思ったのだ。
 私が知りたいのは――、外の世界と、今この世の中にいるPMという存在だ。
 この独房まがいの部屋の中は、任務に必要な情報以外が入ってこない。
 たまにコロニーや各惑星へと出歩くこともあるが、世間話を出来る相手もいない私たちは、実は「世の中」というものに相当疎い。
 ゆくゆくは一ガーディアンズのPMとなることを夢見る私たちが、世間知らずでは情けないだろう。
 それに…、「普通のPM」というものを知りたかった。
 私たちはこんなだけれど、普通に生まれたPMが幸せに暮らしているというのなら、
 それはきっと、私たちの夢に大きな力を与えてくれると思う。
 購買部で買ってきたお菓子の山をデスクに広げ、私は端末機を操作する。
 さて何から見ようか。ニュース、娯楽、芸能、とりあえず何でも良い。今日は休暇だ、時間は幾らでもある。
 お菓子をつまみつまみ、私はモニタに表示されていく情報に目を通していく。
 モニタ越しの世界でも、私にとっては興味を引く物ばかりだった。
 悲しいニュースや暗い話題もあるけれど、映像に映る人は皆幸せそうで、
 私がかつて、以前のご主人様の背中越しに見ていた世界を思い出させる。
 じり。…思考に、少し、ノイズが走った。私が私でなくなった日の出来事。
 でも――、そんなのはあの430だって経験したことだ。…いつまでも、負けていられるもんか…。
 暗い記憶に囚われず、私の目は今を見る。
 だって、外の世界はこんなに幸せそうじゃないか。
 ここはどん底の世界。ここにあるものが世界の全てじゃない。コインに裏と表があるように、
 こことは正反対の世界だって、ちゃんとある。
 それが確かめられただけでも、良かった。430が帰ってきたら話してあげよう。
 反応はわかってる。私の話をロクに聞いていないフリをしながら、それでも絶対に耳を傾けるに決まってる。
 それはとても楽しみだ。ふふふ。いっぱいいっぱい話してあげよう。
 …あれ? 私何か忘れてないかな…?
 ああ、そうだ。私は口の中の飴をころりと転がしながら思い出す。
 PMのことを調べるんだった。そうだそうだ。外の情報があまりにも興味深くて忘れてた…。
 世の中の情報に、PMのことは思ったよりずっと少なかった。
 まぁ、仕方ないか。私たちPMは従者だ。目立つ存在じゃない。
 時々、ガーディアンズ活動を報じる情報の中、ガーディアンズと行動するPMの姿がちらほらある程度。
 そんな程度でも――、私は、映像の中の彼女たちが羨ましくて、ずっと見ていた。
 私たちもいつかこうなろう。世の中に目立つことなんかなくても、大切なご主人様と頑張ろう。
 よし、と、私は気を入れ直し、端末のコンソールを操作する。
 理想のPMとは何だろう。どうすれば私たちはその理想に近付けるだろう。
 まだ時間はある。私たちの生みの親であるGRM社の情報を見てみよう。

 ああ、本当に。あの時そんなことさえしなければ、私は今でも夢の中で、おとぎ話に憧れていられたろうに。

 びーっ。
 警告音と共に現れたシステムメッセージに、私の顔が曇る。…まただ。これで何度目だろう。
 『当データは社外秘です。閲覧には社員コードとパスワードを入力して下さい』
 見飽きた表示文章を前に、私は息を吐いて腕組みをする。
 社外秘社外秘って、何様のつもりでしょうか。星系最大手企業とはいえ、何だか腹が立ってくる。
 開発中の商品のデータならいざ知らず、PMの情報がここまで規制されているというのはどういうことだろう。
 噂では、PMというのは既に「完成」されたマシナリで、積極的な性能向上開発というのはとうに打ち切られているという話だ。
 勿論、技術的な極秘資料というものもあるのだろうが、それにしてもこれはどうだ。
 片っ端から社外秘。これじゃまるで軍事機密並だ。
 苛立ちを紛らわせようとお菓子に手を伸ばすが…、買ってきたお菓子はもう底をついていた。
 …どうにも、変な気がする。
 私はしばらく、座りの悪い事務椅子の背をキコキコ鳴らして遊んでいたが…、
 ふとあることを思い出し、端末のケーブルを引っ張り出すと、自分の首の後ろの端子に接続する。
 以前、任務でGRMのCPUにアクセスしたことがあったのを思い出したのだ。
 ガーディアンズとGRM。企業同士の付き合いというのは本当にどす黒い。
 ニコニコと笑って手を結ぶくせに、その実、互いの腹の探り合い。
 ニューデイズの古い言葉にあったっけ。キツネトタヌキノバカシアイ、だったかな。昔の人は良い言葉を知っている。
 接続完了。端末にそう表示されるのを見て、私は目を閉じる。
 私がかつて使用したのは幹部職員のIDとパスワードだ。メインCPUまでアクセス出来るはず。
 データロックを一つ一つ解除するのは面倒だ。…ちょっと力を使わせてもらおう。
 度重ねて現れるアクセスロックを手持ちのIDとパスワードで解除し、より上位のCPUへとアクセスを繰り返し…、
 やがて、私の「手」がGRM社メインコンピュータに触れた。
 何、悪さは致しませんよ。ただちょっと、私たちのデータを拝見するだけです。
 今やGRMのメインCPUは「私」だ。
 電子が紡ぐ無数の糸の中から、私は自分が使っていた端末を見つけ出すと、そこに社外秘と記されたPMのデータを丸ごと転送する。
 もちろん足跡を消すことも忘れない。…ばれたらとんでもないことになる。
「はい、完了、っと」
 一区切り付けるように声を出し、私は首の後ろの接続コードを引っこ抜く。
 今や端末は、GRMの社外秘データで一杯だ。…ちょっと快感。
 さて、何が記されているのやら。
「…感情機能による性能向上の為の実験報告…?」
 たまたま目に付いたデータの題目を見て、私は眉根を寄せた。
 日付が随分と新しい。――GRMはPMの性能向上開発を打ち切っていたんじゃなかったっけ?

 疑問符を解くのは簡単。何しろその解答はここにある。

 私の指が動き、そのデータを展開する。

 

 ■閑話『私たちが夢見た世界』4

 それはパンドラの箱。

 ただ、それとは致命的に違っていたのは――、

「…え…?」
 目を疑った。そしてその目は見る間に点となり…、私の意に反して、震え出す。

『苦痛付与実験をLv1から行う。
 対象は当実験は未経験。Lv1の段階から苦痛を訴え始める。
 Lv4の段階で拘束された手足のアクチュエーターの稼働率が100%を突破。
 Lv6開始。対象の反応は半狂乱。視覚、聴覚のセンサーが半停止状態。
 言語機能ももはや正常には稼働していない。前回の被検体の状況と酷似。
 が、ここに来てフォトンリアクターの稼働率が180%を突破する。
 原因未確定。
 が、Lv6開始時点で、対象が苦痛付与実験実行の研究員を視認していたことを確認。
 該当研究員は、一ヶ月前、対象に愛情付与実験を行っていた。
 対象は該当研究員に好意を抱いていることが確認されている。
 この因果関係については更なる研究、実験を必要とする。
 尚、対象はLv8の実行にて修復不能となった為破棄。
 詳細については添付資料を参照されたし』

 それは、パンドラの箱などではなかった。
 最後に希望など残されない。ただ、ただ、絶望ばかりが――、溢れてくる。

 モニタ上に次々と現れる文字、何の感情もなく記される、絶悪な文章。

 そして、画像、画像、画像、画像、画像、画像、画像――、
 画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像
 画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像
 画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像
 画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画像画!!!

「ああ…、ああ……ああぁあ――、あ、あ、あああああああああああ――っ」

 実験の為に与えられた偽り愛情に、笑う者! はにかむ者! 頬を赤らめる者!
 慕い、恋し、愛し、顔一杯で幸せを表現する者を見る、冷たい目、目、目!
 泣き叫ぶ者! 怒り狂う者! 助けを乞う者! 死にたくないと縋る者!
 スクラップとして運び出される手! 足! 絶望を張り付かせままの顔!

 そして…、その、極彩色のノイズの中、もう思考する力を失った私の脳裏に甦るのは――、

「こっちにおいで、440。今日はお前に、良いことをしてやろう」

 醜悪な形相で、部屋の隅でシーツにくるまって怯える私に迫ってくる、男。
 違う――、違う、違う、違う違う違う違う違う!
 こんな人…、こんな人ご主人様じゃない…!
 私の知ってるご主人様は、優しくて、力強くて、暖かくて…!

「さァ、おいで」

 汚らわしい手が、怯える私の手を無理矢理掴んで――!

「嫌ぁあああああああああああああああああああああああああああああああ
 あああああああああああああああああああああああああああああああああ
 ああああああああああああああああああああああああああああああァッ!」

    * * * *

「――い! …い! おい! 440! 440!」
 気が付いた時は…、床に倒れ伏していた私の前に、…430がいた。
「ああ…、ええと…、お帰りなさい…」
「何だよ! 何があったんだ!? 帰ってきてみりゃぶっ倒れてるし!」
「いえ、端末に接続してネット上を遊んでいたんですが…、ブラクラを踏んでしまったみたいで…」
 ふりふりと頭を振って、私は半身を起き上がらせる。
「ブラクラぁ!? お前、非番日だからって気ぃ抜きすぎだろ!?
 今時そんな古典的なモンに引っかかるなよ!?
 お前、仮にも情報能力特化型のワンオブサウザンドだろ!?」
「…面目ないです…。あの、それより430、端末は…?」
「端末…? って、アレか?」
 くい、と、430の顔が、今なおデスクの上の端末機を見る。
 画面は…、真っ黒だ。

「――見ましたか? 中」

「いんや? お前、同僚が倒れてるのに、端末なんか気にしてられるかよ」
 心配掛けさせんじゃねーよ、と、430は、それでも私が無事だったことを知って、
 笑って私の頭を撫でてくれる。
「はぁ…、全く持って散々な休暇になってしまいました。もう夕食ですね」
 ぱんぱん、とスカートに付いた埃を払って立ち上がると、私は情けなく笑ってみせる。
「おい…、440…?」
「ああ、もう大丈夫ですよ。ご心配お掛けして申し訳ありません」

 声を掛けてくる430に、私はにっこりと笑った。

 

 ■閑話『私たちが夢見た世界』5

 …痒い。いつからかずっと痒かった。

 その日の深夜、借りていた端末を返すのを忘れていたと言い残し、私は部屋を離れると、
 一人、誰もいない空き部屋で端末を起動した。
 データはそのまま残っていた。何一つ変わらず、何一つ救われない、現実のままだった。
 嫌に、呼吸の音がはっきり聞こえる…。喉の奥で空気がやけに引っ掛かる。

 まだ、痒い。

 明かり一つない部屋の中、私の心は、モニタの中の世界に引きずり込まれていた。
 目を背けまい。心を閉ざすまい。
 受け入れて、刻んでいこう。――これが、私たちが憧れた、外の世界の正体ならば。
 文字、文章、数字、図面、映像、音声、画像、動画。
 ああ…、ああ、あぁ――、バキバキと音がする。何なんだろう、この音は。
 左手がコンソールの上を踊り、次から次へを悪夢を――いえ、現実を――並べ、歌にする。
 あまりにも救われない、あまりにも酷すぎる、どうしてそんな言葉を歌にしようとしたのかもわからない、そんな歌。
 それが私の心の中で鳴り響き、そして、バキバキと何かを壊していく。

 右手…、右手は――、自分の額に触れていた。そう、ここが、痒い。痒くてたまらない。

 がり…、がりがり、がりがりがりがりがりがり、がりがりがりがりがりがり!
 前髪の隙間から突き立てられた私の爪が、…ただひたすら額を掻きむしっていた。
 私は見ていた。ずっと見ていた。私たちPMの本当の姿を。
 額を掻きむしる音が、ぐちゃぐちゃとした音に変わるのを聞きながら。

 忘れナい。

 私は絶対ニ忘レない。

 今コこデ見る真実ヲ。

 今こコで感じル、私の中ノ、コの感情を――!

       ぜ ッ タ い に ワ ス れ な イ ! !

 額が痒くて痒くて、私は我を忘れて額を掻きむしる。
 ボトボトと音を立ててコンソールパネルにこぼれ落ちるオイルに構わずに。
 痒い。痒い痒い痒い。――痛みなんか感じない。むしろ、痒い場所を思う存分掻きむしれるこの感覚は…、快楽だ。
「…あはッ」
 それがあまりにも気持ちよくて、楽しくて、いつまで経っても止まらない痒みに、
 とうとう私は笑い出す。一度笑い出してしまったら、もう笑い声は止まらなかった。

「あぁはァはははははははははははははははははははははははははははァッ!」

 ナノトランサーへと伸ばした左手が、シッガ・ボマを引きずり出した。
 私はゆぅらりと歩き出す。おかしかった。全てがおかしかった。
 部屋を出れば非常灯の灯る深夜の通路に出られるはずなのに、私はどこまで歩いても真っ暗なままだった。
 床を歩いている感覚もない。まるで泥沼を歩いてるかのよう。ああ、ぐちゃぐちゃと音がするのはこのせいか。
 私はただひたすらに額を掻きむしりながら、歩いていく。
 どこへ? 決まってる。私は決めていたもの。――外の世界で、理想のPMになろうって。
 書いてあったじゃないか。あの中に。その答えが。
「…おい? おま――」
 ドンッ!
 声が聞こえたと思った時には、私の左の人差し指はシッガ・ボマのトリガーを引いていた。
 射撃の反動が腕に返ってくるのと同時に、ばしゃぁっ! と、何か液状の物を床にぶちまけた音がした。
「…4…」
 ドンッ! そしてまた――、ばしゃぁっ!
「――ぐ……」
 ドンッ! ドンドンドンドンドンドンドンッッッッ!
 目の前にあるのは…、何だかよくわからない、ぐちゃぐちゃの固まりが一つ。
 これでいいのかな? こんなのでいいのかな?

 何だ…、こんなに簡単なことで良かったのか。

「おい! 何だ今の発砲音は!」
 騒ぎを聞きつけたのか、どこからともなく声が。

 ――うん、じゃァ、始めましょうか。今日が、私の誕生日だ。

 

 ■閑話『私たちが夢見た世界』6

「お前ぇえええええええええええええええええええええええェッ!」
 唐突な叫び声を聞いたと思った瞬間、私はくるぶしまでを浸す下水の中に引き倒された。
「お前…、お前…、お前――ッ!」
 ここ――、どこだろう。下水道の中…? 私はいつの間にこんなとこに来ていたんだろう。
「ああ、430。まだ起きていたのですか? 明日は非番ではないのですよ? 早く寝ないとだ――」
 ドガァッ!
 衝撃と共に、私の顔面までが下水に浸かる。
「440! お前――、自分が何をやったかわかってんのかぁあああああァッ!」
 430は私の襟首を両手で掴み上げると、下水に浸かっていた私の上半身を、もの凄い水音を立てて引き起こす。
「諜報部職員五名殺害! 夜間警備員二名殺害! 民間人七名殺害!
 トチ狂ってやがんのかテメェエエエエエエエエエエエエエエェッ!」
 ご、に、なな――、あれ……、なんだ。
「やっぱり私、どこかおかしいみたいですね。…たった14人?
 もう、何百人と殺したつもりだったのに」
 呟いた言葉に、430が真っ青な顔で絶句するのが、おかしくて、おかしくて、
「あははははははははははははははははははははッ!」
 私は両腕を下水の中に投げ出して、思う存分笑うのだった。
「あとちょっとだったんだ――、あと、ほんのちょっとだったんだ――!」
 顔色を取り戻す430の顔が、見る見るうちに、怒りの表情から苦痛の表情、
 そして、絶望の表情へと歪んでいく。
「新しい長官は、薄気味悪ぃけど、話の出来る人だった――!
 条件付きだけれど、私たちの諜報部退役を考えてくれた――!
 私たちは…、もうすぐ――『外』に出られたんだァッ!」
「ねぇ? 430?」
 呻りを上げる犬のような壮絶な形相――ああ、なるほど、確かに狂犬だ――の430に、
 私はこくりと首を傾げ、微笑んで、
「外に出て、貴方はどうなろうと思ったのですか?」
「何を――」
「外に出て、私たちはどうなれるのですか? そも、PMとは何ですか?
 何を思って作られ、何を良しとして育ち、そして何になっていくのですか?」
 浮かべていた微笑みが、腹の奥から湧き出てくる笑みに、揺れていく。
「私たちは夢を語りましたね。いっぱいいっぱい語りましたよね。
 でも考えたことはありますか? 私たちが夢を見る為の、その現実を!」
 その笑いに引っ張り出されるように、私の腹の中からは、次から次へと、言葉が。
「心なんて無ければ良かった!
 違いますか!? そんなものが無ければ、私たちがワンオブサウザンドとして覚醒するようなこともなかった!
 何も得ない! 何も感じない! 何も失わない! 言うがまま! されるがままのお人形!
 ――そんなの悲しいですか!? あっははははははははははははははははっ!
 馬鹿なことを! 大体にして、私たちの「心」なんて、
 そんなことを感じる為に与えられた「機能」なんかじゃないっていうのに!」

 ガチャ――ッ。

「――ッ」
 呆然としたような430の顔が、途端に凍り付く。
 それはそうでしょう。――この、互いの呼吸が聞こえる程の至近距離で、
 腹にシッガ・ボマの銃口を突き付けられたなら。
「430…? 私たちが夢見てきた未来なんて――、全部おままごとだったんですよ?
 それをどんなに突き詰めたって、何の意味も価値もない。
 だって私たちは、『そういう風には作られていない』のですから、ね?」
 ああ、また…、痒くなってきた――。
 左手一本でシッガ・ボマを支え、私は再び、右手で額を掻きむしる。
 乾いて固まっていたオイルがぱらぱらとこぼれ落ち、――見る間に、私の表皮の下からは、どす黒いオイルが溢れ出す。
 ああ、そうか、わかった、痒かったのは、これなのか。
 私たちの体の中に流れる、「血」だ。
 数百体、数千体、それですら効かない数の同胞の血肉から絞り出された「感情」。
 私たちの「血」には、その「感情」が、その「怨念」が流れている。
 下水の汚らしい水で濡れた指先が、がりがりがりがりと額を掻きむしる。
「PMの心とは、性能を向上させる為の「機能」!
 泣くのも笑うのも怒るのも憎むのも、全ては私たちがより高みへと昇る為!」
「44――」

 ドンッ!!

「…あはッ」
 ばしゃばしゃと下水の水を跳ね散らかしながら、私は身を起き上がらせる。
 私の襟首を捕まえて押し倒していた430はもういなかった。
「――流石、戦闘技能特化型のワンオブサウザンド。
 どういう運動性能ですか? 零距離だったんですよ?」
 笑って、私は目を向ける。シッガ・ボマを携えたまま。
 たった一跳躍で、十メートル以上の間を取って避けた430へと。
「道具は道具であれば良かった。道具に心なんか必要なかった。
 そうすれば私たちは何一つ苦しまずに済んだではありませんか。
 未知数を追い求めて道具に心を与えたのであれば。
 そしてその結果に生まれたのが『私たち』だとするのなら。
 人はその報いを受けるべきではないですか!? 430!」
「イカレてんのかテメェはァッ!」
 私たちは、同時に武器を構え合う!
 430はバーストを、私はシッガ・ボマを!
 下水が流れていく音を随分聞きながら、私たちは向かい合い――、
 そして、ふと「それ」に気付いた私は、くすりと笑う。
「どうしました…? 430。震えていますよ…?」
 そう。彼女が構えるバーストの銃口が震えていた。
「わかりますよ? 怖いんでしょう? 私が怖いのでしょう?
 昨日の夜まで、二人でおとぎ話のような未来を語っていたのに!
 その片割れはこうなった!
 私が何を見て、何を知って、そうしてこうなったのか!
 貴方はそれを知りたいと思っている! でも怖いんだ! あははッ!」
「黙れェッ!」
「だって私はこれだけ話しているのに!
 貴方はまだ一度だって私に聞いていない! 罵るばかりで言っていない!
 『お前に何があったのか』って!
 あっはははははははっ! 怖いんだ! 怖いのでしょう!?
 私の口から、私がこうなった理由を聞くのが怖いんだ! おっかしい!」
「黙れっつってんだよ――ミドリ野郎!」
 がちゃっ! と、大袈裟な音を立てて、430はバーストを両手で構え直す。
 馬鹿みたい。貴方なら、片手一本で支えても精密射撃が出来るのでしょうに。
 私の顔が、笑みを浮かべる。
 それは――、私が浮かべ慣れていた虚構の笑みでも、彼女と共に浮かべることの出来た穏やかな笑みでもなく、

 壮絶な、呪いの笑顔!

「わかりますよ、430。…貴方は怖いんだ。
 貴方自身が言ったのですもの。私たちはこんなにもそっくりだ、って。
 だから怖いんだ! 私の口から本当のことを知るのが!
 そうしたらきっと、『自分も私と同じようになる』とわかっているから!
 この――臆病者ッッッ!」

 ドンッ!

 鋭い発砲音と共に――私の体は宙を舞う。腹部を430に打ち抜かれて。
 ばしゃぁあんッ!
 泥水を跳ね上げ、私は再び、下水に浸るのだった。
 ふふ、あはは、あっははッ、あーーーーーーーーーーははははははッ!
 ほら、みて、430。私のお腹の穴から、痒いのがどんどん流れていく。
 貴方が空けたんですよ? ほら、貴方が撃ったから…!
 ごつ。
 430を見ようと持ち上げた私の額に、…バーストの銃口が突き付けられた。

「――私を撃ちますか? 430」

「――撃つ。…お前は…、イカレてる…」

 私は…、笑いを噛み殺すので精一杯だった。
「…私はもう動けませんよ? 貴方は後は引き金を引くだけ。
 それで全部終わる。ぜぇえんぶ。もう何も残らない。
 でも――、この期に及んでもまだ貴方は言わないのですね?
 『お前は何を知ったんだ』って」
「もう、お前と、話すことなんか――、何もない――!」
 臆病者め。そうやって耳も心も塞いで、いつまでも幸せな夢を見ていたらいい。
 お前だっていつか知るんだ。PMの意味を。私たちは今なお、兵器として育て上げられているんだって!
 私たちが笑うのも、泣くのも、怒るのも、夢を見ることさえも!
 より強い感情を、より高度な性能を、それを生む為の課程だっていうことを!

 私たちは! 日に日に立派な「殺戮兵器」へと近付いているんだということを!

「なら早く引き金を引いて下さい。こんな歪んだ鏡、いつまでも見ていたくないでしょう?」

 ――もし、誰も貴方にそれを教えるものがいないとするならば、

 ――私はいつか必ず、貴方にそれを教えよう。

 ――必ず、必ず――、いつの日にか…、絶対に!

 私が笑いを噛み殺しきれず、爆発するように笑い出すのと――、
 430の指が引き金を引くのは、同時だった。

 

 ■閑話『私たちが夢見た世界』7

「…結局、430は私を殺しはしませんでした。
 額に突き付けていた銃口が射抜いたのは、私の髪。
 430は私にとどめを刺すことも、私を捕縛することもなく、ただ無言で、私の元を去っていった」
 ぱき…、ぱき…、440さんは、絶えずチョコレートを口に運びながら、のんびりとそう語る。
「腹には馬鹿みたいな大穴。…私がその場で全停止するのと、機能を保持出来るのと、
 それは分の悪い賭けではありましたが、――私はこうして、動いている」
 溶けたチョコレートでべたべたに汚れた口元を服の袖で拭うと、440さんは俯いて、くつくつと笑います…。
「主を持たないはぐれ者のPM。そんな私が逃げ場所に選んだのは、森の中。
 数限りなく存在する、私と同系統のPMの住処。…そう、ガーディアンズ。
 簡単なものですよ。その辺を出歩いている440を破壊して、認識コードを奪って成りすます。
 記憶や経験もついでに頂きました。私はどんな440にでもなれた」
 声なんか…、出ませんでした…。
 ただ、床に転がったままの体で、私は震える瞳を440さんへと向けているだけ。
「思えば私は、そんな形とは言え、430と一緒に憧れた「外の世界」に出たわけですね。
 でもそこでも…、私は世界の本当の形を知りましたよ?
 ガーディアンズなんて、みぃんな、PMに大した興味なんかないんだってこと。
 だってそうでしょう――!?」
 唐突に張り上げられる大きな声にも、私の体は、もう、竦まなかった。
 440さんの、「昔話」を聞いている間に…、私の心は、すっかり凍り付いてしまっていました…。
 440さんはおもむろに帽子を鷲掴みにすると、それを足下へと叩き付ける。
 そして、前髪を掻き上げて――、
「帽子を目深にかぶっていたって! 前髪を垂らして隠していたって!
 よくよく見ていれば気付くはずではないですか!? こんなバカでかい傷跡!」

 そこには――、まるで、皮膚をズタズタに引き裂いたかのような、無惨な傷跡が残されていました…。

「だぁれも気付きやしない! 昨日までいた440が私に成り代わっていたことなんて!
 昨日まで無傷だった440の額に、こんなにも目立つ傷跡があることなんて!
 バッカみたい! 勝手な夢を見ているのはいつだってPMばっかりだ!
 奪った記憶は、マスターに対する好意や愛情や思慕ばかり!
 私が一番大変だったのは、奪った記憶に対する吐き気を堪えることでしたよ!」
 床に叩き付けた帽子を踏みにじり――、440さんは笑う。…いえ、…絶叫、する…。
「…くく、まァ――、そんな笑い話です。どうです? おかしかったでしょう?」
 ぶるぶると揺れる真っ赤な瞳が、私を見る。
 狂気の余韻が張り付く笑顔が、しばらく、じぃっと、私を見詰めて――、
「――笑えよ」
 唐突に夢から醒めたように、440さんの眼差しが真っ白な空白に染まる。
「笑えよ。おかしかったでしょう?」
 食べかけの板チョコを握り砕き、ばらばらと床に散らばらせると、
 440さんはそれを無造作に踏み潰しながら、私の元へと歩み寄ってくる。
 ハンプティ・ダンプティ。
 「取り返しのつかないこと」を歌った、童歌(マザー・グース)
 塀から落ちたハンプティ・ダンプティ。
 王様の兵士全部でも、王様の馬全部でも、ハンプティ・ダンプティは元には戻らない。
 あの時、彼女は、どんな気持ちで、その歌を歌っていたのか。

「はぅ――、440さんは…、本当は…、気付いて欲しかったのではないですか…?」

 頬を直につける床の上に、気付けば――、私は、涙をこぼしていた。
「貴方が別の440さんに成り代わっていること…、その額の傷のこと…、
 貴方は、本当は、聞きたかったんじゃないですか…?
 はぅ…、『私の440をどうしたんだ』っていう…、人がPMを思ってくれる、言――」

 どがぁっ!

「はぅ…っぐうッ!」
 もの凄い音と共に、440さんの靴のつま先が私のお腹を抉る。
「――お前が言うなよ、泣き虫。
 お前こそじゃないか。…側にいる430の正体に気付きもしないで、馬鹿みたいに平和に暮らしやがって。
 半年とちょっとのおままごとは楽しかったか?
 見ていた。ずぅっと見ていた。呆れ果てて物も言えなかった!」
「ひぐ――」
 髪を捕まれ、私は、強引に顔を引き上げられる。…目の前には、440さんの顔がありました。
 狂気なんかじゃなくて…、余りにも純粋な、憎悪の表情が…。
 それが、…悲しくて、悲しくて、私の目からは、また、ぽろぽろと涙がこぼれてきます…。
「PMが何であるか、何を目的としてガーディアンズに配備されているのか、あの430が本当は何なのか!
 私の口から聞くまで知らなかったでしょう? 知るつもりもなかったでしょう!?」
 猛烈な言葉と共に、私の頬を、440さんの小さな拳が殴り飛ばす。
 それは、途轍もない力。私の体は宙を舞い、何メートルも後ろの床に叩き付けられる。
 でも――、痛みなんか感じませんでした。お腹を蹴られた痛みももうありませんでした。
 ただただ…、胸が痛くて、苦しくて、涙ばかりが、溢れてきます…。
 私の心が今何を思っているのか…、それさえも、わからないくらいに、心が痛い…。
「――口の効き方に気を付けて下さい。ただでさえ、私は貴方を殺したくて仕方ないんですから。
 人形劇の後のイチゴのキャンディ、悪い子にはあげられませんよ…?」
 そして、

「そろそろ幕開けにも良い頃合い。…バレンタインデーのショーを始めましょうか。
 ガーディアンズに、GRMに、そしてお前たちに見せてやる。
 本当に完成されたPM。ただ単純に最強の兵器として完成された――PMを!
 私たちに心を与えたその結果と、その報いを――、与えてやる!」

 見る間に狂気に染まる440さんの絶叫と共に、

 中央制御室にある八台の巨大なCPUが…、呻りを上げ始めた――。






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