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前原誠司

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前原国交相に首相が口頭注意 個所付け問題で処分
http://www.chunichi.co.jp/article/politics/news/CK2010030202000220.html


前原国交相、自民の町村氏に激高=難題山積でいら立ち?
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010012500744

民主・小沢幹事長、前原国交相に不快感 「私を批判して人気取りしている」
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1273247329/




「ニコニコ大百科記事」を改変利用
菓子パン激怒、偽メール、国土整備放棄しJALの足を引っ張る

前原誠司




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前原誠司は日本の政治家、民主党の元代表である。影が薄い存在であるため、上記のようによくネタにされる。

(影が薄いからではなく、党首時代に言うことがコロコロ変わったからという説も)

2005年の古泉劇場による民主党の衆議院選挙大敗の責任を取って退陣したジャスコ岡田の後継者として、菅直人との代表選挙に競り勝ち、民主党の代表に就任。その若さとルックスからマスコミなどは好意的に受け入れた。

民主党代表として党内人事を一新。世代交代を推し進めた。さらに内政外交の分野でそれまでの民主党とは違った政策を展開。新しい民主党を作ってくれる人と期待されていた。

しかし、2006年のいわゆる永田議員による堀江メール問題により責任を追及され党代表を辞任。民主党は小沢一郎を次の代表に選出し、その政策もそれ以前のものに戻ることになった。

2009年時点では引き続き民主党所属。鳩山由紀夫代表の下で6名の副代表の一人に就任している。

ネトウヨから左翼的と非難されやすい民主党の中で、「9条改正」「武器輸出三原則の見直し」「中国脅威論」などを積極的に掲げる右翼的思想の持ち主である。が、反面外国人参政権や夫婦別姓への賛同、靖国神社参拝への消極的な姿勢どリベラルな側面もある。

思想のばらつきが強い現民主党内では仕方のないことだが、稀にネトウヨ・ネトサヨすらもドン引きさせるぶっとんだ発言をかますことがあり、民主党内でも異彩を放つ若手議員である。もう47歳だけど。

政策や政治的考えなどで現民主党執行部としばしば対立する言動を取ることがある。そのため、彼を中心とした若手と現執行部との対立が取りざたされることがある。

国会議員内でも随一(というか絶対数的にそう多いものでもないだろうが)と言われるほどの熱狂的な鉄である。特にSLに関しては非常に熱心なファンであり、SLのためだけに新婚旅行を北海道にし、高価(一般市民の想像の届く額ではないらしい)な機関車のプレートを衝動買いして妻を嘆かせるなど、その姿勢に妥協はない。

2009年9月、民主党代表の鳩山氏が総理大臣になったのを受けて国土交通相に就任。

八ツ場ダム建設中止発言で地元とのバトルが注目される。

プロフィール

衆議院 京都2区
外国人参政権推進
国立国会図書館法の一部を改正する法律案
在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟
日朝友好議連
北朝鮮エネルギー支援賛成
「がんばろう、日本!国民協議会」(新左翼:民主統一同盟)
自虐史観
国旗及び国歌に関する法律に反対
靖国神社参拝については「参拝すべきでない」
「拉致問題が前進していなくても、北朝鮮に支援すべき」と発言
戦後60年決議案について『50年決議にあった「植民地支配」や「侵略的行為」の表現が落とされているのは問題である』と発言

前原 誠司(まえはら せいじ、1962年4月30日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(6期)。民主党代表(第5代)。第12代国土交通大臣(2009年9月16日 - 特命担当大臣(沖縄及び北方対策、防災)兼務)。松下政経塾第8期生。

生年月日 1962年4月30日(47歳)
出生地 京都府京都市左京区
出身校 京都大学
前職 京都府議会議員
所属政党 民主党
称号 法学士
世襲の有無 無

第12代国土交通大臣
内閣 鳩山由紀夫内閣
任期 2009年9月16日 - 現職
内閣総理大臣 鳩山由紀夫

特命担当大臣(特命及び北方対策)
内閣 鳩山由紀夫内閣
任期 2009年9月16日 - 現職
内閣総理大臣 鳩山由紀夫

特命担当大臣(防災)
内閣 鳩山由紀夫内閣
任期 2009年9月16日 - 現職
内閣総理大臣 鳩山由紀夫

民主党代表
任期 2005年9月17日 - 2006年3月31日
退任理由 メール問題による責任を取って辞任

衆議院議員
選挙区 京都府第2区
当選回数 6回
任期 1993年7月18日 - 現職

生い立ち


京都市左京区に生まれる。京都生まれ・京都育ちだが、朝日新聞編集委員の早野透による連載『政治家の本棚』に掲載されたインタビュー[1]で、前原は親が境港出身であることを明かし[2]、「根っからの京都の人というのは三代百年住んでいないとなかなか認めてくれない」と語っている。父は京都家庭裁判所に勤務していたが、若くして父親を亡くし[3]、母子家庭で苦労したと語っている。

中学受験で前原が合格したのが奈良の東大寺学園と、姉も通う京都教育大附属中だった。東大寺学園に進学希望だったが、家計の事情などや男子校よりも共学校に進学したいと言う希望もあり京都教育大附属中に進学した。 前原の母は『東大寺学園は男子校だから面白くないよ。教育附属は女のコもいるよ』と言い聞かせると泣くのがしばらく止まって(笑)。結局、誠司が諦めて教育大附属に行くことになりました」と述べている。[4]

数学、物理が好きで京都教育大学附属京都中学校・京都教育大学附属高等学校の中1から高3まで6年間,数学専門の塾に通った[1]。父の死もあり、高校1年生から大学を卒業するまで奨学金を受けながら勉強する。

高校卒業時に京都大学法学部を受験するも失敗、浪人時代に偶然高坂正堯の『国際政治[5]』を立ち読みし、国際政治における"歴史上のプレーヤー"に憧れる[1]。一浪後京都大学法学部に入学、高坂正堯の下で国際政治学を学ぶ。高坂ゼミ在籍時、外交官の道に進むか大学に残ろうかと考えていたところ、高坂の「外交官は京大出身では偉くなれないし、母子家庭なのでどうか」「学者は天才じゃないといかんが、それほど頭はよくない」「大学院に行くつもりで松下政経塾に行ってこい」とのアドバイスで政治家としての道を志すことを決意。その時、一人の松下政経塾生を紹介される。東京都議会議員であり、のちに日本新党へともに参画する山田宏であった。その山田から感銘を受け、1987年、松下政経塾へ第8期生として入塾する(8期生として入塾してはいるが、その一年前に入塾を認められていた。ドイツ語の単位を落としたのが原因で、卒業が一年遅れたためである。同塾の入塾試験に二度合格した者は、現在まで前原のみ)。同期生に玄葉光一郎や勝又恒一郎らがいる。

京都府議


1991年松下政経塾を卒塾。被選挙権を得た最初の京都府議会議員選挙に立候補し、後に同じ京都出身の衆議院議員となる北神圭朗ら学生ボランティアの支援により府議会史上最年少で初当選を飾る(現在は尾形賢が最年少記録更新)。なお、前原の選挙区である左京区は日本社会党衆議院議員の竹村幸雄の当時の地盤でもあった。

日本新党 - 民主党


1992年長浜博行に請われ、野田佳彦、山田宏、樽床伸二、中田宏らとともに日本新党へ参画。同年の第16回参議院議員通常選挙では近畿・四国エリアで応援に回り、新党ブームに一役買う。

1993年の第40回衆議院議員総選挙で京都1区において日本新党公認新党さきがけ推薦で立候補して初当選(同区で日本共産党穀田恵二や京大法学部の先輩公明党竹内譲も初当選)。しかし佐川急便事件で細川内閣が総辞職。その後、枝野幸男、荒井聰、高見裕一らとともに日本新党を離党し、民主の風(院内会派)を結成する(松下政経塾の先輩で兄貴分的な存在であった山田宏は、前原が恩人たる党首細川護煕に対して後ろ足で砂をかけるように出ていったことや、日本新党離党について自分に一切の相談がなかったことに激怒した)。さらにその2ヵ月後には「民主の風」メンバーとともに新党さきがけに合流し、政調会長の菅直人(当時)のもとで政調副会長、院内幹事(国会対策委員長)渡海紀三朗の下で院内副幹事(国対副委員長)をそれぞれ歴任する。1996年の総選挙直前に旧民主党、1998年の民主党の結党に参加。1999年1月民主党代表選挙では塾の先輩で同じ政令指定都市選出の都道府県議経験者で、1993年の衆議院に初当選した同期の松沢成文の推薦人となる。

2002年9月の代表選挙では、鳩山・菅の二枚看板(いわゆる「鳩菅体制」)に危機感を覚え、世代交代を図るため「第二期民主党をつくる有志の会」を結成する。若手統一候補として同じ松下政経塾出身者の野田佳彦と並び、代表選候補に名前があがったが、最終的に(小宮山洋子ら自身の推薦人名簿に名を連ねる予定だった国会議員とともに)野田を推薦する側に回った。このことが、後の代表選挙で野田が前原を支持するきっかけになった。

この時期は2001年のいわゆる同時多発テロ事件にともなう自衛隊派遣や有事法制の整備など、戦後の安全保障体制が大きく変革を迫られる時期であった。前原はこれらの諸問題に、党を代表して政府側と修正協議などの交渉に当たるなどして、外交安保の専門家としての評価を高めていった。党内では「次の内閣」ネクスト外務大臣、ネクスト防衛庁長官なども務めた。

民主党代表選出


2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙で民主党は大敗を喫したが、自身は(前原と中選挙区時代戦った伊吹文明が会長代行たる)志帥会新人で政経塾の後輩の山本朋広を破り、小選挙区勝利で再選。党代表の岡田克也は辞意を表明した。前原は岡田後継の代表選挙に立候補し、9月17日に菅直人を2票の僅差で破り、第5代代表に選出された。前原の代表就任には、民主党が一気に代表を若返らせたことやその端正なルックスから、読売新聞などのメディアが、“新代表はジャニーズ系”、“永田町の郷ひろみ”と報じ、朝日新聞が「目指せ、日本のブレア」と題した社説を載せるなど、マスコミからは概ね好意的に受け止められた。

内政と外交


代表就任後は人事で明確な世代交代を進める一方、反対野党に終始しない「対案、提案路線」を掲げ、与党の重要法案に対しては、積極的に対案を提出することを宣言し、民主党の“政策立案能力”、“政権担当能力”のアピールを試みる。その後も長く民主党の支持母体となっていた日本労働組合総連合会等の労組との関係を見直すと主張。労組とは党との考え方の違いを率直に議論しながら是々非々の関係を構築し、労組依存の体制から脱却して行くことを掲げた。


2005年12月2日に東京の大学において講演した際、「日米安保と防衛の一方的な依存は、アメリカに対する過度の甘えである」として、自民党の対米追従を批判した。同月中旬の自らの米中歴訪では、「中国の軍事的脅威に対して日本は毅然とした態度を取るべきである」という持論を展開した。9日(現地時間8日)の戦略国際問題研究所(CSIS)における講演では、中国の軍事力増強について現実的な脅威と指摘(中国脅威論を唱えた)し、またシーレーン(海上交通路)防衛の要求上、日本の集団的自衛権を認めるべく憲法改正の必要性を訴えたが、これには民主党内の左派から党内合意を経ていないとの批判を受けたほか、中国政府の反発を呼び、予定されていた会談を中国側がキャンセルするという事態に繋がった。同13日に前原は訪問先の北京で記者会見を開き、中国脅威論の主張を根拠に要人との会談を拒否した中国政府の対応を批判して、「(率直に物を言わぬ上辺での)友好は砂上の楼閣になってしまう」と指摘した。

2006年3月6日神奈川県内で開催された民主党所属の参議院議員の朝食会で政令指定都市選出の道府県議について「ほとんど仕事がない。神奈川県議会の半分以上が横浜、川崎から選ばれているのはおかしい」などと政令市県議不要論ともとれる主張を展開、大きな話題になった。

こうした対案路線や労組依存からの脱却、対中外交のタブーに囚われない姿勢は党内左派との軋轢を生みながらも概して好意的に受け止められたが、後述の堀江メール問題で大きく躓くことになる。

メール問題


2006年の第164回通常国会は冒頭から耐震偽装問題、米国産牛肉の輸入問題、ライブドア事件、防衛施設庁の官製談合事件など所謂「4点セット」により民主党は与党を追い詰める立場にあった。しかし2006年2月、衆議院予算委員会で永田寿康の質問に端を発した堀江メール問題に関連して、民主党は十分な証拠を開示できなかった。さらに、ライブドア関連の情報を精査する中で、ライブドアと武部家の間に密接な関係があるのではないかとする情報も民主党にもたらされていたことで、前原はひとまず、メールの真偽論争は避けて、国政調査権行使によって武部の息子の金融機関の口座を調査するよう党首討論で小泉首相に要求した。同時に、自民党が国政調査権の行使を確約するならば、これを担保に金融機関の口座番号も含めた情報を、民主党も提示するとしたが、この追及は騒動の発端となったメールの信憑性が低いために逆に批判を浴び、前原や民主党の立場を弱めることになった。これに対して自民党からは非難の声が上がり、民主党への抗議の電話が殺到することになった。

これに関して、問題となった偽メールを見抜けなかった前原自身の進退問題が取り沙汰されることとなったが、2月28日に謝罪会見を行い、同時に代表続投を宣言した。しかし代表選挙で前原陣営の選挙対策委員長として票を取りまとめ、前原の意思を尊重して国会運営に当たっていた国会対策委員長の野田佳彦(当時)の引責辞任を余儀なくされ、執行部の右腕を失う結果となってしまった。前原の代表続投宣言のあとも、民主党の堀江メール問題はマスメディアで取り上げられ続け、最大の責任者かつ当事者である前原の代表辞任はもはや避けられないと見られていた。2006年3月31日、前原も代表辞任を表明した。前原の代表辞任の表明を受けて、鳩山由紀夫も幹事長辞任を表明、永田寿康も代議士辞職を表明した(永田は後に自殺している)。4月7日、民主党代表選で小沢一郎が菅直人を破って当選し、前原体制は半年足らずで終焉した。

2008年に刊行された民主党秘書らによる『民主党10年史』(第一書林)では、メール問題について「普通の企業なら当然備わっている筈の危機管理と統治能力がなかった」「党執行部の仲良しグループ化が生んだ情報囲い込み」と指摘し、前原と(事件から半年後に自民党総裁に就任した)安倍晋三を「タカ派的体質、自信過剰という点で 共通点が多い」とした上で「両若手指導者が短命で終わった点は興味深い」と述べている。

民主党代表辞任後


2006年10月衆議院議員補欠選挙では選挙の直前に、テレビ各局で、同時期に起きた北朝鮮の核実験に対して、周辺事態と認定されうる6類型のうち、6番目の類型に限りなく近いとして「周辺事態法を適用するべきである」と発言し、北朝鮮の核実験は周辺事態にあたらないとする民主党執行部の「周辺事態」論議を痛烈に批判した。これによって、安全保障政策における民主党執行部と前代表である前原や彼に同調する勢力との亀裂が表面化するとともに、党の方針を小沢・菅・鳩山のいわゆるトロイカ体制のみで決定するべきではないという執行部への批判が噴出することとなった。同時に、民主党の外交防衛部門会議は、小沢、菅、鳩山らトロイカ体制の見解は、民主党の公式見解ではないとする声明を発表した。また、「『核保有を議論すべきではない』との考えか」との質問に対し、「『議論をすべきではないとは考えていない』が、現在の状況では議論すべきでない」と発言し、一応は平時の核議論を容認した。だが、自身の公式サイト、産経新聞などで、
「日本が核を保有したとしても、核保有国であるアメリカや中国と瀬戸際外交を行う北朝鮮に対する抑止力とは成りえず、核拡散防止条約からの脱退も余儀なくされ、国際社会からの制裁を受けると共に、一連の流れによって日本自身がNPT体制を脆弱にし、結果的に北朝鮮やイランの核保有をゆるしてしまう。また、アメリカとの同盟関係を見直してまで今すぐ日本が核を持つことに意義は見当たらない。」


といった趣旨の見解も示したことから、日本の核武装に関して基本的には反対の立場をとっている。また、そもそも核武装論議にも批判的である。

後継代表の小沢一郎との対立も指摘されているが、本人はこれを否定している。小沢のISAF構想や国連中心主義には賛同しつつも、「日本外交の基本は日米同盟」であり「国連至上主義」になってはいけないと説く[6]。同年9月に小沢一郎が民主党代表に再選された際には、党副代表就任を要請されたが、これを固辞した。最終的に、前原グループから新たに執行部入りする議員が出ることは無かった(ただし、本人は新たに常任幹事となり、党常任幹事会にも参加している)。

2007年4月の国民投票法案の衆議院本会議における採決では、党代表の小沢一郎が与党に対して対決姿勢を強める方針に反発し、外遊を理由に会議を欠席した。同年7月の第21回参議院議員通常選挙後の臨時国会における最大の争点であるテロ対策特別措置法延長問題に関しては、党内で小沢一郎らが反対を表明する中にあって、自身は「テロとの戦いには75ヶ国が参加しており、日本が抜けるのは国益に反する。何らかの形で参加するのが良いし、洋上給油は現段階ではベストだ」と述べるとともに、米国との関係も考慮して延長に理解を示すなど、独自の柔軟な見解を示す。

2007年の安倍改造内閣において、東大教授の御厨貴や評論家の宮崎哲弥、毎日新聞の与良正男などからは、安倍晋三との個人的な交友関係や小沢一郎との確執等の風聞から防衛大臣に引き抜かれる可能性も指摘されたが、結局離党することはなく、予想は実現しなかった。2007年秋の臨時国会を前にした民主党改造人事では党の主要ポストを与えられる可能性が指摘されていた。その見方通り、前原は8月31日の党改造人事で岡田克也、石井一、高木義明、川端達夫ら主要幹部とともに党副代表に就任する。

2008年1月、小池百合子との対談で、大連立構想に関し、「民主党は政権の現実味を感じずに政策立案し、野党病に陥っている。時限的に問題を解決するためと明示すれば連立することがあってもいい」と主張した。ただし、現時点では逆転国会で審議を活性化させることを優先すべきとした。

2008年6月、前原は、『中央公論』7月号での自民党の与謝野馨との対談で、農家への戸別所得補償や子ども手当などを初めとする2007年7月の参院選マニフェストについて、これらの公約の必要経費を18兆円と試算したうえで「行革だけでは財源を捻出するのは絶対無理」「私は、(民主党は)『君子豹変』しないかぎり、まともな政権運営はできないと思いますよ」と持論を展開した。財源論についても、党内の政策責任者の間で疑問が強かったにも関わらず、最後は小沢の「エイヤ!」の決断で押し切られたことを明らかにした。 これに対し、「民主党次の内閣」の現・前・元の農林水産大臣である筒井信隆・篠原孝・山田正彦らは、この前原の主張は、前原自身が代表時代に提出した民主党の食料の国内生産及び安全性の確保等のための農政等の改革に関する基本法案[7]を自ら不可能なバラ撒きとして否定したことになるとして抗議と説明の電子メールを党所属国会議員全員に向けて一斉送信した。 そのメールの内容は、「民主党の農業政策をバラマキだと言える精神は理解しがたい。次期総選挙を考えても看過できない」「妄言を糾弾し、その退場を勧告する」「(前原)副代表は自らの出処進退を明らかにされんことを勧告する」など激烈なものであった。

しかしながら、この「食料の国内生産及び安全性の確保等のための農政等の改革に関する基本法案」では、1兆円の給付しか明示しておらず、そのほかの経費を多めに見積もったとしても、「18兆円の財源を行革だけで捻出することは不可能」としたことを以って、この法案を「不可能なばら撒きとして自ら否定した」直接の根拠にはならない。 また、このメールでは週刊文春に掲載された"前原氏が菓子パンをごみ箱に投げ捨てた"とする記事に触れ、「生命の維持に欠くことのできない食料を粗末にするような人間に食料・農業について論ずる資格はなく、議員としての資質ばかりか、その人間性に重大な問題があると言わざるを得ない」と攻撃している[8]が、週刊誌ネタを理由にした指弾には疑問の声も多く、連名で加わった篠原孝自身も、後に「菓子パンについての記述は削除するように進言したが聞き入れられなかった」「配信直前に穏便に事態を収拾しようとしたが都合がつかなかった」「菓子パンの記述が(この文書の)品格を下げたという人が大半だった」と釈明している[9]。 なお、このメールについて、筒井信隆は後日、記者団に「副代表の辞任要求ではない。進退の勧告は削除したい」と一部行き過ぎであったことを認めている。

2008年9月に実施された民主党代表選に関して、「小沢執行部は及第点」と評価しているがマニフェストを進化させるために無投票を避けるべきだと主張した。これについて鳩山由紀夫から、前原が小沢代表に採点を下すのは「おこがましい話だ」と批判され、以後前原は口をつぐんでいる[1]。

2009年2月4日、衆議院予算委員会の質疑において、道路特定財源の一般財源化に伴い新設された「地域活力基盤創造交付金」の使途が主に公共工事にあてられることを強調し、「首相は“やるやる”詐欺の常習犯だ。選挙をやるといってやらない。一般財源化もやるといってやっていない」と批判し、「麻生首相を詐欺師呼ばわりした」と産経新聞が報じた。これに対して麻生は、「詐欺というのは犯罪だ」と反論した。さらに衛藤征士郎が前原に対して「無礼な言論をしてはいけない」と注意すると、民主党議員が委員長席を集団で囲んで騒然となる一幕があった。前原の発言はその後もエスカレートし、公益法人の在り方について麻生が「事前通告がない」と答えると、「事前通告はしている。そんな答弁するなら家で寝ていた方がましだ。一国の総理として恥ずかしくないのか。税金泥棒だ」と言い放った。

2009年3月、小沢代表の資金管理団体をめぐる違法献金事件について「あれだけの献金を(西松建設から)もらうと、『それが合法であったっていいのか』という問題がある。私からすると考えられない数字」と、疑問を呈した。また、民主党のマニフェストから「公共事業受注企業からの献金全面禁止」の文言が小沢就任以降消えていることに対し、「復活させてしっかり書き込む。国民に疑念を持たれないようにするのが大事」との認識を示した[10]。

前原と、同じく民主党副代表(当時)の岡田克也がアメリカのワシントンを個別に訪れた際に、アメリカ側に「今の日本は拉致解決に固執しすぎて北朝鮮の核放棄への障害となっている」と発言した、と報じられた[11]。

2009年5月、財団法人日本漢字能力検定協会の関連会社などから受けていた政治献金を返還すると発表。この関連会社には同協会からの資産が流出したと報道された。前原は報道各社に対し、「公益法人のあり方が問題になっていることにかんがみ、けじめをつける。」などとする書面を送付し、支部長を務める政党支部で受けた献金を返す意向を示した。

2009年5月の党代表選挙では事前に有力候補と見られていたが、今回は出馬を見送り、政策的に近い野田佳彦広報委員長とともに自身のグループをまとめて岡田克也を支持した。

2009年9月に発足した、鳩山由紀夫内閣では、国土交通大臣に就任した。北方・沖縄担当相、防災担当相も兼務。

国土交通大臣


ダム事業


前原は国土交通大臣に就任直後の2009年9月17日未明、記者団の取材に対して、国が進めていた八ッ場ダム(群馬県)と川辺川ダム(熊本県)の建設事業について「(第45回衆議院議員総選挙における民主党の)マニフェストに書いてあること[12]なので(事業を)中止します」と明言[13]。国の直轄事業であるとはいえ、地元の意向を直接確認しないままの大型事業休止の方針発表は、とくに八ッ場ダムについては共同事業者である関東各都県の知事を始めとする地元関係者の反発を招いた(詳細は八ッ場ダム#政権交代による事業計画の転換を参照)。加えて、ダム建設事業については10月9日に国土交通省直轄ダム建設事業の56事業のうち、改修事業を除く48事業について「2009年度は(ダム事業を“調査・設計”→“用地買収”→“生活再建工事”→“転流工工事”→“本体工事”という段階に区切った場合における)新たな段階に入らない」ことを表明[14]、ダム建設事業を全面的に見直す立場を示した。完成寸前のダムも存在しており(長井ダム、胆沢ダムなど)、各地で反対の声があがっている[15]。

航空行政


また、日本の空港にかかる施策についても政策の大幅な転換を示し、全国の空港整備事業の予算的裏付けとなっており、空港使用料・着陸料の高止まりの原因と指摘されている社会資本整備事業特別会計空港整備勘定(旧空港整備特別会計)について抜本的に見直すことを表明する[16]とともに、運用面においても、現在事実上国内線優先となっている東京国際空港(羽田空港)の滑走路の拡張完成を機に成田国際空港との国内線・国際線の棲み分けを撤廃し羽田空港については24時間運用による拠点空港(ハブ空港)化を目指す方針を明らかにしている[17]。羽田のハブ空港化については、石原慎太郎東京都知事[18]や松沢成文神奈川県知事[19]らが歓迎の意向を表明している一方で、成田空港の地位低下を懸念する森田健作千葉県知事[20]や、関西国際空港のハブ空港化が事実上後回しとされた格好となった橋下徹大阪府知事[21]らから異論を唱える場面も見られた(ただし、橋下は羽田のハブ空港化そのものについては一定の理解を示している[22])。

天皇特例会見


2009年12月15日、今上天皇と中華人民共和国副主席・習近平が会見を行った天皇特例会見問題については、「元首相、自民党の方から要請が首相官邸に届いたということで、我々がルールを曲げたということではないと聞いている」と述べた

政策・人物像


中国脅威論、集団的自衛権の行使及び日本国憲法第9条改正の必要性、武器輸出三原則の見直しなどを明確に打ち出しているため、左派からは「日本版ネオコン」などと呼ばれる一方で、1999年7月に国旗国歌法案の採決で反対票を投じたり、夫婦別姓や外国人参政権に対する賛意など、イデオロギー的な保守色は必ずしも強くない。なお、靖国神社を巡っては、A級戦犯の他神社への「遷座」をしたうえで、天皇や総理大臣の参拝を可能とする環境整備を主張している。経済政策においては改革派に属し、「真の構造改革」が必要の立場を採る。こうした点は多くの松下政経塾出身の議員と共通している。

政界有数の外交・安全保障の論客として知られ、親米を基調としつつも日米同盟(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約に基づく両国関係)の双務性を強化したうえで過度な対米依存から脱却することを説く。外交、安全保障政策を政争の具とする国会戦術には否定的であり、「外交、安全保障を極度に政治の道具として何でも反対とか、ケチをつけるべきではない。それを超越した二大政党制をつくりたい」と発言したこともある。議員連盟「新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会」で中谷元、公明党の上田勇とともに世話人を務める。

他に公共事業改革が持論で、これは恩師高坂正堯の前原への遺言でもあるという[24]。民主党でも社会資本整備ネクスト大臣や「公共事業を見直す委員会」の事務局長を務めるなど、一貫して公共事業問題に取り組んできたが、こうした活動が鳩山内閣での国土交通大臣就任につながっていった。

静岡空港建設反対の国会議員署名活動に賛同している[25]。

座右の銘は「至誠 天命に生きる」。尊敬する政治家は広田弘毅、好きな歴史上の人物は坂本龍馬。愛読書は城山三郎の「落日燃ゆ」。歴史小説を好んでよく読むという。永田町を代表するプロレスファン、格闘技マニアでもある。

公の場では標準語を話すことが多いが、普段は典型的な京都弁を話すことが多い。

逸話


趣味はSL写真の撮影ならびに収集、時刻表の分析、妻との食事、ドライブ。国会議員随一の鉄道ファン(特にSL写真の撮影旅行)と言われている。また、新婚旅行先は「現役のSLが走っている」という理由で北海道だった。高価な機関車のプレートを我慢できずに購入し、夫人を嘆かせたというエピソードもある。また、秩父鉄道でのSL写真(国鉄C58形蒸気機関車)が2008年度の秩父鉄道SLカレンダーの表紙に採用されている。本人曰く、秩父鉄道にたまたま自分の撮った写真を送って採用されただけなので政治力は使っていないとの事(出演した未来創造堂での発言)。また2008年に西日本旅客鉄道(JR西日本)山口鉄道部で発売されたSLやまぐち号オレンジカードセットの台紙写真に前原の写真が使われており「写真提供:京都府 前原誠司」とキャプションがある(台紙は写真複数からなっており、前原の写真はその一部である)。「鉄道ピクトリアル」、「国鉄時代」、「Rail Magazine」、「一個人」、「旅の手帖」等に鉄道ファンとしてのインタビュー記事や寄稿がある(「国鉄時代」は複数回登場、「旅の手帖」は本人撮影の絵葉書が付録)。さらに写真展の開催や撮影した写真を絵葉書にして頒布もしている。

2006年3月14日、「メール問題」で党幹部が憔悴中、渡部恒三が激励のために会津名物「起き上がり小法師」を党幹部などにプレゼントする気配りを見せた。テレビカメラを入れさせて会津名物「起き上がり小法師」を利用しての再起を演出する予定だったが、渡部の「起き上がり小法師」はこのように起きあがるのだという明るい実演のあとに、前原が起き上がり小法師を選んで横にしても全く起き上がらなかったため、逆に座が凍りつくという一幕があった。しかもこの様子がワイドショーで全国に放映され、結果的に前原の代表辞任への最後の強力な一押しとなった。このため、渡部がわざと不良品を前原の前に置き、代表辞任を促すメッセージを送ったとする説も生じたが真偽は不明である。この約2週間後の3月31日、前原は代表辞任を表明した。

代表辞任直後に早稲田大学で講演会が行われたが、その時のテーマが「リーダーシップ」であった。「リーダーシップで大失敗したばかりの私がお話するのも心苦しいが」とジョークを飛ばし、観衆の笑いを誘った。

安倍晋三とは、当選同期で議員会館も隣りの部屋(安倍晋三の議員会館の部屋の前の住人は安倍晋太郎、前原の部屋の2代前の住人は安倍の祖父岸信介)。ともに安全保障政策に関して気心知れた仲であり、二期目あたりまでは時折、酒を一緒に飲みに行っていた仲である。現在も、お互いの携帯番号は交換しており、安倍が選挙の応援演説で前原の選挙区に入る時、安倍の方から「ちょっと選挙区に入らせて貰います」と挨拶が入ることもあるという。

事務所に出勤すると、毎日菓子パンと惣菜パンをそれぞれ一個ずつ食べるのが日課という。ところが、新人女性秘書が間違って菓子パン2個を用意したところ、大激怒して「菓子パンなんか2個も喰えるか!」と大声で怒鳴り、菓子パンをごみ箱に投げ捨てたという[26]。本人はこれを否定するコメントを記者に述べている。

師の高坂正堯と同じく熱狂的な阪神タイガースのファンで、高校時代は野球部に所属していた。

血液型はA型。

略年譜

1975年
京都市立修学院小学校卒業(3月)
1978年
京都教育大学附属京都中学校卒業(3月)
1981年
京都教育大学附属高等学校卒業(3月)
1987年
京都大学卒業(3月)
松下政経塾入塾(第8期)(4月)
1991年
京都府議会議員選挙(左京区・無所属)当選(4月)
1993年
第40回衆議院議員総選挙(旧京都1区・日本新党公認)当選(7月18日)
1996年
第41回衆議院議員総選挙(京都2区・旧民主党公認)2期目当選(現職文部大臣で宏池会の重鎮奥田幹生や京大法学部の先輩で日本共産党新人井上哲士に後塵拝し比例復活)(10月20日)
2000年
第42回衆議院議員総選挙(京都2区・民主党公認)3期目当選(6月25日)
2003年
第43回衆議院議員総選挙(京都2区・民主党公認)4期目当選(11月9日)
2005年
第44回衆議院議員総選挙(京都2区・民主党公認)5期目当選(9月11日)
第5代民主党代表に就任(9月17日)
2006年
堀江メール問題で民主党代表を辞任(4月7日)
2007年
第6代民主党代表小沢一郎の下、民主党副代表に就任(9月5日)
2008年
民主党の農業政策を不可能なバラ撒きと雑誌『中央公論』7月号で批判
「民主党次の内閣」農水相経験者から抗議メール[8]を民主党内に一斉送信される(6月12日)
2009年
第45回衆議院議員総選挙(京都2区・民主党公認)6期目当選
鳩山由紀夫内閣の国土交通大臣、特命担当大臣(沖縄及び北方対策、防災)に就任(9月16日)

関連する団体・議員連盟

日本会議国会議員懇談会
新世紀の安全保障体制を確立する若手議員の会(世話人)
日米平和・文化交流協会(元理事、2007年12月退任)
新憲法制定議員同盟
在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟
たばこと健康を考える議員連盟


関連動画


公式サイト
前原誠司-ホームページ
http://maehara21.com/

トップ > 前原誠司
wikipediaの該当大臣の記事を改変利用しています
http://ja.wikipedia.org/
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出典は記事の脚注等を参照ください



前原27日「民主党の独自性が見えない。国民新党、社民党に引っ張られているんじゃないか、ということが下落の一つの要因だと思う」
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20091228k0000m010050000c.html

前原大臣 観光庁長官に溝畑氏 大分トリニータ運営会社の前社長 経営悪化などの責任を取り12日に辞任したばかり
観光庁の本保芳明長官(60)を更迭し、後任にサッカーの大分トリニータの運営会社、大分フットボールクラブ(大分FC、大分市)の前社長溝畑宏氏(49)を充てる人事を固める。溝畑氏は自治省(現総務省)出身
http://www.nikkei.co.jp/news/main/20091225AT3S2500C25122009.html

サッカー Jリーグ 大分崩壊の危機 追加融資年内見送り 知事、上京し支援を要請

関係者によると、観光立国政策を推進するために官僚色を一新したいと人選を進めて
いた前原氏に溝畑氏を紹介したのは、松井孝治内閣官房副長官だという。新長官に
決まった溝畑氏は京都生まれの京都育ちで松井氏とは進学校の洛星高校の同級生。
「溝畑氏の馬力に期待したい」と京大出身で選挙区が京都の前原氏が最後に白羽の
矢を立てた。

本保氏への内示は発令日から2週間前にあたる今月21日。寝耳に水の“更迭”だったが、
甘受するしかない。同氏は「私がいなくなっても観光庁や国土交通省という組織は残る。
後に残って仕事をする後輩官僚たちのためにも何も言わずに身を引きたい」と言葉少なに
語った。霞が関の官僚たちはこの人事で政権交代を改めて実感したのに違いない。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091225/plc0912252123018-n1.htm


れを天下りといわずしてなんという。サッカーJ1大分を事実上の倒産状態に追い込み今月12日で
辞任した溝畑宏・前社長(49)がなんと、観光庁長官に就任することが決まった。

 大分は昨年のナビスコ杯で初優勝したが、今季強化策の失敗に加え大手スポンサーの撤退などが引き金
になりJ2に降格。さらに「当初は2億円という話だった」(Jリーグ関係者)という債務超過が9億円を
超えることが判明。2億円以上の融資をしている大分県の広瀬勝貞知事が慌てて上京し、Jリーグに緊急
融資を要請したほど。だがJリーグは「後任の社長が決まっていない」と2億5000万円分の融資を保留。
年内の選手や職員の給与などを地元金融機関からのつなぎ融資で賄い、なんとか年越しを迎えようとしている。

 その債務超過のほとんどが『溝畑スタイル』と呼ばれる営業方法の結果だ。「大口はともかく小口の
スポンサーを集めまくっていた。当然職員をこきつかう。だからすぐ辞める人もいた」と話す大分関係者もいる。
 Jリーグはこの大分の窮状をみて「つぶすわけにはいかない」(Jリーグ鬼武健二チェアマン)と「6億円」
の緊急融資を決定したばかり。それをうけて日本協会の幹部がJリーグ関係者を緊急派遣。「送り込まれた元
Jリーグ幹部が大分の借金の精査と交通整理をしている最中です。それなのに…」(Jリーグ関係者)と、
溝畑前社長の突然の天下りにあいた口がふさがらない。

 皮肉なことにJリーグは25日ですでに仕事納め。溝畑前社長の“栄転”には「えっ、ほんと? 信じられない」
とJリーグばかりではなく日本協会関係者にとっても寝耳に水だった。12日に大分の社長を辞任した際には
「すべて私の責任」と涙ながらにコメントしていた溝畑前社長だが、「あの涙はなんだったの?」と大分サポーター
からも怒りの声があがっている。残された大分は主力選手のほとんどが他のクラブへ移籍。
(略)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091228-00000016-ykf-spo

  • 大分トリニータを身の丈を超えた超絶借金経営で潰れる寸前まで追い込み離脱
  • 大分トリニータの借金総額は約20億(資本金は5億弱)で、当然のように債務超過
  • 今年のリーグ戦に来年分の運営費を注ぎ込み、今年だけで約8億円の借金を作る
  • ブラック企業との付き合いがとても上手く、優良企業が近寄れない魔境を作る
(朝日ソーラー、ペイントハウス、トライバルキックス、マルハン、オメガプロジェクト、フォーリーフ)
  • 借金の形に大分トリニータのグッズ販売権を株主の特定企業に売り飛ばす
  • 粉飾借金経営、不明瞭な増資、自転車操業、チンコに馬刺し巻き、裸踊りが得意な元官僚
  • 商業謄本の代表取締役が溝畑宏じゃない(偽名疑惑)
  • 身の丈経営よりもチャレンジ経営(笑)が好き
  • 逮捕されてないのが不思議なレベル

「中国からの観光客を増やすために」 ~溝畑・新観光庁長官、訪日外国人数“任期中に1000万人超に”
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20100104AT3S0401504012010.html




政府保証なし「どういう趣旨か分からない」前原国交相
ttp://sankei.jp.msn.com/politics/policy/091222/plc0912221212009-n1.htm
前原誠司国土交通相は22日の閣議後会見で、藤井裕久財務相が日本航空につなぎ融資に対して政府保証を付けないとの考えを述べたことに
「どういう趣旨か分からないが、日航の支援は5閣僚で確認している。運航に支障を来さないようしっかり支える」と強調した。

法的整理をしないとは言っていない(JAL)

普天間移設先に辺野古最善でない=前原国交・沖縄担当相
http://jp.reuters.com/article/economicPolicies/idJPJAPAN-12774620091204

JAL再建案を引っくり返し米航空との提携ご破算、欧米金融機関から取引停止に追い込まれる

JALに7000億贈与、パシフィック架空増資で市場かく乱の冨山某タクスフォース任命

補助事業ダム、補助金の削減も…前原国土交通大臣
http://www3.nhk.or.jp/news/k10014435391000.html

前原氏が民主党党首として当選した直後、某ニュース番組で解説者が名前を間違えた事が事の始まりだと記憶しています。
「前田」「前〇」「〇原」「前山」「前沢」「前田原」
「高原」「煎原」「MEHR」「前国原」「前方後円墳」
「前ギャランドゥ」「前ヘェーラロロォールノォーノナーァオオォー」「鉄オタ」


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